第12話「約束」
42紙
第12話 約束
人は、毎日のように約束をする。
「明日、連絡する」
「また今度、一緒に行こう」
「じゃあ、来週な」
そんな言葉を、特別なことだと思わずに口にする。
約束というほどでもない、小さな言葉。
けれど。
その言葉を交わした瞬間だけは、本当にそうなると思っている。
透も、その日まではそう思っていた。
*
「ごめん。今日はちょっと無理になった」
スマートフォンに届いたメッセージを見て、透は小さく息を吐いた。
今日、会う予定だった相手からだった。
仕方がない。
誰にだって都合はある。
透は少し考えてから、短く返した。
「そっか。また今度な」
すぐに返信が来る。
「うん。また連絡する」
「了解」
それだけだった。
透はスマートフォンをポケットにしまった。
別に、たいしたことではない。
また会えばいい。
そう思った。
けれど。
なぜか、その「また今度」という言葉だけが、少しだけ心に残った。
*
仕事を終え、透は家に帰った。
いつもと変わらない一日だった。
特別なこともない。
誰かが笑っている。
誰かが怒っている。
誰かが忙しそうに歩いている。
誰かが誰かに「また明日」と言っている。
そんな一日。
透は歩きながら、ふと思った。
人間は、ずいぶん簡単に未来の話をする。
明日。
来週。
来月。
いつか。
また今度。
その未来が本当に来る保証なんて、どこにもないのに。
それでも人は、約束をする。
透は、少しだけ笑った。
「……変なの」
*
夜。
部屋に戻ると、42紙がいた。
いつものように、特に驚いた様子もなく立っている。
そして。
手には、いつものコンビニ袋。
透はそれを見るなり、言った。
「……またコンビニ行ったのか?」
「行きました」
「今日は何買った?」
42紙は袋の中を少し覗いた。
「おにぎりとプリンです」
「プリン?」
「はい」
「……甘い物好きなんだな」
「ええ。甘い物好きなんですよ」
透は少し笑った。
「……そうなのか」
「いいじゃないですか」
「まあな」
42紙は満足そうに袋を持ち直した。
死神。
そう名乗る男が、コンビニのおにぎりとプリンを持って立っている。
なんとも妙な光景だった。
*
「今日さ」
透が言った。
「約束してたんだけどな」
「約束?」
「まあ、大した約束じゃないけど」
「そうですか」
「今日、会う予定だったんだよ。でも、なくなった」
「なるほど」
「で、『また今度』って言った」
42紙は、少しだけ考えるような顔をした。
「じゃあ、また今度なんじゃないですか?」
「……まあ、そうなんだけどな」
透は椅子に座った。
「約束ってさ」
「はい」
「守れなかったら、嘘になるのかな」
42紙はすぐには答えなかった。
少し考えてから、静かに言った。
「約束したときは、本当にそうするつもりだったんでしょうから」
「……」
「約束した瞬間に、本当にそう思ったことまで嘘になるわけじゃないですよ」
透は黙って42紙を見た。
確かにそうかもしれない。
明日会おうと思った。
また連絡しようと思った。
いつか一緒に行こうと思った。
それが叶わなかったとしても。
そう思った瞬間まで、嘘だったことにはならない。
「……なるほどな」
透は小さく頷いた。
*
「じゃあさ」
透が42紙を見る。
「お前は、約束したことあるのか?」
42紙は黙った。
ほんの少しだけ視線を落とす。
「……どうでしょうね」
「どうでしょうねって……」
「覚えてないだけかもしれません」
「覚えてない?」
「あるような気もするし」
42紙は少し考える。
「ないような気もするんですよ」
「なんだそれ」
「約束って、忘れてしまうこともあるでしょう?」
「まあ……そうだけど」
「だから、俺にも分かりません」
透は42紙の顔を見た。
冗談なのか。
本当に分からないのか。
それとも――。
透には判断できなかった。
42紙も、それ以上は何も言わなかった。
*
少しの沈黙。
42紙はコンビニ袋からプリンを取り出した。
蓋を開ける。
「……ここで食うのか?」
「ダメですか?」
「いや……」
透は呆れたように笑った。
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
42紙はスプーンを取り出し、プリンを一口食べた。
「……うまい」
「そんなにか?」
「はい」
「プリン一個でそんなに嬉しそうにするなよ」
「いいじゃないですか」
透はまた笑った。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
42紙との時間が、普通の友人との時間のように感じられた。
死神と一緒にいるというのに。
*
プリンを食べ終えると、42紙は立ち上がった。
「じゃあ、今日は帰ります」
「ああ」
玄関へ向かう42紙。
透は何気なく声をかけた。
「……また来いよ」
42紙が振り返った。
「……約束ですか?」
「いや……」
透は少し考えてから答えた。
「約束ってほどじゃない」
42紙は小さく笑った。
「じゃあ、まあ、そのうち」
「なんだよ、それ」
「約束じゃないんでしょう?」
「……まあな」
「じゃあ、そのうちです」
42紙はそう言って、玄関を出ていった。
ドアが閉まる。
部屋が静かになった。
*
透は椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。
昼間の「また今度」。
さっきの42紙との「そのうち」。
どちらも、たいした言葉じゃない。
明日になる保証もない。
来週になる保証もない。
また会える保証だってない。
それでも。
人は言う。
「またな」
「また今度」
「そのうち」
まるで、未来がちゃんと続いていることを知っているみたいに。
透は、ふと笑った。
「……約束って、不思議だな」
それ以上は、考えなかった。
明日は明日だ。
朝になれば、また一日が始まる。
そのとき何が起こるのかなんて、誰にも分からない。
だから人は。
何気なく、未来の言葉を口にするのかもしれない。
「またな」
誰もいない部屋で、透はもう一度呟いた。
部屋の時計は、
2時20分。
秒針だけが、静かに動いていた。
――第十二話・完――




