六 ニコライ・メルニクという男
「ニコライ・メルニク書記官」
「…はい、撃沈数は先日お伺いしました」
「そうではない、今日はこれを受け取ってほしい」
そうして渡される一冊のファイル。
「?…書類…では、ない?え、これ何…」
ぺらりとファイルをひらき。
言葉を失う。
【ヴァレンティナ・ドラグノワの平時任務における実数値について】
「具体的には訓練砲撃命中率、任務完遂率、砲撃即応率、部隊稼働率を今回はまとめてみた。…撃沈数は大規模戦闘でないと示せないからな、やはり平時任務の数値で攻めることにした」
「…」
「どうだろう?」
そういって僅かばかり期待に輝く目。
「少しは結婚してくれる気になっただろうか」
「いやどこをどうとったら『結婚します!』の流れになるんですかね?!」
訳が!分からない!と経理部で吠える。
なお本日は件のヴァレンティナ・ドラグノワは本部不在ということが分かっているので出来る所業である。
…分かっていなかったらさすがに叫べない、うん。
「いや〜…本当になんというか…すごい熱意だね?」
「…!…!」
「係長は中身のチェックをしないでください。あとそこで腹筋引きつらせてる笑い袋は表行って死ね」
「いや〜だってこれなかなか凄いよ?こんな記録、拝みたくても拝めるものじゃないしねぇ。うわ、この日の砲撃命中率95.6%だって!すごいねぇこれ確か複数の的同時に上げて当たりの的だけ瞬時に当てるらしいよぉ!ほらイワン君もみなよ〜」
そこで震えていた笑い袋が暴発した。
「…ひっひははは!!アピールが!撃沈数の次が!これって!お前砲撃王にどういう認識されてんの?!」
「うるさいそこのバカはマジで表で訓練の的になって散れ!!!」
涙目になりながら肩をバンバンたたいてくる。痛い。思わずいつもより高めの殺意が沸く。
「生・き・る!!」
「う・ざ・い!!」
「いや〜…でも正直さ、ニコ君ちょっとぐらついてるでしょ」
その一言に。
「「……」」
場の空気が、凍る。
「え…お前まじで…?こんな猫の獲物アピールみたいなのが効くの?…ひくわぁ…」
「オイやめろさっきまで笑ってたくせに一気に心の距離とるな。ていうか係長!なんですかその言いがかり!名誉毀損ですよぼくドン引かれてるじゃないですか?!」
さっきまで隣で肩を叩いていたイワンがざっと3席ほど距離をあける。いちいち腹の立つ男だな…?!
「え〜だってニコ君絶対この理路整然とした数字好きでしょ」
「「…」」
「しかも纏め方も綺麗だよねぇ、性格出るよねぇこういうの。ドラグノワ少将、砲撃や部隊管理だけじゃなくてやっぱり元々が几帳面な方なんだろうねぇ」
「…」
「…で、実際のところ?」
「…ひ…」
「ひ?」
「否定する根拠が見つからない…!!」
「引くわー全力で引くわー!!こーーの数字狂い!数字フェチ!!」
「さすがに捌くぞこの外面イケメン!!」
「ていうか前から気になってたんだけど、ニコ君なんでそんなに数字好きなの?」
「え」
「うわ聞いた、しかもしれっと。すげえ」
俺できな〜いとトボケた声。
「いや〜だってぼくもさ?経理部係長ですから嫌いじゃないけどねえ…さすがにきみの情熱にはいつも負けますよ、しかも就任時からじゃない。もともと好きでしょ、なんで」
じっと係長のつぶらな瞳が見つめてくる。
その瞳が訴えていた。
『興味津々だからひかないよぉ〜』
…脱力する。勝てる気がしない。
「……笑いませんか……」
「笑わないよう」
「俺は笑うぞ!」
「じゃあそいつ外に出してくれたら話します」
「おっけーイワン君この書類14時までに補給管理部に届けて」
「え?!酷い!俺も聞きたい笑いたいのに!…ていうか14時ってあと20分?!こっから補給管理部3棟あるのに?!」
「上司命令だから頑張って〜」
「うわーん!係長のいけずー!いってきます!」
「…」
「…」
「…本当に行ったね?」
「いや上司命令なら行くでしょう」
「いやぁ彼ならゴネるかなぁって思ったんだけどね、明日でいい書類だから悪いことしちゃったなぁ」
「…」
「でもま、結果オーライってことでいいんじゃないかな?あ?お茶いる?お菓子いる?」
「…笑う気なくても、茶請けにする気は満々ですね…」
「そりゃあそうだよう」
手元で茶器を用意しながら食えない上司はにっこり笑う。
「だって最高の面白話でしょ?」
「ぼくの職場環境の改善を求めたい!」
「え〜わかったぁ努力するね」
「絶対する気ない!」
係長の笑い声とぽよぽよ跳ねる肉音の幻聴が…聞こえた。
淹れてもらった茶は悔しいことに香り高い。絶対いつもよりいいお茶だコレ…
「で?で?」
「しょうもない話ですけど…ぼくの家、メルニク家って祖父の代に一回没落ギリギリなったんですよ」
「ああ〜知ってる。投資詐欺に引っかかっちゃったんだよねぇ大変だったよねぇ」
「ええ大変でした。幸い幾つかの事業と所領の一部手放すので済んだので…手痛いけどいい勉強、ですめばよかったんですけどね…」
ふ、と遠い目になる。
「うちのじいさんが『俺が詐欺に引っかかったのは俺が数字というものを軽んじてたからだ!』て言い出して」
「あら」
「自分の孫3人を『修行!』て行って、商会下っ端扱いでほっぽりだしまして」
「あらぁ?」
「上2人はギリ国内だったんですけど、ぼくだけ伝手が国内にないって何故か隣国すっ飛ばして海はさんだ島国にとばされまして」
「…あらぁ…」
「もう言葉わかんないし、文字わかんないし、分かるのが数字だけ、数字だけしか頼れるものがなくて」
「…」
ついに相槌のあら、が消えたがお構いなしにまくし立てる。
「数字はいいですよ、こっちがちゃんと理解さえしてやればちゃんと正しい解を出してくれる。それにその解は絶対なんですよ、唯一なんですよ。言葉がわかんなくたって、文字がわかんなくたって、数字だけは共通ですからね。お金だって、物品だって、給料だって、なんだって数字さえあれば、数字さえあってれば、共通言語として成り立つんですよ。つまり数字は世界「ニコ君ニコ君」」
はっとそこで息を吐く。
…思わず自分の世界に入り込んでいた。
眼前にはいつも通りのトボケた顔のぽよ顔上司がいる。
「…すいません、つい色んなものがこみ上げて」
「いいえ〜ごめんね、笑ってあげられたらよかったんだけどねぇ」
さらっとこちらが滑ったような言い方をせんでいただきたい。
「いやそこは笑わんでください…人の苦労話を」
「え〜〜でも笑い飛ばしてもらったほうがマシじゃない?イヤな思い出なんて」
「…」
虚を突かれる。…そういうものなのか?
こういうのはイワン君だよねぇやっぱりぃと上司は続ける。
「うーん、イワン君外にださなきゃよか「だはーーーーっ!!!もう限界じいさんぶっ飛びすぎニコライとキャラ違いすぎーーー!!」…え?」
「てかまじで笑える、成程それで数字狂いに…てならねーぞ普通!」
「え?は?何でいる?!」
「え〜〜補給管理部への書類はぁ?」
「届けましたよ!代理人が!」
「「代理人?」」
「失礼する」
「い"っ?!」
「あらまぁ!」
――そこには、本来いないはずのヴァレンティナ・ドラグノワ…その人がいた。
「いや〜ちょうど出たところで?ドラグノワ少将がいらっしゃいまして?『ご案内しましょうか?あーでも補給管理部への書類がーっ』て言ったら少将のお付きの人が書類届けに行ってくれまして!あ、ということでドラグノワ少将をご案内してまいりましたぁ!」
こいつ、本当、処す。
「ニコライ・メルニク書記官」
「ひっ、はい!」
「……今日の私はオフだ」
「…はい…?」
「ということで、少将ではなくヴァレンティナ・ドラグノワ個人として君にお願いしたい」
ピッと。
機敏に動く指先が、一つの封筒を目の前に出す。
「…私に夜会の誘いが届いた。君にエスコートを依頼したい」
ニコライの兄(長男)の婿入先は、この時自分がお世話になった商会です。




