第30話 【眠り姫レム】
「……もし」
「……?」
「もしお前らの身近な人間が、ある日突然、ネットに晒し上げられたらどうする?」
「…………」
「今の時代、スマホのカメラ一つあれば、誰だってメディアになれる。誰かの気まぐれで、自分の人生が終わることだってあるんだ」
(…………)
「瑞稀は真面目で優しいやつだった。むしろ……真面目すぎるくらいだった。だから、俺まで晒されそうになって──」
茅野は強く唇を噛んだ。噛んだ箇所から、細く血が滲む。眠目はその様を、ひどく冷めた目で見つめる。
「昔から変わりませんよ。現実なんて、元々理不尽なものです。道を歩いていたら、突然車が歩道へ突っ込んでくる。災害に巻き込まれ、大事な人を亡くしてしまう。そんなことだってあるかもしれない」
「……俺はこの人の気持ちも、分からなくはないけどな。だからって妹を生贄にしたのはどうかと思うけど」
「私なら〜……むしろ開き直って、『あのとき炎上した本人です!』みたいな動画を出しますかね〜」
「お前、そういうの気にしなそうだよな……」
「……茅野さん」
眠目は杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。そして、アクリル板の向こうにいる茅野を見下ろす。
「輝夜さんはこの殺害計画に同意した協力者だった──そう仰いましたね」
「ああ。それが?」
「彼女は自分へ向けられた誹謗中傷について、何を思っていたのでしょうね? ミュージアムの開館中、彼女はずっと来館者の悪意に晒され続けていた。罵倒され、苦しめられ、それでも計画に協力した。あなたはそんな彼女に対して、何も感じなかったのでしょうか?」
「…………」
茅野は半眼で眠目を睨みつけた。
「……知ったような口を聞くな。あいつには、自分なんてものはなかった。だから、この計画に協力したんだよ」
(……自分がない……?)
「……そうですか。では、今度こそ失礼します」
眠目は小さく一礼し、面会室の出口へ向かう。
「失礼しました〜!」
宮下も軽く頭を下げ、後に続いた。
「…………」
柊は最後に一度だけ茅野を振り返り、二人のあとを追って面会室を後にした。
* * *
眠目はふらふらと警察署の中を歩いていた。刑事課へ戻ると、何人かの刑事が一つの机を囲み、何やら話し込んでいる。
「レム先輩、今にも倒れちゃいそうですね〜」
宮下が隣から眠目の顔を覗き込む。その目はほとんど開いておらず、杖を突く手さえどこかおぼつかない。
「大丈夫か、これ……」
柊が呆れ半分に見つめていると──
「…………」
眠目は突然、何かに導かれるように方向を変えた。そのまま、刑事たちが囲んでいる机へ向かっていく。
「……? レムちゃん?」
刑事の一人が声をかけた。どうやら、眠目とは顔見知りらしい。その声につられ、周囲の刑事たちも眠目へ視線を向ける。
だが、眠目は何も答えない。刑事たちの間をすり抜けるように進み──そのまま机の前までたどり着いた。
「…………」
眠目はすっと頭を下げ、机の上へ目を向けた。そこには、捜査資料らしき書類が無造作に広げられている。眠目はその書類へ覆い被さるように、ゆっくりと上半身を机の上へ乗せた。
「ちょ、ちょっと!? 何を──」
次の瞬間、眠目はぐいっと下半身を浮かせた。そのまま泳ぐように身体を滑らせ、全身を机の上へ乗せてしまう。
机の上にあった書類が、何枚も宙を舞った。それだけでは飽き足らず、眠目は両手を伸ばし、周囲の書類を次々とかき集めていく。どこかから紙の破れるような不穏な音まで聞こえてきた。
(……新手の妖怪か!)
眠目は集めた書類を頭の下へ押し込み、器用に一つの山を作った。そして、その中へ顔を埋める。
「すぅ……すぅ……」
数秒後、刑事課に穏やかな寝息が響き始めた。
「……これ、公務執行妨害とかにならねぇか?」
「あーっはっはっは!」
柊は顔を引き攣らせながら、机の中央で眠る眠目を見つめた。一方の宮下は、腹を抱えて楽しそうに笑っている。
「…………」
刑事たちは、黙って眠目を見下ろしていた。やがて、そのうちの一人が手を伸ばす。
だが──その手が伸びた先は、眠目ではなかった。傍らに散らばっていた捜査資料を一枚、二枚と回収していく。他の刑事たちも、床へ落ちた書類を拾い集め始めた。そして資料を回収し終えると、何事もなかったかのように机の周りから散っていった。
(……いや起こせよ……)
「──はぁ、面白〜。……ま、とにかく。あとは待つだけだね〜」
「……? 待つだけ?」
「蓮司くん、知らないの〜? レム先輩の能力。私の下着泥棒の件で、一度見てるはずだけど」
「の、能力……? あの杖から魔法でも出すのか?」
「何言ってんの〜? 頭打った〜?」
(……たまに冗談言ってみたらこれだよ……)
「レム先輩はね。頭に詰め込んだ情報を、眠ることで整理するんだよ。まるで、集めたパズルのピースを、一つずつ正しい場所にはめていくみたいにね」
「……いや、あいつ割といつも寝てるだろ」
「まぁ、それはそうなんだけど〜。ああやって場所も選ばず突然寝始めるときは、だいたい合図なんだよ」
「合図? なんの?」
「事件解決のためのピースが、全部揃ったってこと〜。その習性もあって、先輩はこう呼ばれてるんだよ──“眠り姫レム”ってね」
(……睡眠妖怪の間違いだろ?)
「そういうわけだから、しばらくは待ちだね〜」
「……そうすか」
「なんかスマホでゲームでもやる〜?」
「お前、ゲームとかやんのかよ」
「ゲームクリエイター志望って言ったじゃん。ゲームは好きだよ〜」
「ゲームねぇ……」
柊はスマホを取り出し、ホーム画面を開いた。すると、宮下が横からひょいっと画面を覗き込んでくる。
「……おっ! これやろ〜よ。『アルカナ・ストーン』。私もやってるから」
「アルスト? お前、カードゲーム好きなの?」
「ゲームなら何でも好きだよ〜。まぁ、無課金だけどね」
宮下は自分のスマホを取り出すと、眠目が眠っている机の椅子へ腰を下ろした。
「……いいのか? 勝手に座って」
「これが放置されてるんだから、別にいいでしょ」
宮下が机の上の眠目を指さす。
「……そう言われればそうか」
宮下は眠目の頬を、ツンツンと指先でつついた。眠目はぐっすり眠っており、いつものように起きる気配はまったくない。
(……身体痛くなんねぇのかな。こんな固い場所で寝て)
柊は片眉を上げながら、宮下の隣の椅子へ腰掛けた。スマホを取り出し、ゲームを起動しようとしたとき──
「──ちょいと失礼」
二人の背後から、聞き覚えのある声がした。振り返ると、明智がすぐそばまで来ている。
「どうしたんですか〜?」
「……?」
明智は眠りこける眠目の足元に落ちていた書類を、さっと拾い上げた。そして、やはり彼女を起こすことはなく、そのまま何事もなかったように去っていった。
* * *
「……んん……」
一時間ほど経った頃。眠目がゆっくりと瞼を開いた。頭の下に敷いていた書類はすっかりくしゃくしゃになり、その一部はよだれで湿っている。
眠目は口元をごしごしと拭うと、枕代わりにしていた書類をまとめて床へ放り捨てた。そのままゆっくりと身体を起こし、机の上に座る。
「ふわぁ……」
「…………」
「……ん? 柊さん、どうしたんですか? この世の終わりみたいな顔をしていますけど」
柊はスマホを片手に、ぐったりと椅子の背もたれへ身体を預けていた。一方の宮下は、スマホの画面を眺めながら、楽しそうに回転椅子をくるくると回している。
「あ、あり得ねぇ……なんで無課金の安いデッキに勝てねぇんだよ……」
「頭の中身までは課金できないからね〜……あっ! レム先輩、おはようございます〜!」
「……やれやれ。もしかして、ゲームでもしていたんですか? 刑事課のオフィスでゲームとは……非常識な人たちですねぇ」
「お前にだけは言われたくねぇよ!!」
「よっと……」
眠目は杖を手に取り、机の上からゆっくりと降りる。軽く服装を整えると、何事もなかったかのように歩き出した。
「では、参りましょうか」




