神様がくれたチャンス
部屋の壁に、扉が一つ増えていた。
一人暮らしをしている、8畳1間のワンルーム。
テレビの向かい側の壁にあるはずの、女性アイドルのポスターが消え、代わりに木製の扉が佇んでいた。
種類はオークのブラウン色。
どこにでもある普通の扉だが、今朝家を出るまではこんなものはなかったはずだ。
(誰かが勝手に入って取り付けたのか!? こわすぎる……意味がわからない……)
とりあえず警察か大家に連絡するべきか。
そう思いスマートフォンに手を伸ばしかけたが、好奇心が勝って動きが止まる。
(ちょっと開けてみるか……。もしかしたら、どこか異世界にでもつながっているのかも……)
まだ少年心の抜けない僕は、おそるおそるドアノブに手を伸ばした。
ガチャリ……。
ドアノブはすんなり回った。
そのまま扉を引くと、突如として眩い光が全身を包み込んだ。
◇
……気がつくと、僕はいつものベッドの上に寝転んでいた。
壁に目を向けるが扉はなく、ポスターの女性アイドルがいつも通りこちらを見つめている。
(夢だったのか……? 変な夢だな……)
ベッドから起き上がり、ふとテレビの前のローテーブルに目をやると、1週間前に失くしたはずのキーケースが置いてあった。
(あれ? おかしいな……。なんでこんなところに。昨日までなかったはずなのに)
買ったばかりだったキーケースをすぐに失くしてしまい、落ち込んでいた記憶は新しい。
それがこんなにあっさり見つかるなんて。
僕はキーケースを手に取り、ポケットに押し込んだ。
そのとき、ベッドの上のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。
画面を見ると、大学の友人であるマサシからだった。
「もしもし」
「よう、ヒロト! 今暇か? 飲みに行くからいつものとこに来いよ!」
「はあ? 今何時だと思って……」
ローテーブルのデジタル時計に目をやると、時刻はすでに19時を過ぎていた。
(あれ? さっきまで昼間だったはずなのに、ずっと眠っていたのか……?)
「どうした?」
「いや……なんでもない。いつもの店な。すぐ行くわ」
通話を切ると、次の瞬間にスマートフォンの画面が真っ暗になった。
(うわ、充電が切れたか! 挿し直している暇はないし、このまま行くか……)
念のため、電源の落ちたスマートフォンをポケットに入れて家を出る。
通っている大学の近くに部屋を借りていたため、いつもの居酒屋もすぐそばにある学生御用達の大衆居酒屋だ。
歩いて5分ほどの店に入ると、馴染みの店員が声をかけてくれた。
「いらっしゃいませ! あちらの席でお待ちですよ」
軽く会釈をして案内された席へ向かう。
するとそこには、先ほど電話をかけてきたマサシと、その向かいに僕の憧れの人、ミサキちゃんが座っていた。
「え!? ミサキちゃん!? なんでいるの!?」
「なんでいるのってなによ。いたっていいでしょ?」
「え? だってミサキちゃんは……」
たしかミサキちゃんは、ついこの間、留学でアメリカに行ったばかりのはずだ。
具体的な期間は聞いていなかったが、しばらく会えなくなると言っていたし、まだ数日しか経っていないはずなのに。
「まあまあ! とりあえず座れよヒロト! 乾杯してから話そうぜ!」
マサシに促され、自分が立ったままだったことに気づく。
とりあえずマサシの隣に腰掛け、店員に注文を伝えた。
「それじゃあ、乾杯!」「乾杯!」
グラスを合わせる。キンキンに冷えた生ビールが喉を駆け抜けていく。
「それにしてもさあ……」
お調子者のマサシは、いつも通り喋り出すと止まらない。
だが、僕の頭はそれどころではなかった。
あの不思議な扉、失くしたはずのキーケース、そして目の前にいるミサキちゃん……。
何かおかしい。
もしかして、あの扉を開けたのは夢ではなく現実だったとしたら?
あり得ないことが重なっている。あの扉を開けた影響で、僕は過去にタイムスリップしているんじゃないか?
「……おい! ヒロト! 聞いてるか!?」
「……え!? あ、ごめん、なに?」
「また考え事かよ。お前、その考え出したら周りが見えなくなる癖、どうにかしろよな」
「あと思い込みの激しいところもね」
ミサキちゃんも楽しそうに笑う。
「あ……ああ、ごめん。それで、なんの話だっけ?」
マサシの話が再開したが、頭の中の疑問は消えない。
そのまま考え込んでいるうちに、あっという間にお開きの時間になってしまった。
「じゃあ俺、明日早いからそろそろ帰るわ」
「私たちも帰ろうか」
「う、うん」
3人で店を出る。
マサシのアパートは、僕たちとは逆方向だ。
「じゃあな、ヒロト! ミサキちゃんを駅まで送ってやれよ!」
「ああ、任せろ。じゃあな」
「ばいばーい」
ミサキちゃんは地下鉄通学だ。
僕のアパートの方向に駅があるため、いつも彼女を駅まで送るのは僕の役目だった。
そこで、ふと思う。
あの日――ミサキちゃんが留学する前夜、同じように3人で集まった時、僕は結局気持ちを伝えられなかった。
もしかしたらこれは、神様がくれた過去をやり直すチャンスなのかもしれない。
「どうしたの? ヒロトくん」
「あ……あの! ミサキちゃんに言いたいことがあるんだ!」
「なあに?」
「じ、実は俺、ミサキちゃんのことが好きなんだ! 付き合ってください!!」
勢いよく頭を下げる。
心臓がうるさいほど脈打っていた。
そろそろと顔を上げると、ミサキちゃんが愛おしそうな笑顔で僕を見つめていた。
「やっと言ってくれた。ずっと待ってたんだよ」
「えっ……ということは……」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
帰り道は、ステップを踏みたいくらいに浮かれていた。
周りから見たら相当怪しい不審者だったに違いない。
アパートの部屋に入ると、またあの壁に例の扉があった。
(これを開ければ、また現代に戻れるのかな。そうすれば、僕はミサキちゃんと付き合っている世界線に……)
今度は躊躇なくドアノブを掴み、思い切り引き絞った。
再び、あの眩い光が視界を埋め尽くす。
◇
気がつくと、僕はまたベッドの上に横たわっていた。
あの扉は消え、相変わらずポスターのアイドルがこちらを見つめている。
「やった……! 戻ってきたぞ!」
これで歴史は変わったはずだ。
僕は弾かれたように起き上がり、急いでスマートフォンを充電器に挿して起動した。
すぐにミサキちゃんとのメッセージ画面を開く。
しかし、付き合っているような形跡はどこにもなく、最後に交わしたそっけないやり取りが残っているだけだった。
「……なんで? 歴史は変わっていないのか?」
あんなに上手くいったのに。ミサキちゃんは確かに僕の告白を受け入れてくれたのに。
絶望のあまり、僕はローテーブルの前にへたり込んだ。
ピンポーン。
そのとき、部屋のチャイムが鳴った。ドアを開ける。
「お届け物です。サインをお願いします」
何か頼んでいたっけ……と首をかしげながら、手渡された小包を開封する。
するとそこから、失くしたはずのキーケースが出てきた。
ゾワリと、背筋に冷たいものが走る。
僕は「1週間前に失くしたキーケースがテーブルにある」から、そして「まだミサキちゃんが日本にいる」から、過去に戻ったのだと思い込んでいた。
違う。
あの時、テーブルの上にあったのは、僕が「これから使い始める予定の、新しく買い直したキーケース」だったんだ。
じゃあ、ミサキちゃんの留学は?
彼女はついこの間、アメリカへ行った。
僕はそれを勝手に「しばらく会えない長期の留学」だと思い込んでいたけれど、本人はそんなこと一言も言っていない。
ただの短期研修か旅行のようなものだったんだ。
だとすれば、あの居酒屋での飲み会は……。
マサシの『今暇か? 飲みに行くからいつものとこに来いよ!』というあの電話は、過去の誘いなんかじゃない。
留学から帰国したミサキちゃんの「おかえり会」の誘いだったんだ。
「僕が行っていたのは、過去じゃなくて未来だったのか……」
『お前その考え出したら周りが見えなくなる癖、どうにかしろよな』
『あと思い込みの激しいところもね』
幻聴のように、2人の呆れたような笑い声が耳の奥で響いた。
本当にその通りだ。僕は過去をやり直したわけじゃない。
「最高の未来」を、ちょっとだけフライングして覗いてきただけだったのだ。
手元にある、まだ革の匂いが新しい、戻ってきたキーケースをぎゅっと握りしめる。
「……よし」
歴史は変わっていなかった。いや、これから変えるのだ。
僕はスマートフォンを操作し、待ち受ける最高の未来に向けて、ミサキちゃんへ留学の応援メッセージを打ち始めた。




