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「42紙」(しにがみ)  作者: kiseki-ryu


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第13話「未来のない選択」

42紙(しにがみ)

第13話 未来のない選択

子どもは、「いつか」という言葉を、ためらいなく使う。

「大きくなったらね」

「次の夏休みにさ」

「今度の誕生日には」

先のことを、疑わないからだ。

自分の前には、まだ長い時間があると信じているからだ。

けれど。

その「いつか」が、自分には来ないと知ったとき。

子どもは、いったい何を思うのだろう。

佐伯陽太、九歳。

普通の小学生だった。

学校では友達と遊び、家に帰ればゲームをして、好きなものを食べる。

特別な子ではない。

どこにでもいる、普通の九歳の男の子だった。

陽太には、好きなものがあった。

プリンだった。

冷蔵庫にプリンが入っている日は、学校から帰ってくると真っ先に冷蔵庫を開ける。

「お母さん、プリンある?」

「あるわよ。でも、ご飯のあとね」

「えー」

「ご飯食べてから」

「……分かった」

そう言いながらも、何度も冷蔵庫を覗く。

父親は、その様子を見て笑っていた。

「そんなに好きなのか?」

「好き」

「じゃあ、今度いっぱい買ってやるよ」

「ほんと?」

「ああ」

「じゃあ、十個」

「多いな」

「じゃあ五個」

「減ってないだろ」

母親が笑う。

そんな、ごく普通の家族だった。

     *

ある日。

陽太は病院のベッドにいた。

少し前から体調を崩し、入院していた。

両親は交代で病院に来ていた。

その日、父親がベッドの横に座っていた。

陽太は窓の外を見ながら言った。

「退院したらさ」

「ん?」

「海、行きたい」

父親は少し考えてから笑った。

「海か」

「うん」

「いいぞ」

「お母さんも一緒?」

「もちろん」

陽太は嬉しそうに笑った。

「じゃあ、海行ったあと、プリン食べたい」

「またプリンか」

「だって好きだもん」

「分かった、分かった」

父親は笑いながら、陽太の頭を軽く撫でた。

「退院したら、三人で海に行こう」

「約束?」

「ああ。約束だ」

陽太は小指を出した。

父親も小指を絡める。

「約束」

「うん」

そのときの陽太は、本当に信じていた。

退院する。

海へ行く。

三人で遊ぶ。

帰ったらプリンを食べる。

それが、普通にやってくる未来だと思っていた。

     *

その日の夜。

陽太の容体が急に悪くなった。

「……お父さん」

「どうした?」

「……なんか……苦しい」

父親が立ち上がる。

「先生!」

看護師が駆け込んでくる。

「どうしました?」

「急に苦しいって……」

陽太の呼吸が乱れていた。

「陽太、大丈夫か?」

「……苦しい」

医師が入ってくる。

「酸素を」

「はい!」

看護師が動く。

「血圧、下がっています」

「もう一度測って」

「はい」

陽太は必死に息を吸おうとした。

けれど、うまく吸えない。

「……苦しい……」

父親が手を握る。

「大丈夫だ」

「……お父さん……」

「いるぞ」

「……怖い」

「大丈夫だから」

父親の声も震えていた。

「先生、どうですか?」

「まだ分かりません。処置を続けます」

看護師が機械を確認する。

医師が指示を出す。

部屋の中を、慌ただしく人が動いていく。

陽太は目を開けた。

「……死にたくない」

父親の手を強く握る。

「死なない」

「……海……」

「行くぞ」

「……約束……」

「ああ。約束だ」

陽太は必死に息を吸った。

「……苦しい……」

「もう少し頑張って」

「……助けて……」

「助けるから」

その声が、だんだん遠くなっていく。

そして。

     *

白い空間。

何もない。

ただ、白い。

陽太は、そこに立っていた。

「……ここ、どこ?」

返事はなかった。

少し離れたところに、人が立っている。

普通の人だった。

大きな鎌も持っていない。

骸骨でもない。

黒い服を着ているわけでもない。

陽太は、その人を見た。

「……お兄ちゃん、誰?」

「どーも」

男は軽く手を上げた。

「42紙です」

「……よんじゅうに?」

「はい」

「変なの」

「よく言われます」

陽太は少しだけ首を傾げた。

「ここ……どこ?」

「さあ」

「さあ?」

「俺にも、よく分からないんですよ」

「……お兄ちゃん、何なの?」

「死神です」

「……しにがみ?」

「ええ」

陽太は42紙を見る。

「……死神って、怖くないの?」

「そうですか?」

「うん」

「まあ、普通の人に見えるでしょうね」

42紙は、少し笑った。

そして、二枚の紙を取り出した。

「一枚は4」

「もう一枚は2」

「4を選べば、幸福な死」

「2を選べば、不幸な死」

陽太は二枚の紙を見る。

「……どっちが4?」

「分かりません」

「お兄ちゃんも?」

「はい」

「死神なのに?」

「死神だからって、何でも知ってるわけじゃないですよ」

陽太はしばらく考えた。

小さな手が、二枚のうち一枚に伸びる。

そして。

一枚を選んだ。

42紙が、その紙を見る。

「……2」

「……」

陽太の顔から、少しずつ笑顔が消えていく。

「……2だと、どうなるの?」

「不幸な死です」

「……また、苦しいの?」

42紙は答えなかった。

「……やだ」

陽太の声が震える。

「苦しいの、やだよ」

「……そうですよね」

「死にたくない」

42紙は、何も言わなかった。

陽太は俯いた。

「海、行きたかった」

「……」

「プリンも食べたかった」

「……」

「お父さんと、お母さんと……行くって約束したのに」

陽太は二枚の紙を見る。

「……交換できないの?」

「できません」

「……そっか」

少しだけ間があった。

「……海、見たかったな」

42紙は、何も言わなかった。

     *

次の瞬間。

病室。

陽太の身体が大きく動いた。

「……っ!」

苦しそうに息を吸う。

けれど、うまく吸えない。

「……苦しい……」

「頑張って!」

医師と看護師が処置を続けている。

「血圧、下がっています」

「もう一度」

「はい!」

父親は陽太の手を握っていた。

「陽太!」

「……お父さん……」

「いるぞ!」

「……苦しい……」

「助けるから。大丈夫だから」

「……助けて……」

「大丈夫だ」

「……怖い……」

母親が泣きながら陽太の名前を呼ぶ。

「陽太……!」

「……海……」

「海、行こうね」

「……海……行く……」

「うん。行こう」

「……約束……」

「ああ。約束だ」

父親は何度も頷いた。

けれど。

その約束が果たされることはなかった。

「……苦しい……」

陽太の声が、かすれる。

「陽太!」

医師が処置を続ける。

看護師が機械を確認する。

「……」

それでも。

陽太は戻ってこなかった。

父親の手の中から、小さな手の力が抜けていく。

「陽太……?」

返事はない。

母親の声だけが、病室に残った。

     *

しばらくして。

誰もいなくなった病室に、42紙が入ってきた。

コンビニの袋を持っている。

42紙は、ベッドの上を見る。

そして、袋の中から小さなプリンを取り出した。

そっと、ベッドの横にプリンを置く。

そのまま、ただ、プリンを眺めていた。

やがて42紙は、静かに病室を出ていった。

     *

透は、その出来事を知っていた。

病院に行ったわけではない。

誰かから聞いたわけでもない。

それなのに。

陽太が苦しんでいたことも。

父親が手を握っていたことも。

母親が名前を呼んでいたことも。

医師や看護師が最後まで処置を続けていたことも。

そして――

白い空間で、陽太が二枚の紙から一枚を選んだことも。

そのあと、誰もいなくなった病室に42紙が入ってきたことも。

コンビニの袋から、小さなプリンを取り出したことも。

ベッドの横に、そっと置いたことも。

透には、すべて分かっていた。

「……2なんだな」

透が呟く。

42紙は何も答えなかった。

ただ、いつものようにコンビニの袋を持ったまま、透の向かいに座った。

「……陽太」

透が、その名前を口にする。

「プリン、好きだったんだな」

「……はい」

42紙は、それだけ答えた。

透は42紙を見る。

何も言わない。

けれど、透には分かっていた。

あの病室で。

誰もいなくなったベッドの横に。

42紙が、あの小さなプリンを置いた。

そして。

しばらく、ただ眺めていた。

透には、その姿まで見えていた。

だからこそ、何も聞けなかった。

「……海にも、行きたかったんだな」

「……はい」

42紙は、短く答えた。

透は目を伏せる。

「……そうか」

それだけだった。

42紙も、それ以上は何も言わなかった。

二人の間に、しばらく沈黙が流れた。

やがて42紙が立ち上がる。

「……じゃあ、俺、帰ります」

「……ああ」

42紙はドアの前まで歩いていく。

「……42紙」

「はい?」

「プリン……」

「はい」

「……お前も好きなんだろ?」

「好きですよ」

「じゃあ、なんで置いてきたんだよ」

42紙は少しだけ考える。

「……さあ」

「さあって」

「なんとなくです」

「なんとなくでプリン置くか?」

「置くこともありますよ」

「……そうかよ」

「はい」

42紙はいつものように笑った。

「じゃあ、また」

「ああ。またな」

ドアが閉まる。

透は一人になった部屋で、しばらく黙っていた。

頭の中には、あの小さなプリンが残っていた。

ベッドの横に置かれたプリン。

もう、陽太が食べることはない。

「……ほんと、変な死神だな」

透は小さく笑った。

それから、ぽつりと呟く。

「……食べたかったよな」

胸の奥が、静かに痛んだ。

透は時計を見なかった。

けれど、部屋の時計の秒針は、その瞬間、確かに一つ進んだ。

2時20分から、2時21分へ。

誰も気づかないまま、静かに時を刻んでいた。

――第十三話・完――

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