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「42紙」(しにがみ)  作者: kiseki-ryu


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第24話「愛とは何か」

『42紙(しにがみ)』

第二十四話「愛とは何か」

一 特別な人

人は、誰かに愛されたいと思う。

自分を必要としてくれる人がいてほしい。

自分だけを見てくれる人がいてほしい。

そして、いつかは本当の愛に出会いたいと願う。

けれど、その願いが、いつも正しい形でかなうとは限らない。

篠宮灯里は、ごく普通の毎日を送っていた。

仕事を終え、家に帰る。

休日には友人と食事をしたり、買い物に出かけたりする。

特別に不幸だったわけではない。

ただ、心のどこかで、何かが足りないと感じていた。

ある日、友人から誘われた。

「ねえ、今度、一緒に行ってみない?」

「どこに?」

「ホストクラブ」

灯里は、思わず聞き返した。

「えっ、ホストクラブ?」

「うん。一度くらい行ってみようよ」

「私、そういうところ、行ったことないよ」

「大丈夫だって。私も一緒だから」

少し迷ったあと、灯里は頷いた。

それが、自分の人生を大きく変えることになるとは思っていなかった。

店内は華やかだった。

明るい照明に、流れる音楽。

楽しそうに笑う女性たち。

灯里は慣れない雰囲気に戸惑っていた。

そのとき、一人の男が席にやって来た。

「初めまして。黒瀬冬真です」

整った顔立ちに、柔らかな笑顔。

冬真は、灯里の目を見て話した。

「灯里ちゃんっていうんだ。よろしくね」

「……はい。よろしくお願いします」

最初は緊張していた灯里も、話しているうちに少しずつ笑顔になった。

冬真は、灯里の話をよく聞いた。

仕事のこと。

休日のこと。

好きな食べ物のこと。

どれも、特別な話ではなかった。

それでも冬真は、楽しそうに相づちを打った。

「灯里ちゃん、普段から頑張ってるんだね」

「そんなことないですよ」

「いや、頑張ってると思うよ」

冬真は、優しく笑った。

「たまには、こういうところで息抜きしてもいいんじゃない?」

灯里は、少し照れくさそうに笑った。

自分の話を、こんなふうに聞いてくれる人がいる。

それが、嬉しかった。

帰り際、冬真は言った。

「また来てね」

「……はい」

「待ってるから」

その言葉を、灯里は帰り道でも思い出していた。

次の日も。

その次の日も。

そして、再び店を訪れた。

冬真は、灯里を見つけると笑顔で迎えた。

「灯里ちゃん。来てくれたんだ」

その一言で、灯里の心は弾んだ。

自分を覚えていてくれた。

それだけのことが、嬉しかった。

それから、灯里は少しずつ冬真に惹かれていった。

二 信じた言葉

冬真は、いつも優しかった。

灯里が仕事で嫌なことがあったと話せば、真剣に聞いてくれた。

「それは大変だったね」

「私が悪かったのかもしれません」

「そうやって、何でも自分のせいにしなくていいんだよ」

冬真は、そう言って笑った。

灯里は、冬真と話している時間が好きだった。

店にいる間だけは、仕事のことも、日常の悩みも忘れられた。

そして、ある夜。

冬真は灯里に言った。

「灯里ちゃんは、俺にとって特別なんだ」

灯里は、顔を上げた。

「……特別?」

「うん。ほかの子とは違うよ」

冬真は、まっすぐに灯里を見つめていた。

「灯里ちゃんと話してると、落ち着くんだよね」

灯里は、何も言えなかった。

胸がいっぱいだった。

自分は、特別なのだ。

たくさんいる女性の中で、冬真にとって自分は違う存在なのだ。

そう信じた。

それから灯里は、冬真に会うために店へ通うようになった。

会う回数が増えるにつれて、使うお金も増えていった。

少しでも長く一緒にいたい。

少しでも喜んでもらいたい。

そして、いつか。

店の外でも、恋人同士のように過ごせる日が来るのではないか。

そんな未来を考えるようになった。

友人から遊びに誘われても、断ることが増えた。

買いたいものがあっても、我慢するようになった。

それでも、灯里は幸せだった。

冬真に会える。

自分を特別だと言ってくれる。

それだけで、十分だと思っていた。

ある日、灯里は冬真に尋ねた。

「冬真さんって、お休みの日は何をしてるんですか?」

「ん? そうだなあ」

冬真は少し考えてから笑った。

「灯里ちゃんと、ゆっくり過ごせたらいいね」

灯里は、驚いた。

「……私と?」

「うん」

冬真は、いつもの笑顔を見せた。

「店じゃなくても、こうして話せたら楽しいだろうね」

灯里は、その言葉を大切に胸にしまった。

いつか。

いつか、本当にそうなれたら。

その日を夢見るようになっていた。

三 同じ言葉

ある夜、灯里はいつもより早く店に着いた。

廊下を歩いていると、聞き覚えのある声がした。

「お前は俺にとって特別なんだ」

灯里は足を止めた。

その言葉は、自分が聞いたものと同じだった。

そっと目を向ける。

そこには、冬真と一人の女性がいた。

冬真は、女性に優しく笑いかけていた。

「ほかの子とは違うよ」

女性は、嬉しそうに笑った。

灯里は、その場を動けなかった。

胸の奥が、冷たくなっていく。

自分だけの言葉だと思っていた。

自分だけに向けられた気持ちだと思っていた。

けれど、違った。

その日の灯里は、冬真と話していても、いつものようには笑えなかった。

「灯里ちゃん、どうしたの?」

「……何でもないです」

「本当に?」

冬真は、灯里の顔をのぞき込んだ。

その仕草も、優しい声も、いつもと変わらなかった。

灯里は、思い切って尋ねた。

「冬真さん」

「ん?」

「私って……冬真さんにとって、特別なんですよね?」

冬真は、一瞬だけ黙った。

「どうしたの、急に」

「……さっき、聞いちゃったんです」

灯里は、膝の上で手を握りしめた。

「ほかの女の人にも、同じことを言っていましたよね」

冬真は、すぐには答えなかった。

灯里は、その顔を見つめていた。

「私に言ったことも、嘘だったんですか?」

やがて、冬真は口を開いた。

「灯里ちゃんのことを、大切に思ってないわけじゃないよ」

「……それって、どういう意味ですか?」

「言葉どおりだよ」

灯里は、うつむいた。

欲しかった答えではなかった。

けれど、冬真が自分を嫌っているわけではない。

そう思いたかった。

「……私、冬真さんが好きなんです」

冬真は、灯里を見つめた。

「ありがとう」

「私だけを見てほしいんです」

灯里の声が、少し震えた。

「いつか、私を選んでくれますか?」

冬真は黙っていた。

その沈黙が、灯里には長く感じられた。

「……ごめん。約束はできない」

灯里は、顔を上げた。

冬真は、目をそらさなかった。

「灯里ちゃんのことは、大切だよ。でも、俺には約束できないんだ」

灯里は、何も言えなかった。

それでも、冬真を嫌いにはなれなかった。

あの言葉が、すべて嘘だったとは思いたくなかった。

冬真が笑ってくれたこと。

自分の話を聞いてくれたこと。

優しく声をかけてくれたこと。

その時間まで、全部が嘘だったことにしたくなかった。

灯里は、もう一度、冬真を信じようとした。

けれど、信じれば信じるほど、苦しくなっていった。

四 届かなかったもの

それからも、灯里は冬真に会いに行った。

冬真は、以前と変わらず接してくれた。

優しい言葉をかけてくれた。

時には、灯里のことを心配するような言葉も口にした。

だからこそ、灯里は離れられなかった。

まだ、自分にも可能性があるのではないか。

いつか、本当に特別な存在になれるのではないか。

そんな期待を捨てられなかった。

しかし、灯里が望んでいた関係にはならなかった。

ある夜、灯里は冬真に言った。

「……私、もうお金がないんです」

冬真は、少し驚いた顔をした。

「そうなの?」

「はい」

灯里は笑おうとした。

「でも、また会いに来ます」

冬真は、しばらく灯里を見ていた。

「無理しなくていいよ」

その言葉を聞いて、灯里は胸が痛くなった。

自分は、何のために頑張ってきたのだろう。

お金を使えば、もっと好きになってもらえると思っていた。

一緒にいる時間が増えれば、いつか自分を選んでくれると思っていた。

けれど、何も変わらなかった。

「……冬真さんは、私のことを好きですか?」

灯里は、もう一度尋ねた。

冬真は、すぐには答えなかった。

「灯里ちゃんは、大切なお客さんだよ」

灯里は、静かに目を伏せた。

それが答えなのだろうか。

それとも、冬真にも言葉にできない気持ちがあったのだろうか。

灯里には分からなかった。

冬真自身も、自分の気持ちをどこまで分かっていたのか。

それは、誰にも分からない。

灯里は、最後まで冬真の本心を知ることができなかった。

そして、ある夜。

二人は駅で顔を合わせた。

灯里は、冬真に話したいことがあった。

「冬真さん……」

「灯里ちゃん。どうしたの?」

「私、ずっと考えていたんです」

灯里は、冬真を見つめた。

「私が好きだった冬真さんは、本当の冬真さんだったのかなって」

冬真は、何も言わなかった。

「私に言ってくれた言葉は、嘘だったんですか?」

冬真は、少しだけ目を伏せた。

「……全部が嘘だった、とは言わないよ」

灯里は、唇をかんだ。

「じゃあ、私のことを……」

言葉が続かなかった。

冬真は、灯里を見ていた。

けれど、灯里が求めていた答えは、最後まで返ってこなかった。

「……ごめん」

冬真は、小さく言った。

灯里は、笑おうとした。

「……そうですか」

その声は、かすれていた。

しばらく、二人は黙っていた。

駅には、人が行き交っていた。

電車が近づく音が聞こえた。

灯里は、冬真の腕をつかんだ。

「冬真さん……一緒に来て」

冬真が驚いて、灯里の手を振りほどこうとした。

けれど、灯里は離さなかった。

次の瞬間、灯里は冬真を巻き込むようにして、ホームから線路へ身を投げた。

周囲から悲鳴が上がった。

二人の姿は、走ってきた列車の音に呑まれた。

取り返しのつかないことが起きた。

灯里は、冬真とともに命を落とした。

そこに、愛の証明などなかった。

残されたのは、二人の命が失われたという現実と、突然その場に居合わせた人々の悲鳴だけだった。

灯里が最後に何を思っていたのか。

冬真が最後に何を感じていたのか。

その答えは、誰にも分からなかった。

五 二枚の紙

篠宮灯里が目を開けると、そこには白い空間が広がっていた。

壁も、天井も、床も、はっきりとは分からない。

ただ、どこまでも白かった。

「……ここ、どこ?」

灯里は周囲を見回した。

少し離れたところに、黒瀬冬真が立っていた。

「……冬真さん?」

冬真も、戸惑ったように灯里を見た。

「灯里ちゃん……?」

二人は、しばらく互いの顔を見つめていた。

そこへ、42紙が現れた。

いつもの私服姿で、手にはコンビニの袋を持っていた。

「お二人は死にました。」

灯里は、息をのんだ。

冬真は、何も言わなかった。

42紙は続けた。

「これから、一枚の白い紙を選んでもらいます」

二人の前には、白い紙が並んでいた。

「4なら、幸福な死。2は、不幸な死です」

灯里は、紙を見つめた。

「……それは、どういう意味ですか?」

「死に方を表す数字です」

42紙は、答えた。

「善い人だから4になるわけではありません。悪い人だから2になるわけでもありません」

灯里は、冬真を見た。

冬真もまた、白い紙を見つめていた。

二人は、それぞれ一枚の紙を選んだ。

紙に、数字が浮かび上がった。

灯里の紙には、2。

冬真の紙にも、2。

二人は、同じ数字を見つめていた。

「……2」

灯里が、小さくつぶやいた。

冬真は、何も言わなかった。

同じ数字だった。

けれど、それは二人の罪が同じだという意味ではなかった。

二人の人生が同じだったという意味でもない。

ただ、それぞれの死に、その数字が現れた。

灯里は、手の中の紙を見つめた。

冬真と出会ったこと。

冬真を好きになったこと。

信じた言葉。

届かなかった思い。

そのすべてが、頭の中をよぎった。

冬真は何を思っているのだろう。

灯里は、尋ねようとした。

けれど、言葉は出てこなかった。

冬真もまた、何も言わなかった。

42紙は、二人を見ていた。

何も説明しなかった。

二人の本心を知っているわけではない。

二人が何を望んでいたのかも、分からない。

ただ、そこに二人がいて、それぞれの手に「2」と書かれた紙があった。

やがて、白い空間が遠ざかっていった。

六 残された人たち

灯里の死を知った友人は、言葉を失った。

初めてホストクラブに誘ったのは、自分だった。

あの日、誘わなければ。

もっと灯里の話を聞いていれば。

そんな思いが、何度も胸をよぎった。

けれど、友人は灯里のすべてを知っていたわけではなかった。

どれほど冬真を好きだったのか。

どんな言葉を信じていたのか。

何を求め、何に苦しんでいたのか。

灯里は、すべてを話していたわけではなかった。

友人は、うつむいた。

「……灯里」

名前を呼んでも、返事はなかった。

もう、話すこともできない。

笑い合うこともできない。

一緒に食事をすることもできない。

灯里がいた日常は、突然途切れてしまった。

一方、冬真の同僚たちも、彼の死を受け止められずにいた。

冬真がどんな気持ちで仕事をしていたのか。

客にかけていた言葉を、どこまで本心から口にしていたのか。

誰も、そのすべてを知っていたわけではない。

冬真は、優しい言葉をかけることができる男だった。

けれど、その言葉の先に何を思っていたのかは、分からなかった。

灯里を特別に思っていたのか。

仕事として接していたのか。

その両方が、冬真の中にあったのか。

もう、確かめることはできなかった。

二人の死は、残された人たちに深い傷を残した。

そして、どれだけ時間が過ぎても、あの夜をなかったことにはできなかった。

誰かが亡くなるということは、その人の時間が終わるだけではない。

その人を知っていた人たちの時間にも、消えないものを残す。

残された人たちは、それぞれの思いを抱えながら、これからの日々を生きていくことになる。

七 愛とは何か

 透は、一人、部屋で考え込んでいた。

あの女の人は、男の言葉を信じていた。

 自分は特別な存在なのだと。

 いつか、本当の愛を手に入れられるのだと。

 けれど、男が彼女に向けた言葉は、ほかの女性にも向けられていた。

男は嘘で愛を買った。

 女は、お金で愛を買おうとした。

 透は、ゆっくりと顔を上げた。

「……なあ、42紙」

「はい」

「愛って、何なんだろうな」

 42紙は答えなかった。

「好きだって言えば、愛なのか。それとも、一緒にいたいって思うことなのかな」

 透は、少しだけ目を伏せた。

「……あの女の人は、本当にあの男のことが好きだったんだろうな」

 42紙は何も言わなかった。

「じゃあ、あの男はどうだったんだろう。あの女の人に言ったことは、全部嘘だったのかな」

 透にも分からなかった。

男が何を思い、何を求めていたのか。

 彼女に向けた言葉の中に、本当の気持ちが少しでもあったのか。

 もう、確かめることはできない。

「……二人とも、本当は本当の愛を見つけたかったのかな」

「分かりません」

 42紙の返事は、それだけだった。

「……そうだよな」

 透は、小さく息を吐いた。

 しばらく、沈黙が続いた。

 ふと、紗季の顔が浮かんだ。

一緒に笑ったこと。

 何気ない話をしたこと。

 また明日、と言って別れたこと。

 透にとっては、それだけでよかった。

「……俺はさ」

 透は、ぽつりと口を開いた。

「紗季と一緒にいられるだけで、よかったんだ」

 42紙は何も言わなかった。

「特別なことなんて、何もいらなかった。ただ、明日も会えると思ってた」

 透は、うつむいた。

 あの日、紗季は突然いなくなった。

明日も会える。

 その当たり前だと思っていたことが、二度と叶わなくなった。

「……愛してたら、相手のことを分かってるつもりになるのかな」

 42紙は答えなかった。

 透は、かすかに笑った。

「……難しいな」

 部屋に静けさが戻った。

あの女の人が信じた愛。

 あの男が本当に抱いていた気持ち。

 その答えは、もう誰にも分からない。

 けれど、透には分かることがあった。

 紗季と過ごした時間は、確かにそこにあった。

 失ったからといって、一緒に過ごした日々まで消えてしまうわけではない。

「……なあ、42紙」

「はい」

「人を好きになるって、難しいな」

「……はい」

 42紙は、それ以上何も言わなかった。

 透も、もう何も尋ねなかった。

 愛とは何か。

 その答えは、まだ見つからない。

透は、静かに目を伏せた。

 部屋には、二人の沈黙だけが残っていた。

     *

――第二十四話「愛とは何か」・完――


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