精霊と精励
精霊と聞いて、どんなイメージを持つかは人それぞれだ。
山の中の小さな池。可憐な花々が咲き誇っている、メルヘンな池の周りを優雅に飛び回っているというのが精霊のイメージと聞いて一番に思い浮かぶであろう。
または、貧しい靴屋の主人がすやすやと寝入っている間、代わりにどこからかえっさほいさとやって来て、靴磨きをしてくれる小人のような精霊をイメージする人もいるかもしれない。
しかし、実際の精霊の居場所はそんなヨーロッパの街並みの中でもなく、池のほとりでもない、日本の街の中に巣食っている。
この物質主義の現代、いかに精霊といえども居場所を変えずに生活することは困難だった。
現実の精霊とは、優雅に飛び回って怠惰に生活しているわけではない。
時には、生活圏を田舎から都会に、山中からビル群に変えることは生き残るための術だった。
そして生き抜くためには精霊だとしても、労働は必要不可欠だ。
そしてこれまた、皆さんのイメージを壊してしまうなら申し訳ないのだが、精霊といっても、私たち精霊の見た目は小さな少女に蝶の羽をもったような姿でも、緑色のトンガリ帽子をかぶった小人でも、斧を泉に落としたとしても親切に斧を拾い上げてくれる女神でもない。
あえて人間界の生き物に例えるなら、猫に近い外見をしている、というかほぼ猫だ。
人間は私たち精霊に似ている猫のことを決まって指差し、愛らしい、といった笑みを浮かべ「ふてぶてしい猫」と言う。
そう言って額を撫で、餌を与えて食いつなげている猫の様子を見ているので、人間界ではこの姿はある程度、愛されているのだろう。
なので、これから出てくる私たち、また私たちの仲間のことは、猫を想像して頂けると、話のイメージも掴みやすいし、良いイメージを持っていただけると思う。
なんて、私はここにいる訳でもない誰かに無意味な説明をしてしまう。
しかしそんな暇もすぐに終わる。
眠気と気怠さをないまぜにした息を吐く。
数分の時間は暇というよりも休憩と表現した方がいいのかもしれない。駅のホームは朝の通勤ラッシュで人が電車から乗り降りしている。
電車というだけで忙しいのに、都心の路線ということで特に乗車数が多く、忙しい。精霊の仕事の中では明らかにハズレの部類であったが、文句を言っても仕方がない。
毎日毎日、数万人の乗客を見守り、時にはトラブルを解決し電車内の治安を守る、というのが私の仕事だった。
ここは終点。電車は大人数の人間を吐き出し、全員が降りたことを契機に、降りた人数と同等か、それ以上の人間が車内に吸い込まれてゆく。巨大な生命体の深呼吸を見ているようだ。
吐いては、吸う。
通勤ラッシュのこの朝の時間帯は、電車の中はあと一人入れるかどうかも疑わしい、人間の言葉を使うなら、猫の額ほどの空間しかないのが常だ。
この時間は人がごった返しになっていて、こちらも息苦しい。
乗客たちはみな、カバンを前にし、なるべく空間を確保するよう努めている。
建設中のビル、住宅街、ショッピングモール、渋滞した高速道路が高速で後ろに流れていく。電車のスピードを物語っている。
車窓から外を眺め、ここから他で配属されている同僚を探すが、一度しか見たことがない。
車内を見渡すも至って静か。車輪と線路の摩擦音と、電車の駆動するモーター音、あとはせいぜい乗客の息づかい程度だ。
車両の大多数を占めるのはこれから会社に勤めるサラリーマン。そろって皆同じような黒色のスーツを着込み、憂鬱そうに電車に揺られている。働くというのは人間、精霊に関わらず大変だ。
他にも通学に電車を使う学生も見受けられる。高校生だけでなく、らんどせるを背負っている小学生も必死に手すりにしがみついている。
らんどせるがまだ少年より大きく見えるほどだ。この混雑が毎日となると、小さな体には堪えるだろう。
中には早朝から移動するためか乗車している老婆もいる。大きなカバンを携え、混雑した人に流されまいと必死に壁にしがみついている。
こんなに早くからどこへ行くのかは不明だ。
いくら精霊とて、人間の思考を見ることはできない。
電車が停車し、老婆が降りた。
ほかの路線に乗り換えるのだろう客がぞろぞろと降り始める。
老婆が降りる瞬間、老婆は一人な筈なのにもかかわらず、二つの気配があったような気もするが、何せ人が多い。気配が重なったのだろう。
高所にいたのもあってか足元に死角も多く、
全てを見通すことは困難だったが、トラブルが起きないよう平時から油断はできない。
そう言っている間に問題発生。
スポーティーな女子二人組、その相方がテニスラケットを座席の上の荷物置きに忘れたまま降車しようしているのをアメショーは見逃さない。
同じユニフォームを揃って着ているところと、まだ十代という年齢を見るに、部活とやらの大会だろう。
ラケットがなくては競技に参加できずに大層困るであろう。
片割れはしっかりとナップザックとテニスラケットを肩にかけて降りていく一方、サブバックしか持っていない女子は目立つ。
仕方ない、重くはないが軽くもない腰を上げる。
電車の扉が閉まる前に車内に戻らなくてはならない。四肢を駆動させ、加速する。
乗馬しながら地面に置いてあるものをひったくるように拾い上げる騎乗民族のように急いで荷物棚のラケットを咥え、女子の華奢な首に通す。
きちんと渡ったことを確かめたのち、女子の肩をジャンプ台替わりにして電車方向にとんぼ返りする。ギリギリ間に合った。ドアが閉まり、発車アナウンスがこだまする。
アメショーは車窓から女子二人を確認する。
女子は手持無沙汰に違和感を覚えたのか、両手を見たのち電車に振り返る・
「あれ!私ラケット電車かも!」ハスキーな声を出し驚くが、もう片方の女子は目を細め、肩に注目し、冷静に指摘する。
「ゆみ、じゃあその肩にかかっているものはなんなの?」
「あ、あれぇー。忘れちゃったと思ったんだけどなぁ。よかったぁ。新人戦出れないところだったよ。」間延びした声を出す。
「もう。しっかりしてよね。」
安心した顔で歩き出すのを見届ける。
良かった。また一つ、トラブルを解決した。
やはり先輩から教わったこの場所は見晴らしがよく、なおかつ座っていられる絶好の監視スポットだった。
説明が遅れたが、私が普段、どこへいるのか、私たちが見えない人間は疑問に思うだろう。
座席の上の荷物置き場に堂々と鎮座しているのたが、見えないのだから仕方ない。
次の駅はこの路線の中でも屈指の大きい駅だ。気を引き締めなくては。
おっと、そう話している間に、荷物置場に鞄を乗せようとしている人間がいるため、すこし横にずれて座りなおす。
ずいぶんな大荷物で視界が悪くなる。
私は先ほどから、ひとりの男を見ている。
睡眠不足の重々しい瞼を閉じて寝ている人間だったり、これから訪れるであろう、億劫な業務時間に憂鬱な気分で俯く人間だったりとは、ちと違う様子の男。
今にも死にそうな、絶望し切っている眼に、もう最後にいつ上を向いたかすらわからない程、項垂れている首。
なにかブツブツと言葉にならない言葉を呟くがその意味はわからない。
声量的な問題で聞こえないことはないのだが、言語として成り立っていない言葉はいかに精霊でも理解はできない。
確か、昔読んだ本の中に、読心術を心得ている猫が出てきた本があった。喉に餅を詰まらせ、苦しむ姿が踊りのようだったり、最終的には悲惨な結末になったりしていた。
その猫のように心が読めたのならどれだけこの仕事は楽になるだろう。だが、私は生憎そんな能力は持ち合わせていない。あれはあくまで小説の中の話だ。
だが、男の声が聞き取れないといっても、人間の思考はわからずとも、仕草、表情など、人間観察に置いては私たちの右に出るものは居ない。
数多の人間を見てきたから、ある程度のシグナルは分かるつもりだ。
おそらく、死ぬつもりだろう
別に人間が一人や二人、死のうが私たちの知ったことではないのだが、だからといって見逃すわけにはいかない。
精霊にも管轄というのもがあり、仮にも仕事、線路に飛び込む人間を見過ごし、ダイヤを狂わせた日にはと上級の精霊(といっても外見は我々と変わらないふてぶてしい猫のようだが)に叱られてしまう。
それは私にとっても大変良くない。
以前、マンチという名称で呼ばれている先輩が、管轄の電車を見守っている最中に居眠りしてしまい、結果的に人身事故が起こった。
上級精霊はこの事実を重く受け止め、「電車の管轄において、人身事故を起こした精霊は、電車の担当を外れ、野良の精霊として生活してもらう」との宣言を出した。
これは非常まずいのだ。
普段精霊は人気というのをエネルギーに生きている。
一昔前は田舎でも十分すぎるほどのエネルギーを得られたのだが、昨今の過疎化の影響で、精霊達も上京せざるを得なかった。
その上、都会は上級精霊達によって管理されており、野良が生きていける余地はもう、ない。
なので、やっとありつけた電車の管轄を外される、ということは生活できなくなるということと同義なのだ。
仕方ない。と私は荷物置場からぴょこり、と身を下ろした。
そして、男の膝の上に潜り込み、温める。
男の絶望した顔は徐々にこっくり、こっくり、と揺れ始め、ついには寝てしまう。
眠り始めた男は、先程の憔悴しきった顔は見る影もなく、まるで赤子のように寝ていた。
これがこの男の本来の顔なのだろう。
正確な時間はわからいが、人間で言う感覚の四十分ほどが経過した。
精霊はまたぴょこり、と飛び降りると男は目を覚ます。
男はハっと飛び起き、急いで案内掲示板を見て今はどの駅なのかを確かめる。
とっくに降りる駅は通り過ぎており、まもなく終点に到着する。
車掌が発した乗り換え案内アナウンスが車両内に無慈悲に響く。
寝る前の絶望していた顔にさらに青みが増した顔で、「やばい。このままじゃ…仕事に…」と言いながら携帯電話を急いで取り出そうとするのを見た私は、男が手にした携帯電話をパンチし、叩き落す。
携帯電話は男の手から滑り落ち、スーっと座席の奥に滑り込んだ。
いきなり叩き落された携帯電話に男は不気味に思いながらも足元をまさぐり始める。
座席下の暖房が顔に当たり過労の男は顔をしかめる。
先ほどまで寝ていた過労の男がやっとの思いで拾い上げた携帯電話の画面はものの見事に割れていた。
縦方向に亀裂が入っており、七色の液晶が良くない煌めきを見せている。
男は急いで携帯電話の電源を連打するが、大きな裂け目のような画面割れのせいか、電源が点く様子はない。
漆黒の液晶に映し出された男の顔。
これから一日が始まるというのに満身創痍、疲れ果てている自分の顔。
その顔が自分自身だということに気が付くのに時間がかかっていた。
しばらくしてから、これが俺の顔かよ、とため息を吐く。
その顔に何か気が付せられたのだろう。
「まぁ…どうせ行っても行かなくてもあの課長は怒鳴るんだ。じゃあ今日くらいはサボっても…」
電車は終点に到着した。
すっかり憑き物が落ちた様な安らぎのある表情で、「そういえばこんなに安心して寝られたのは久しぶりだな。」と鼻から息を吐きつぶやく。
儚くも満足げな笑顔で男は電車を降りる。
これで少なくとも私が上級精霊に怒られはしないだろう。
決してあの男のためではない。私が怒られたくないから手を貸したのだ。
確か、人間界には「猫の手も借りたい」ということわざがあったかな、と私は思いだす。
猫なんかよりも私のほうがよっぽど役に立つと心の中で誇らしげに、猫に勝ったかのように鼻を高くする。
自身の手柄を自慢する暇もなく、仕事に戻らなくてはならないことを思い出した。
電車はまた、人を積み込み、折り返しの為に出発する。




