第10話 【月見ヶ原ARミュージアム】
「いや〜。楽しみだね〜、蓮司くん!」
柊、眠目、宮下の三人は、バスの最後列に座っていた。宮下が中央。その両脇に、柊と眠目が腰を下ろしている。
もっとも、眠目は席に着くなり、さっさと眠りについてしまった。すーすーと規則正しい寝息が、二人の耳に届いている。
「……楽しみっつってもなぁ。俺、あんまよく分かってないんだよな。その……ARミュージアム? ってやつ」
「え〜、知らないの〜? めちゃくちゃ話題になってるのに。有名なインフルエンサーとかも招待されて、動画上げたりしてるよ〜? 見たことない?」
「有名なインフルエンザ? ……そういや最近流行ってるらしいな。まあ俺、生まれてこの方、風邪なんて引いたことねぇけど」
「うわぁ……蓮司くん、もしかして絶滅危惧種? 今どきインフルエンサー知らない人とかいるんだ……」
「あ? どういう意味だ?」
「おっけ〜! ならここは、真琴ちゃんが一肌脱いでやろう! 月見ヶ原ARミュージアムについて、この私が教えてあげる〜!」
(一肌脱ぐ前に、そのコスプレを脱げよ……)
「Augmented Reality。日本語では、拡張現実。簡単に言えば、現実の風景にデジタル情報を重ねて表示する技術だよ。たとえば……スマホをかざしたら、目の前の景色にゲームのキャラクターが現れる──みたいなやつ」
「あー。なんかそういうゲーム流行ってたよな。モンスター捕まえるやつ」
「そうそう、そーゆーの! 他にも、グラスをかけて、目の前の空間に映像を浮かび上がらせたりね。画面がなくても、その場で映画を見たりできるの」
「へぇ、それいいな。寝っ転がったまま映画見れんじゃん」
「で、で! そんなAR技術の粋を集めた施設こそ、ここ月見ヶ原市に建てられた、月見ヶ原ARミュージアム! 専用のレンズを通して、いろんなARの世界を実際に歩いて体験できるんだよ〜!」
「いろんなって、例えばどんな?」
「そ・れ・は──行ってからのお楽しみってことで〜!」
「……なんだよ、もったいぶるなぁ」
不満げな柊をよそに、宮下はスマホを取り出し、何やら操作を始める。そして──
「えーっと……あったあった。よいしょっと……」
「──っ!?」
──唐突に、宮下が柊のすぐ隣まで身を寄せてきた。二の腕が触れ合い、思わず身体が強張る。
(ち、ちけぇ……!)
しかも、ふわりと甘い香りがした。桃を思わせる、柔らかな匂いだ。
そんな柊の動揺など知る由もなく、宮下はスマホの画面をこちらへ傾ける。
「──ほら、この人。霞池大学工学部教授、氷室 豪。この人が、月見ヶ原ARミュージアムの館長だよ。蓮司くん、“ARコンタクトレンズ”って知らない?」
「し、知らね……」
「コンタクトを装着すると、レンズ内部の超小型デバイスから光が送られて、視界にデジタル映像を表示できるの。普通のコンタクトみたいにつけるだけで、現実の景色にいろんなものを出現させられるんだよ〜。ね、すごいでしょ〜?」
「へ、へぇ……」
「……? なんか反応薄いね?」
「い、いやいや! す、すげーな!!」
「でしょでしょ!? 最近じゃ医療分野での活用も研究されてるらしいよ〜。たとえば手術中に、患者さんのバイタルデータを空中に表示したりとかね」
何のつもりか、宮下はさらに柊へ身を寄せてきた。──腕に、柔らかな感触が触れる。
「そ、そそ、そうか。ふ、ふーん……」
(だ、だめだ……な、何も頭に入ってこねぇ……)
「そのレンズを開発したのが、この氷室 豪。今じゃAR技術開発の第一人者として、一躍時の人になってるんだ〜」
「…………」
「この技術がもっと発展すれば、ゆくゆくはスマホなんていらない世界になったり……二次元の存在と一緒に暮らす──なんて未来も来るかもね」
「二次元の存在……アニメとかゲームのキャラと、一緒に暮らせるってことか」
「そゆこと。蓮司くんみたいに、三次元の女の子相手にドギマギしちゃう男の子には、朗報だね〜」
「は!? お、お前……!」
「あーっはっはっはっ!!」
宮下は腹を抱えて笑い出した。その勢いで帽子がずり落ちそうになり、右手で押さえる。
「ごめんごめん! 近づいたときの反応があまりに面白かったからさぁ! あーはっはっはっ!!」
(こ、この女っ……!)
柊が睨みつけても、宮下はまるで悪びれる様子がない。ひとしきり笑ったあと、ようやく身体を離し、元の位置へ座り直した。
「……騒がしいですね。仲がいいのは結構なことですが」
冷ややかな声が二人の間へ割って入る。声の方を見ると、眠目が薄く目を開け、こちらへ視線を向けていた。
「あ、レム先輩。起こしちゃいました?」
「いえ。そろそろ到着する頃なので、目を覚ましただけですよ」
「到着? ……あっ、ほんとだ〜!」
「お、おいっ……!」
宮下は何の遠慮もなく、柊の身体を乗り越えるようにして窓際へ身を乗り出した。その向こうには、ガラス張りの巨大な建物が見え始めている。
「学校からの移動時間を調べて、この時間に目覚めるよう設定しておきましたから」
「設定って……体ん中にタイマーでもあんのかよ……」
「自分で目覚めないと、起こすことを口実にして勝手に身体へ触れようとする不届き者がいますからね」
「あー、いますよねぇ。そういう人」
宮下は柊の身体をまたいだまま、すっと柊へ視線を向けた。
(……やっぱ一人で回ろうかな、俺……)
「……冗談はさておき。柊さん」
「なんだ?」
「その子……宮下さんが何か妙な行動を取っていたら、私に教えてください」
「妙な行動?」
「ええ。普段と様子が違うとか、突然いなくなったとか。そういうことです」
「……?」
「せ〜んぱ〜い。先輩のほうこそ、私を何だと思ってるんですかぁ? 妖怪みたいな扱いしないでくださ〜い」
宮下は頬を膨らませながら、柊の腕に抱きついた。
「お、おい! 離れろ!」
「え〜? なんで〜?」
「…………」
眠目は薄く開いていた目を閉じ、静かに息を吐く。
「……どんな怪異よりも、本当に恐ろしいのは人間ですから」
「ぷっ……! なにそれ〜、かっこいい〜。レム先輩、アニメのキャラみたいですね〜」
宮下はからかうような笑みを眠目へ向けた。
(……なんだこの状況。つーか、いつまでひっついてんだこいつ……)
柊が居心地悪そうに眉をひそめていると、バスは駐車場へと入り、ゆっくりと停止した。
「よしよ〜し、着きましたね〜。楽しみですね〜!」
宮下はぱっと身体を起こし、柊から離れた。
「……俺は不安のほうが大きくなったけどな」
「あー、そっか。怖いよねぇ──コンタクトレンズ目に入れるの」
「そのことじゃねーよ!!」




