第15話 【デジャヴ】
「音無さん。この現象について、何かご存知ですか?」
「…………」
「……?」
音無は何も答えなかった。ただ呆然と、その場に立ち尽くしている。
空中には、次々と文字が浮かび続けている。そこに表示される文面はどれも、誰かを非難し、罵るようなものばかりだ。
「……プログラムがバグったとかか?」
「う〜ん。そんな単純な感じには見えませんけどね〜」
「…………」
眠目は、宮下へ視線を向けた。宙に浮かぶ文字を眺めていた宮下は、その視線に気づいて眠目へ向き直る。
「どうかしましたか? レム先輩」
「……宮下さん。これは、あなたのゲームではないんですか?」
「えっ? 違いますよ〜? 普通に考えて、一ゲストにすぎない私が、こんな大掛かりな仕掛けを用意できるわけないじゃないですか」
「……そうですか」
眠目はそれ以上追及せず、再び空中の文字へ目を向けた。すると──
「──!」
無数に浮かんでいた文字が、一つ、また一つと消えていく。そして、しばらくすると──そのすべてが跡形もなく消え去った。
「なになに?」
「例のイベントか?」
「なんか、デジャヴ感じたんだけど」
周囲がざわめき始める。眠目はその喧騒に耳を傾け、僅かに眉をひそめた。
「……デジャヴですか。言われてみれば──」
「誰かああああーー!!」
「……?」
考える間もなく、女性の叫び声がフードコーナーに響き渡った。声のほうを見ると、一人の女性が、血相を変えて走ってきている。
「どうされました!?」
音無がすぐさま声をかける。女性は音無のもとへ駆け寄ると、膝に手をつき、荒い息を整えた。
「ひ、人が……」
「……?」
「人が、刺されてて……!」
「え!?」
「さ、刺されたって……マジかよ……」
柊の顔から血の気が引く。一方眠目は、表情一つ変えず、女性へ身体を向けた。
「うお〜!! 事件!? 事件発生ですかぁ〜!?」
「お、お前……」
興奮する宮下を、柊は完全に引いた顔で見つめる。
だが女性には、そんなやり取りなど耳に入っていないようだった。荒い呼吸を繰り返しながら、必死に言葉を続けようとしている。
「で、でも……! ち、血が出てなくて……」
「……血が出ていない? それは、いったい……」
眠目が訝しげに眉を寄せる。しかし、女性は返事をする余裕すらないようだった。
「と、とにかく、わたくしはほかのスタッフを呼んで参ります。それと、警察と救急車を──」
「あ、それなら私たちが呼んでおきますよ〜」
宮下がぴょんぴょんと飛び跳ねながら、手を上げた。
「……すみません、お願いします」
音無は小さく頷くと、急ぎ足でフードコーナーを後にした。
* * *
しばらく経った頃。生徒たちは、海洋エリアへ集められていた。ARコンタクトレンズはすでに外しており、先ほどまで頭上を泳いでいた色鮮やかな魚たちも、今は跡形もなく消えている。
引率の教師たちは、慌ただしく話し合ったり、どこかへ電話をかけたりしている。
一方、生徒たちの間からは、ひそひそと囁き合う声があちこちから聞こえてきた。怯えている者もいるが、それ以上に多いのは、非日常的なイベントに浮き足立っている者たちだった。
「…………」
柊、眠目、宮下の三人は、少し離れた場所で黙って立っていた。柊はげっそりと青ざめている。それに気づいた宮下が、横から顔を覗き込んだ。
「……蓮司くん、体調悪いの?」
「い、いや……」
「顔色悪いけど?」
「……俺、こういうの無理っていうか……苦手なんだよ」
「こういうのって、事件のこと?」
「ああ……色々想像しちゃうんだよな。家族はどんな顔でこのことを聞くんだろう、とか……もし自分の周りの人間がこうなったら、とかな」
「なるほどなるほど。共感はできないけど、言いたいことは分かるよ。蓮司くん、意外と感受性豊かなんだね〜」
宮下は目を閉じ、腕を組んだまま何度か頷いた。一方、眠目は教師陣の様子をじっと窺っている。やがて何も言わず、そちらへ向かって歩き出した。
「レム先輩?」
宮下が目を丸くし、その背中を見つめる。そして──
「うおっ!? お、おい! なんだよ!? 引っ張るな!」
「いいから、来て来て〜」
宮下は柊の腕を強引に引っ張り、眠目の後を追った。
「──すみません、少しだけ待っててください。……どうしたの? ちょっと今、忙しいんだけど」
教師の一人が三人へ目を向ける。教師は電話をとっており、今は生徒に構っている余裕などないといった様子だ。
「すみません。お手洗いに行きたいのですが」
「あ、私もです〜。蓮司くんもだよね?」
「あ? いや、俺は別に──」
「トイレね。じゃあ、誰か付き添いの先生を──」
「いえいえ、大丈夫ですよ。すぐに戻ってきますから」
眠目は丁寧に頭を下げると、そのまま集団を離れた。
「…………」
教師は一瞬その背中を目で追ったものの、すぐに電話へと意識を戻してしまった。
「ほら、蓮司くんも行くよ〜。連れション連れション」
「だから引っ張るな! つーか、なんで俺まで──」
柊の意思などお構いなしに、宮下は彼を半ば引きずるようにして、眠目の後へ続いた。
* * *
三人は、中世ヨーロッパエリアまで来ていた。通路には黄色い規制線が張られ、その向こうを何人もの警察官が慌ただしく出入りしている。
「お、おい。トイレは?」
「急に尿意がおさまったので、散歩してるんですよ。ね、先輩?」
「…………」
「まずいだろ。勝手に出歩いたら……」
「さすがにあの中へ入るのは無理そうですね〜。死体、見てみたかったのに〜」
「俺は見たくねぇよ……。もう戻ろうぜ?」
「…………」
「あっ! 先輩!?」
眠目は二人の会話など耳に入っていないかのように、一人で規制線へ向かって歩き出した。
「……ふふっ。どうするんだろ〜? 蓮司くん、行くよ〜」
「えぇ……」
宮下も楽しげにその後を追う。柊も渋々、二人の後へ続いた。
眠目が規制線まで近づくと、立っていた警官がすぐに気づいた。
「キミ! 何をしている? ここは今、関係者以外立ち入り禁止だ。さあ、戻って」
「…………」
「……ん? キミは……」
警官は眠目の顔をじっと見つめ、やがてその視線を杖へと滑らせた。
「眠目 玲夢です。こんにちは」
「眠目……? ……なるほど」
何かを察したらしく、警官は困ったように眉をひそめる。
「よろしければ、中に入れていただけませんか?」
「い、いやいや! そういうわけにはいかないよ」
「まあまあ、そう堅いこと言わずに〜。ほんのちょっと見学するだけですから〜」
宮下がひょっこりと眠目の背後から顔を覗かせた。
「キミは……?」
「レム先輩の助手です! ちなみに、こっちの男の子は私の助手です!」
「……はーい。助手の助手でーす」
柊は両手をポケットに突っ込んだまま、気だるそうに歩いてくる。
「……とにかく。誰であろうと、関係者以外は入れられない。おとなしく──」
「──仔猫ちゃん。まーたイタズラしに来たのか?」
「……?」
警官の背後から、気の抜けた男の声がした。薄緑色のコートを羽織った男がこちらへ歩いてくる。
軽薄な口調とは対照的に、その肌は透けるように白く、顔立ちも女性と見紛うほど整っていた。
「──お久しぶりです。明智 三郎警部補」
眠目は薄く笑い、明智へ向かって軽やかにカーテシーをしてみせる。礼儀正しい所作とは裏腹に、その表情にはどこか挑発的な色が滲んでいた。




