第1話 【睡眠部の眠り姫】
「し、下着泥棒!?」
「ああ」
西園寺 彩華は淡々と答えると、細い指でティーカップを持ち上げた。艶やかな長髪を背に垂らし、悠然と紅茶を一口。
その向かいでは、生徒会書記の柊 蓮司が目を見開き、今にも机を乗り越えそうな勢いで身を乗り出している。
「い、いつ……?」
「つい昨日のことだよ。六限目の体育の授業中に、盗み出されたそうだ」
「けっ、警察には?」
「うむ。職員会議でもそういう話にはなったらしいが──どうやら本人が、警察を呼んでほしくないと訴えているらしい」
「はぁ……それで生徒会が?」
「ああ、そういうことだ。一つ、よろしく頼む」
「あ、あのですね、会長。俺は別に、刑事でも探偵でもないんですよ。そんな事件、解決できるわけ──」
「そうそう、これを渡しておかないと」
(聞けよ!!)
西園寺は机の上に置かれていたペーパーボックスを手に取り、柊へ差し出した。
「……なんです? これ」
「それを持って、『睡眠部』の部室へ向かってくれ」
「睡眠部……? なんですか、その人をバカにしたような部活は?」
「行けば分かる。じゃあ、よろしく頼むよ。私は忙しいからね」
そう言うと、西園寺は椅子を回して窓の方へ向き直り、再び優雅に紅茶を口に運んだ。
(……ホントに忙しいのか? この人……)
柊は訝しげにその背中を見つめる。しかし、西園寺が振り返る様子はない。
「……はぁ」
諦めたように息を吐き、柊はペーパーボックスを抱えて生徒会室を後にした。
* * *
「…………」
柊は黙って扉に貼られた紙を見つめる。そこには、はっきりと『睡眠部』の三文字が記されていた。
(……ホントにあるのかよ、こんなふざけた部活が)
呆れ半分、疑念半分といった様子で、柊はドアノブへ手を伸ばし、ゆっくりと扉を開いた。
「──!」
──思わず、その場で足が止まった。扉の先にあったのは、小さな部室だった。両脇の壁には本棚が並び、その中には隙間なく本が収められている。
そして、部室の奥。学校の備品とは到底思えない、茶色の重厚なソファが置かれていた。そこに一人の女子生徒が身を預け、すやすやと眠っている。
(き、綺麗な子だな……)
──思わず見惚れてしまいそうになる。
透き通るような白い肌に、整った目鼻立ち。肩にわずかにかかる艶やかな白髪。小柄な体つきで、身長は百五十センチ前後といったところだろうか。
柊は静かに扉を閉めると、恐る恐る少女へ歩み寄った。起きる気配はない。すーすーと穏やかな寝息を立てながら、時折こくりと首を揺らしている。
「…………」
すぐそばまで近づいた柊は、その場で足を止めた。
──そして、何を思ったのか。艶やかな白い髪へ、そっと手を伸ばす。その指先が髪に触れようとした、そのとき──
「──本人の同意なく身体に触れる行為は、迷惑防止条例等に抵触する可能性があります。さらに、行為の態様によっては刑法第百七十六条、不同意わいせつ罪。法定刑は六か月以上十年以下の拘禁刑です」
「うわぁ!?」
柊は唐突に目を見開いた少女に驚いて、ペーパーボックスを取り落とし、その場に尻もちをついた。少女はソファに座ったまま、軽蔑の眼差しで柊を見下ろす。
「やれやれ。人の寝顔をじろじろ眺めた挙げ句、今度は髪に触れようとするとは。魅力的すぎるというのも、考えものですねぇ」
「お、起きてたのか……」
「いえ、眠っていましたよ。あなたが私の半径一メートル以内に近づいたところで目覚めました」
少女はふわぁ、と眠たげなあくびを漏らした。それから手の甲で目元をごしごしと擦る。先ほどまで冷ややかな視線を向けていた人物とは思えない、まるで寝起きの猫のような仕草だった。
「……私の特殊能力ですよ。睡眠中、私に危害を加えようとする人間が接近すれば、自動的に目が覚めるんです」
「き、危害? い、いやいや! そんなつもりじゃなくて!!」
「じゃあどんなつもりで私の髪に触れようと?」
「ぐっ……そ、それは……」
「……まぁいいでしょう。それより、何のご用です? 部員は募集しておりませんが?」
「い、いや。そうじゃなくてだな──」
* * *
「……なるほど。それで睡眠部を訪ねろと?」
「ああ。俺もよく分からねーまま来ちゃったけど、何か知ってるか?」
「ええ。大方、私に事件を解決させるつもりなんでしょうね。いつものことです」
「え!? か、解決って……」
(……この子が? それに、いつものことって……)
「……柊 蓮司さん。二年になってから、この霞池高校に転校してきたあなたはご存じないかもしれませんが。実は私、警視総監の娘でして」
「……へぇ。そりゃすごいな」
(……つーかなんで俺の名前知ってんだ?)
「『つーかなんで俺の名前知ってんだ?』といった顔ですね。そりゃあ、転校生を紹介する場で、あんなに無様に狼狽える姿を目にすれば、嫌でも覚えますよ」
「ぐあああああ!! しっ、仕方ないだろ!! 俺の元いた高校の五倍ぐらい生徒がいんだから! あんな大勢の前で話すの、初めてだったんだよ!!」
「……まっ、そんなことはどうでもいいとして。さっきの続きですが」
(……どうでもいいなら、人の古傷を抉るな!)
「以前、寝る前の暇つぶしに、いくつか父から聞いた事件の謎を解いたことがありまして。その噂を聞きつけた生徒会長が、それ以来、学校で起きた厄介事を私のところへ持ち込むようになったんです」
「な、なるほど」
(寝る前の暇つぶしにって……嘘くさいなぁ)
「……疑っていただいて結構です。私はその依頼を受けるつもりはないですから」
「え? な、なんで?」
「なんでも何も、私にメリットがないでしょう? 私は部活で忙しいので、帰ってもらえますか?」
(部活って……もしかして、寝るだけか?)
「ま、まぁそういうことなら。無理に頼むわけにもいかないし。会長には断られたって報告するよ」
そう言って、柊は床に落としてしまったペーパーボックスを拾い上げると、扉へ向かった。
「──ちょっと待ってください! そ、その箱は?」
先ほどまで眠たげだった少女が、なぜか食い入るようにペーパーボックスを見つめている。
「ん? ……ああ、これか? なんか会長が持ってけって」
「な、中身は何です?」
「中身? ……そういや何が入ってんだろ。俺も知らねぇんだよな」
柊はペーパーボックスを部室中央の机に置くと、ぱかっと蓋を開けた。
「おおっ! これ、あれじゃん。今話題の『もっちりん』ってやつ? いわゆる幻のドーナツ。一回食ってみたかったんだよな」
「え!?」
「ちょうど小腹が空いてたし、自販機でジュースでも買って食うか」
柊はそう言って箱の蓋を閉じると、ペーパーボックスを抱え、再び扉へ向かった。
「ま、待って!! ……ください」
「な、なんだよ?」
「え、えっと……ま、まぁその。ちょうど目も覚めちゃいましたから? 依頼、受けてやらんこともないですよ?」
「え? ああ、それは助かる……のかな?」
「そっ、その代わり! その……ドーナツを譲ってください。頭を使うのに、糖分が必要になりますから」
「ああ、うん。まぁ、俺のじゃないし。いいよ」
「っ!」
柊が頷くと、少女の瞳がぱっと輝いた。
(……ま、要するにそういうことか。食えない人だな、あの人も)
──どうやら西園寺は、こうなることまで見越していたらしい。
柊がペーパーボックスを手渡すと、少女は子どものように目を輝かせながら蓋を開け、ドーナツの入った容器を膝の上に置いた。
「──ああ、そうだ。申し遅れました。眠目 玲夢。あなたと同じ二年生です。以後、お見知りおきを」




