雷剣と鹿島の神託
鹿島の地に入った瞬間、新右衛門は空気の違いを感じ取った。
潮の匂い。
張り詰めた風。
そして、目に見えぬ“圧”。
「……ここは」
「空気が違うね」
雪桃が小さく呟く。
ハチマンも耳を伏せたまま周囲を見回す。
「ここが鹿島神宮……ですか」
「そうだ」
新右衛門は静かに頷いた。
森は深く、まるで外界と切り離されたような静寂が広がっている。
◆
やがて一行は社へと到着する。
朱の鳥居。
整えられた参道。
そして奥に鎮座する本殿。
そのさらに奥――人の気配が途絶えた空間に、ただ一つの“境界”があった。
「これより先は……」
神職が低く告げる。
「内陣」
「神職であっても、通常は立ち入ることは叶いません」
雪桃が息を呑む。
「そんな場所に……?」
だがその時、別の声が割り込んだ。
「この者は通しなさい」
現れたのは、白衣に身を包んだ老女だった。
しかし、その眼差しはただの人間ではない。
「物忌み様……!」
神職たちが一斉に頭を下げる。
◆
物忌み様は新右衛門を見据えた。
「橘新右衛門」
「朝廷より命を受けた者か」
「はい」
「よろしい」
短い言葉。
そして一瞬の沈黙の後――
「内陣へ」
「ただし、貴殿のみだ」
「えっ」
ハチマンが身を乗り出す。
「お、おいらは!?」
「畜生は外」
「畜生扱いされました!!」
雪桃は少しだけ肩をすくめる。
「……大丈夫かしら」
その声に、新右衛門は小さく頷いた。
「心配するな、行ってくる」
◆
内陣。
そこは“音のない世界”だった。
風もない。
虫の声もない。
ただ、重い静寂だけが満ちている。
そして中央に、物忌み様が立っていた。
「勅命の内容は、既に安倍泰親より聞いておる」
「そうですか、魔女メディア討伐のためにこの地に参りました」
「そうか」
物忌み様は静かに首を振った。
「だが――一つ誤解がある」
「誤解?」
「要石は動かぬ」
新右衛門は目を細める。
「……メディアでも、ですか」
「そうだ」
「この地の要石は、世界の理そのものに根ざしている」
「魔女の力程度で動かせるものではない」
だが続く言葉は、冷たかった。
「しかし」
「だからといって、魔女メディアが脅威でないわけではない」
空気が一段重くなる。
「メディアは“災厄そのもの”だ」
「人の心に入り込み、妖を狂わせ、国を崩す」
「今の其方では――」
物忌み様は静かに新右衛門を見た。
「手も足も出ぬ」
はっきりとした断言だった。
◆
沈黙。
新右衛門は拳を握る。
「では、私は無力だと?」
「違う」
即答だった。
「剣が未熟だと言っている」
「……剣」
物忌み様は本殿の奥へ視線を向けた。
「鹿島は武の神域」
「ここで学べ」
「世を平らかに治めるための剣を」
「討つ剣ではない」
「守る剣だ」
◆
その夜。
本殿前。
月光だけが境内を照らしていた。
新右衛門は一人、剣を構える。
すると――
「まだ“速さ”が死んでいる」
声がした。
背後。
そこに立っていたのは、一人の老剣士。
鋭い眼光。
無駄のない立ち姿。
だがその存在感は、人のそれを超えていた。
「誰だ」
「名は要らぬ」
老剣士は静かに木刀を抜く。
「ただ剣だ」
◆
一瞬。
雷鳴。
――ドォン!!
新右衛門の視界が白く弾けた。
「……っ!」
気づけば距離が詰まっている。
一撃。
圧倒的な速さ。
「今のが“神の剣”だ」
老剣士は淡々と言う。
「武御雷大神の技だ」
「武御雷……」
鹿島の神。
雷の武神。
新右衛門は息を呑む。
◆
それからの日々は修行だった。
朝は呼吸。
昼は型。
夜は雷を“読む”。
一太刀ごとに空気が裂ける。
三週間。
ただひたすら剣と向き合った。
◆
一方その頃。
境内の外。
「……遅いですね」
雪桃は本殿を見上げる。
「大丈夫かなぁ」
ハチマンは丸くなっている。
「剣の修行ってそんなにかかるものなんですかね……」
「……真面目だからね」
雪桃は小さく呟いた。
不安と、ほんの少しの信頼。
◆
そして二十一日目の夜。
本殿前。
雷が落ちた。
いや――落ちたのではない。
“剣から放たれた”。
「……できた」
新右衛門の声。
そこにいた老剣士は静かに頷く。
「よい」
「もう教えることはない」
そして――姿が揺らぐ。
「……大神」
それが武御雷大神の化身であったと気づいた時には、すでに風に溶けていた。
◆
翌朝。
本殿前に、新右衛門が姿を現す。
雪桃とハチマンは息を呑んだ。
「……新右衛門さん?」
そこにいたのは、確かに同じ人物だった。
だが、違う。
目が変わっている。
静かで、深く、揺るぎない。
「終わった」
ただ一言。
それだけで空気が変わった。
◆
その時、物忌み様が現れる。
「よくぞ越えた」
そして静かに告げる。
「西の魔女と争いし時――」
「東の海より英雄現れ、そなたたちを救うであろう」
「……英雄?」
新右衛門が問う。
「それは誰です」
「今はまだ知らぬ方がよい」
物忌み様はそう言って、小さな袋を差し出した。
「これは守りだ」
「道中、必ず役に立つ」
雪桃とハチマンにもそれぞれ渡される。
◆
鹿島の空は晴れていた。
だがその奥には、嵐の気配があった。
新右衛門は静かに空を見上げる。
「行くぞ」
雪桃は頷く。
「うん」
ハチマンも立ち上がる。
「次は遠野ですね!」
三人は歩き出す。
鹿島立ち。
そして――新たな戦いの始まりへ。
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