英国の魔女と白兎の呪い
ドーバー海峡を越えた先――。
そこには、重厚な霧の国が広がっていた。
石畳。
赤い二階建て馬車。
煤けた煙突。
そして空を覆う灰色の雲。
「ここが……英国」
雪桃が呟く。
ソフィアが頷いた。
「ああ。大英帝国だ」
ロンドンの街並みを前に、ハチマンは目を輝かせていた。
「パンも紅茶も美味しそうです!!」
「観光ではないぞ」
新右衛門が苦笑する。
◆
その後。
紹介状を持つ新右衛門とソフィアは、王城へ向かうこととなった。
謁見相手は――英国女王陛下。
だが。
紹介状を持たぬ雪桃と月桃は同行できない。
「城の近くで待っていてくれ」
新右衛門が言う。
雪桃は少し不満そうだった。
「……すぐ戻ってきて」
「ああ」
その返事に少しだけ安心し、雪桃は頷いた。
◆
一方。
英国王城、大広間。
女王陛下の前で、新右衛門は深く頭を下げていた。
「最果ての東の国より参りました、橘新右衛門にございます」
静かな声。
だが気迫がある。
ソフィアも跪いた。
「聖騎士団代表、ソフィアでございます」
女王は二人を見下ろし、ゆっくり頷く。
「其方たちの旅の命目、書状により存じております」
「西洋魔女メディア――」
「そしてキルケー」
その名に空気が重くなる。
「現在、英国各地では民衆が獣へ変えられています」
「街は混乱し、軍も手を焼いている状態です」
新右衛門は静かに答えた。
「必ず討ちとって御覧に入れます」
その目に、一切の迷いはなかった。
◆
一方その頃。
雪桃と月桃は、城近くのカフェにいた。
「英国って紅茶文化なんだ」
雪桃がカップを見つめる。
月桃は椅子へだらしなく座っていた。
「ま、悪くないわね」
すると。
「おやおや」
優雅な声が響く。
振り返ると、そこには初老の貴婦人が立っていた。
銀髪。
品のあるドレス。
柔らかな笑み。
「東洋のお嬢さんたちかしら?」
「……はい」
「可愛らしいわねぇ」
貴婦人は穏やかに笑った。
「せっかくだから、英国自慢の紅茶をご馳走させて?」
「え、いいんですか?」
「もちろん」
その笑顔は、とても優しかった。
◆
しばらくして。
三人は楽しく会話していた。
だが。
次第に。
雪桃の胸に妙な苛立ちが湧き始める。
(……今日はなんか月桃の顔を見るだけで腹立つ)
月桃も眉をひそめていた。
(今日の雪桃……なんかムカつくな)
会話が刺々しくなる。
「さっきから態度でかくない?」
「はぁ? そっちこそ」
「なんなのその言い方」
「なになに喧嘩売ってんの?」
空気が悪化する。
そして。
貴婦人は、そっと紅茶を口へ運び――。
妖しく微笑んだ。
◆
カフェを出た後も、二人の苛立ちは収まらなかった。
ロンドンの公園。
霧の中。
「だからなんでそんな偉そうなの!?」
「あ~あ、雪女はしつこいんだよ、粘着スケベ妖怪……!!」
「はぁ!? あんたヤンキーなんだから、その辺でカツアゲして旅費稼いできたら!」
「はあ!? やんのか!?」
「何よ!」
そして。
ドゴッ!!
「いったぁ!?」
雪桃の蹴りが月桃の尻に炸裂。
月桃も反撃で雪桃のお尻に蹴り。
まるで――。
プロレスラーが水平チョップで張り合うような、高速尻蹴りバトル。
「このっ偽月姫!!」
「エロ粘着質!!」
周囲の英国民がドン引きしていた。
◆
その頃。
ハチマンはというと。
カフェでは完全に寝たふりをしていた。
「すぴー……」
だが。
貴婦人が現れた瞬間。
片目だけ、そっと開けていた。
(……臭い)
犬の嗅覚。
魔女の気配。
そして。
ハチマンは誰にも気づかれぬまま、すっと消えていた。
◆
ロンドン郊外。
英国魔術学院。
巨大な時計塔の下を、ハチマンは駆けていた。
「あの、この資料にある魔法薬を作ってください!!」
「急ぎです!!」
学院の魔術師たちは騒然としていた。
「犬が喋った!?」
「しかもめちゃくちゃ切羽詰まってる!?」
◆
一方、公園。
雪桃と月桃は、ついに掴み合いになっていた。
「月なんて何とか大魔王に衝撃派で消されればいいのよ!!」
「氷結能力とか海賊漫画の海軍大将みたいで少年漫画臭っ!!」
「マジで頭きた!!」
そこへ。
「雪桃!!」
新右衛門たちが駆けつけた。
ソフィアも驚く。
「な、何をしているんだお前たち!?」
「新右衛門!!」
雪桃が振り向く。
その瞬間だった。
◆
木陰。
そこに、先ほどの初老の貴婦人が立っていた。
いや。
既にその姿は変わっている。
妖艶な美女。
黄金の瞳。
魔女。
キルケー。
「ふふ」
杖が向けられる。
「仲違いの薬はよく効いたわ」
そして。
魔法陣が輝いた。
「――変化」
◆
バシュゥゥゥッ!!
「え……?」
雪桃へ魔法が直撃する。
冷気が散る。
新右衛門が目を見開いた。
「雪桃!?」
次の瞬間。
ポンッ!!
そこにいたのは――。
小さな白兎。
長い耳。
赤い瞳。
もふもふ。
「…………」
静寂。
そして。
「ええええええええっ!?」
ハチマン不在の中、ロンドンの公園に絶叫が響いた。




