069 COME AGAIN
深夜、夾人虫出没の報が届いた。
夜のビーチでイチャラブ中のカップルが被害にあったのだという。
「雀来さん、被害者の怪我は?!」
「大丈夫だ。どうやら水着が切り裂かれただけらしい」
「「なんだって!」」
と、いうことで、俺はエルとアシモを連れて現場に向かうことになった。
JKZとアンヌは待機である。
すでに状況は先着した一人の冒険者によって沈静化されている。
応援を兼ねた現場の確認のために、多人数が向かう必要はないだろう。
何より、今夜の被害が一件だけで終わるとは断言できないのだ。
「お怪我はありませんか?!」
停車した軽自動車の後部座席から飛び出したアシモが叫ぶ。
「おお、アシモか、遅かったな」
「肘木さん! お久しぶりです。被害者はどこに!? 水着を切られた被害者はどこですか?!」
「お、おう」
現場で出迎えてくれたのは、アシモの師であるBランク冒険者の肘木だった。
刈り込まれた短髪に日焼けした肌のナイスガイである。年齢は30代半ばらしい。
黄色いアロハシャツと白いハーフパンツが、鍛えられた肉体を包んでいる。
肘木が指した方向を見るアシモ。
肘木の物らしい4輪バギーのライトが、二人の男女を照らしていた。
砂浜で仰向けに寝かされた男性の横で、肩を落として座る女性。
二人とも若い。20歳前後だろうか。
「お怪我は、ありませんか?! え?」
カップルに走り寄ろうとするアシモは足を止めた。
アシモは、歩いてビーチに降りて近づく俺とエルに顔を向けた。目を瞑り、首を横に何度も振っている。
「ツガミン、帰りましょう」
「え? なんで? つか、埜乃の真似して、ツガミン言うな」
ゴン
去ろうとしたアシモの頭頂部に、肘木のゲンコツが落とされた。
しゃがみこんで痛がるアシモの側まで来て、ようやく俺は気づく。
水着を切られたのは若い男の方だったらしい。フルチンで倒れている。
だが、俺はアシモと違って大人である。そんなことで気落ちしたりはしないのだ。
「涼、どうしたの? 目が死んでる。さっきまでキラキラしてたのに」
「エルさん、ちょっと黙ってて」
「おお、津神か、久しぶりだなって、俺のことは覚えてねーか。はははっ」
「覚えてますって。肘木さんですよね。その節はお世話になりました」
肘木の足元には、手足を抱えるように縛られたカニが数匹束ねられていた。
その状態で50cm前後のサイズである。
よく見ると1mくらいの大きさのカニが一匹、バギーの荷台に積まれていた。
ハサミや脚を広げれば、全幅2mくらいにはなりそうだ。
肘木は再び、被害者のカップルを指した。
「男の方は気絶してるから助かるんだが、ねーちゃんには意識があってな。ちょっとだけ記憶を飛ばしたいんだが、なんとかなったりするかい?」
「そんなことできるんですか? さすがです。わかりました。なんとかします」
『ひつじさんハンマーだな。ほいよ』
俺は、生涼が取り出してくれたひつじさんハンマーでカップルの女性を軽く小突いた。
もちろん、怪しまれないように優しく近づいて。
俺と肘木は、目を覚まさないカップルをビーチのそばにある民宿まで運んでいる。
軽々と女性をお姫様抱っこで運ぶ肘木。
男は俺が背中に背負っている。股間の柔らかいモノが背中でひしゃげていた。気持ち悪い。
アシモは、俺の軽自動車にカニを載せる役目を与えられていた。
その前に、肘木は意識を失ったカップルに、スキル『記憶操作』を使用した。
『記憶操作』は、Bランク以上の冒険者のみに使用が許可されているらしい。
意識のある状態では『記憶操作』の効果は薄い。
そのために、俺がひつじさんハンマーで意識を奪ったのだ。
「ハリウッドの映画に出てくる、宇宙人の記憶を目撃者から消す、黒スーツの人みたいですね」
「ん? あぁ、あれはアメリカの冒険者がモデルだからな」
「え?!」
『政府の陰謀じゃなかったのかよ!』
「涼、あなた疲れてるのよ」
「エルさん、そういうセリフ、誰に教えてもらうの?」
「亜美先生」
「なるほど」
CからBに上がるためには、冒険者ギルドのテストを受けて、認可を得る必要がある。
そのテストの内容には、厳しい人格審査が含まれているのだと、肘木は教えてくれた。
強さだけではなく人間性を認められた者だけがBランクになれるのだ。
Bランクに使用が許されているスキルは、『記憶操作』だけではないと肘木は言う。
うーん。こういう、ちゃんと冒険者ギルドのことを教えてくれる人って、あんまりいなかった気がする。
美杉や北条も、その時に必要な範囲内のことしか教えてくれないからなぁ。
羽田空港の事件後も、俺の知らないところで大勢に『記憶操作』が使われたのだろう。
「Dの俺に、そんなことを。普通は教えないんでしょ? 大丈夫ですか?」
「まぁ、俺は、お前が足抜けする冒険者だとは思えないからな。津神翔一の孫だからってだけじゃなくな」
「へ?」
「Bランク以上になると冒険者を辞めることはできなくなる。知らなかっただろ?」
「は、はい。強引に辞めるとどうなるんですか?」
「それは聞かない方がいいな。はははっ」
「恐いなぁ。CやDの場合はどうなるんです?」
「基本的には何もしない」
「そんなゆるくて、大丈夫なんすかね? 俺だって、いろんなことを知っちゃいましたけど」
「お前の場合でも、観察対象になるくらいじゃないか。はははっ」
突然、肘木のスマホに着信が入った。
スマホのスピーカーをONにして肘木は電話を受ける。
「アシモか?」
「肘木さんのバギーに怪しい男女が近づいています。荷台の夾人虫を調べているようです」
「わかった。すぐに行く」
「津神、お前は、この人たちを民宿に届けてくれ。そこの宿だ。頼んだぞ」
「わかりました。気をつけて」
肘木は、女性を俺の足元に寝かせておろした。
俺は、少し迷ってから背中の男を下ろそうとしゃがむ。
「ふん!」
可愛い気合の声が上がると、エルが女性を持ち上げていた。
「どうしたの? また目が死んでる」
「いや、いい。それで行こう」
カップルを民宿に預けてから、ビーチに戻る。
彼らが狙われた可能性を考えて、民宿の前にエルは残していた。
現場は民宿のある道路からは見えない位置にあり、背後は切り立った崖になっている。
「なっ、でっかいカニが!」
『よく見ろ、バギーに縛ってあったカニが巨大化したんだ。縄の一部が絡みついてる』
「あいつらが、カニに何かの術を使ったようです!」
夾人虫の出現に驚いた俺に、アシモが答えた。
1m程度の幅だったカニの甲羅が、目算で倍程度に大きくなっている。
甲羅上部の一部に、縛っていた縄の一部が千切れ絡まっていた。
巨大ガニ『夾人虫』が、肘木に巨大なハサミを上段から振るう。
肘木は、左右に握った棒状の金属で、夾人虫の攻撃を外に弾き飛ばした。
ガチャン!と交通事故のような音が響く。
弾き飛ばすために振るった肘木の一撃で、ハサミの甲殻が砕けたのだ。
ハサミは、折れた関節からはみ出した腱でぶら下がっている。
夾人虫の上体を、肘木が下から蹴り上げた。
浮き上がるように回転した夾人虫は、仰向けに倒れる。
「すげー」
「ツガミン、あれが最強の退魔師・肘木さんですよ」
肘木は、右手の武器を中心を握るように持ち直した。
そのまま、武器の先端を夾人虫の腹部に突き刺す。
その時、夾人虫の背後から、ドレッドヘアの初老の男が飛び上がった。
夾人虫に飛び乗った男は、槍のような錫杖で肘木に突きかかる。
顔面の手前、鋭利な錫杖の刃を、右手で握って止める肘木。
俺は、それを見て、刃物を手で握ったという爺ちゃんの技を思い出した。
肘木も、物理耐久を魔力で底上げして使っているのかもしれない。
肘木は、錫杖を外側にひねる。そして、左手の武器をふるって、錫杖を叩き折った。
肘木は折れた錫杖を、手のひらで回転させて逆手に持ち直す。
そのまま、男に向かって、錫杖を投げつけた。
「ちっ!」
夾人虫の上から、後方へと飛び下がって逃げる男。
男を追うように軌道を変えた錫杖は男の腹に向かう。
その時、若い女が男の前に立ちふさがる。
錫杖は、女の胸に深々と突き刺さった。
だが、女は倒れない。痛みも感じないのか、平然と胸を張っている。
頭からパレオを被った女は、胸から錫杖を抜いて、砂の上に放り捨てた。
「キャハハッ」
笑う女の瞳には、白目がなかった。
黒いガラスのような両目を見開いている。
青白く血色のない貌に赤い口紅。
「カナメ! ミュージックスタートだ!」
ドレッドヘアの男は、いつの間にかギターを抱えていた。
コードをカッティングで奏でていく。そして叫んだ。
「ジャミング! アフリカ!」
男が歌い出したのはレゲエミュージックだった。
リズムに合わせて女は踊り出す。茶髪を振り乱し、抜いだパレオを手に持って振り回していた。
胸の先端しか隠していない極小ビキニが、こぼれ出しそうな巨乳と共に跳ね回る。
突然、後ろを向いて、Tバックの尻を見せつけるように突き出した。
左右の尻肉が、それぞれ独立するように動いてリズムを刻み出す。
「レ、レゲエダンスだ!」
俺とアシモは、女の尻から目が離せない。
「「おおっ!」」
女はM字開脚で、恥骨を上下左右に振り回し始める。
俺の足は、自然に女に向かって動き出していた。
『おい、涼! 宿で聞いた爺ちゃんの話を思い出せ! 対魅了薬を使うんだ!』
倒れていた夾人虫が、レゲエのリズムに合わせて動き出していた。
なぜか、俺の脳裏に夾人虫の脅威が浮かばない。
いや、理解はしているのだが、体がカナメと呼ばれた女に吸い寄せられていく。
ん? カナメ? どっかで聞いたような。。。
「やれやれ。大丈夫かよ、こいつら」
カナメの股間を見つめる視線の片隅で、夾人虫の残ったハサミが粉々に砕けちっていく。
どうやら肘木がやったらしい。助かるなぁ。安心して、カナメちゃんと一緒に踊れるぜ。
肘木は、夾人虫の腹部に刺さったままの武器の中心部分。丸くなっている場所を握っていた。
「オン マユキラテイ ソワカ!」
バシュ!!
「うわっ!」
「ひっ!」
俺とアシモの目の前で、夾人虫は破裂するように砕けちった。
砕けた甲殻が、飛び散りながら空間に溶けるように形を失っていく。
「生涼、グロックを!」
『とっくに呼び出してるっての』
夾人虫の破裂で意識を取り戻した俺は、生涼に向かって叫んだ。
右手を見ると、拳銃がボンヤリと姿を表していた。
俺は、それを握りこんで召喚を安定させる。
「ちっ」
股を開き、後ろに手をついて恥骨を持ち上げていたアヤメが、こちらを睨んでいた。
怖い。瞳孔だらけの目が、丸く見開かれている。
これが爺ちゃんも戦ったゾンビかよ。それなら、狙うのは頭だな。
パン
俺の撃った弾丸が、アヤメの額を撃ち抜いていた。
砂浜に脳漿を撒き散らし、アヤメは仰向けに倒れる。
「はっ。ツガミン! なにするんですか?! レゲエダンサーのお姉さんに!」
ゴン
「イデッ! へ? ぼ、僕は何をしてたんだ?!」
肘木のゲンコツをくらったアシモが、ようやく正気を取り戻した。
「ツガミン? まさか、津神だと!?」
ドレッドヘアの男が、俺の名を叫ぶ。
また、このパターンかよ。。。
仲間に名前を呼ばれて敵に警戒されるのが、どうやらお約束になっているようだ。
レゲエの演奏は止まっている。
俺は、男に銃を向けた。
「アヤメ! 立て!」
男が叫ぶと、額に穴の空いたアヤメはブリッジの体制からゆっくりと立ち上がる。
そして、俺の射線を遮るように、男の前で手を広げた。
男が口を開く。
「アヤメはグール。ゾンビより上位のアンデッドだ。銃で簡単に倒せやしないぞ」




