第24話 【フィロソフィー】
三人は三階建ての小さなビルの前に立っていた。周囲に人通りはほとんどなく、辺りはしんと静まり返っている。
「案外こじんまりとしたところですね〜」
「まあ、中小企業ですからね。むしろ、こちらとしては好都合といったところです」
「……せめて静かに話せよ。中に聞こえたらどうすんだ」
柊が小声で二人を制する。その手には、眠目の家の冷蔵庫から持ってきた、寿司の入ったビニール袋が握られていた。
「……つーか、こんなんで入れてもらえんのか?」
柊は袋を顔の前まで持ち上げ、呆れたように見つめる。
「それを片手に、『会社を見学に来ました』とでも言えば、なんとかなるんじゃないですか?」
「…………」
(……昨日事件現場に入ったときといい、行き当たりばったりすぎんだろ……)
「とにかく、行ってみましょ〜!」
宮下はコートを揺らしながら、ビルの階段を上っていく。柊と眠目も、その後に続いた。
ビルの中は照明がついておらず、薄暗い。目を凝らしながら廊下を進んでいくと、一枚の扉が見えてきた。その扉には、『株式会社フィロソフィー』と書かれた表札が掲げられている。
先に着いた宮下が、コンコンと扉をノックした。柊と眠目が追いついて間もなく、扉が開く。中から現れたのは、眼鏡をかけた長髪の女性だった。
「こんにちは〜!」
「ン? ン?」
女性は首を傾げ、三人を順番に見回す。
「どちらさまカナ?」
「初めまして。霞池高校二年の、眠目 玲夢と申します。本日はよろしくお願いいたします」
「ン? ン? よろしくとは?」
「社会科見学をさせていただけるということで。お忙しい中お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「ありがとうございま〜す!」
「…………」
(……さすがに無理があんだろ……)
「ン〜……そんな話、あったカナ?」
「あ、あれ? も、もしかして……学校から連絡が届いていませんか……?」
眠目が困惑したように目を瞬かせ、表情がみるみる曇っていく。
「そ、そんな……私、楽しみにしてたのに……」
宮下は悲壮な表情を浮かべ、俯いた。
「……仕方ありません、帰りましょうか」
「レム先輩、また四十分も歩くことになるんですね……何の収穫もないまま……」
宮下の視線が、ゆっくりと眠目の杖へ落ちる。二人は雨に濡れる子犬のような悲壮感を漂わせている。
(……マンションの送迎車に乗って、快適に来たけどな)
「ンン……」
女性が二人を交互に見て、困ったように身体を左右へ揺らす。眠目は目をうるうるとさせ、ちらりと女性を見上げた。
「た、大したもてなしは出来ないケド……それでもよければ、少し上がっていくカイ?」
「え!? い、いいんですか!? ありがとうございます!」
「やった〜! ありがとうございます〜!」
眠目と宮下はパッと顔を明るくした。その様は、はたから見れば無邪気な女子高生二人にしか見えない。しかし、柊は冷めた目で二人を見つめる。
(……お前ら睡眠部は辞めて、演劇部にでも入れ)
「あっ、そうだ。よろしければ、こちらを」
眠目は柊が持っていたビニール袋をさっと掠め取る。中に入っていた寿司を、そのまま女性へ差し出した。
「ン、ありがとう。気が利くネ」
女性は袋を受け取ると、三人を中へ招き入れた。
オフィスはそれほど広くはない。見える範囲では、七、八人ほどの男女がそれぞれパソコンに向かっている。
「お邪魔しま〜す」
宮下は遠慮する様子もなく、ずかずかと中へ入っていく。そして近くにあったソファへ腰を下ろした。眠目も当然のように、その隣へ座る。
(……急に態度でけぇな)
柊は申し訳なさそうに、ソファの後ろへ立った。すると、宮下が背もたれに身体を預け、そのまま顔を上へ向ける。
「蓮司く〜ん、座らないの〜?」
「……遠慮ねぇな、お前ら。さっきまでのアレはなんだったんだよ」
「私たち、まだ子どもだよ〜? 遠慮なんてしなくていいの〜」
「それを自分で言ったらおしまいだろ」
「……ん? 社長? なんですか、その子たち」
三人の近くのデスクから、社員の男性が声をかけた。
「ン? 霞池高校の社会科見学で──」
「霞池? うちの息子も霞池ですけど、今日は休校のはずですよ? それに、制服も着てないじゃないですか」
「……エ?」
社長が、ぎこちなく三人へ振り返る。
「…………」
柊は、白いパーカーに黒の長ズボン。眠目は、全身真っ黒のワンピース。そして宮下は──いつもの探偵衣装。
「……ふぅ。まあ、細かいことは気にしないでください。それより、温かいお茶と甘いお菓子をお願いします」
眠目は完全に開き直ったように、ソファへ深く身体を沈める。そして、猫のように八重歯を覗かせながら大きくあくびをした。
「……面の皮が厚いなんてもんじゃねぇぞ」
「ン〜……結局、ナンなのカナ? キミたち」
「あはは〜! ちょっと聞きたいことがあって来ただけですよ〜。以前ここで働いていた、茅野 悟さんについてです」
「……フム」
女性はしばらく考え込む。そして、何も言わないまま奥の部屋へと消えていった。
「……大丈夫かよ、これ」
柊が顔をしかめていると、すぐに女性が盆を手に戻ってきた。盆の上には三つの湯呑みと、小さな包みが三つ。
「ハイ。お茶と羊羹ネ」
女性はテーブルへ盆を置き、それぞれお茶と羊羹を配っていく。
「ありがとうございます」
眠目は小さく頭を下げた。湯呑みを両手で持ち、ふーふーと息を吹きかける。それから、ゆっくりと一口すすった。
「キミも座ってイイヨ?」
「あ……いいんすか? つーか、社長……なんですよね?」
「ああ、ウン。暇だからイイヨ。茅野クンの話が聞きたいんだよネ?」
(……社長、なんだよな?)
柊は遠慮がちに、眠目の隣へ腰を下ろした。
「宇賀神 数珠丸。この会社の社長ダヨ。よろしくネ」
「よろしくお願いします」
眠目は羊羹の包みを開け、そのままかじりついた。もごもごと、小さな口が動いている。
「──それで、茅野 悟さんについてですが。以前はこちらで働いていたそうですね。どのようなお仕事をなさっていたのでしょう?」
「主にシステムの設計を担当していたネ。彼が全体の仕様や作業工程を組み立てて、その設計書をもとに別の社員がプログラミングする、って感じダヨ」
「ふむふむ。仕事の巧拙については?」
「優秀だったヨ。彼が辞めたのは、ウチとしてもかなり痛かったネ。まあ……事情が事情だから、仕方なかったケド」
「事情? 何かあったんすか?」
「彼の身内に不幸があってネ。その影響か、適応障害になってしまってネ。仕事を続けるのが難しくなったんダヨ」
「身内に不幸ですか〜。もしかして──奥さん、とかですか〜?」
「ウン。少し言いづらいんだケド……自殺、してしまってネ」
「…………」
短い沈黙が訪れた。静まり返った室内に、打鍵音だけが響く。
「……奥さんのお名前は──茅野 瑞稀さん、ですよね?」
「ン? ああ、そうだヨ。知ってたんだネ」
「ええ。彼女が自ら命を絶つに至った経緯については、ご存知ですか?」
「ウン。というかその件なら、私じゃなくても知っている人は多いと思うヨ」
「……? というと?」
「……炎上、ってやつダヨ」
「炎上ですか……彼女が?」
「ウン。彼女、当時はイベント会場の清掃スタッフとして働いてたんだヨ。だけどその日は、バイトの女の子に頼まれて、急遽別の仕事を手伝うことになったそうでネ」
「別の仕事というのは?」
「そのイベントに出演していた、男性アイドルの握手会の剥がしダヨ」
「……? 剥がしってなんだ?」
「握手会って、一人ずつ時間が決まってるの。時間が来たら、『そろそろお願いしま〜す』って声をかけて、次の人に進んでもらうためのスタッフのことだよ〜。一人がずっと握手してたら、後ろがいつまで経っても進まないからね〜」
「彼女はバイトの女の子に言われた通りに、握手を始めて一秒を目安にはがしを行ったそうダヨ。時間になっても従わない人がいたら、強引にでも前へ進めてほしい、と言われていたらしいネ」
「一秒はかなり短いですね〜。手が触れたと思ったら、もう終わりって感じでしょうか? 通例だと、どのくらいの長さだったんですか〜?」
「五秒くらいだったそうダヨ。五人組のアイドルで、彼女が剥がしを担当した一人を除く四人はいつも通りだったらしいネ」
「それで炎上に?」
「ウン。列に並んでいたファンの一人が、その様子をスマホで撮影していたんダヨ。その動画がSNSへ投稿されて、瞬く間に拡散されたんだネ」
「……別にただの伝達ミスだろ? そこまで騒ぐことか?」
「今話したのは、私が茅野クン本人から聞いた話ダヨ。ネットで動画を見た人たちは、そんな事情は知らないネ。彼らにとって茅野 瑞稀は、ファンを乱暴に追い払う──ただの迷惑なスタッフだったんダヨ」
「……その後は?」
「SNSではファンダムの外にいる人間まで騒動について語り始めたネ。動画サイトでは配信者たちが取り上げて、コメント欄では賛否が飛び交ったヨ。まとめサイトにも記事が作られて、そこでもまた好き勝手なことを言う人間が集まったネ。とにかく、ネットのあちこちでこの騒動が話題になっていったんダヨ」
「……あほくさ。その程度のことでキレる人間のほうが、どうかしてんだろ」
「まさにそれだよ〜、蓮司くん」
「……あ?」
「当然、蓮司くんみたいに考える人もいるわけ。『こんなことで怒るな』とか、『何か事情があるかもしれない』とかね。ところが、そういう擁護の余地があるほうが、むしろ危ないんだよ」
「……どういうことだ?」
「擁護する人と、批判する人が現れる。そうすると、その二つの間に議論が生まれるでしょ?」
「そうだな。それが?」
「すると今度は、その議論を材料にして配信者が動画を作り、まとめサイトが記事を作る。中には、わざと片方に肩入れして、もう片方を煽る内容もある。もちろん、彼らにとってはそれも仕事なんだけどね〜」
「……炎上というのは、大衆にとってただのコンテンツなんですよ。対象にはっきりとした非があれば、案外すぐに飽きられる。ですが、賛否が綺麗に割れれば話は別です。批判する側も擁護する側も、相手が黙らない限り言葉を返し続ける。そうして話題が延命されるんです」
「……ふーん。イマイチよくわかんね」
「じゃあ見てみる〜? 当時の投稿」
宮下はスマホを取り出し、何かを調べ始めた。そして、柊に画面を向ける。
『さすがにないわ……お金返してほしいんだけど? さっさとクビにしろよこの女』
『こんなもんじゃね? いちいち晒す方がキモいわ』
『友達がこれ参加してて、無理矢理剥がされて怪我したらしい。もはや暴行罪だよ』
『友達が怪我したとかいう嘘丸出しの投稿がバズってて草』
『ファンがキショいから無理矢理剥がしてくれってアイドル側から頼まれたんでしょwwwww案の定発狂し続けてて面白いね〜wwww』
『キショいのはこいつの動きの方でしょ。誰かこいつMAD動画作ってほしい笑』
『こんなことで炎上とか、この国平和だな』
『住所に凸られてて草。自業自得やねwww』
『某政治家の不祥事の直後にこの流れ。いつになったら、この構造に気づくんだろう』
「…………」
柊は投稿に目を通し、思わず唖然とした。議論というくらいなのだから、互いの意見を尊重しながら、もう少し建設的に話し合っているものだと思っていた。
「……なんだこれ。どこに議論があるんだよ。ただ罵り合ってるようにしか見えねーけど?」
「あなたのような考えの人は、ネットでは次第に発言しなくなっていくんですよ」
「……なんで?」
「まともに話そうとする人間ほど、馬鹿馬鹿しくなって離れていくからです。話の通じない人間と議論なんて出来ませんからね。最終的に残るのは、大声で叫び続ける人たちだけ。そうして順調に、“猿の惑星”が出来上がっていくわけです」
眠目は自分の羊羹を食べ終わると、お茶へ手を伸ばした。そして、静かに一口すする。
「……話が逸れましたが、茅野 瑞稀さんはその後どうなりました?」
「彼女のSNSには大量の誹謗中傷が寄せられて、住所や氏名まで特定されたヨ。直接的な嫌がらせもあったらしいネ。動画サイトでは、ミームみたいにネタにされることもあったネ」
「胸糞悪いな。明らかにやりすぎだろ……」
「一般人の炎上は、有名人のそれとは少し違います。反論するだけの発信力もなければ、擁護してくれる支持層もない。欠席裁判が終われば、あとは一方的に石を投げられるだけ。相当堪えたでしょうね」
「ウン。決め手は彼──茅野クンだったネ」
「茅野 悟さんが?」
「ウン。嫌がらせが、茅野クンにまで及ぼうとしていたみたいネ。茅野家の住所に訪れた配信者が、勝手に動画を回してネ。二人が映った動画をネタにすると言っていたらしい。それが──最後の一押しになったんだろうネ」
「……その配信者の名前は分かりますか?」
「名前は確か……村上、だった気がするヨ」
「む、村上!? あいつかよ!」
「……そうですか」
眠目は表情を崩さない。そのまましれっと柊の羊羹へ手を伸ばし、封を開けて口にくわえた。
「ふっふっふ〜。今の話を聞いて、私──真犯人がわかっちゃいましたよ〜」
宮下が勢いよく人差し指を立てる。眠目は一瞥すらせず、柊の羊羹をもぐもぐと食べている。
「真犯人は──茅野 悟さんです!」




