↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「42紙」(しにがみ)  作者: kiseki-ryu


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/33

第2話「見えないもの」

第二話 見えないもの

「……死神?」

 青年は、目の前に立つ男を見つめていた。

 午前二時十七分。

 自分の部屋。

 ついさっきまで、一人だったはずだ。

 なのに、目の前には見知らぬ男が立っている。

 男は、ごく普通の服を着ていた。

 どこにでもいそうな、ごく普通の男。

 そして、その男の足元には――二枚の白い紙が置かれていた。

「そうです」

 男は軽く笑った。

「42紙です」

「……何なんだよ、それ」

「名前です」

「名前?」

「はい。42紙」

 青年は眉をひそめた。

「ふざけてるのか?」

「よく言われます」

 42紙は笑った。

「でも、本当です」

 青年は、床に置かれた二枚の紙を見る。

「……それは?」

「ああ、これですか?」

 42紙が紙を拾い上げる。

「あなたのものです」

「俺の?」

「はい」

「何なんだよ」

「そのうち分かります」

「そのうちって……」

「あなたが死ぬときに」

 青年の表情が固まった。

「……死ぬ?」

「はい」

「いつ?」

「そのうちです」

「ふざけるなよ」

「ふざけてませんよ」

 42紙は、あっさり答えた。

「俺にも正確な日時までは分かりません」

「じゃあ、なんで今ここにいる?」

「必要になったからです」

「必要?」

「ええ」

 42紙は二枚の紙を見つめる。

「あなたが死ぬときに必要になるものですから」

 青年は黙った。

 何かの冗談。

 そう思いたかった。

 だが、目の前にいる男の表情は、不思議なくらい落ち着いていた。

「……お前、本当に死神なのか?」

「はい」

「じゃあ、神様とかも知ってるのか?」

 42紙は、少しだけ首を傾げた。

「神様?」

「ああ」

「いませんよ」

 あまりにもあっさりと言われた。

「……は?」

「神様は存在しません」

「……」

「天国もありません」

「……」

「地獄もありません」

「……」

「生まれ変わりもありません」

 青年は42紙を睨んだ。

「じゃあ、宗教は全部嘘なのか?」

「全部が嘘、というわけじゃないでしょう」

 42紙は静かに答えた。

「神様を信じたことで、救われた人もいるでしょうから」

「でも、神様そのものは存在しない?」

「はい」

 青年は黙り込んだ。

 窓の外では、夜の街が静かに眠っている。

 遠くを走る車の音だけが聞こえていた。

「……なんで人間は、神なんか信じるんだ?」

 青年が呟いた。

 42紙は、少し考えるように目を伏せた。

「人間って、自分じゃどうにもできないことがあるでしょう?」

「……」

「病気」

「事故」

「貧乏」

「愛する人の死」

「そして――自分自身の死」

 42紙は、一つずつ言葉を並べた。

「そういうものを、自分一人で抱えるのは怖い」

「だから?」

「だから、誰かに預けたくなる」

 42紙は笑った。

「人間は弱いから、神様を作ったんですよ」

 青年は何も言えなかった。

 神様を見たことはない。

 それでも、人間は祈る。

 病気が治りますように。

 家族が無事でありますように。

 事故に遭いませんように。

 大切な人が死にませんように。

 それが叶わなかったとしても、人はまた祈る。

「……じゃあ」

 青年は顔を上げた。

「死んだ人間は、どうなる?」

 42紙の表情が、ほんの少しだけ変わった。

「分かりません」

「お前、死神だろ?」

「はい」

「なのに?」

「死神だからって、何でも知ってるわけじゃないですよ」

 42紙は苦笑した。

「死んだ後のことは、俺にも分かりません」

「……」

「俺が知っているのは、人間が死ぬ瞬間までです」

 その言葉を聞いたとき、青年は初めて気づいた。

 この男も、すべてを知っているわけではない。

 死神なのに。

 神の存在を否定するほどの何かを知っているのに。

 死んだ後の世界については、何も知らない。

「じゃあ……お前は死ぬのが怖くないのか?」

 青年が尋ねた。

「怖いですよ」

 意外な答えだった。

「死神なのに?」

「死神だって、何でも知ってるわけじゃないですから」

「死んだ後のことも?」

「分かりません」

 42紙は笑った。

「だから、怖いですよ」

 青年は黙った。

「……じゃあ、お前なら二枚の紙のどっちを選ぶ?」

「俺には選べません」

「どうして?」

「あなたの人生だからです」

「死神でも?」

「死神でも」

 42紙は肩をすくめた。

「そもそも、俺が死ぬときが来たら、そのとき考えます」

「お前も死ぬのか?」

「死神だって、死ぬかもしれないですからね」

 その言葉が妙に人間らしくて、青年は思わず笑った。

「……変な死神だな」

「よく言われます」

 42紙も笑った。

     ◇

 翌朝。

 青年は、いつもと同じように家を出た。

 駅へ向かう。

 電車に乗る。

 会社へ行く。

 何も変わっていない。

 ――はずだった。

 ホームに立っている人。

 道路を走る車。

 交差点を渡る人。

 病院の前を通り過ぎる老人。

 昨日まで何とも思わなかった光景が、妙に気になる。

 もし、あの人が死んだら?

 もし、自分が今死んだら?

 そんな考えが、頭から離れなかった。

「……死ぬって、こんなに近くにあるのか」

 青年は呟いた。

 その日の帰り。

 電車の中で、一人の老人と隣り合わせになった。

 老人は古い写真を一枚、大切そうに握っていた。

 写真には、笑顔の女性が写っている。

「奥さんですか?」

 青年が何気なく尋ねると、老人は笑った。

「ああ」

「……亡くなられたんですか?」

「ああ。もうずいぶん前だ」

 老人は写真を見る。

「でも、まだ持ってるんですね」

「捨てられなくてな」

 老人は少し笑った。

「人間って、死ぬまで生きてるんですよね」

「……え?」

「だから、生きてる間は生きればいい」

 老人は窓の外を見る。

「死んでからのことは、死んでから考えればいい」

 青年は、その言葉を聞いていた。

 電車が駅に停まる。

 老人は立ち上がった。

「じゃあな」

「あ……はい」

 老人はそのまま降りていった。

 青年は、しばらくその背中を見つめていた。

     ◇

 その夜。

 青年の部屋には、また42紙がいた。

「また来たのか」

「暇なんで」

「死神って暇なのか?」

「忙しいですよ」

「どっちだよ」

「まあ、いろいろです」

 42紙は笑った。

 青年も、少しだけ笑った。

「なあ」

「はい?」

「神がいないなら」

 青年は窓の外を見た。

「天国も地獄もなくて」

 そして、42紙を見る。

「死んだ後に何があるのかも分からないなら」

 少し間を置いて、尋ねた。

「人間は、何を信じて生きればいいんだ?」

 42紙はすぐには答えなかった。

「……さあ」

 やがて、そう言った。

「分かりません」

「お前にも?」

「俺にも」

 42紙は二枚の紙を眺めた。

「だから、人間は自分で答えを作るんじゃないですか?」

「自分で?」

「はい」

「そんなものでいいのか?」

「いいんじゃないですか?」

 42紙は笑った。

「だって、人間ですから」

 青年は黙った。

 その日から、少しずつ何かが変わっていった。

 電車で席を譲るようになった。

 困っている人を見かけたら、声をかけるようになった。

 そして――。

 ある日、母親に電話をかけた。

「もしもし?」

『どうしたの? 急に』

「いや……」

 青年は少し黙った。

「声、聞きたくなって」

『……何それ』

 母親は笑った。

「変なの」

「……そうだな」

 電話を切った後、青年はスマートフォンを見つめた。

 たった数分の電話。

 それだけだった。

 でも、その数分が、今までより少しだけ大切に思えた。

     ◇

 夜。

 42紙が帰ろうとしていた。

「じゃあ、今日はこの辺で」

「なあ」

 青年が呼び止める。

「何ですか?」

「俺が死ぬ日を知ったら……人間は変わると思うか?」

 42紙は少し考えた。

「変わるでしょうね」

「どうして?」

「死ぬ日を知ってしまったら、今日という日を普通には生きられなくなるからです」

「……」

「人間は、死ぬ日を知らないから生きられるんですよ」

 42紙はドアの前で振り返った。

「知らないから、明日があると思える」

「……」

「だから――」

 42紙は、いつものように笑った。

「今は、知らないほうがいいんじゃないですか?」

 ドアが閉まる。

 一人になった青年は、部屋に残された二枚の紙を見つめた。

 白い紙。

 何の印もない。

 どちらが「4」なのか。

 どちらが「2」なのか。

 まだ分からない。

 青年は一枚を手に取った。

 その瞬間――。

 ほんの一瞬だけ。

 紙の表面に、数字のような影が浮かんだ。

 「4」

「……?」

 青年が目を凝らす。

 しかし、次の瞬間には何もなかった。

 ただの白い紙。

 青年は首を傾げた。

「見間違い……か?」

 静まり返った部屋。

 時計の針は――。

 午前二時十七分。

 そして、どこからともなく42紙の声が聞こえた。

「さあ」

 青年は振り返る。

 そこには誰もいない。

「選ぶのは――」

 42紙の声だけが、暗い部屋に響いた。

「まだ先です」

 物語は、静かに次の段階へ進み始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。