第18話 【仔猫ちゃん】
「レームせーんぱーい!! おはよー!! 起きて!! 朝だよ!! すごい朝!! 外が明るい!! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン!! おはよ!! 見て見て!! 外明るいの!! 外!! 見て!! カンカンカン!!」
眠目のすぐそばで、宮下が絶叫した。先ほどまで静まり返っていた部屋に、その声がけたたましく響き渡る。
(うるせぇ……)
柊はたまらず両耳を塞いだ。
「……んん……騒がしいですねぇ……もう少し静かに起こせないんですか?」
眠目の薄青色の瞳が、ゆっくりと開く。ひどく不機嫌そうな顔で、手の甲を使い目元を擦った。
「あははっ、すみませ〜ん。一回やってみたかったんですよ、これ。あと、音無さん来てますよ〜」
宮下が視線を向ける。その先には、明智と音無が立っていた。音無は眠目と目が合うと、丁寧に頭を下げた。眠目も座ったまま、小さく会釈する。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ……ところで、この状況は?」
音無は不思議そうに、柊、眠目、宮下の顔を順番に見回した。
(そりゃ疑問に思うわな……)
「実は、そちらの明智警部補から、事件解決に協力してほしいと頼まれまして」
「……頼んだ覚えはねぇが?」
「よく本人を目の前にして、そんな堂々と嘘がつけるな……」
「まぁまぁ、瑣末なことでしょう。とにかく、あなたにいくつかお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
音無は眠目の対面にある椅子へ腰を下ろした。眠目は一つあくびをしてから、眠そうな目で音無を見る。
「まず──そちらの村上 狼さんについてですが、ご存知ですよね?」
眠目が村上を示す。音無はそちらへ顔を向け、小さく頷いた。
「はい。わたくしどもが、当館の宣伝の一環としてご招待させていただきました」
「彼は今日、あなたから『中世ヨーロッパエリアで特別なイベントを行うので、そこで待機していてほしい』と言われたそうですが」
「はい。そうお伝えするよう言われておりましたので」
「え〜? 嘘じゃなかったんですかぁ〜?」
「当たり前だろ!! なんで俺がそんな嘘つかなきゃいけねぇんだよ!!」
「犯人だからに決まってるじゃないですか〜」
「ふざけんな!! このクソガキ!!」
「……くだらない言い争いなら、外でやってもらえますか? ……音無さん。もう一つ、伺いたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「フードコーナーで私たちと別れた、その後のことです。私たちは警察と救急車を呼んだあと、すぐに先生方に集められてしまったので、それ以降のことを知りません」
「えっと……私はあの後、スタッフルームへ向かって、他のスタッフを呼びました。それから、フードコーナーへ戻って、彼女と一緒に現場へ向かいました」
「彼女というのは、刺された人がいると知らせに来た女性ですね?」
「はい、そうです。それで中世ヨーロッパエリアへ入ると、女性が血を流して倒れていました」
「……血を流して、ですか。そういえば、彼女は妙なことを口にしていましたよね。『血が出ていない』とかなんとか」
「ああ、そのことか」
突然、村上が会話へ割って入った。眠目がそちらへ視線を向ける。
「俺、人を呼びに行ったって言っただろ? それで女を見つけて、とにかく来てくれって頼んだんだよ。んで、一緒にあの場所へ戻ったら──血が消えてたんだ」
「血が消えたぁ? 犯人が拭き取ったのか?」
「分からねぇ。あんなに血が出てたのに、全部なくなってた。でも、胸には刺された傷が残ってたな」
「ふふふ〜、謎ですね〜! さすがに犯人も、服に付着した血まで綺麗に拭き取ることはできないでしょうし。いや〜、ワクワクします〜!」
「……なるほど」
眠目は小さく頷いた。そして、そのままぐたりと机へ突っ伏す。組んだ腕の上に顔を乗せると、頬がむにっと潰れ、薄青い瞳がさらに細くなった。
「……ちなみにですけど。先ほど、『そうお伝えするよう言われていた』と仰いましたよね。誰から言われたんです?」
「特定の誰か、というわけではありません。ミュージアムの運営から届いたメールに、村上さんへそう伝えるよう書かれていたんです」
「そのメール、まだ残ってますか?」
「あっ……すみません。私、読んだメールはすぐに削除してしまう癖があって……」
「あー、分かる分かる。俺もそういうメールって定期的に消さねぇと気が済まないんだよな。なんなら読まないまま消しちまうこともあるし」
柊は腕を組み、何度か頷いた。
「……そうですか。分かりました」
眠目は腕に頬をぐりぐりと押しつけた。その仕草はどこか、眠たげな猫が毛繕いでもしているかのように見えた。
「……それで? 仔猫ちゃん。そろそろ確証は得られたのか?」
「…………」
眠目は腕に頬を乗せたまま、視線だけを明智へ向ける。細められた瞳と、むにっと潰れた頬。それだけで、ひどく不機嫌そうに見えた。
「これだけの話で、確証まで得られるわけないでしょう」
(最初と言ってることが違うな……)
「ですが、おおよその真相は見えましたよ。犯人も、だいたい見当はつきました」
「はあ!? い、いや、嘘だろ!?」
「これは嘘じゃありませんよ?」
「おお〜! ということは、ついに名探偵・眠目 玲夢の推理ショーが始まる感じですか〜!?」
「いえ? 始まりませんよ?」
「……え? なんでですか〜!?」
「言ったでしょう? 確証がありません。それに、私としてはもう満足しました。ここまでにしておきます。少し仮眠を取ったら、生徒の一行に戻りましょう」
そう言うと、眠目は腕へ顔を埋めた。そして間もなく、小さな寝息が響き始める。
(……さっき起きたばっかだよな……?)
「……仔猫ちゃんは、いつもこんな感じだぜ。勝手に捜査へ首突っ込んだかと思えば、勝手に納得して、勝手に寝る」
「……なるほど〜。それでイタズラですか〜」
「滅茶苦茶だな、こいつ……」
「ふふふっ! やっぱおもしろ〜い、この人!」
引き気味の柊とは対照的に、宮下は心底楽しそうに笑っていた。
「とはいえ──私はやっぱり、事件の続きが気になりますからね〜。何か策を考えないとですね〜」
* * *
十分ほど経った頃。眠目は、のそりと机から顔を上げた。顔を伏せていたあたりが吐息でうっすらと湿っている。それに気づくと、眠目は自分の袖でごしごしと拭った。
「……んん……さて、戻りましょうか」
「……俺ら怒られるよな? これ」
「あはは〜、大丈夫だよ〜。『蓮司くんがどうしても現場を見たいって言った』ことにするから〜」
「何が“大丈夫”なんだ……?」
二人のやり取りをよそに、眠目は椅子の脇に立てかけていた杖へ手を伸ばす。だが──
「──あっ!」
──指先が杖を弾いた。漆黒の杖はするりと床を滑り、机の下へ潜り込んでしまう。
「……すみません。拾っていただけますか?」
眠目は音無へ申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「ええ」
音無は小さく頷くと、机の下へ身を屈める。そして、床に転がった杖を拾い上げると、眠目へ差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
眠目が杖を受け取る。すると音無は、その杖へちらりと視線を落とした。
「……その杖、どうなさったんですか?」
「幼い頃に、事故に遭いまして。まあ、大したものではありませんよ。お気遣いなく」
眠目は再び小さく頭を下げると、杖をついて椅子から立ち上がった。
「…………」
(……気のせいかな。今、こいつ……)
柊は怪訝そうな目で眠目を見る。その視線に気づいたのか、眠目がこちらを向いた。そして、二人の目が合う。
「…………」
「…………」
──数秒後。眠目は何事もなかったかのように、すっと前へ向き直った。
「ふわぁ……災難な一日でしたねぇ。帰ったら、ぐっすり眠れそうです」
「まだ寝んのかよ……」
「え〜! 私は寝られないですよ〜! 消化不良です〜!」
「……明日にでも、犯人逮捕のニュースが流れるでしょう。それを見ればいいんじゃないですか?」
「そんな〜!」
宮下ががっくりと肩を落とした。眠目はそんな彼女の横をすり抜け、そのまま部屋の出口へ歩いていく。
「あっ! レム先輩、待ってくださーい!」
宮下は慌てて、その後を追った。
「…………」
残された柊は、明智たちへ申し訳程度に頭を下げる。
「……失礼しましたー……」
そして、逃げるように二人の背中を追いかけた。




