氷結のドラキュラ城と眠り姫の狸寝入り
夜。
トランシルヴァニアの山奥。
雷鳴すら届かぬ闇の中に、ドラキュラ城はそびえ立っていた。
その最深部。
巨大な棺が並ぶ地下霊廟。
蝋燭の炎だけが、青白く揺れている。
その中央で――。
ドラキュラ伯爵は静かに雪桃を見下ろしていた。
眠ったままの雪桃は、純白の棺へ寝かされている。
まるで、本物の姫のように。
「……美しい」
伯爵が低く呟く。
赤い瞳が妖しく細まった。
「桃太郎の娘」
「余の四人目の花嫁としては、申し分ない」
ドラキュラはゆっくりと顔を近づける。
白い首筋。
透き通る肌。
牙を突き立てれば、さぞ甘美な血が――。
だが。
伯爵の動きが止まった。
「……いや」
脳裏に蘇る。
あの日の悪夢。
『勝った!!』
ガブッ!!
『……ペッ!!』
『甘っ!!』
『虫歯になるわこんなもん!!』
しかも。
身体が急激に老化しかけた。
あの意味不明な“桃太郎汁”。
ドラキュラ伯爵は顔をしかめた。
「余は二度とあの地獄を味わいたくない……」
そこへ。
「伯爵様?」
マリーシュカが近づく。
「どうなさいました?」
ドラキュラは少し考え――。
「……試してみよ」
「はい?」
「この娘の血だ」
マリーシュカは微笑む。
「ふふっ、簡単ですわ」
そして雪桃の首筋へ牙を立てた。
ガブッ。
一秒後。
「……え?」
マリーシュカの顔が固まる。
口の中へ流れ込んできたのは血ではなかった。
冷たい。
甘い。
まるで――。
「桃のシャーベット……?」
しかもシロップたっぷり。
次の瞬間だった。
ビキビキビキッ!!
「えっ!? な、なにこれ――!?」
歯茎に走る知覚過敏のような痛み……
そして、マリーシュカの肌が急速に老化していく。
美しかった顔がしわだらけになり、
髪が白く変色し、
牙がボロボロと抜け落ちた。
「い、いやぁぁぁぁぁっ!!」
ボロッ。
最後には朽ち木のように崩れ落ち、そのまま灰となった。
沈黙。
ドラキュラ伯爵は真顔だった。
「……やはり危険物か」
そして雪桃を見る。
「嫁には向かぬ」
ドラキュラ伯爵の予想どおり、雪桃の血は吸血鬼には猛毒だった。
だが伯爵はすぐ別のことを考える。
脳裏に浮かぶのは、金髪の少女。
キャサリン王女。
「……あの姫騎士の方が良い」
赤い瞳が妖しく細まる。
「助けに来るであろう」
「その時、余の新たな花嫁にしてくれる」
――その頃。
トランシルヴァニア王城。
新右衛門は窓際で静かに立っていた。
拳を握り締めたまま。
「……俺がついていながら」
雪桃を守れなかった。
その後悔が胸を刺していた。
すると。
「新右衛門殿」
キャサリン王女が隣へ来る。
「自分を責めすぎですわ」
「ですが……」
「騎士ならば」
キャサリンはまっすぐ前を見る。
「こういう時こそ、堂々としていなければなりません」
「大切な人を助けに行くのでしょう?」
新右衛門は静かに目を見開く。
そして。
「……そうであった」
小さく頷いた。
ハチマンも尻尾を振る。
「お嬢を絶対助けるです!!」
夜が明ける。
そして三人は、ドラキュラ城へ向かった。
作戦は単純。
吸血鬼は昼間に弱る。
眠っている間に、銀の杭を打ち込む。
「正攻法ですわね」
「ああ」
だが――。
ドラキュラ城へ侵入した瞬間。
三人は固まった。
「……なんだこれは」
日が入らないように窓がない大広間。
シャンデリア。
豪華な料理。
そして。
タキシードとドレス姿の吸血鬼たちが、優雅にダンスしていた。
「舞踏会……?」
キャサリンが呆然とする。
ヴァイオリンの音色が響く。
吸血鬼たちは楽しそうに踊っていた。
ハチマンが小声で言う。
「場違い感すごいです……!」
新右衛門は真顔だった。
「……紛れ込むぞ」
数分後。
新右衛門は黒のタキシード姿。
キャサリンは青いドレス姿へ変装していた。
妙に似合う。
キャサリンが少し頬を赤くする。
「に、似合っていますか?」
「綺麗だと思う」
「っ……!」
キャサリンの顔が真っ赤になる。
一方。
ハチマンは蝶ネクタイを付けられていた。
「おいらだけ犬です!!」
「仕方ない」
三人はダンスに紛れながら進む。
しかし。
一人の吸血鬼が足を止めた。
「……待て」
視線が下へ向く。
「何故、犬がタキシードを着ている?」
沈黙。
ハチマンが固まる。
「あっ」
「侵入者だぁぁぁ!!」
「逃げるぞ!!」
大混乱。
吸血鬼たちが追いかけてくる。
シャンデリアが落ち、
料理が吹き飛び、
ドラキュラ城は大騒ぎになった。
そして何とか地下霊廟へ飛び込む。
「はぁ、はぁ……!」
そこには――。
二つの棺。
一つはドラキュラ伯爵。
そして隣には、眠る雪桃。
「雪桃!!」
新右衛門が駆け寄る。
だが反応はない。
「眠らされているのか……?」
すると。
ハチマンがハッとした。
「白雪姫パターンです!!」
「なに?」
「眠ったお姫様は、王子様のキスで起きるんです!!」
沈黙。
新右衛門の顔が固まる。
「…………」
「し、新右衛門様!! 今こそです!!」
「い、いやしかし……!」
キャサリンは少し不機嫌な表情になる。
「ずっと眠らせておけばよいのでは……」
「まあ、新右衛門様がキスしたいのならお好きにどうぞ!」
「うっ……」
新右衛門は観念した。
そっと雪桃へ顔を近づける。
すると。
キャサリンの目が細まる。
(……あれ?)
雪桃の口元が、かすかに動いた。
しかも耳が赤い。
キャサリンは確信する。
(この子……起きてますわね?)
次の瞬間。
「猿芝居はやめなさいっ!!」
バシィン!!
「いたっ!?」
雪桃が飛び起きた。
「な、なにするの!?」
「やっぱり狸寝入りでしたのね!!」
新右衛門とハチマンが固まる。
「起きてたのか……」
雪桃の顔が真っ赤だった。
「だ、だって……!」
「キスとか急にされたら恥ずかしいでしょ!?」
「なら起きればよかったでわ!?」
「キャサリンには関係ないでしょ!!」
「ありますわ!! このスケベ妖怪!」
地下霊廟に口論が響き渡る。
その時だった。
ギギギ……。
隣の棺がゆっくり開く。
ドラキュラ伯爵が眠そうに起き上がった。
「……少しは静かにせんか……」
だが。
「おじさんは黙ってて!!」
雪桃が怒鳴る。
次の瞬間。
ゴォォォォォッ!!
凄まじい冷気が爆発した。
ドラキュラごと棺桶が一瞬で氷結する。
「なっ――」
バキィィィン!!
分厚い氷の中へ閉じ込められる伯爵。
さらに。
追いついてきた吸血鬼たちまで凍り始めた。
「ひぃぃっ!?」
「ま、待っ――」
「知らない!!」
雪桃は顔真っ赤のまま叫ぶ。
「全部見られたじゃない!!」
怒りと羞恥で冷気が暴走する。
廊下。
階段。
シャンデリア。
吸血鬼。
全部凍る。
こうして――。
ドラキュラ城は巨大な氷の城となった。
静寂。
新右衛門たちは呆然と立ち尽くす。
ハチマンがぽつりと呟く。
「……なんか勝ったです?」
キャサリンも苦笑した。
「スケベ妖怪のおかげで物語は台無しですわ……」
そして雪桃は。
「うぅぅ……」
恥ずかしさで顔を覆っていた。
◇ ◇ ◇
夜明け。
氷漬けとなったドラキュラ城を背に、新右衛門たちは山道を歩いていた。
朝日を受け、巨大な氷の城が青白く輝いている。
もはや完全に観光名所みたいになっていた。
ハチマンが振り返る。
「す、すごいです……」
「芸術作品みたいです……!」
「……後でアナ女王に怒られるな」
新右衛門が遠い目をした。
その横では。
「だいたいあなたが余計なこと言うからでしょう!?」
「はぁ!? 狸寝入りしていたあなたが悪いんでしょう!?」
雪桃とキャサリンが、まだ揉めていた。
「べ、別に寝たふりなんかしてないし!」
「耳まで真っ赤でしたわよ!? スケベ妖怪!」
「なっ……!?」
雪桃の顔が再び真っ赤になる。
「あなたたちが騒がしく部屋に入ってきたから目が覚めたのよ!!」
「どうだか? どスケベ妖怪の血が騒いだのではなくて!」
「なんですって!!」
バチバチと火花が散る。
新右衛門は頭を抱えた。
「……とりあえず雪桃が無事でよかった」
ハチマンは真顔で頷く。
「新右衛門さん、雪桃さんがさらわれた夜は一睡もしてませんでしたもんね!」
「言うなハチマン!!」
「新右衛門、心配してくれたの!!」
「あまりに間抜けなお仲間に頭抱えて眠れなかったのですわ」
「なんですって!」
そしてまた睨み合う。
だがその時。
足元の石につまずき、雪桃の身体がぐらりと傾いた。
「きゃっ――」
新右衛門が咄嗟に支える。
「危ない」
「あ……」
一瞬。
雪桃の顔が真っ赤になる。
しかし次の瞬間。
キャサリンがじーっと見ていた。
「…………」
「な、なによ!」
「別に?」
「絶対なんか思ってる!!」
「思ってませんわ~? ただ、あざとい女だなと……」
「うわぁ腹立つ!!」
再び始まる口論。
山道にぎゃあぎゃあと騒がしい声が響く。
そんな二人を見ながら、新右衛門は小さく笑った。
ドラキュラ伯爵との戦いは終わった。
だが――。
次なる恐怖が待っているのであった……。




