第21話 【氷室 豪】
月見ヶ原警察署・留置所。その面会室へ、三人は足を踏み入れた。透明なアクリル板の向こう側には、白髪混じりの男が一人、静かに座っている。
「初めまして、氷室 豪さん。眠目 玲夢です」
「初めまして。すまないね、わざわざ足を運んでもらって」
氷室は穏やかに微笑んだ。殺人容疑で逮捕され、留置されている人間とは思えないほど、落ち着いた様子だった。
(……思ってた感じと違うな。もっと怖そうな人なのかと……)
「ふっふっふ〜。殺人事件の被疑者と探偵の対面! ワクワクしますね〜!」
「……この子は、眠目さんのお友達かい? 昨日、面会に来たときもね。席に着くなり『あなたは無実です!』といきなり言われて、驚いたよ」
「いえ、まさか。これが友達だなんて……」
「友達ですよ〜! 睡眠部の仲間です〜!」
「…………」
「……つーかさ。俺んちに来たときから言ってるけど、何を根拠にこの人が無実だって言ってんだ?」
「ん〜?」
「それと、昨日はあの村上ってやつが疑われてただろ? なんでこの人が捕まってんだ?」
「ふっふっふ〜。そのことなら私、知ってるよ〜。なんせ、あのあと現場に戻って、明智警部補から直接話を聞いたからね〜」
「……は?」
* * *
「すみませーん!!」
帰りのバスへ乗り込む、その直前。宮下が大きく手を上げながら、教師へ向かって声を張り上げた。
「私、ちょっと運動したい気分なので! 歩いて帰りま〜す!」
「えっ!? だ、だめよ! 何かあったら──」
「では、さようなら〜!!」
「ちょっ、ちょっと!?」
教師が止める間もなく、宮下は駆け出した。みるみるうちにその背中は小さくなり──やがて、完全に見えなくなった。
(……一年なのに校外学習についてきたり、勝手に帰ったり。やりたい放題か、あいつ……)
「…………」
* * *
「……あのあと、現場に戻ってたのかよ」
「そそ! で、話を戻すけど──結論から言うと、村上さんには犯行は難しいってことになったんだよ」
「なんでだよ? あいつのロッカーから、ナイフやらレインコートやらが見つかったんだろ?」
「まさに、そこだよ〜! 村上さんには、それらをロッカーへ入れる時間がなかったの」
「……? でも実際、入ってたんだろ?」
「じゃあ、順番に整理するね〜。まず、あの映像。十二時八分、氷室 輝夜さんが赤いレインコートの人物に刺された」
「ああ、そうだな」
「そして、映像を撮影したと主張しているのは二人。カメラの持ち主である村上 狼さんと、事件後にそのカメラを持っていた茅野 悟さん。でも今重要なのは、どっちが本当の撮影者なのかじゃないの」
「……どういうことだ?」
「ほら、いたでしょ? 事件が起きたって知らせに来た女の人。あの人、撮影禁止なのに、こっそりスマホで写真を撮ろうとしてたんだって〜。そのとき、突然村上さんに声をかけられて、びっくりしてシャッターを押しちゃったらしいの」
「……? だからなんなんだ?」
「そのスマホには、村上さんが写った写真が残ってた。撮影時刻は──十二時九分」
「……!」
「……なるほど? 氷室 輝夜さんが刺されたわずか一分後には、村上さんはもうその女性と一緒にいたということですか」
「そういうことです〜! そして、中世ヨーロッパエリアからコインロッカーまでは、急いでも片道三分ほどかかります。往復であれば、六分。十二時九分の時点で女性と遭遇している以上、犯行後にロッカーへ凶器とレインコートを隠して戻ってくることは不可能というわけです〜」
「それらを一旦別の場所に隠しておき、あとからロッカーに入れた可能性はないですか?」
「それもないです〜! 村上さんは女性と現場へ戻ったあと、その女性と一緒に周囲の人を呼び集めていました。女性がフードコーナーまで事件を知らせに来たのは、そのあとのことです」
「つまり……十二時九分以降、村上さんには一人になる時間がなかったということですか」
「その通り! なので最終的には、『村上さんに罪を着せるため、ロッカーに証拠品が入れられた』と判断されました〜!」
「……でもさぁ。鍵は村上が持ってたんだろ? だったら、誰がロッカーに証拠品を入れたんだよ」
「そこで疑われたのが──この人、氷室 豪さんだったんだよ。彼専用のカードキーで入室できる館長室。そこには、館内のコインロッカーを開けられるマスターキーが保管されてたの。お客さんが鍵を紛失したときなんかに使うものだね〜」
「なるほどな。それを使えば、村上の鍵を持ってなくてもロッカーを開けられるってことか」
「その通り〜! さらにさらに〜。村上さんのロッカーから見つかった赤いレインコート。そこからなんと──氷室 豪さんの髪の毛が見つかったの〜!」
「うお……」
「さらにさらにさらに〜! 館長室には、あの赤いレインコートと同型の、色違いのレインコートまで何着か保管されてたんだって。イベント用の備品らしいんだけど、詳しい用途までは分かってないみたいだね〜」
「うおお……」
「他にも色々と、彼に不利な証拠が出てきてるんだよ〜」
「……不甲斐ない。まさか、こんなことになるとは……」
氷室は悲しげに目を伏せた。眠目はそんな彼の表情を、探るような視線で見つめる。
「……事件当時は、どちらに?」
「ミュージアムの館長室にいた。その……『来てほしい』と頼まれてね」
「どなたに?」
「…………」
「……そうですか。では、館長室ではどのように過ごしていたんです?」
「それが……よく覚えていないんだ」
「覚えていない?」
「ああ。コーヒーを飲みながら、ゆっくりしていたんだが……いつの間にか眠ってしまったらしい。次に目を覚ましたときには、警察の人がいて……娘が亡くなったと聞かされた」
「なるほど。では、もう一つ。事件直前、館内で起きた異常事態については、何かご存知ですか?」
「異常事態?」
「謎の天使が現れたあと、氷室 輝夜さんへ向けられた誹謗中傷のような文章が、館内に表示された件です」
「い、いや……心当たりはない。そもそも私は、その現象が起きていた間も眠っていたようだから……何があったのか、あまりよく分かっていないんだよ」
(……? あんなどでかい音が鳴ったのに、起きなかったのか?)
「つまり、事件が起きていた間、あなたはずっと館長室にいた。そして、それを証明できる第三者はいない」
「あ、ああ。そういうことになるね」
(……これだけ聞くと、確かに相当怪しいけど……)
「でもよ……この人が娘を殺す動機なんてなくねぇか?」
「あ〜、それね! 実は、動機として疑われてる事情もあるんだよ〜」
「どんな?」
「ほら。氷室 輝夜さんが炎上してたって話したでしょ? あれ、父親の氷室 豪さんにも飛び火してたの」
「……飛び火?」
「うん。豪さんがSNSで輝夜さんを擁護する内容を投稿したんだって。そしたら今度は、『娘のいじめを容認した』『被害者のことを何も考えてない』って、豪さんまで叩かれ始めた。大学には抗議の電話。ミュージアムには閉鎖を求める声まで出てたみたい」
「……なんだそりゃ。さすがにやりすぎだろ。むしろ、そいつらのほうがいじめみてぇなことしてんじゃねぇか」
「……まあ、そーゆー話は置いといて。警察としては、“娘のせいで自分の社会的地位やキャリアまで傷ついた”。それが殺害の動機になったんじゃないか──って見てるみたいだね」
「…………」
面会室に、短い沈黙が落ちる。やがて、氷室が静かに口を開いた。
「……あの子は……あの子は、あんなことをするような子じゃないよ。私には分かってる」
「ええ。あなたがそう言うなら、確かなんでしょう」
「……!」
氷室は、面食らったように眠目を見つめた。
「……今は便利な時代です。SNSを開けば、世界中の人間と簡単に繋がれる。言語の壁でさえ、翻訳技術によって薄れつつあります」
「そうですね〜。最近じゃ、日本の漫画家さんが海外で炎上したりすることもありますからね〜」
「ですが──世界が広がったように見えても、結局、一人の人間が本当に知ることのできる世界など狭いものです。顔も知らない大勢の人間が何を言おうと、目の前で接した人間の言葉のほうが、私にとってはよほど信用に値します」
「お〜。なんか良さげなこと言ってますね〜、先輩〜」
「…………」
「ですから私は、あなたの言葉を信用します。何より──あなたからは、娘さんへの慈愛と、娘さんを失ったことへの深い悲しみが感じられました」
「……なるほど」
氷室はしばらく眠目を見つめたあと、優しく微笑んだ。
「どうやらキミは、キミのお父様から聞いていた通りの子のようだね。事件のこと、改めてお願いしてもいいかな?」
「ええ、お任せください。私が必ず、真犯人を見つけ出してご覧に入れます」
眠目は椅子から立ち上がる。そして、優雅にカーテシーをしてみせた。
(……スイーツの食べ放題に釣られて来たってことは、黙っとくか……)
「さてと……では、宮下さん」
「……? なんですか〜?」
「最後に、一つ答えてもらいましょうか」
「え? 何をです?」
「柊さんが先ほど尋ねていたでしょう。なぜあなたは、『氷室 豪は無実だと思っている』のか?」
「……あ〜、そのことか〜。上手く話を逸らせたと思ったのにな〜」
(……俺もすっかり忘れてたな、そのこと……)
「──スマホのスリープ機能です」
「……はい?」
「ほら。スマホの機種によっては、スリープ状態になってても、ロックを解除せずにカメラだけは起動できるじゃないですか」
「……? いきなり何の話してんだ、お前?」
「え〜? だから〜、氷室 豪さんが無実だと思った理由ですよ〜」
「はあ?」
「……なるほど」
眠目は何かを納得したように、小さく頷く。そして、柊へ視線を向けた。
「……?」
一瞬だけ、目が合う。しかし眠目は何も言わず、すぐに視線を逸らした。
「……では、そろそろ行きましょうか。面会時間も終わりそうですし」
「そうですね〜。では、お邪魔しました〜!」
「……失礼しました〜……」
三人はそれぞれ氷室へ頭を下げた。氷室も穏やかに微笑み、小さく一礼する。そして三人は、そのまま面会室を後にした。




