精霊と成礼
都会と言えば確かに都会だ。でもこの雰囲気、春風駘蕩の河川敷をみると、どうしても都会ということを忘れてしまう。
目と鼻の先には隅田川が流れている。
湿気がヒゲをピリつかせており、思わず顔を擦る。
忙しい仕事が多い都心部で、こんなのどかな河川敷の管轄をしているだけで良い仕事は、シャムにとっては非常に良い生活といえた。
すこし遠くを見れば人間が作った天までそびえ立つ建築物が見える。
いつか読んだ本に、あの様な高塔を建て、神の怒りを買った、という物語を読んだ気がしないでもない。
一度同僚に聞いたことがある。
なぁ、なんで上級精霊はあの塔を壊さないの?本部の近くにある、目の上のたんこぶともいえるあの塔が気に入らんこともあるんじゃないのか?と。
「別にそういうことには無関心なのではないのですか?私たちの上司は。昔は厳しい人は厳しかったらしいですけど。そのあたりは、時代によって変化しますし。でも東京に一本目の赤いタワーが立った時、口うるさい上級精霊がいますぐに壊せ!と一人で騒いで周りから顰蹙を買ってたらしいですよ。」との回答を得た。
昔ながらの風習を頑なに守ろうとする老精霊はいつの時代だって柵になる。
人間社会にも共通するところはあるらしい。
風習やルールを守り続けるがあまり、若者に「老害」と呼ばれ、裏で蔑まれている老人を見たことがある。
ふと河川敷を見渡す。
ブーメランで遊ぶ少年に、ベンチで昼食をとる女性会社員。
座り込みただどこか一点を見つめる老人の裏では飼い主と犬がボール遊びをしている。
頼むからこっちには来ないでくれよ、と切に願う。
精霊は皆、犬があまり好きではない。
なにも、我々が猫に似ているから、犬が嫌いというわけでは断じてない。そもそも猫と犬の仲が悪い、というのも固定観念で、最近は犬と猫の多頭飼いというのも珍しくないことは知っている。
なんせ奴ら犬は、野生の勘なのか、その良すぎる嗅覚故にか、我々の存在に時たま勘付くことがある。
そして我々に吠えかかってくるのだ。
河川敷という場所も相まってだろう、この仕事は犬と遭遇することが多い。
普段全く他の生物からは干渉を受けない生活をしていると、こちらにアクションをしてきた時、ぎょっとする。
しかもたちが悪いのが、気がつく犬と気が付かない犬がいる。さらに、さっきまでは気が付いておらず、呑気にボール遊びに勤しんでいたのに、いきなり何かの気配を感じ取ったのか、自分に向かってアラームよろしく吠えてくることもある。
言葉にしてしまえばそれだけのことなのだが、普段全く見えない、全員から無視されている透明人間がいきなり話しかけられたら驚きを超えて、体が硬直し、ぎょっとするだろう。それに近い、驚きを超えた驚き。
それがあるから犬は好きではない。というか嫌いだ。
しかし当の犬はボールを取りに行き、飼い主に返すことに夢中で私に気がつくことはなさそうで取りあえずは安心する。
昔、電車の管轄をしているアメショーという奴に、犬が怖い、という相談をしたのだ。
しかしアメショーは「あぁ、犬ですか、かれらは良い生き物ですね。目に見えない人間の目となり鼻となり、サポートしています。隙さえあればサボろうとする我々と違う、働き者の生き物です。」という見当外れの評価をしていた。
たぶんアメショーは犬という生き物を知らないことを隠して、見栄を張ったのだろう、とシャムは予想した。普段から気取った話し方をしているからさぞプライドが高いのだろう。
知らないことも知らないと言えない難儀な性格でさぞ困るに違いない。
そんな考え事をする余裕があるくらいにはこの管轄の場所はあまりにも平和すぎた。
あぁ、視界には少年三人組が遊んでいるのが写る。
シャムは空いているベンチに寝そべり、河川敷の全体像を捉えるような、ぼやけた風景を見る。暑さも落ち着き、多少人が増えた。
ブーメランが空を切っている。
ボールが空を飛ぶ。
犬の走る息遣いが耳に入る。
少年達の声が聞こえる。
あぁ、めんどくさいことになってる。
アメショーが「寝ながらできる仕事はいで
すよね。私は寝て人身事故でも起こしてダイヤが狂えば、即野良行きですから。その点、トラブルもない原っぱ観察は羨ましいですよ。」
ダイヤが何かわからないことを置いておけば、私もこの仕事がしたいと言う気持ちも分かる。自分には大量に乗り込んでくる人間を一人一人吟味してトラブルを事前に予測して回避するというのはできそうになかった。
そういえば、宝石でダイヤというのが確かあったな。それかもしれない。
しかし、と隣にいるはずもないアメショーに語りかける。
「この仕事も楽なことばかりではないんだよ。」
少年三人組で遊んでいたように見えたのだが、よくよく見てみれば、二対一の構図ができていた。いや、元からなのか。
寝ながらできる仕事だからといって、重要じゃないというわけではない。
この本部のお膝元ともいえる河川敷でトラブルが起きれば、人間の足が遠のき、上級精霊に怒られてしまう。
最悪を想定すると、この仕事を外されてしまう可能性もある。
基本のマインドはアメショとそんな変わらないな、と呟く。
「おい、さっさと金出せよ。」と一人目の少年。
「早くしないとまた叩くぞ!」
一人目の少年の足りない言葉を補うような二人目の少年の言葉。
それに怯える三人目の気弱な少年。
「でも、昨日もあげたし、今日だって給食のデザートあげたじゃんもうやめてよ。」
弱々しい声で反抗する。
が、その反抗も儚く、少年二人に体を押さえられ、ポケットをまさぐられてしまう。
すると左のズボンのポケットから、小さな、マジックテープの財布が出てくる。
少年二人はすぐさま、マジックテープをびりびりと剥がし、財布の中身を確認する。
「コイツ、三千円も持ってるぜ、これだけあったらゲーセンで飽きるほど遊べるぞ。二人目の少年があくどい笑みを浮かべる。
なぜ金を取られるだろう場に財布を持ってきてしまうのか、シャムは不思議でならなかったが、そのおっちょこちょいで、抜けてる部分が、少年がたかられる所以なのだろうと推測した。
さて、軽いケンカなら普段は見過ごすようにしているのだが、人間社会において、金銭トラブルはかなり重大な問題になることは知っている。
止めねばな、と、シャムが立ち上がった。
その刹那「これはお母さんにプレゼントを買うお金なんだ!返してよ!」と気弱な少年が一人目の少年の頭をポカリ、と殴る。
一人目の少年がなにすんだよ、と痛いとが混ざった言葉を吐く。
が、気弱な少年は止まらなかった。
一発目の調子でポカ、ポカと頭を叩く。
やめろよ、と言ってもやめない。
二人目の少年は財布を持ったまま立ち尽くしている。
五発目、六発目と出た時点で、一人目の少年が逃げ出す。
気弱な少年はぐいぐい、と財布を持っている二人目の少年に近づき、「返してよ!」と強く言う。
「ちっ、わかったよ、」と財布を投げつけ一人目の少年に続いて、逃げ出した。
シャムは一連の流れをみていた。
これが窮鼠猫を噛むということなのか。
俺が出るまでもなかったな。と、ベンチに座り直す。
面白いものが見れた挙げ句に、自分がわざわざ手を下さずとも解決したことは、とても気分がいい。
俺が関与してしまうと、どうしても超常現象に似たものになってしまう。勝手に石が飛んでくるとか。
それで曰く付きの場所になってしまっては元も子もない。流石に一回そんな事があったくらいではならないだろうが。ましてや相手は子供だ。でも、俺がやらなくていいならそれに越したことはない。いい気分だ。
相変わらず公園では老人が読書をしているし、ブーメランで遊んでいる青年がいる。
飼い主が犬に向かって投げたボールが俺の方へ飛んできた。
そのボールを拾いに来た犬はボールには目もくれずにシャムに向かって、ワン!と吠えた。
シャムは全身の毛が逆立ちぎょっとした。
やっぱり犬は嫌いだよ。とシャムは悪態をつく。




