第2話 【眠り姫・始動】
「ん……あむっ……んんっ……」
「…………」
幸せそうにドーナツを頬張る眠目を、柊は黙って見つめていた。
白い髪に、透き通るような薄青色の瞳。こうして黙ってさえいれば、まるで妖精のような少女だった。
「……いくら私が美しいとはいえ、食事中にじろじろと見られるのは気分が良いものではないですね」
「……美しいって、自分で言うのかよ」
「謙遜が全て美徳になるというのは間違いでしょう? 例えば、オリンピックの金メダリストが表彰台で、『いや〜、僕なんてまだまだですよ〜』なんて言ったら、他の選手は気分を害すると思いませんか?」
(……自分は世界で一番美しいとでも言うつもりか?)
「……それで、事件の話ですが」
「ああ。忘れるところだった」
「とりあえず、被害者の方のお話が聞きたいので、ここに連れてきてもらえますか? 宮下 真琴さんを」
「お、おう。分かった」
(……どいつもこいつも、人使いが荒いなぁ)
内心でぼやきながら、柊は部室を後にした。
* * *
「お、お邪魔しま〜す……」
黒髪をサイドテールにまとめた少女が、おそるおそる扉を開けて部室へ入ってくる。その後ろから柊も続き、静かに扉を閉めた。
「えっと……寝て、ますね……」
「…………」
部室の奥では、眠目がソファに身を預け、すやすやと眠っていた。口元にはドーナツの粉がついたまま。空になった容器は、床に転がっている。
柊はふと、部室の机へ目を向けた。都合のいいことに、そこには一本の輪ゴムが置かれている。おそらく、ゴミ箱に捨てられた弁当箱を留めていたものだろう。
「えっ!? な、なにを?」
少女が戸惑う中、柊は輪ゴムを人差し指に引っかける。そして、眠目の額へ狙いを定めた。
「ちょ、ちょっと!?」
ぴんっ、と指先から輪ゴムを弾く。輪ゴムは一直線に、眠目の額へと飛んでいった──のだが。
輪ゴムが額を捉える、その寸前。眠目の首が、ほんのわずかに横へ傾いた。輪ゴムは白い髪をかすめることすらなく、そのまま背後の壁へぶつかった。
「──甘いですね。その距離で私を仕留めたいなら、ライフルでも持ち出さないと」
「すっ、すごい……!」
(……ホントに寝てたのかよ、こいつ……)
感嘆する少女とは対照的に、柊は疑いの眼差しを向ける。
眠目はそんな視線など気にも留めず、小さくあくびをすると、手の甲で口元のよだれとドーナツの食べカスを拭った。
「初めまして、宮下 真琴さん。眠目 玲夢です。よろしくお願いします」
「あ、いや。こちらこそ」
宮下は眠目に向かって、深々と頭を下げた。
「どうぞ、そちらにお掛けください。……んっしょっと……」
眠目は部室中央の机を手で示し、宮下に着席を促す。それから、ソファの傍らに立てかけてあった漆黒の杖を手に取ると、ゆっくりと立ち上がった。
「杖……?」
「ああ、お気になさらず。少々、右足が不自由でして」
眠目はまるで大したことではないというように答えた。杖を床につき、ゆっくりと宮下の向かいまで歩いていく。宮下が席につくのを確認してから、眠目も静かに腰を下ろした。
柊は二人に場所を譲るように空いたソファへ移動し、その様子を眺める。
「──さて、宮下さん。昨日、下着を盗まれたという話ですが」
「は、はい……」
「発覚するまでの経緯を、順を追って話してもらえますか?」
「分かりました。えっと……六限が体育だったので、体育館一階の女子更衣室で着替えました。そのあと授業に出て……終わってから更衣室へ戻ったら、私のロッカーの中が荒らされていたんです」
「その時点で、下着がなくなっていることに?」
「はい。荷物を確認して気づきました。用意していた替えの下着がなくなってて……それですぐ、体育の先生に報告しました」
「なるほど。更衣室の鍵は、確か日直が管理しているんでしたよね?」
「はい。日直の女子が最後に鍵をかけて、体育の先生に渡すことになっています。だから授業中は、誰も入れない……はずなのに」
「じゃあ、現場は密室だったってことか。犯人はどうやって更衣室に入ったんだ?」
「さあ? 少し話を聞いただけで分かるわけないでしょう?」
(……いちいち鼻につく言い方だな、こいつ……)
柊は苛立ちを逃がすように、ソファの背もたれへ両腕を広げた。
「それよりも、あなたに伺いたいことが」
「……? なんですか?」
「当然、警察の件です。なぜ、警察への通報を拒むのか?」
「えっ!? えっと……だって、恥ずかしいじゃないですか、下着を盗まれたなんて」
「そうでしょうか? 年頃の女子が下着の盗難に遭った。恥ずかしさより、ショックや不安の方が大きいと思いますが」
「そ、そうですけど……ほら! もしかしたら、私の勘違いで、どこかになくしただけかもしれないし……」
(……? 変だな、今の発言……)
柊は眉をひそめた。宮下は気まずそうに視線を伏せ、落ち着きなく指先を動かしていた。
「……まあ、いいでしょう。もう一つ、伺いたいことがあります」
「な、なんですか?」
「昨日の体育ですが、先生はずっと体育館にいましたか? 途中でどこかへ行ったりは?」
「……あっ! そ、そういえば昨日は、バレーのサーブを自主練習することになって……先生、途中で体育館から出てました!」
「どれくらいの時間です?」
「えっと……授業が始まって、私たちに自主練の指示を出したあとにいなくなって。それで、授業が終わる頃に戻ってきたから……四十分くらいだと思います」
「……なるほど」
「お、おいおい。まさか、その間に鍵を使って更衣室に……?」
「不可能ではありませんね。そもそも鍵を管理していた体育教師なら、施錠された更衣室にも自由に出入りできます」
「そ、そんな……東雲先生は、そんな人じゃないと思います。ちょっと変な人ではあるけど、優しくて……いい先生です」
「あくまで可能性の話です。ひとまず、今ここで聞けるのはこれくらいでしょうか」
「ど、どうでしょうか?」
「まだ何とも言えませんね。また進展があればお伝えします」
「……お願いします」
宮下は席を立つと、深々とお辞儀をし、そのまま部室を後にした。
「……やっぱ、ちょっと変だよなぁ」
「……何がです?」
眠目が含みのある視線で柊を見つめる。まるで、自分が何を言おうとしているのか、すでに見透かされているような気分だった。
「宮下さん、『ロッカーを荒らされてた』って言ってただろ? なのに、警察に通報しない理由を聞いたら、『自分の勘違いで、どこかになくしただけかも』って……おかしくないか?」
「さすがに、あなたでも気づきましたか」
「なんで上から目線なんだよ……」
「まっ、咄嗟についた嘘なので、辻褄が合わなくなってしまった、といったところでしょう」
「嘘って……なんで被害者の彼女が?」
「私に聞かれても、知るわけがないでしょう? とにかく、これからやるべきことは二つ」
「……どうすんだ?」
「一つは現場の確認。女子更衣室が本当に密室だったのか、確かめます」
「……窓から入れたり、みたいな?」
「ええ。そういった別の侵入経路がなかったかを調べます。そしてもう一つ。体育教師の東雲先生から、昨日の行動を聞き出します」
「ああ。まあ犯人候補だしな」
「それでは、まずは女子更衣室から調べましょうか。柊さん。職員室へ行って、鍵を借りてきていただけますか?」
「鍵って、俺がかよ!? 女子更衣室の鍵だろ!?」
「……? 何か問題でも? 私は歩くのが嫌いなので、できればあなたに取りに行っていただきたいのですが」
柊は視線を下に落とす。漆黒の杖が部屋の明かりに反射して、きらりと光っている。
「ぐっ……わ、分かったよ」
柊は観念したように額へ手を当てた。そんな彼を、眠目はきょとんとした顔で見つめている。
「……行ってくる」
「ええ。私は一足先に、女子更衣室へ向かっておきます。部屋の前で落ち合いましょう」
「はいはい……はぁ……」
柊は小さくため息をつき、職員室へ向かった。




