第19話 【氷室 輝夜】
──翌日、金曜日。事件の影響で、学校は休校となっていた。
柊は自宅のリビングでソファに寝転がり、スマホを弄っていた。画面に映っているのは、柊が日課にしているソシャゲだ。
「おにーちゃん、そこどいてー。テレビ見たいから」
突然、頭上から声が降ってくる。柊がスマホから目を離して見上げると、茶髪のボブヘアの少女が、こちらの顔を覗き込んでいた。
柊 凛──中学三年生の妹である。
「テレビって……何見るんだよ」
「競馬だよ、競馬」
「は? 競馬って……お前、まだ十四だろ?」
「うん。だからパパに買ってきてもらったんだよ。もうすぐレース始まるから、どいてどいて!」
(……いいんだっけ? 法的に……)
柊は顔を引き攣らせながら身体を起こし、ソファに座り直した。空いた隣へ、凛がすぐさま腰を下ろす。
「──つかお前、学校は?」
「霞池附属も休みだよ。事件の対応しないといけないからって」
「あっそ」
凛がリモコンを操作すると、テレビに競馬場の様子が映し出された。そして、持ってきたポテチとコーラを順番に開けると、ばりぼりと音を立てながら食べ始める。
(……休日のじじいか、こいつ)
「……おにーちゃんさぁ。たまには外に遊びに行きなよ」
「てめーにだけは言われたくねーよ!!」
「彼女とかいないわけ? ……いるわけないか」
凛は悪態をつきながら、さらにポテチを口へ放り込む。細かな破片が、ソファや床へぽろぽろと落ちていた。そしてコーラを勢いよくあおったかと思えば──
「げふっ」
(……こいつこそ、絶対彼氏できねぇ……)
柊はじっと凛を睨んだあと、再びスマホへ視線を戻した。そのとき──
『ピンポーン!』
「……あ?」
家のインターホンが鳴った。
「……? パパとママ、なんか来るとか言ってたっけ?」
「いや? たぶん訪問販売かなんかだろ。無視無視」
「そっか」
柊と凛は一度顔を見合わせ、小さく頷いた。しかし──
『ピンポーン! ピンポーン! ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン!』
「しつけぇな!?」
「出てみる? パパとママが鍵忘れたとかじゃないの?」
「それならメッセージ来んだろ。放っとけ、いつか諦めるから」
「まあ、変なのだったら断ればいいしさ」
「おい、待て!」
止めようとする柊をよそに、凛はさっさと立ち上がった。そのままインターホンの前まで歩いていき──モニターボタンを押した。
「……? 誰? なんか探偵みたいな格好してるけど」
「……は?」
柊が顔を上げる。その間に、凛は通話ボタンを押した。
『こーんにーちわー! 宮下 真琴でーす!』
「…………」
「えっと……どちらさまでしょーか?」
『その声、蓮司くんのお姉さん……いや、妹さんですかね〜?』
「れ、蓮司くん?」
『初めまして〜! 私、蓮司くんの彼女でーす! よろしくお願いします〜!』
「か、かかかっ、彼女!?」
凛は口元を両手で覆い、目を見開いた。そして、勢いよくソファの柊を振り返る。凛の頬は、真っ赤に染まっていた。
柊は慌ててソファから立ち上がり、インターホンへ駆け寄る。
「な、何やってんだお前!? つーか、なんで俺んちの住所知ってんだよ!」
『まあ、それは色々だよ〜。い・ろ・い・ろ! とにかく、中に入れてくれない?』
「……はぁ」
柊は深いため息を吐いた。そのまま通話を切ると、重い足取りで玄関へ向かっていく。
「…………」
玄関の扉を開けると、そこには黄土色の鹿撃ち帽を被り、同色のインバネスコートを羽織った宮下が立っていた。
「いや〜、突然ごめんね。そんじゃ、お邪魔しま〜す!」
宮下は遠慮もせず玄関へ上がった。靴を脱ぎ、そのまま家の中へ入っていく。
「…………」
柊はその背中を見送りながら、扉を閉めた。
「こ、ここっ、こんにちは……」
リビングから顔を覗かせていた凛が、たどたどしく挨拶した。先ほどまでとは打って変わって、恭しい態度だ。
「こんにちは〜! お〜、いい家ですね〜!」
宮下は興味深そうにリビングを見回すと、そのままソファまで歩いていき、当然のように腰を下ろした。
「……で? 何しに来たんだ?」
リビングへ戻った柊が、宮下に語りかける。
「何って、決まってるでしょ〜? 事件のことだよ〜!」
「事件って、昨日の? もう終わった話じゃねぇか。犯人、捕まったんだろ?」
「うん。一応ね」
宮下はそう言って、ポケットからスマホを取り出して何やら操作を始めた。
「あ、あの……」
「ん? どうしたの〜?」
「わ、私……自分の部屋にいたほうがいいですか? それとも……二人がおにーちゃんの部屋に行きますか?」
「あー、大丈夫大丈夫! お気遣いなく〜!」
(……なんか誤解されてんな)
柊は、宮下と凛を交互に見やる。凛は冷蔵庫へ向かい、せっせと来客用のお茶を用意している。
(……まあ、いいか。突っ込んだら余計めんどくさそうだし)
宮下へ半眼を向け、小さく息を吐いた。
「──氷室 豪。月見ヶ原ARミュージアムの館長である彼が、娘である氷室 輝夜殺害の容疑で逮捕された」
「父親が娘をな〜。何があったんだろーな?」
「それについては、ネットでも色々と憶測が飛び交ってるよ〜?」
「へぇ。どんな?」
「お、お茶淹れました〜。よかったらどうぞ?」
二人の会話へ割って入るように、凛がお茶を運んできた。
「ありがとう〜! いや〜、よくできた妹さんだね〜」
(……さっきまで競馬見ながらゲップしてたけどな……)
凛はにこにこと笑いながら、机の上に置きっぱなしだったポテチとコーラをそそくさと片付ける。ついでに馬券もしれっと回収。最後にテレビの電源まで消した。
「──で、話を戻すけど。ネットの反応を見る限り、だいたいは『氷室 輝夜側にも原因があった』って感じの憶測が多いね〜。氷室 豪さんに同情してる人も、結構いるみたい」
「……? 原因? 被害者側に? なんでそんな話になってんだ?」
「あはは〜! やっぱ知らないんだ〜。氷室 輝夜さんが生前、インターネットでどんな扱いをされてたのか」
「……おにーちゃん、自分の好きなゲームの情報とか生配信以外、ほとんど見ないから。そういう話には、めちゃくちゃ疎いんですよ」
凛が宮下の隣へ腰を下ろし、ちらりと柊を見る。
「なるほどなるほど〜。そういうことね〜」
「……そういや昨日、氷室 輝夜は悪い意味で話題になってたとか言ってたな、お前」
「うん。彼女がアーティスト活動をしてたことは言ったよね?」
「ああ」
「もともと、特別アンチが多い人ってわけでもなかったんだけど……ある動画がネットに流れたの」
「どんな?」
「これ」
宮下はスマホの画面を柊へ向けた。
映っていたのは、氷室 輝夜と思われる制服姿の少女だった。その向かいには、同じく制服を着た三人の少女。うち二人が、一人の少女の両腕を掴み、無理矢理立たせている。
『いやっ!! やめて!! お願い!!』
拘束された少女は、泣きながら必死に抵抗している。しかし、二人は手を離さない。そんな様子を嘲笑うかのように、輝夜はポケットからたばこを取り出し、火をつける。
『や、やめ──』
そして──
『──あああああああっ!!』
火のついたたばこを、少女の顔へ押し付けた。
「……ひでぇな」
柊は顔をしかめ、思わず画面から目を逸らした。
「この動画が流出してから、当然、氷室 輝夜さんは大炎上。SNSの反応は……こんな感じ」
宮下はスマホを操作すると、再び画面を柊へ向けた。
『絶対に許しちゃいけない。少なくとも、表で活動していい人間じゃない』
『前からなんとなく嫌な感じがしてたけど、やっぱりなって感じ。顔に性格の悪さが滲み出てたよな』
『こいつの信者はいじめ肯定派ってことで合ってる?』
『個展は中止になるやろね。私も問い合わせしといたわ』
『こいつの絵、何がいいのか分からん。ファンも気色悪いし』
『普通に犯罪者で草。早く逮捕しろよwwww』
『誰か同じ目に遭わせてほしい。それくらいしないと反省しないでしょ』
「…………」
「……ん? どうしたの? そんな険しい顔しちゃって」
「いや……確かに、さっきの動画は胸糞わりぃと思ったけど……。なんつーか……」
「……ふふっ」
「……?」
宮下が、いつにも増して嬉しそうに笑っていた。細められた目に、歪んだ口元。まるで、自分の胸の内をすべて見透かされているような気がして、柊は思わず視線を逸らした。
「……ところでさ」
「ん?」
「この投稿──なんか既視感ない?」
「既視感? ……ああ、言われてみれば。なんでだ?」
「あれだよ、あれ〜。月見ヶ原ARミュージアムで、事件の少し前に起きたやつ」
「あっ……! あの空中に出てきた文章か」
「そうそう。思い返してみれば、あのとき表示されてた文言──氷室 輝夜さんを叩いてた投稿っぽいものばかりだったんだよね〜」
「……なんでそんなもんが表示されたんだ?」
「さぁ? そこは犯人の氷室 豪さんに聞かないと分からないね〜」
からかうような笑みを浮かべながら、スマホを手元へ戻す。そして、凛が淹れたお茶を手に取ると、ごくごくと一気に飲み干した。
「あ、あの〜……彼女さんって、探偵なんですか?」
「ん〜?」
「いや、なんか……さっきから事件とか犯人とか、そういう話してるから……。それに、格好も探偵っぽいし」
「ああ〜! うん、そうだよ〜。私、女子高生探偵なんだ〜!」
「お〜……!」
「で、蓮司くんは私の助手ね」
「なるほどぉ……じゃあ、一緒に事件を調べてるうちに好きになったとか?」
「そういうこと」
(……さっさと否定しときゃよかったな。どんどん設定が盛られていく……)
「……ま、それはさておき。続きはレム先輩の家で話そっか」
「あいつの家で? 俺、住所知らねぇけど」
「私が知ってるから大丈夫だよ〜」
(だからなんで知ってんだよ……)
「つーか、勝手に行っても追い返されるだけだろ。あいつ、もう事件には興味ないって言ってたし。第一、犯人も捕まってるのに、これ以上何を話すんだよ?」
「それはまあ、着いてからのお楽しみってことで〜」
「……俺も行くの?」
「当たり前でしょ? そのために迎えに来たんだから」
「はぁ……」
「それじゃあ妹さん。蓮司くん、借りていくね〜?」
「あ、はい! どうぞご自由に!」
「ほーい。じゃ、行こっか〜。また遊びに来るね〜!」
「はい! ぜひ!」
宮下はソファからひょいっと立ち上がり、柊へ歩み寄った。
(まあ……たまには出かけるのも悪くないか)
柊は冷蔵庫に取り付けてあるキーフックから家の鍵を手に取る。そのまま二人は並んで、玄関へと向かっていった。




