海の女王
深海。
暗い海底を、黒ひげの船がゆっくり進んでいた。
青白い水晶玉の光が、海の底を照らしている。
その先に見えてきたのは――。
「……すごい」
雪桃が息を呑む。
巨大な海底宮殿。
珊瑚。
真珠。
巨大な貝殻。
そして海流そのものを利用した幻想的な建築。
まるで海の王国だった。
「人魚姫の宮殿ですか……」
ソフィアも目を見張る。
だが。
黒ひげだけは嫌そうな顔だった。
「……帰りてぇ」
「いや、お前が原因だろ」
月桃が冷たい目で言う。
◆
一方その頃。
宮殿の奥。
豪奢な部屋へ閉じ込められていた新右衛門は、部屋の内装を見回していた。
「……なんだこれは」
壁一面に貼られた旗。
『打倒乙姫!!』
『目指せ太平洋制覇!!』
『大西洋こそ至高!!』
『恩を仇で返す女、乙姫!!』
妙な怨念を感じる。
「……乙姫殿が嫌いなのか?」
すると。
「当たり前じゃない!!」
ドン!!
扉が勢いよく開いた。
人魚姫だった。
銀髪。
青い瞳。
美しい顔。
だが今は完全にキレていた。
「自分の手下の亀を助けてくれた恩人を爺にするような女よ!?」
「いや、確かに子供の頃から疑問には思っていたが……」
「あの女は海に住む者の顔に泥を塗ったのよ!! あの話以降、私たちは人間に恐れられるようになったの、あいつのせいよ!」
人魚姫は机を叩いた。
「しかも昔から気に入らないのよ!!」
「昔?」
「はるか昔、大西洋と太平洋は繋がっていたの」
新右衛門は目を瞬かせた。
「繋がっていた?」
「ええ」
人魚姫は腕を組む。
「その頃は、わたしたちと乙姫は海の覇権争いしてたのよ」
「海で戦争していたのか……」
「それがもう最悪だったわ」
人魚姫はうんざりした顔になる。
「どっちが男神たちを誑し込めるかの海のキャバクラ合戦」
「大蛸とクラーケンのタイマン勝負」
「海賊以上に暴れまわったわ……」
「それは、ちとやりすぎでは……」
「それで海の神ポセイドンがブチ切れてね」
人魚姫はため息をつく。
『お前らのせいで男神たちは堕落するし、ろくでもないから、大陸で分断する』
そう言って作ったのが――。
「アメリカ大陸よ」
沈黙。
「……そんな理由で?」
「そうよ」
人魚姫は頬を膨らませる。
「しかも太平洋の方が大きいの!!」
「ズルいじゃない!!」
「いや、どうずるいのか、俺には規模がでかすぎてわからぬ……」
新右衛門は苦笑した。
「俺からすれば、太平洋も大西洋も十分大きい」
「どちらが上かなど考えたこともない」
人魚姫が少し目を見開く。
「……変な男、これから喰われるのに笑顔なんて見せて」
「そうか? 人間いつかは必ず死ぬしな」
「本当、もっと助けてくれとか無様に命乞いでもすればいいのに」
「そうかもしれぬ。侍も其方や乙姫殿と一緒で面倒くさいのだ」
新右衛門は屈託なく笑った。
「それに人は皆、小さく、一生も短い……」
「海の大きさを競っても仕方あるまい」
その笑顔を見て。
人魚姫の表情が、少しだけ揺れた。
(……似てる)
昔、恋した人間の男。
海で死んだ、あの男に。
人魚姫は小さく息を吐いた。
(……食べるの、やめようかな)
◆
その頃。
宮殿前では地獄絵図が展開されていた。
「ぎゃああああっ!!」
「触手がぁぁぁ!!」
巨大クラーケンが暴れていた。
騎士団も海賊団も大混乱。
触手が船を叩き潰し、人魚たちが飛び回る。
ソフィアが叫ぶ。
「隊列を維持しろ!!」
「無理です団長ぉぉ!!」
黒ひげも怒鳴る。
「砲撃だァ!!」
「弾が効きません!!」
その時。
「……邪魔」
雪桃が前へ出た。
次の瞬間。
ゴォォォォォォッ!!
絶対零度の吹雪。
海が凍る。
波が止まる。
そして。
ドゴォン!!
巨大クラーケンが、一瞬で冷凍イカになった。
完全沈黙。
「…………」
「…………」
海賊たちが青ざめる。
黒ひげが震えた。
「……まずい女と関わっちまった」
月桃が腕を組む。
「あんたたち、あの時、船の上で襲ってたら、あのイカと同じ運命だったの」
◆
その時。
宮殿の扉が開いた。
現れたのは人魚姫。
その隣には、新右衛門。
「新右衛門!!」
雪桃が駆け寄ろうとする。
だが。
「待ちなさい」
人魚姫が微笑んだ。
「返してあげてもいいわ」
「条件が二つある」
ソフィアが剣を構える。
「条件とはなんだ」
「まず一つ」
人魚姫が黒ひげを指差した。
「その髭オヤジが盗んだ水晶を返すこと」
黒ひげが視線を逸らす。
「…………」
雪桃と月桃が無言で睨む。
「返します!!」
即答だった。
「船長ぉ!?」
「お宝より命だ!!」
◆
「そして二つ目」
人魚姫は新右衛門を見る。
「この男を愛している女がいるなら返してあげる」
沈黙。
「……へ?」
雪桃が固まった。
「簡単な条件だろう?」
人魚姫はニヤニヤしている。
「じゃあ雪桃、早く言え」
月桃が肘で突く。
「そ、そんな簡単に……!」
雪桃の顔が真っ赤になる。
「は、早くしろ」
「う、うるさい!」
モジモジ。
視線が泳ぐ。
耳まで赤い。
だが言えない。
「…………」
「…………」
「…………」
全員待っていた。
ソフィアが困った顔をする。
「……仕方ない」
「私が言おう。 この遠征が終わったら、新右衛門とは夫婦に」
その瞬間。
ピキィッ!!
ソフィアの足元が凍った。
「え?」
雪桃が真っ赤な顔で睨んでいる。
「……余計なこと言わなくていい」
「面倒くさいな!?」
月桃が即ツッコミ。
ハチマンも真顔だった。
「お嬢、本当に面倒くさい女です」
「うぅぅ……!」
雪桃は涙目でモジモジしていた。
◆
すると。
新右衛門が前へ出た。
「人魚姫殿」
「なに?」
新右衛門は真っ直ぐ言った。
「俺は雪桃と旅がしたい」
「だから放してほしい」
人魚姫は一瞬ぽかんとし――。
そして吹き出した。
「ふふっ!」
「まあいいか。その娘の反応、既に愛していると言っているようなものだ!」
「ち、違うんだから!!」
雪桃が真っ赤になる。
「はいはい」
人魚姫は笑う。
「気に入ったわ、あなたたち」
そして雪桃を見る。
「もしメディアとの戦いで困ったら、助けに行ってあげる」
「……え?」
「ただし」
人魚姫は冷凍クラーケンを見た。
「そのイカと、うちの人魚たち、早く元に戻して」
「このままだと私もここを運営できないから……」
「……はい。少しやり過ぎました」
◆
その後。
一行は無事、地上へ帰還することになった。
だが。
空気のように帰ろうとしていた黒ひげを見て。
「あ、待て髭オヤジ」
人魚姫が笑顔で呼び止めた。
「へ?」
「お前ら、しばらく宮殿で働いてけ」
黒ひげが固まる。
「……なんで?」
「水晶盗んだ罰」
沈黙。
「えっ」
「水晶を返しただけで許すわけないだろ!」
「助けて!!」
黒ひげの絶叫が海へ響いた。
「船長ぉぉぉ!!」
海賊たちも連行されていく。
雪桃たちは少し離れた場所から、それを見守っていた。
「……美女に囲まれてよかったじゃない」
月桃が呟く。
「海にまつわる童話はこうでないと」
ハチマンも頷いた。
◆
そして。
ついに――英国。
霧の港町。
重苦しい空気。
その遥か先。
古城の塔の上で。
一人の魔女が、不気味に笑っていた。
長い金髪。
妖艶な美貌。
そして獣のような瞳。
魔女キルケー。
「来たか……」
その視線の先には。
雪桃と月桃。
「ふふっ」
キルケーは妖しく笑う。
「あの小娘ども……」
紫の魔力が、夜空へ溶けていった――。




