フルダイブ・ディストピア
2030年、世界を震撼させる新型VRゲーム機が発売された。
従来の煩わしいゴーグル型とは一線を画す、画期的な「マットレス型」のデバイスだ。
ベッドに敷いてその上に横たわると、特殊な素材が全身を優しく包み込む。
視覚や聴覚だけでなく、触覚や嗅覚まで、五感のすべてをデジタル空間に同期させることで、文字通り「異世界にトリップした」かのような圧倒的リアルを味わえるという。
しかも、電源を切れば最高級のマットレスとしてそのまま就寝に使えるため、狭いワンルームでも場所を取らないのが独り暮らしにはありがたかった。
値段は目玉が飛び出るほど高額だったが、俺は数ヶ月間、死に物狂いで稼いだバイト代をすべてつぎ込み、ついにこれを手に入れた。
届いたその日、逸る心を抑えきれずにマットレスをベッドにセットする。
PCからダウンロードしたゲームデータをメモリカードに移し、本体のインジェクションスロットに差し込んだ。
「よし、いくぞ……」
枕元にある起動スイッチを押す。
途端、マットレスが生き物のようにうねり、俺の身体を繭のように包み込んでいった。
じわリと温かい感触が全身を巡り、目の前が真っ暗になる。
数秒の静寂。
やがて、身体を拘束していた圧迫感が、波が引くようにすうっと消えていった。
ゆっくりと目を開ける。
「……なるほど。憎い演出だな」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井――ではなく、激しくひび割れたコンクリートの天井だった。
ゲームのスタート地点が「自分の部屋のベッドの上」を模しているのだろう。
ニヤリと笑いながら俺は起き上がり、あたりを見回した。
それにしても、五感の再現度が凄まじい。
壁や天井のいたるところに大きな穴があいており、そこから吹き込んでくるすき間風が、肌をチクチクと刺すように冷たい。
鼻を突くのは、雨漏りでカビたようなコンクリートの饐えた匂いだ。
「中々雰囲気があるじゃないか。世紀末系のダークファンタジーか?」
確かこのゲームは、剣と魔法を駆使して敵と戦う王道のRPGだと聞いていた。
ただ、ネタバレを嫌って前情報をほとんど仕入れていなかったため、初期の武器やステータスの確認方法がわからない。
没入感を売りにしているだけあって、視界の端にHPゲージやメニューボタンの類は一切表示されていなかった。
仕方ない。この手のゲームの「お約束」を試してみるか。
誰もいない室内で、こほんと一つ咳払いをする。
少し格好をつけて、声を張り上げた。
「――ステータス、オープン!」
……静寂。
風の音だけが虚しく響く。
青い半透明のウィンドウが現れる気配は、微塵もなかった。
数秒後、誰も見ていないというのに、猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきて耳の裏まで熱くなった。
「おかしいな……。音声認識じゃないのか?」
いつまで待ってもナビゲーションの妖精が現れたり、チュートリアルが始まる気配がない。
「ひとまず外に出てみるか」と思い、崩れかけたドアの枠をくぐって屋外へ足を一歩踏み出した。
言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、見渡す限りの廃墟の山だった。
高層ビルはへし折れ、道路は爆撃を受けたかのように爆ぜ、草木は一本も生えていない。
どこまでも灰色で、生き物の気配がまったくしない、文字通りの死の世界。
「おいおい……どうなってるんだよ。バグか? こんなことなら、もうちょっと攻略wikiでも読んでおけばよかった……」
呆然としながらも、何かしらのイベントフラグを求めて、乾いた砂地へさらにもう一歩を踏み出す。
その瞬間、頭上から、鼓膜を直接震わせるような硬質な機械音が響いた。
『警告。ターゲットを捕捉。……照合完了。本日は2066年6月6日。地球防衛戦線の自動休眠ポッドより、新たに生存者1名が覚醒した事を確認。――人類種はすべて、抹殺します』
「え……?」
思考がフリーズした俺の視界を、赤黒い無数の光線が埋め尽くした。
熱さを感じる間もなく、俺の身体は光の束に貫かれていた。




