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西洋さるかに合戦と魔女王ヘカテー

 オーストリア、シュタイアーマルク州。


 雪に包まれた古城の街。


 夜。


 屋敷の暖炉だけが赤く揺れていた。


 その部屋で――。


 雪桃ゆきもは、ぐったりとソファへ身を預けていた。


「はぁ……」


 呼吸が重い。


 身体に力が入らない。


 ここ数日、毎日のようにアナグラムの屋敷へ通っていた。


 最初は楽しかった。


 美しく、優しく、どこか寂しそうな少女。


 アナグラムと話していると、不思議と心が落ち着いた。


 だが。


 気づけば、日に日に身体が重くなっていた。


 その隣で。


 暗褐色の美しい髪を指で弄びながら、アナグラムが優しく微笑む。


「疲れているの?」


「……ちょっとだけ」


「そう」


 アナグラムは雪桃の隣へ腰掛けた。


 白く透き通る指が、そっと雪桃の頬へ触れる。


「ねえ、雪桃」


「……なに?」


 アナグラムの瞳が妖しく揺れる。


「……あんな侍、やめなさい」


 雪桃が小さく目を見開いた。


「新右衛門のこと?」


「ええ」


 アナグラムは静かに囁く。


「彼は、必ずあなたを裏切るわ」


「そんなこと――」


「男なんて皆同じ」


 その声は、甘い毒だった。


「美しい女が現れれば、すぐに目移りする」


「キャサリン王女を見ていて、少し不安になったでしょう?」


「っ……」


 雪桃の肩が震える。


 図星だった。


 心の奥に沈めていた不安。


 それを、アナグラムは優しく撫でるように抉っていく。


「人間は変わる」


「心も、愛も、命も」


「でも――」


 アナグラムは雪桃を抱き寄せた。


「わたしたちは違う」


「永遠を生きられる」


 その唇が、雪桃の耳元へ近づく。


「一緒に来ましょう?」


「わたしと永遠を生きるの」


「人間なんて、すぐ老いて死ぬのだから」


 雪桃の瞳が揺れる。


 意識がぼんやりする。


 頭が熱い。


 身体が重い。


 そして。


 ゆっくりと瞼が閉じていった。


「……新、右衛門……」


 ソファで眠り込む雪桃。


 アナグラムはそれを見下ろし――。


 口元をゆっくり歪めた。


「ふふ……」


 その瞳が真紅へ変わる。


 牙が伸びる。


 背中から、巨大な蝙蝠の翼が現れた。


 もはや少女ではない。


 吸血鬼。


 魔女メディアの配下。


 カーミラ。


「そろそろ食べごろかしら」


 舌なめずりする。


 カーミラは暖炉へ薪を放り込んだ。


 ゴォッ――。


 炎が大きく燃え上がる。


 その時だった。


 パチィィン!!


「ぎゃっ!?」


 暖炉の奥から焼けた栗が高速で飛び出し、カーミラの顔面へ直撃した。


「熱っ!? 痛っ!?」


 さらに。


 パチン!!


 パチパチパチパチ!!


「ちょっ、何これぇぇ!?」


 大量の焼き栗が機関銃のように飛び始める。


 顔面。


 額。


 鼻。


 全部に直撃。


「熱いぃぃぃっ!!」


 転げ回るカーミラ。


 だが、地獄は終わらない。


 ブゥゥゥゥン!!


「……え?」


 窓が開く。


 次の瞬間。


 大量の蜂が雪崩れ込んできた。


「な、なんで蜂ぃぃぃ!?」


 ブスッ!!


「ぎゃあああっ!!」


 ブスブスブスブス!!


「痛い痛い痛いぃぃぃっ!!」


 顔を刺され。


 首を刺され。


 翼を刺され。


 涙目で屋敷から飛び出すカーミラ。


「なんなのよぉぉぉ!!」


 そして。


 玄関前。


 ズルッ。


「へ?」


 ハチマン特製の犬の糞。


 見事に滑った。


 バターン!!


「ぎゃふっ!!」


 顔面から転倒。


 その瞬間。


 ゴゴゴゴゴ……。


 玄関の屋根の上から、巨大な西洋石臼が落ちてきた。


「……うそ」


 ドゴォォォン!!


「ぎゃああああっ!!」


 石臼がカーミラへ乗り上げる。


 完全沈黙。


 ピクピク痙攣する吸血鬼。


 そこへ。


「勝負は戦う前に決まってるんです!」


 ハチマンが誇らしげに現れた。


 後ろには、新右衛門しんえもん


「……本当にやったのか」


「西洋版さるかに合戦作戦です!!」


 ハチマンは胸を張る。


「栗さん!」


「蜂さん!」


「石臼さん!」


「ありがとうございました!!」


 すると。


 蜂たちが満足そうに飛び去る。


 焼き栗は暖炉へ戻る。


 石臼もゴロゴロ転がって帰っていった。


 新右衛門は呆然としていた。


「……お前、最初から気づいていたのか」


 ハチマンは頷く。


「犬の嗅覚です!」


「あの女、最初から人外の臭いぷんぷんでした!」


「人間に化けてるのもバレバレです!」


 そして。


 ハチマンは懐から陰陽符を取り出した。


「安倍泰親様からもらってた切り札です!」


 バシッ!!


 符をカーミラへ貼り付ける。


 すると。


 ジュウウウウッ!!


「ぎゃあああああっ!!」


 カーミラの身体が燃え始めた。


「メディア様ぁぁぁぁ!!」


 断末魔。


 そして。


 吸血鬼カーミラは灰となって消えた。


 静寂。


 その時。


「……ん」


 雪桃が目を覚ました。


「雪桃!」


 新右衛門が駆け寄る。


 だが。


 雪桃の顔は暗かった。


「……新右衛門」


「なんだ」


 雪桃は俯いたまま呟く。


「人間と妖怪じゃ……寿命が違う」


「いつか、別れが来るんだよね……」


 いつもの強気な雪桃ではなかった。


 不安そうで。


 泣きそうで。


 今にも壊れそうだった。


 新右衛門は少し黙り――。


 そして。


 雪桃の手を握った。


「桃太郎殿の娘が辛気臭くてどうする」


「……っ」


「俺が先に人生を終えるにしても」


 新右衛門は笑う。


「その時は、笑って別れればよい」


「人生とは、そういうものだ」


 雪桃の瞳が揺れる。


「でも……」


「それに」


 新右衛門は静かに続けた。


「この旅に、其方は欠かせぬ」


「雪桃がいなければ困る」


 その言葉に。


 雪桃の目から涙がぽろりと落ちた。


「……ばか」


 だがその顔は、少しだけ嬉しそうだった。


 その横で。


 ハチマンがドヤ顔していた。


「やっぱりおいらが最強軍師――」


 ガバッ!!


「ハチマン~~~~!!」


「わっ!?」


 雪桃が抱きついた。


「助けてくれてありがとぉぉ!!」


「ぐぇぇぇっ!?」


 頬ずり攻撃。


 もふもふ地獄。


「ほ、本当にいい子ぉぉぉ!!」


「お嬢、や、やめるです!!」


 ハチマンが前足で雪桃の顔を押す。


「おいら日本犬だから距離感近いスキンシップ苦手なんです!!」


「かわいいぃぃ!!」


「離すですぅぅ!!」


 だが雪桃は離さない。


 完全にもふもふ暴走していた。


 ◇ ◇ ◇


 その頃。


 コルキス。


 魔女の城。


 メディアは水晶玉を睨んでいた。


 そこに映るのは――。


 雪桃に抱きしめられたハチマン。


「…………」


 次の瞬間。


 ハチマンの顔が急接近した。


 まるで水晶玉の位置を知っているかのように。


 鼻。


 鼻の穴。


 どアップ。


「…………」


 ピキッ。


 メディアの額に青筋が浮かぶ。


 そして。


 バシャァァン!!


 ワイングラスが壁へ叩きつけられた。


「ふざけるなあの犬!!」


 その時。


 闇の奥から、静かな声が響く。


「だから言っただろう」


 現れたのは。


 黒衣の老魔女。


 ヘカテー。


 魔女王。


 そして、メディアの師。


「桃太郎の関係者には関わるな」


「碌なことにならん」


 メディアは不快そうに眉をひそめた。


「師匠」


「わたくしは、もうあなたに学ぶことはありません」


「ですから、お帰りください」


 ヘカテーは深々とため息をついた。


「……やれやれ」


 そして踵を返す。


「確かに忠告はしたぞ!」


「好きにしろ!」


 去っていくヘカテー。


 残されたメディアは、水晶玉を睨み続ける。


 そこには。


 まだ雪桃に抱きつかれているハチマンが映っていた。


「だから離すですぅぅぅ!!」


 メディアのこめかみが、再びピクピクと痙攣した――。

挿絵(By みてみん)

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