魔女の夢と東洋の面影
ロンドン。
王城。
キルケー討伐から数日。
街にはようやく平穏が戻り始めていた。
◆
「では、女王陛下への報告に行ってくる」
新右衛門が立ち上がる。
雪桃は少し頬を膨らませた。
「またお城?」
「報告は大事だ」
ソフィアが静かに言う。
「わたしたちは街を回っていよう」
ハチマンは目を輝かせた。
「ロンドン観光です!!」
「観光ではないぞ」
「最近ずっと言われてますねそれ!」
◆
一方。
王城。
女王陛下への報告は滞りなく終わっていた。
「よくやってくれました」
女王は静かに頷く。
「キルケー討伐の功績、英国としても感謝いたします」
新右衛門は深く頭を下げた。
「お褒めに預かり、恐悦至極です」
◆
その帰り道だった。
「……失礼」
柔らかな女の声。
振り返る。
そこには、一人の貴婦人が立っていた。
赤紫のドレス。
落ち着いた微笑み。
四十代半ばほど。
だが、その美貌にはどこか妖しさがある。
「東洋の方ですわね?」
「はい」
「わたくし、シンシアと申します」
侯爵夫人だという。
◆
「東洋の方を見るのは初めてで……」
シンシアは穏やかに笑った。
「もしよろしければ、お茶でもご一緒していただけません?」
新右衛門は少し迷った。
だが。
高貴な女性からの誘いを、無下にもできない。
「……承知しました」
◆
王城のテラス。
紅茶の香り。
静かな風。
シンシアは不思議そうに新右衛門を見つめていた。
「あなたは、子供の頃どんな子でしたの?」
「どんな……?」
「ええ」
まるで。
日本に興味があるというより――。
新右衛門自身へ興味を持っているような口ぶりだった。
◆
「父君はどのようなお方でした?」
「厳格な武士でした……」
「母君は?」
「幼きときに亡くなりました。しかし、優しい人だったという記憶はある……」
話しているうちに。
新右衛門自身も、不思議な感覚を覚えていた。
初対面のはずなのに。
なぜか、安心する。
懐かしい。
まるで昔から知っている相手のような――。
◆
「今日は本当に楽しかったですわ」
シンシアは優雅に微笑んだ。
「またお話したいものですね」
「こちらこそ」
新右衛門も小さく頭を下げる。
だが。
その時。
シンシアの瞳が、一瞬だけ妖しく揺れたことに。
新右衛門は気づかなかった。
◆
夕方。
街角。
雪桃たちと合流した新右衛門は、何気なく話した。
「侯爵夫人と茶を飲んでいた」
「侯爵夫人?」
ソフィアが首を傾げる。
「名は?」
「シンシア殿」
その瞬間。
ソフィアの表情が変わった。
「……妙だな」
「どうした?」
「英国侯爵夫人の名は、“ベアトリス様”だったはずだ」
沈黙。
雪桃の目が細くなる。
「……誰、それ」
◆
その頃。
コルキス。
魔女の城。
メディアは一人、月を眺めながらワインを飲んでいた。
窓から差し込む月光。
静かな夜。
やがて。
うとうとと、意識が落ちる。
◆
夢。
見知らぬ東洋の国。
田んぼ。
武家屋敷。
虫の声。
そして。
一人の女。
若い女性だった。
赤子を背負っている。
『小夜』
誰かが、その名を呼ぶ。
◆
赤子が泣き出した。
すると。
庭先から、一人の侍が現れる。
優しい笑み。
その男は、赤子を小夜から受け取った。
「これこれ、男がそんなに泣くな」
笑いながら、赤子を抱き上げる。
穏やかな空気。
温かい。
心地良い。
その景色を見ながら、メディアは思った。
(……懐かしい)
◆
だが次の瞬間。
意識が浮上する。
メディアはゆっくり目を開けた。
「……また、この夢か」
そう呟く。
そして。
知らず、微笑んでいた。
◆
「今日は随分と機嫌が良いのだな」
低い声。
振り返る。
そこにいたのは――エキドナ。
上半身は美女。
下半身は巨大な蛇。
ギリシャ神話の怪物の母。
「エキドナ……」
メディアは静かにグラスを置いた。
その時初めて、自分が微笑んでいたことへ気づく。
◆
エキドナは笑った。
「鵺をやられた恨み、忘れてはおらぬぞ」
「日本にはケルベロスを送り込む」
「そして――」
黄金の瞳が細まる。
「雪桃たちにはヒュドラだ」
メディアは小さく頷く。
「そうか……」
だが。
どこか浮かない顔だった。
◆
エキドナが目を細める。
「なんだ?」
「あ奴らの誰かに情でも湧いたか?」
メディアは静かに答える。
「……まさか」
だが。
その視線は窓の外へ向いていた。
月。
遥か東。
そして。
脳裏に浮かぶのは――。
あの侍の、優しい目。
◆
メディアはワインを一口飲む。
だが。
その表情には、ほんの少しだけ迷いが浮かんでいた。




