第20話 【スイーツヘヴン】
「…………」
柊は、ぽかんと口を開けながら上を見上げていた。
首が痛くなるほど高い、高層マンション。ガラス張りの自動ドアの向こうには、いかにも高級そうなエントランスが広がっている。
「……すげぇな。ホントにここに住んでんのかよ」
「はい! いや〜、圧巻ですね〜」
「で? どうすんだ?」
「とりあえず、中に入ってみましょうか」
宮下は臆する様子もなく、マンションの入口へ歩いていく。
「…………」
柊も半信半疑のまま、その後に続いた。そのまま、二人は自動ドアを抜ける。
エントランスは大理石を基調とした豪奢な造りで、中央には小さな水盤が設けられていた。周囲には観葉植物が整然と配置され、まるで高級ホテルのロビーのようだ。
そして、正面にあるカウンターに、スーツ姿の女性が姿勢よく待機していた。おそらく、マンションのコンシェルジュだろう。コンシェルジュは二人に気づくと、丁寧に一礼した。
「こんにちは。いかがなさいましたか?」
「3702号室に住んでる、眠目 玲夢さんの友達です! 遊びに来ました〜!」
「お友達でございますね。お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「宮下 真琴です! それで、こっちの男の子が柊 蓮司!」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
コンシェルジュは受話器を取ると、どこかへ電話をかけた。
「──お休みのところ失礼いたします。お友達がお見えになっております」
『…………』
「はい。宮下 真琴様と、柊 蓮司様です」
『…………』
「はい」
『…………』
「……ご存じない?」
『…………』
「はい……承知いたしました。失礼いたします」
(……おいおい)
柊は半眼で受話器を見つめた。呆れた顔で宮下へ視線を向けようとした、そのとき──
「ちょーっと待ったー!!」
宮下が突然、声を張り上げた。その声が、静かなエントランスに響き渡る。
「……一つ、伝えてほしいことがあります」
「……なんでしょうか?」
「『スイーツヘヴン』の食べ放題について、話があると伝えてください」
(……なるほど)
「……承知いたしました」
コンシェルジュが再び受話器へ向き直る。
『…………』
「──えっ? 聞こえていた?」
『…………』
「はい」
『…………』
「では、お二人をお通ししてもよろしいと?」
『…………』
「承知いたしました。失礼いたします」
受話器が静かに置かれた。
「お二人とも、お通ししてよいとのことです」
「ふっふっふ〜。やりましたね〜」
「……本当なのかよ? スイーツヘヴンの話」
「ええ、本当ですよ〜。ただまあ、条件付きですけどね」
偉そうに胸を張る宮下へ、コンシェルジュは来訪者用のカードを差し出した。
「こちらを、あちらのインターホンにかざしてください。カメラを通して、入居者様にご確認をいただいた後、扉のロックが解除されます」
「はーい。ありがとうございました〜!」
宮下は雑に一礼すると、さっさとインターホンへ向かう。柊も遅れて頭を下げた。コンシェルジュも変わらぬ笑顔で、丁寧に一礼する。
「よっと……」
宮下がカードをかざすと、小さな電子音が鳴る。しばらくの間、二人は静寂に包まれた。そして──
『ウィーン』
自動ドアが静かに開く。二人はそのまま、マンションの奥へ足を踏み入れた。
* * *
『テレレッ…テレレッ…』
軽快なチャイムが鳴る。しばらくすると、玄関の扉がゆっくりと開かれた。
「…………」
「こんにちはー、レム先輩!」
そこに立っていた眠目は、真っ黒でふわふわとした寝巻きに身を包んでいた。頭には、先端にポンポンの付いた、同じく真っ黒な三角形のナイトキャップ。全身を黒で統一したその格好が、眠目の白い肌と髪を、かえって際立たせている。
「きゃ〜! 先輩、かわいすぎます〜!」
「……無駄話をしに来たのなら、今すぐ帰らせますが? 私は忙しいんです」
(……寝てただけだろ……)
「あははっ、すみません。とにかく、中でお話ししましょう」
「はいはい。どうぞ」
眠目は小さくあくびを漏らしながら、二人を中へ招き入れた。玄関で靴を脱ぎ、長い廊下を抜ける。そして、リビングへ足を踏み入れた。
「……すげ〜」
まず目に入ったのは、窓だった。壁一面を覆う巨大なガラス窓。眼下には、月見ヶ原の街並みが小さく広がっている。そして──
「…………」
──部屋の中は、別の意味で壮観だった。
形も大きさも違う、様々な種類のソファがずらりと並べられている。まるで、インテリアショップの展示場のようだった。
「……なんだこりゃ」
「情緒も風情もないですねぇ。これ、もしかして全部寝るためのものですか〜?」
「そうですが? すべてオーダーメイドで作られています。さらに、それぞれ専用の枕も用意してあります」
言われてみると、確かにどのソファにも一つずつ枕が置かれていた。
「……ここまでいくと、ちょっと狂気を感じますね〜」
宮下が珍しく、顔を引き攣らせている。
「親は何も言わねぇのか? この部屋」
「両親は東京で暮らしていますから。私はここで一人暮らしですよ」
「ああ、そっか。親父さん、警視総監なんだっけ?」
「ええ」
(……にしても。こんなバカでかい部屋に一人暮らしって、どんだけ金持ちなんだよ……)
「ちなみに、この寝巻きも特別仕様です。最新の睡眠科学に基づいた──」
「ああっ! 分かった分かった! とにかく、すごいパジャマなんだな!」
「……で? 『スイーツヘヴン』の食べ放題について話がある、とのことでしたが。嘘だったら承知しませんよ?」
「嘘じゃありませんよぉ〜! ちゃーんと連れていってあげます。ただし、条件を聞いていただければですけどね〜」
「…………」
「つーかさぁ。こんだけ金持ちなら、食べ放題くらい普通に行けんだろ」
「そうでもありません」
「なんで?」
「私の月のお小遣いは、三千円ですので」
「……俺でも五千円なんだけど。なんで小遣いだけ少ねぇんだよ……」
「……私の話はもういいです。それで、条件というのは?」
「あ、はい。実は私──氷室 豪さんに面会してきたんですよ〜」
「……は? なんでだよ?」
「ん〜……私、あの人は犯人じゃないと思ってるんです。だから、レム先輩にもう一度、この事件を調べてほしくて」
「……それは私の仕事ではないでしょう。事件の捜査は、警察に任せておけばいいんですよ」
(……昨日あんだけ好き勝手しておいて、よく言うよ……)
「え〜! でもレム先輩だって、氷室 豪さんが犯人だとは思ってないでしょ?」
「…………」
「と・に・か・く〜! 氷室 豪さんに会いに行きましょ〜? 向こうも、レム先輩に会いたいって言ってましたよ?」
「……私に?」
「はい。レム先輩の名前を出したら、『ぜひ会いたい』って。レム先輩、結構有名人みたいですね〜」
「…………」
「だからまあ、話くらい聞いてあげてもいいんじゃないですか〜?」
「……はぁ。まあ、話だけなら聞きに行きましょうか」
「やった〜!」
「ただし! ──スイーツヘヴンの件、忘れないでくださいね?」
「もちろんですとも〜! 名探偵・眠目 玲夢、再始動ですね〜!」
「着替えてくるので、二人は先に下へ降りていてください」
「はーい。そのまま寝ちゃわないでくださいよ〜」
「寝るわけないでしょう」
(……説得力ねぇなぁ……)
眠目は眠そうに目を擦りながら、奥の部屋へ消えていった。
「……じゃ、降りよっか」
「……大丈夫か、あれ? マジでそのまま寝そうだぞ」
「ん〜……じゃあ、覗いて確認してみる?」
「覗かねぇよ!! 行くぞ!!」
「あーはっはっはっ!!」
柊がさっさと踵を返す。宮下は楽しそうに笑いながら、その後を追った。二人はそのまま玄関を抜け、眠目の家を後にした。




