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神様がくれたチャンス

部屋の壁に、扉が一つ増えていた。


一人暮らしをしている、8畳1間のワンルーム。

テレビの向かい側の壁にあるはずの、女性アイドルのポスターが消え、代わりに木製の扉が佇んでいた。


種類はオークのブラウン色。

どこにでもある普通の扉だが、今朝家を出るまではこんなものはなかったはずだ。


(誰かが勝手に入って取り付けたのか!? こわすぎる……意味がわからない……)


とりあえず警察か大家に連絡するべきか。

そう思いスマートフォンに手を伸ばしかけたが、好奇心が勝って動きが止まる。


(ちょっと開けてみるか……。もしかしたら、どこか異世界にでもつながっているのかも……)


まだ少年心の抜けない僕は、おそるおそるドアノブに手を伸ばした。


ガチャリ……。


ドアノブはすんなり回った。

そのまま扉を引くと、突如として眩い光が全身を包み込んだ。



……気がつくと、僕はいつものベッドの上に寝転んでいた。

壁に目を向けるが扉はなく、ポスターの女性アイドルがいつも通りこちらを見つめている。


(夢だったのか……? 変な夢だな……)


ベッドから起き上がり、ふとテレビの前のローテーブルに目をやると、1週間前に失くしたはずのキーケースが置いてあった。


(あれ? おかしいな……。なんでこんなところに。昨日までなかったはずなのに)


買ったばかりだったキーケースをすぐに失くしてしまい、落ち込んでいた記憶は新しい。

それがこんなにあっさり見つかるなんて。

僕はキーケースを手に取り、ポケットに押し込んだ。


そのとき、ベッドの上のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。

画面を見ると、大学の友人であるマサシからだった。


「もしもし」

「よう、ヒロト! 今暇か? 飲みに行くからいつものとこに来いよ!」

「はあ? 今何時だと思って……」


ローテーブルのデジタル時計に目をやると、時刻はすでに19時を過ぎていた。


(あれ? さっきまで昼間だったはずなのに、ずっと眠っていたのか……?)


「どうした?」

「いや……なんでもない。いつもの店な。すぐ行くわ」


通話を切ると、次の瞬間にスマートフォンの画面が真っ暗になった。


(うわ、充電が切れたか! 挿し直している暇はないし、このまま行くか……)


念のため、電源の落ちたスマートフォンをポケットに入れて家を出る。

通っている大学の近くに部屋を借りていたため、いつもの居酒屋もすぐそばにある学生御用達の大衆居酒屋だ。


歩いて5分ほどの店に入ると、馴染みの店員が声をかけてくれた。


「いらっしゃいませ! あちらの席でお待ちですよ」


軽く会釈をして案内された席へ向かう。

するとそこには、先ほど電話をかけてきたマサシと、その向かいに僕の憧れの人、ミサキちゃんが座っていた。


「え!? ミサキちゃん!? なんでいるの!?」

「なんでいるのってなによ。いたっていいでしょ?」

「え? だってミサキちゃんは……」


たしかミサキちゃんは、ついこの間、留学でアメリカに行ったばかりのはずだ。

具体的な期間は聞いていなかったが、しばらく会えなくなると言っていたし、まだ数日しか経っていないはずなのに。


「まあまあ! とりあえず座れよヒロト! 乾杯してから話そうぜ!」


マサシに促され、自分が立ったままだったことに気づく。

とりあえずマサシの隣に腰掛け、店員に注文を伝えた。


「それじゃあ、乾杯!」「乾杯!」


グラスを合わせる。キンキンに冷えた生ビールが喉を駆け抜けていく。


「それにしてもさあ……」


お調子者のマサシは、いつも通り喋り出すと止まらない。

だが、僕の頭はそれどころではなかった。


あの不思議な扉、失くしたはずのキーケース、そして目の前にいるミサキちゃん……。

何かおかしい。

もしかして、あの扉を開けたのは夢ではなく現実だったとしたら?

あり得ないことが重なっている。あの扉を開けた影響で、僕は過去にタイムスリップしているんじゃないか?


「……おい! ヒロト! 聞いてるか!?」

「……え!? あ、ごめん、なに?」

「また考え事かよ。お前、その考え出したら周りが見えなくなる癖、どうにかしろよな」

「あと思い込みの激しいところもね」


ミサキちゃんも楽しそうに笑う。


「あ……ああ、ごめん。それで、なんの話だっけ?」


マサシの話が再開したが、頭の中の疑問は消えない。

そのまま考え込んでいるうちに、あっという間にお開きの時間になってしまった。


「じゃあ俺、明日早いからそろそろ帰るわ」

「私たちも帰ろうか」

「う、うん」


3人で店を出る。

マサシのアパートは、僕たちとは逆方向だ。


「じゃあな、ヒロト! ミサキちゃんを駅まで送ってやれよ!」

「ああ、任せろ。じゃあな」

「ばいばーい」


ミサキちゃんは地下鉄通学だ。

僕のアパートの方向に駅があるため、いつも彼女を駅まで送るのは僕の役目だった。


そこで、ふと思う。

あの日――ミサキちゃんが留学する前夜、同じように3人で集まった時、僕は結局気持ちを伝えられなかった。

もしかしたらこれは、神様がくれた過去をやり直すチャンスなのかもしれない。


「どうしたの? ヒロトくん」

「あ……あの! ミサキちゃんに言いたいことがあるんだ!」

「なあに?」

「じ、実は俺、ミサキちゃんのことが好きなんだ! 付き合ってください!!」


勢いよく頭を下げる。

心臓がうるさいほど脈打っていた。

そろそろと顔を上げると、ミサキちゃんが愛おしそうな笑顔で僕を見つめていた。


「やっと言ってくれた。ずっと待ってたんだよ」

「えっ……ということは……」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


帰り道は、ステップを踏みたいくらいに浮かれていた。

周りから見たら相当怪しい不審者だったに違いない。


アパートの部屋に入ると、またあの壁に例の扉があった。


(これを開ければ、また現代に戻れるのかな。そうすれば、僕はミサキちゃんと付き合っている世界線に……)


今度は躊躇なくドアノブを掴み、思い切り引き絞った。

再び、あの眩い光が視界を埋め尽くす。



気がつくと、僕はまたベッドの上に横たわっていた。

あの扉は消え、相変わらずポスターのアイドルがこちらを見つめている。


「やった……! 戻ってきたぞ!」


これで歴史は変わったはずだ。

僕は弾かれたように起き上がり、急いでスマートフォンを充電器に挿して起動した。

すぐにミサキちゃんとのメッセージ画面を開く。

しかし、付き合っているような形跡はどこにもなく、最後に交わしたそっけないやり取りが残っているだけだった。


「……なんで? 歴史は変わっていないのか?」


あんなに上手くいったのに。ミサキちゃんは確かに僕の告白を受け入れてくれたのに。

絶望のあまり、僕はローテーブルの前にへたり込んだ。


ピンポーン。


そのとき、部屋のチャイムが鳴った。ドアを開ける。


「お届け物です。サインをお願いします」


何か頼んでいたっけ……と首をかしげながら、手渡された小包を開封する。

するとそこから、失くしたはずのキーケースが出てきた。


ゾワリと、背筋に冷たいものが走る。

僕は「1週間前に失くしたキーケースがテーブルにある」から、そして「まだミサキちゃんが日本にいる」から、過去に戻ったのだと思い込んでいた。


違う。

あの時、テーブルの上にあったのは、僕が「これから使い始める予定の、新しく買い直したキーケース」だったんだ。


じゃあ、ミサキちゃんの留学は?

彼女はついこの間、アメリカへ行った。

僕はそれを勝手に「しばらく会えない長期の留学」だと思い込んでいたけれど、本人はそんなこと一言も言っていない。

ただの短期研修か旅行のようなものだったんだ。


だとすれば、あの居酒屋での飲み会は……。


マサシの『今暇か? 飲みに行くからいつものとこに来いよ!』というあの電話は、過去の誘いなんかじゃない。

留学から帰国したミサキちゃんの「おかえり会」の誘いだったんだ。


「僕が行っていたのは、過去じゃなくて未来だったのか……」


『お前その考え出したら周りが見えなくなる癖、どうにかしろよな』

『あと思い込みの激しいところもね』


幻聴のように、2人の呆れたような笑い声が耳の奥で響いた。

本当にその通りだ。僕は過去をやり直したわけじゃない。

「最高の未来」を、ちょっとだけフライングして覗いてきただけだったのだ。


手元にある、まだ革の匂いが新しい、戻ってきたキーケースをぎゅっと握りしめる。


「……よし」


歴史は変わっていなかった。いや、これから変えるのだ。

僕はスマートフォンを操作し、待ち受ける最高の未来に向けて、ミサキちゃんへ留学の応援メッセージを打ち始めた。


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