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第五十一話 六つの棺

「ついておいで」


大司祭はそう言うと、女神像へ向かって歩き出した。


どこに行くんだ?


扉とは逆方向へ向かう大司祭を怪しんで、俺は動かなかった。


黒い結晶に閉じ込められたヴァルガを見上げる。


「……ヴァルガは?」


「そんな巨大な塊、動かせないよ」


「それにさっき見たでしょう?奏くんの攻撃すら弾いたんだよ。今のヴァルガくんは誰にも傷つけられない」


それでも不安だった。

俺がヴァルガと離れたくなかった。


大司祭が足を止め、振り返った。


「奏くんに、本当のことを信じてもらわなくてもいいの?」


「それは……」


「戻ってきたら、またヴァルガくんを殺そうとするかもしれないよ」


胸の奥が冷たくなる。


奏は、ヴァルガに帰れないと言われても剣を止めなかった。


大司祭の言葉だって、簡単には信じないかもしれない。


俺は意を決して立ち上がる。


結晶に触れ、指にはめた指輪へそっと口付けた。


「……ヴァルガ、待っててくれ」


レオンが俺の隣に立った。


「俺も行く」


レオンが大司祭の方を見たまま、低く告げる。


「晴斗を、あんたと二人きりにはできない」


「もちろん。レオンくんにも見せてあげるよ」


大司祭は嬉しそうに答えた。


俺たちを手招きしながらシンに向かって声をかけた。


「シン、この広間、一応立ち入り禁止にしておいて。ヴァルガくんを見たら、みんなびっくりするだろうから」


「承知しました」


シンは広間の扉を閉ざし、内側から鍵を掛けた。


大司祭が、女神像の台座へ手を触れる。


淡い金色の光が、指先から石へ流れ込んだ。


低い音を立てて、広間全体が揺れる。


女神像の足元に細い亀裂が走り、それが左右へ広がっていく。


やがて台座の一部がゆっくりと奥へ沈み、地下へ続く石の階段が現れた。


暗い穴の奥から、冷たい空気が吹き上がってくる。


「こんなところに……」


レオンが悔しそうに呟くと、大司祭は少しおどけて首を傾げた。


「もしかしてレオンくん、色々探ってた?」


「ここはね、見つけられたとしても私の神力がないと入れない仕組みになってるんだよ」


そう言うと、大司祭は迷いなく、暗い階段へ足を踏み入れた。


「ほら、ついてきて」


壁に並んだ灯りが、奥へ向かってひとつずつ灯っていく。


大司祭の長い金色の髪が、暗闇の中へ消えていった。


なんだか、すごく怖い。


でも──


俺はヴァルガを振り返る。


黒い結晶は、白い広間の中央に立ったまま動かない。


その姿を目に焼きつけ、レオンと並んで地下へ続く階段を降り始めた。


背後から、シンの足音がついてくる。


階段は、想像していたよりも深く続いていた。


降りるほど空気が冷たくなり、足音が石壁に反響する。


やがて大司祭の足が止まった。


目の前には、白い石で造られた大きな扉がある。


大司祭が手を触れると、扉の表面に金色の紋様が浮かび上がった。


重い音を立てながら、ゆっくりと左右へ開いていく。


その先にあったのは、広間ほどではないものの、天井の高い部屋だった。


中へ足を踏み入れた瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でる。


部屋の中央には、白い棺が六つ並んでいた。


左右に三つずつ。


どれも同じ形をしていて、表面には女神を象った紋様が刻まれている。


棺の前には、それぞれ小さな台が置かれていた。


学生服、腕時計、女性のパンプス。

黒いランドセルまであった。


持ち主を失った品々が、まるで供え物のように並べられている。


「これ……」


声が、冷たい部屋の中へ響いた。


大司祭は楽しそうに、棺の間を歩いていく。


「君たちより前に、この世界へ呼ばれた人たち」


その声には、死者を悼むような響きが少しもなかった。


「この世界へ呼ばれた人はね、神殿の外で命を落とすと、その瞬間、亡骸だけがここへ戻されるんだ。召喚の術式が、身体に残っているらしいよ」


レオンは何も言わず、棺をひとつずつ見つめている。


隣に立つシンも、固い表情のまま目を伏せていた。


「せっかくだから開けてみようか」


その言葉にぎょっとする。


大司祭は構わず、シンを伴って棺を開けていった。


遺体を見るのが怖くて、隣にいるレオンにしがみついて目を瞑る。


棺の重い音がするたび、嗅いだことのないような匂いが強くなる気がした。


やがて音が止んだ。


「ほら、晴斗くん。君の先輩たちだよ」


「これは……」


固いレオンの声に、恐る恐る目を開く。


開いているのは四つの棺だった。


棺の中には、ミイラのようになった干からびた遺体が置いてある。


どれも同じようで、生々しい血が見えないだけ、まだ少しはマシに見えた。


やがておかしいことに気づいた。


全ての遺体は、ひどく小さくなっている。


ぼろぼろの布みたいになっていて、よくわからない。

それでも、人間の体にしては小さすぎる気がする。


「……死んでから、切り取られている」


小さな呟きに、俺はレオンを見た。


「……え?」


「遺体の劣化具合にしては、切断面がきれいすぎる」


レオンは大司祭を見た。


「あんた……こいつらに何をした?」


大司祭はレオンに睨まれても、笑顔を崩さなかった。


「聖剣のような武器を作れないかなって思ったんだ」


「……武器?」


突然関係ない話をされたみたいで、思わず聞き返した。

レオンも怪訝な顔をしている。


「はるか昔、二つの宝珠は、どちらも人間のものだった」


大司祭は棺の間をゆっくりと歩きながら、話し始めた。


「一つは、願えば武器を作り出してくれる戦禍の宝珠。もう一つは、マナの力で大地を豊かにしてくれる循環の宝珠」


ヴァルガも言っていた。

戦禍の宝珠は武器を生み、争いの力を増幅させるものだと。


それが、この遺体となんの関係があるんだ?


「でも、二つとも魔族に奪われてしまった。人間たちは宝珠を取り戻すために、異世界から勇者を召喚したんだ」


大司祭が、一番奥にある棺の前に立った。


「そして初代勇者様が、戦禍の宝珠だけは取り戻してくれた」


大司祭が目の前の棺に跪き、縁をそっと撫でる。そこには、一番古そうな遺体が入っていた。


「でもね。取り戻した戦禍の宝珠は、以前のように、この世界の人間が願うだけでは武器を作れなくなっていたんだ」


「どうして……?」


「それは分からない。長いあいだ魔族の手にあったせいなのか、それとも別の理由があるのか」


大司祭は楽しそうに首を傾ける。


「魔王との戦いで瀕死になった初代勇者様は、取り戻した宝珠へ願い、聖剣を作り出した。そして、そのまま亡くなったそうだよ。聖剣だけを、この世界に残してね」


奏が持っている、あの剣。


白く輝く刃が、黒い結晶へ叩きつけられた光景を思い出した。


「その聖剣も、普通の人間には扱えなかった。持つことはできても、本来の力を引き出せない」


大司祭は、そこで部屋の奥を指さした。


「そこで当時の大司祭は、二代目の勇者様にも、誰にでも扱える武器を作ってほしいと頼んだんだ」


薄暗い壁に、一本の白い剣が飾られている。


奏の聖剣によく似た刃が、今も淡い光を放っていた。


「あれが、二代目勇者様の作った武器。それもやっぱり、勇者にしか使いこなせなかった」


大司祭はおかしそうに笑った。


「勇者が一人しかいないのに、聖剣が二本あっても無意味でしょう? だから今は、ここに飾ってあるんだ」


あまりにも軽い言い方に、何も返せなかった。


「それと、遺体を切り刻んだことに何の関係がある」


レオンの低い声が、大司祭の話を遮る。


「私は文献を読み漁って、このことを知った」


大司祭は開かれた棺を見渡した。


「どうにか、勇者ではない人間でも戦禍の宝珠を使えないか。そこから作り出した武器を、誰にでも扱えるようにできないかって考えたんだ」


声が、少しずつ弾んでいく。


まるで自分の研究を褒めてほしいみたいだった。


「何度も失敗した。でも、何年もかけて、ようやく作り方を見つけたんだ」


「シン」


大司祭の呼びかけに、俺たちの背後にいたシンは、自分の剣をゆっくりと抜いた。


黒い刀身。


シンだけじゃない。

あの黒い剣はたくさんの兵士が持っていた。


あれほどの数の武器を作るために、ここの遺体は切り刻まれていたのか。


「きれいでしょう? うっとりしちゃうよね」


大司祭はしばらくシンの剣を眺め、それから干からびた遺体へ白い指を向けた。


「宝珠が勇者にしか応えないなら、勇者そのものを混ぜてしまえばいい」


「いろいろ試したよ。髪や皮膚、骨も、少しずつ量を変えてね」


大司祭は、懐かしむように目を細めた。


「勇者の身体の一部を宝珠に触れさせて、あとは作りたい武器を願うだけ」


そこで、可笑しそうに笑った。


「あれだけ試行錯誤したのに、答えは驚くほど簡単だったんだ」


レオンにしがみつく手に、力がこもった。


「そんなもののために……」


「そんなものじゃないよ」


大司祭は驚いたように目を瞬かせ、笑みを引っ込めた。


「聖剣ほどではないけれど、とても強い武器が作れるんだ。リヴェルトを守るために、ずっと役立ってくれている」


まるで、勇者たちが死んだあとも自分から国を守り続けているような言い方だった。


「それに、この武器は売ればお金にもなるよ。他国と取引して、痩せた土地しかないリヴェルトがなんとかやっていくためにね」


兵士だけじゃなく、他国にまで?


棺の中を、もう一度見ることもできなかった。


それでも、台の上に置かれた遺品が視界に入ってしまう。


綺麗に並べられたそれらは、まるで死者に敬意を払っているようで──


胃の奥から、何かが込み上げた。


「不本意だけど、お金は大事だからね。この国を維持するのにも、私の望みを叶えるにも」


大司祭は嬉しそうに笑った。


「ほら。無駄になんてしてないでしょう?」


めまいがして、崩れ落ちないよう足に力を込めた。


その時、すぐ近くにある閉じられた棺が目に入った。


「……あとの二つは?」


大司祭は、閉じた棺へ目を向ける。


「まだ空だよ」


「じゃあ、なんで……」


「なるべく使いたくはないんだけど……一応、ね」


それ以上、大司祭は何も言わなかった。


空の棺が二つ。


この世界へ呼ばれた俺たちも、二人。


そこまで考えて、ぞわりと背筋が凍った。


違う。


考えたくない。


「レオン……」


体の震えが止まらない。


「もういい。今すぐ、ここを出よう」


けれど、レオンは動かなかった。


大司祭を睨みつけたまま、低い声で尋ねる。


「勇者の遺体から、武器を作った。なら、魔族の遺体からは何を作った?」


しがみついていたレオンの腕が、硬く強張っている。


大司祭が小首を傾げた。


「魔族の遺体って?」


「とぼけるな」


レオンの声が震えていた。


「魔族の遺体を集めて、黒濁を作ってる。ミレグを襲うよう指示したのも、あんただろ」


大司祭はしばらくレオンを見つめ、やがて嬉しそうに目を細めた。


「嬉しいなあ……! 君、興味津々なんだね」


そして部屋の奥を指さした。


「それなら、ほら、おいで! とっておきのものを見せてあげるよ」


大司祭は、部屋の奥へ軽やかに歩き出す。

やがて立ち止まり、こちらを振り返って、にこにこと手招きした。


二代目勇者の剣が飾られた壁。その脇に、黒い鉄の扉がある。


棺に気を取られて、今まで気づかなかった。


大司祭が扉を押し開ける。


その先には、狭い通路が伸びていた。


「ほら、こっちだよ」


大司祭は迷いなく暗い通路に入っていく。


レオンも大司祭のあとに続こうとする。

俺は慌ててレオンの腕を引っ張り、止めた。


「レオン……! 俺は行きたくない!」


レオンは逆に俺の腕を掴み、前を見たまま口を開いた。


「俺から離れるな」


その表情は暗く、目だけがぎらりと光っている。


「レオン……?」


腕を引かれる。

後ろにはシンが立っていて、引き返すこともできない。


俺はレオンについていくしかなかった。

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