第四十五話 大事な人
※四十四話について
投稿時に冒頭約2300文字が欠落していたため、7月28日に追加修正しました。すでに読まれた方は、冒頭から読み直していただけますと幸いです。
翌朝、扉を叩く音で目が覚めた。
ぼんやりと目を開けると、すぐ目の前に褐色の胸がある。
ヴァルガの腕に抱き込まれたまま、俺は何も身につけずに寝ていた。
身体のあれやこれやが痛い。
昨日は二人とも、いつの間にかそのまま眠ってしまったらしい。
もう一度、扉が叩かれる。
はっとして飛び起きようとすると、同時に目を覚ましたヴァルガに止められた。
「晴斗? 起きているか?」
レオンの声だった。
ほっとして返事をしようとした途端、ヴァルガの手に口を塞がれる。
「お前のそんな姿を、たとえレオンでも見せられない」
そう言って、ヴァルガは俺を布団でぐるぐる巻きにした。
「それに」
再び扉へ顔を向ける。
「もう一人いるな」
奏か?
そう思っていると、聞き覚えのある固い声が扉越しに響いた。
『晴斗様。お目覚めでしょうか』
「シンさん……?」
反応がないせいか、遠慮がちにノブを確かめる音がして、びくりと身体が跳ねた。
と、とりあえず服を着ないと!
散らばってる服に手を伸ばそうと、巻かれた布団からどうにか手を出そうとする。
その間に、ヴァルガが素早く起き上がった。
「俺が出る」
ヴァルガも全裸だった。
「ちょ、待て! 服!」
俺が声を上げると、ヴァルガは手近な布を適当に腰へ巻きつけ、扉へ向かう。
鍵を外し、わずかに扉を開けた。
「二人して、朝から何だ」
「起きてこないから飯を……って、ヴァルガ……」
隙間から、レオンの呆れた顔が覗く。
その隣に立つシンも、心なしか驚いているように見えた。
レオンは深いため息をついた。
「……さっき廊下で会ったんだよ」
シンの視線が、ちらりとこちらを向く。
すぐにヴァルガが動き、俺を隠すように立ち塞がった。
「……大司祭様より、晴斗様をお連れするよう命じられております」
俺は何も言えず、巻かれた布団へ顔を埋めた。
「分かった。支度ができたら、こちらから出向く。待たずともよい」
代わりに答えたヴァルガは、ほとんど裸だ。
俺を隠したって、ヴァルガが裸同然じゃ意味ないだろ……。
「承知いたしました。後ほど治療室にお越しください。場所は……」
ヴァルガは煩わしいと言うように髪をかきあげる。
「どこぞの神官に聞く。レオンもいる」
シンは一礼して一歩下がった。
どこまでも平静だ。
それが余計に恥ずかしい。
レオンは片手でこめかみを押さえ、持っていた盆をヴァルガへ突き出した。
「……晴斗の分だ。お前のはない」
「問題ない」
盆を受け取ったヴァルガは、何事もなかったように扉を閉める。
丁寧にまた鍵をかけた。
「ほら、晴斗。朝食だ」
にこにこと笑いながらベッドへ腰掛け、スープを掬って俺の口元へ差し出した。
そのスプーンを見つめながら、さっきの二人の反応を思い出す。
特に、あのシンの。
ヴァルガとの仲を隠したいわけじゃない。
それでも、この見つかり方は……。
「晴斗? どうした?」
心底分からないという顔をするヴァルガに、俺はがくりと脱力した。
***
朝食と身支度を終えて、俺とヴァルガは部屋の外へ出た。
途中で出会った神官に治療室の場所を尋ねると、そこまで案内してくれることになった。
道案内を終えた神官は、まだ仕事があるらしく、足早に廊下の向こうへ戻っていく。
俺は少し緊張しながら、扉を叩いた。
返事はない。
もう一度ノックしてみても、反応がなかった。
「大司祭様は、まだ来てないのかな」
シンが呼びに来てからずいぶん経ってしまっている。
ヴァルガが、わざわざ湯船に湯を張ったせいだ。
「出直そうか」
俺がそう言うのとほとんど同時に、ヴァルガが無遠慮に扉を開けた。
「中で待てばいい」
そう言って、さっさと中へ入っていく。
「あ、おい……」
扉を閉めるのも忘れて、慌てて後に続く。
そこは窓のない静かな部屋だった。
白い石壁には祈りの言葉が刻まれ、淡い光を放つランプがいくつも掛けられている。
部屋の中央には、白い布を掛けた細長いベッドのようなものが一つ。
その脇には、水差しと金属の器を載せた小さな台が置かれていた。
薬草や治療道具らしきものは、どこにも見当たらない。
病人を治す部屋というより、何かの儀式をする場所みたいだった。
ヴァルガは、窓のない治療室が気に入らないらしく、不機嫌そうに室内を見回している。
「窓がない。ここで治療だと? 晴斗、俺も絶対にそばにい──」
俺を振り返ったヴァルガの顔が、驚きと怒りに歪んだ。
「え?」
疑問が浮かんだ瞬間、後ろから勢いよく抱き締められる。
「やっほー! お待たせ」
甘くて軽い声。
視界の端に映る金色の髪で、誰なのか分かった。
「だ、大司祭様……」
「晴斗から離れろ!」
ヴァルガが、ものすごい形相でこちらへ向かってくる。
大司祭はぱっと俺から手を離し、悪びれもせず舌を出した。
「ヴァルガ! 離れたって!」
それでもヴァルガの勢いは止まらない。
大司祭を庇うように、白銀の甲冑が俺たちの前へ割って入った。
「シンさん……」
「治療室ではお静かに。それに、大司祭様へ失礼のないようお願いいたします」
「大司祭の犬か」
ヴァルガが皮肉げに笑う。
お前も似たようなものだろ……とは、突っ込める雰囲気ではなかった。
「なんとでも」
シンは動じることなく、ヴァルガを正面から見据えた。
その隣で、大司祭が楽しそうに手を叩く。
「ははっ、シンが犬だって。ほら、お手」
大司祭がシンの前へ、手のひらを差し出した。
「お戯れはおやめください」
シンはわずかに眉を寄せると、大司祭の後ろへ下がり、壁際に姿勢を正して立った。
ヴァルガはいまだに、大司祭とシンを睨みつけてはいるけれど、飛びかかりそうな雰囲気はとりあえずなくなった。
大司祭はそんなヴァルガに、手を合わせて申し訳なさそうにする。
「ごめんね、ヴァルガくん。晴斗くんと仲良くなりたくて、つい」
「これからしばらく、二人きりで治療することになるからさ。少しでも緊張をほぐしておきたかったんだ」
その言葉に、ヴァルガが目を剥いた。
「なんだと? 俺もここにいる」
「それは困るなあ」
大司祭は俺へ視線を移した。
「治療中は、晴斗くんと二人きりにしてもらうよ」
「なぜだ。昨日は皆一緒にいた」
大司祭は、うーんと唸りながら首を傾けた。
「昨日のは、ほんのちょっと味見しただけ。今日からは、晴斗くんの身体をもう少し詳しく診ながら、神力を馴染ませていくんだよ」
それから、ヴァルガへ困ったような笑顔を向ける。
「私も集中したいからね。隣で君にそんな怖い顔をされていたら、治療どころじゃないよ」
ヴァルガは言い返さず、俺を見た。
赤い瞳には、ここに残りたいという気持ちがありありと浮かんでいる。
俺はヴァルガを見返し、頷いた。
「大丈夫だよ、ヴァルガ」
「だが……」
心配でたまらないという表情に胸が痛んだ。
「……じゃあさ、お前は扉の向こうで待っててくれる? すぐそこにいてくれたら、俺も安心できるから」
「晴斗……」
大司祭が肩をすくめて口を挟む。
「結構、長くかかると思うけど」
「……構わん」
ヴァルガは俺の前まで来ると、その手を強く握った。
そのまま大司祭を睨んで、低い声で告げる。
「扉に鍵はかけるな」
大司祭は、やれやれとでも言いたげに頷いた。
「晴斗。何かあれば、すぐに俺を呼べ。必ず駆けつける」
扉一枚隔てるだけなのに、その声はひどく思いつめていた。
俺は安心させるように笑いかけ、その手を握り返す。
「分かった。絶対に呼ぶから」
***
ヴァルガとシンが出ていき、部屋には大司祭と俺だけが残った。
大司祭は、治療の準備らしきものを始めている。
金属の器に水を張り、白い粉のようなものをベッドの周囲へ撒いていく。
何をしているのか尋ねるほどの勇気はなく、俺は手持ち無沙汰に部屋を見回した。
窓のない部屋は、なんだか息苦しい。
大司祭が立てる小さな物音まで、やけに大きく響いている。
それに、このお香みたいな独特の匂いも苦手だ。
さっき撒いていた粉から香ってるのかな……。
早く終わらせて、ここを出たい。
ヴァルガに会いたい。
扉のすぐ向こうにいると分かっているのに、もう心細くなっている。
左手の指輪の感触だけが頼りだった。
「晴斗くん」
不意に両肩をポンと叩かれ、身体が跳ねる。
振り向くと、大司祭が微笑んでいた。
「そんなに緊張しないで。昨日やったことを、少し長くするだけだから。ほら、そこに座って」
指し示されたのは、部屋の中央にあるベッドのような台だった。
俺はおそるおそる腰を下ろす。
「上半身だけでいいから、脱いでくれる?」
「えっ!?」
確かに、病院の診察でも、素肌に聴診器を当てたりする。
ああいうことか?
でも──
「本当は全部脱いでもらった方が診やすいんだけど、ヴァルガくんに知られたら大変そうだからね」
大司祭は、くすくすと笑っている。
治療のためなら仕方ない。
そう自分に言い聞かせ、シャツのボタンを外して上半身だけ脱いだ。
大司祭は俺のシャツを受け取ると、代わりに薄い布を差し出してきた。
こんなもの一枚では、ひどく心許ない。
それでも受け取り、肩から身体を覆う。
「じゃあ、そこに横になってね」
言われたとおり、台の上へ身体を横たえた。
薄い布越しにも、背中に触れる台はやけに冷たく感じた。
大司祭は器の水で手を濡らす。
そして、薄い布を少しずらして俺の胸元へ手を触れた。
「少し冷たいよ」
言葉どおり、水に濡れたひやりとした指先が肌をなぞる。
鎖骨の下から胸の中央へ。
そこから脇腹へ移り、身体の内側を探るように、ゆっくりと押さえていく。
触れないと治療できないと言っていたし、変な触り方をされているわけでもない。
そう分かっていても、落ち着かなかった。
「力を抜いて。そんなに固くならなくても、何もしないよ」
「……はい」
言われて、どうにか身体から力を抜こうとする。
大司祭の掌から、昨日と同じ温かさが流れ込んできた。
身体が、少しずつ柔らかくほどけていく。
「ねえ、晴斗くん」
「はい?」
「晴斗くんは、ヴァルガくんと付き合ってるの?」
あまりに直球な質問に、思わず大司祭を見た。
片方だけの淡い瞳が、面白そうに俺を見つめている。
「……そう、ですけど」
隠すことでもないと思い、素直に頷いた。
「まあ、そうだよね。あれだけ嫉妬を丸出しにされれば、聞くまでもなかったかな」
大司祭は笑いながら、ふいに俺の胸元へ目を留めた。
「あ。これ、昨日つけられた跡?」
「えっ!?」
反射的に起き上がり、薄い布で胸元を隠す。
どこだ!?
昨日はそんなことまで確認している余裕なんてなかった。
慌てて自分の胸元を覗き込んだけれど、それらしいものは見当たらない。
顔を上げると、大司祭が口元を押さえて笑っていた。
「冗談だよ。何もついてない」
「なっ……!」
「でも、その反応だと当たってたみたいだね」
一気に顔が熱くなる。
やられた。
「二人とも、かわいいね。見てると、ついからかいたくなっちゃう」
なんだか、少しかちんときた。
奏にもシンにもこんな軽口ばかりだった。
多分性格なんだろう。
でも──
「……俺のことはいいですけど……あんまりヴァルガを刺激しないでください」
思ったよりも強い声が出た。
大司祭が、わずかに目を瞬く。
「俺の大事な人なんで」
ヴァルガは、俺のためなら何をするか分からない。
でも、それだけじゃない。
大司祭に面白半分でからかわれているヴァルガを、見たくなかった。
「……そっか」
大司祭は短く答えた。
「昔、ヴァルガくんみたいな男がいたよ」
「私にまとわりついて離れなかった。どんなに突っぱねても、しつこく付きまとってきてね」
「……魔族だった」
心臓が跳ねた。
もしかして、その人、番だったのか?
ヴァルガのことはバレてないよな……?
思考がぐるぐる回って取り繕うこともできない。
そんな俺を見て、大司祭はふっと目を細めた。
俺ではなく、どこか遠くを見ているようだった。
「本当に馬鹿なやつだったなあ……」
笑ってはいたけれど、その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
「あの……」
なんだか声をかけた方がいい気がしたのに、言葉が続かない。
大司祭はにっこりと笑った。
「分かった。ヴァルガくんのこと、気をつけるよ。だから、もう一度横になって?」
おそるおそる身体を横たえる。
大司祭の手が再び胸元へ触れ、温かな神力が流れ込んできた。
さっきまで気になっていた香りが、少しずつ濃くなっている気がする。
瞼が重い。
身体から力が抜け、ベッドへ沈んでいく。
「……なんか、眠く……」
「神力が馴染み始めたんだよ。身体が休もうとしてるだけだから、心配しないで」
優しい声だった。
けれど、ヴァルガには、何かあればすぐ呼ぶと約束した。
眠ってしまってもいいのだろうか。
「でも、ヴァルガが……」
「大丈夫。すぐ外にいるよ」
大司祭の指が、俺の髪をゆっくりと撫でる。
やがて白く変わった部分で止まり、その一房をそっとすくい上げた。
「ここ、前は黒かったのに」
もう、返事をすることもできない。
「寝ていいよ。治療が終わったら、ヴァルガくんにもちゃんと会わせてあげるから」
意識が沈む直前、大司祭の手が胸の中央で止まった。
「……なるほどね」
何かを確かめるような声が聞こえた。
それがなんなのか考える間もなく、俺の意識は暗闇へ落ちた。




