第28話 【雪の夜】
月見ヶ原警察署・取り調べ室。三人が中へ入ると、氷室 豪が椅子に座って待っていた。その傍らには、明智が腕を組んで立っている。
「どうも」
「やぁ。さっきぶりだね」
「いや〜、よかったですね〜。真犯人が自首してきて!」
「…………」
笑顔で手を上げる宮下とは対照的に、氷室は少しも嬉しそうではなかった。むしろ、どこか悲しげにすら見える。
「また少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ」
眠目は氷室の対面にある椅子へ腰を下ろした。
「茅野さんのことは、もうお聞きになりましたよね?」
「うん」
「彼がある供述をしているそうです。事件当日、あなたをミュージアムへ呼び出したのは自分だと。あなたも、誰かに呼び出されてミュージアムを訪れたと仰っていましたね?」
「……そうだね。確かに、彼に呼び出されて、私はミュージアムへ行ったよ」
「ふむ。そうなると、やはり疑問が生まれます」
「疑問?」
「あなたは一介の清掃員にすぎない茅野さんから呼び出され、それに応じてミュージアムを訪れた。館長であるあなたが、です」
「…………」
「私たちはここへ来る前、茅野さんの元勤務先を訪ねました。そこで、彼が以前使っていたPCを調べたのですが、パスワードがなかなか興味深いものでしてね。──『HImuro0925』というものだったのですが」
「へぇ〜。氷室、ですか。なんでそんなパスワードをつけたんですかね〜?」
「それと、もう一つ。茅野さんのPCに保存されていた動画に、彼の妻、茅野 瑞稀さんが映っていました。そして、その動画には──氷室 輝夜さんも映っていた。……茅野 悟さんと、あなた。どのような関係なんです?」
「…………」
氷室は黙り込んだ。しばらく何かを考えたあと、ゆっくりと顔を上げる。
「……彼、茅野 悟の以前の名前は──氷室 悟だ」
「は!? 氷室 悟!?」
「……明智さん」
「ああ」
眠目が視線を送る。明智は小さく頷くと、そのまま取り調べ室を出ていった。
「……年齢から考えると、息子さんですか? それとも、甥っ子さん?」
「息子だよ。茅野 瑞稀さんと結婚して、姓が変わったんだ」
「……ま、マジか……」
「なるほど。それなら、茅野さんからの呼び出しに応じた理由も分かります」
「うん。突然、『話があるから、ミュージアムに来てほしい』って言われてね」
「ということは〜……茅野 悟さんは、実の妹を殺したってことになるんですかね〜?」
「そうなりますね」
「……なんで妹を?」
「…………」
取り調べ室に、重たい沈黙が訪れる。しばらく誰も口を開かなかった。その静寂を、眠目が表情一つ変えずに破る。
「氷室さん。もう一つ、伺いたいことがあります」
「……なんだい?」
「先ほどお話しした動画についてです。その動画にはもう一人、少女が映っていました。──音無 雫さんです」
「……音無、雫……」
「音無さんも被害者と面識があったってことですか〜。そんなふうには見えませんでしたけどね〜」
「被害者だけではありません。茅野 悟さんや氷室 豪さん。音無さんはあなた方とも、過去に接点があった可能性があります」
「お〜! それは高まりますね〜!」
「ええ、そうですね」
(……全然高まらねぇけど。俺がおかしいのか?)
「──音無 雫」
氷室がもう一度その名を口にした。三人が彼を見る。そこにあったのは、これまでの優しげな表情ではなかった。眉間には深い皺が刻まれ、険しい目で三人を見据えている。
「そんな人間は──どこにもいない」
「……? いない……? どういう意味ですか?」
「言葉の通りだよ。音無 雫なんて人間は、存在しないんだ」
「仰っている意味が分かりませんが」
「も、もしかして〜。某有名映画みたいに、音無さんはとっくにこの世にいなくて、私たちが会ってた彼女は霊体だった──みたいなオカルト展開ですか!?」
「んなわけねぇだろ……」
「もう少し詳しくお話しいただけますか? 音無 雫さんについて」
「ああ、いいとも──」
* * *
雪の降る季節、その夜。氷室 豪は、幼い氷室 輝夜を連れて歩いていた。
輝夜は子どもらしく雪を見てはしゃぐ──なんてこともなく、退屈そうな顔でジャケットのポケットに手を突っ込んで歩いている。一方の豪は、なるべく輝夜に雪が当たらないよう、時折腕を伸ばして庇いながら歩いていた。
しばらく進むと、公園の前を通りかかる。輝夜は何気なく、そちらへ視線を向けた。
「……?」
公園には街灯が点いていたものの、辺りは薄暗く、奥まで見通すことは難しい。それでも──輝夜の目には、はっきりと見えた。
ベンチに一人。自分と同じくらいの年頃の少女が座っていた。親は見当たらない。雪降る夜に一人きり、寒さに身を震わせている。
「──あっ!? 輝夜っ!」
輝夜は何も言わず、少女のもとへ向かって歩き出した。後ろから引き止める豪の声にも耳を貸さない。積もった雪へ小さな足を沈めながら、まっすぐ少女のもとへ進んでいく。
やがてベンチの前までたどり着くと、少女がゆっくりと顔を上げた。冬だというのに、ひどく薄着だった。身体は小刻みに震え、頭にはうっすらと雪が積もっている。
輝夜は何も言わず、少女の頭に積もった雪をぱっぱっと払った。そして、自分が着ていた冬用のジャケットを脱ぎ、その小さな肩へ羽織らせる。
「……どうしたの? 一人?」
「…………」
少女はガタガタと震えながら輝夜を見つめた。だが、何も答えない。やがて、逃げるように視線を落とし、また俯いてしまった。
「──はぁ、はぁ……」
遅れて、豪が後ろから追いついてきた。雪に足を取られたのか、肩で息をしている。口元からは、白い吐息が漏れていた。
「……その子、どうしたんだ?」
「分からない。一人みたいだけど」
「そうか……」
豪は少女の前へ屈み込む。
「キミ、どうしたんだい? お父さんとお母さんは──」
そのとき、豪ははっとした。
妙なにおいが、鼻先を掠める。鉄のような──血を思わせるにおいだった。
豪は少女の身体を注意深く見る。だが、ぱっと見た限りでは、どこか怪我をしているようには見えなかった。
「どうするの?」
「うーん……とりあえず、警察に連絡したほうがいいかな。親御さんも見当たらないしね」
懐からスマホを取り出す。だが──少女は何も言わず、ぶんぶんと首を横に振った。
「……嫌みたいだけど」
「嫌って言われてもなぁ……困ったね」
「じゃあ、とりあえずうちに連れて帰ろうよ。こんなに冷えてるんだし、お風呂に入れてあげたほうがいいよ?」
「うちにか……」
豪は困ったように腕を組む。その横で、輝夜が少女の顔を覗き込んだ。
「うち、来る?」
「…………」
少女は輝夜と目を合わせる。そして──小さく頷いた。
「うち来るって」
「……うーん」
「大丈夫だよ。何かあったら、私が証言するから」
豪はしばらく唸っていたが──やがて諦めたように息を吐いた。
「……分かった。ただし、明日には警察へ連絡するからね」
「いいってさ。ねぇ、名前は何て言うの?」
「…………」
少女はまた、首を横に振った。
頬には、溶けた雪が伝っている。一筋の水滴がゆっくりと頬を下り、顎の先まで届く。そして──ぽつりと、雪の上へ落ちた。
* * *
「……ふむ。それで、音無さんを家へ連れて帰ったわけですか」
「ああ」
「というか輝夜さん、随分と大人びた子だったんですね〜。当時、おいくつだったんです?」
「四歳だったかな」
「四歳で『何かあったら私が証言する』とか言ったのかよ……」
「それで、その後は?」
「ひとまず家へ連れ帰って、その日は泊めることにした。そして翌朝、警察へ連絡しようと思っていたんだけど……ちょうどテレビのニュースが目に入ったんだ」
「ニュース?」
「ああ。家の近くで殺人事件が起きていた。女性が一人、全身に複数の刺し傷を負った状態で発見されたそうだ。被害者は──音無 奏。近隣に住んでいる女性だった」
「お、音無!?」
「輝夜も、そのニュースを見ていた。そして、私に言ったんだ。『警察へ連絡しないでほしい』とね」
「……なるほど」
「後から個人的に調べて分かったことだが……音無 奏は、水商売をしていたそうだ。独身女性で、子どももいない──ということになっていた」
「だから、存在しないというわけですか」
「ああ、そういうことだよ。“雫”って名前は、輝夜がつけたんだ。あの子に名前を聞いても、何も答えなかったからね」
「……ちなみにですが、奥様は?」
「妻は、輝夜が物心つく前に事故で亡くなっている。当時は私と輝夜、それに悟の三人暮らしだった。そこへ、雫を迎えることになったんだ」
「…………」
話を聞きながら、眠目の目はいつの間にか半分ほど閉じていた。今にも眠ってしまいそうな顔をしている。
「……お、おいおい。大丈夫か?」
「お〜? これは噂のアレですね〜。この事件もいよいよ、解決に近づいてきたってことですよ〜!」
宮下が嬉しそうに眠目の顔を覗き込んだ。そのとき──
「確認取れたぞ〜」
扉が開き、明智が取り調べ室へ戻ってきた。
「茅野 悟の件、間違いない。以前の姓は氷室。氷室 悟だ。それと、氷室 豪の実の息子で間違いない」
「……ふわぁ。そうですか」
眠目は眠気まなこのまま、小さくあくびをした。目尻に浮かんだ涙が頬を伝うが、本人は気にも留めない。
「では、最後に一人、お話を伺いたい方がいます」
「……? 誰だ?」
「この事件の犯人として自首してきた──茅野 悟さんです」




