第四十九話 魔王の番
「なんなんだよ、これ」
奏が、聖剣を握ったまま大司祭を睨みつける。
「邪魔するな!」
「もー、奏くん。そんなに熱くならないで」
大司祭は困ったように笑い、それからシンへ目を向けた。
「シン、もういいよ」
その言葉に、俺を掴んでいた腕の力が緩む。
咄嗟に駆け出した。
ヴァルガを覆う黒い結晶へ、ぶつかるように抱きつく。
「ヴァルガ……!」
呼びかけても、反応はない。
拳で叩いてみても、傷一つつかなかった。
「ヴァルガ! 返事してくれ!」
何度も叩いていると、細い指が俺の手首を掴んだ。
「晴斗くん。怪我しちゃうよ」
「なんで、こんなこと……」
「ヴァルガくんは、死んでないよ。むしろ助けたんだ」
大司祭の手を振りほどき、縋るように訴える。
「これ、壊してくれ!」
「駄目だよ。だって、ヴァルガくんって──」
大司祭の手が、ヴァルガの身体を覆う黒い結晶へ触れる。
眼帯に覆われていない淡紫色の瞳が、俺を見下ろした。
「魔王だろ?」
どくん、と心臓が鳴る。
何も返せずにいる俺を見て、大司祭は吹き出した。
「分かるよ、そりゃ。勇者である奏くんを相手に、最後まで本気を出さなかったんだ」
「さしずめ晴斗くんは、魔王の番ってことかな? もしかして、ヴァルガくんが君をここから連れ去った? それなら納得がいく」
大司祭は笑いを収め、ヴァルガの胸元を指さした。
「それに、これ。循環の宝珠、持ってきてるよね?」
レオンの顔色が変わった。
神官服の内側から小剣を抜き放ち、大司祭へ斬りかかる。
甲高い金属音が響いた。
割って入ったシンが、その刃を剣で受け止めている。
小剣は大きく弾かれ、レオンが後ろへ飛び退いた。
「ああ、やっぱりレオンくんも魔族なんだ」
大司祭は驚く様子もなく、シンの背後で笑っていた。
「安心して。私は宝珠には、あまり興味がないから」
リヴェルトは、その宝珠を奪うために勇者を送り出しているんじゃないのか?
俺の疑問を見透かしたように、大司祭はわざとらしくため息をついた。
「あ、ごめん。嘘。体裁があるからね。一応、あとでいただくことになるけど」
黙っていた奏が口を開く。
「……大司祭。俺も晴斗と同じだ。ヴァルガの拘束を解け」
「駄目だって。魔王は然るべき日に、みんなの前で処刑しないと」
大司祭が、楽しそうに目を細める。
「その方が、感動的でしょう?」
「ふざけるな!」
奏が、黒い結晶に閉じ込められたヴァルガへ聖剣を突きつける。
「そんなことのために、俺を止めたのか!」
白い刃が、怒りに応えるように強く輝いた。
「俺は晴斗を連れて、元の世界に帰る。そのために、こいつを倒さなきゃいけないんだ!」
大司祭は、宥めるように笑う。
「分かってるよ。だから処刑の日には、奏くんに斬らせてあげる」
「そんな日まで待てるか!」
奏の声が、広間に響いた。
「俺は、こいつを殺すって……」
その声は震えていた。
聖剣を握る手に、力がこもる。
「……せっかく、決めたのに……!」
聖剣が振り上げられ、咄嗟にヴァルガの体を抱きしめる。
結晶が邪魔して腕を回すこともできなかった。
俺を避けるように、刃が黒い結晶の肩口へ叩きつけられる。
甲高い音とともに、白い光が弾けた。
けれど、結晶には傷一つつかない。
「無駄だよ。さすがの奏くんにも、これは壊せない」
「だったら、今すぐお前が解け!」
奏が大司祭へ詰め寄ろうとする。
その前へ、シンが静かに立ちはだかった。
「どけよ」
「大司祭様へ近づくことは許しません」
「お前なんて……簡単に殺せる」
「……できるのですか? 今のあなたに」
奏が息を呑んだ。それでもシンを睨みつける。
奏の手にある聖剣が、さらに光を増した。
「奏くん」
大司祭はシンの背後から、困ったように呼びかける。
「晴斗くんの治療は、これからも続けるよ」
奏の表情が、わずかに揺れた。
「失われた生命力は戻せない。でも、残された器を神力で満たせば、身体への負担は減らせる」
「だから、少しだけ待って。希望を見出したい民のことも考えてあげてほしいんだ」
「民なんて、今は関係ないだろ」
「関係あるよ。君は勇者なんだから」
大司祭の声は、どこまでも優しかった。
「魔王を倒したことを国中に知らせれば、みんな安心できる。長く続いた戦いが終わるんだって、希望を持てるんだよ」
奏は何も答えない。
「それに──」
大司祭は、わずかに首を傾げた。
「君が魔族と一緒にここまで来たことも、見なかったことにしてあげる」
「もちろん、晴斗くんもね」
奏の目が鋭くなる。
「……脅してるのか」
「まさか。お願いしてるだけだよ」
大司祭は笑顔を崩さなかった。
「君には、これからも勇者でいてほしいから」
聖剣の光が揺らぐ。
奏はしばらく大司祭を睨みつけていた。
それから、黒い結晶に閉じ込められたヴァルガへ目を向けた。
聖剣を握る手から、少しずつ力が抜けていく。
やがて白い光が消え、刃が鞘へ収められた。
レオンが何も言わず、黒い結晶へ近づいてくる。
気づけば、俺たちは黒い結晶を囲むように立っていた。
表面へ慎重に手を触れ、金色の光の流れを確かめるように目を細めた。
「これは……一体……」
大司祭の方を見る。
「あんた、何をしたんだ」
大司祭はシンの背後から、レオンの方に身を乗り出す。
「気になる? 今度教えてあげる」
俺はレオンに尋ねた。
「……これ、壊せないのか?」
レオンは重々しく口を開く。
「……無理に壊せば、ヴァルガの身体まで傷つける可能性がある」
「そんな……」
レオンは大司祭を睨みつけた。
「拘束を解く方法は」
「私にしか分からないよ」
大司祭は楽しそうに答える。
レオンが、手にした小剣を再び構えた。
「あんたを拷問して、無理やり解かせる方法だってある」
シンも剣を構える。
「させません」
「俺は奏様のように、優しくはないぞ」
レオンの低い声に、シンの目が鋭くなる。
それでも、大司祭は笑ったままだった。
「やってみる?」
黒い結晶へ、細い指を滑らせる。
「でも、私に何かあれば、この拘束は二度と解けないかもしれないよ」
「それに、晴斗くんの治療もできなくなる」
奏がはっとして、レオンの方を向いた。
「レオン! やめろ!」
「……卑怯者が」
「そうかな。私は二人を助けてあげたいだけなのに」
レオンは大司祭を睨みつけながら、それでも小剣を下ろした。
それを見て、大司祭は満足そうに微笑んだ。
「さあ、今日はもう終わりにしようか」
大司祭の明るい声が、静まり返った広間へ落ちる。
「みんな疲れたでしょう。晴斗くんも、部屋へ戻って休んだ方がいいよ」
「……戻らない」
「晴斗?」
奏が顔を上げた。
「俺は、ここにいる」
ヴァルガを覆う結晶へ、身体を寄せる。
表面は、石のように冷たかった。
「ヴァルガを一人にしたくない」
「だったら、俺も残る」
奏はすぐに答えたけど、俺は奏の方も見ずに言った。
「二人でいたいんだ」
「晴斗……」
俺は、結晶の中に残された赤い瞳を見上げた。
「お願いだ」
「……だったら、俺は部屋の外にいる」
「奏は休んでくれ。俺は大丈夫だから」
「でも……」
「お願いだ」
奏は何かを言いかけ、口を閉ざした。
俺とヴァルガを交互に見つめる。
その顔が、また苦しそうに歪んだ。
「……分かった。また、様子を見に来る」
掠れた声だった。
レオンは、眉間に皺を寄せて俺を見ていた。
「俺は扉の外にいる。お前まで一人にはできん」
大司祭が大袈裟にため息をつく。
「やれやれ、過保護だねえ。この神殿内で何が起こるっていうの」
レオンは鋭い目つきで大司祭を睨みつけた。
「レオンも、もういいよ。大丈夫だよ」
大丈夫だなんて、何の根拠もない。
でも、早くみんなどこかへ行ってほしかった。
大司祭は俺をじっと見つめ、やがてあっさりと頷いた。
「それじゃあね、晴斗くん。君は君の好きにするといいよ」
その優しく気遣うような声にも、返事はしなかった。
「さあ、みんな出ていこう。レオンくんもほら」
レオンはしばらく動かなかった。
「……何かあったらすぐ呼べ」
そう言い残し、ようやく扉へ向かう。
複数の足音があとに続いた。
やがて重い音がして、扉が閉まる。
冷たい結晶へ額を押し当てた。
「ヴァルガ……」
今はただ、もう一度あいつの声が聞きたかった。
***
もう、どれくらい経っただろう。
あれから、奏が食事と毛布を届けに来た。
「レオンがずっと見張ってたから、休んでもらった。今度は俺が代わるよ」
「……邪魔、しないから」
そう言って、すぐに広間を出ていった。
それらは、手をつけられないまま置いてある。
食事から上がっていた湯気は消え、すっかり冷めていた。
俺はヴァルガの足元に寄り添い、膝を抱えて座っていた。
ずっと触れているのに、黒い結晶は冷たいままだった。
指にはめた指輪へ、そっと触れる。
このまま何もできずに、ヴァルガが処刑されるのを待つしかないのか。
ばれたらこうなるって分かってたのに、ヴァルガは俺のために来てくれた。
ぽたりと涙がこぼれる。
「……ばか……」
ヴァルガは、大司祭のことをずっと警戒していた。
あれは俺への嫉妬だけじゃなかった。
きっと、何か危険なものを感じていたんだ。
なのに、いつも俺のことばっかり。
少しは、自分のことも考えろよ。
「……お前が死んだら……」
声が震えた。
「俺が悲しいの……全然分かってないじゃん」
俺は正面にある、大きな女神像を見上げた。
慈愛に満ちた優しい顔で、俺を見下ろしている。
リヴェルトにある神様の像に、魔王のことを祈るのは無意味なことかもしれない。
でも、それでも──
「神様……ヴァルガを、助けてください」
「こいつ、何も悪いことしてないんだよ……」
言いながら、涙が止まらなくなった。
膝に顔を埋める。
その時、広間の扉が静かに開く。
顔を上げると、厚い掛け布団を抱えたシンが立っていた。
「奏様に許可を取りました。帯刀もしておりません」
シンは広間へ入ると、振り返って重い扉を閉めた。
こちらに歩いてきたシンは、手つかずの食事へ目を落とす。
その隣には、畳まれたままの毛布。
そして、冷たい床に座り込んだ俺を見た。
何も言わずに近づき、持っていた掛け布団を肩へ掛けてくれる。
柔らかな羽毛が、身体を包んだ。
咄嗟に跳ね除けてしまう。
ばさりと掛け布団が床に落ちた。
「ここは、冷えます。お体に障りますので」
「……大司祭の命令?」
シンは黙って静かに首を振った。
「……あんたはあいつの仲間だ。そんなやつに、優しくされたって……」
シンは答えなかった。
黒い結晶に閉じ込められたヴァルガを見上げ、苦しそうに眉を寄せている。
しばらくして、低い声が落ちた。
「晴斗様」
俺はシンを見上げた。
「今夜のうちに、この神殿からお逃げください。あなただけでも」
「……は?」
痛みを含んでるような眼差しに、じわじわと怒りが込み上げる。
「……この状況って、あんたの大事な大司祭が、やったことだろ?」
「今さら、なに?」
乾いた笑いが出た。
軽蔑の目でシンを見つめる。
シンは俯き、目を閉じた。
「……私には、あの方を止めることはできないのです」
やがて目を開き、広間の奥にある女神像へ視線を向ける。
その足元を見つめて呟いた。
「……あなたがここにいれば、大司祭様はさらに歪んでしまう」
シンの声が、わずかに震えた。
「私は……彼を、解放してやりたいのです」
その横顔はひどく苦しそうだった。
でも、だからなんだ。
ヴァルガは捕まって、処刑されそうなのに。
「……あんたが大司祭を大事に思うように、俺もヴァルガが大事なんだ」
「一人だけ逃げたって、意味なんかないだろ……」
俺は立ち上がって、ヴァルガを見上げた。
結晶から覗く赤い瞳を近くで見たいのに、腕を伸ばしても顔までは届かなかった。
ヴァルガ。
お前が屈んでくれないと、届かないよ。




