第四十三話 客人として
配給の広場を離れ、俺たちはもう一度、神殿の門へ戻った。
さっきの神官に言われた通り、レオンが俺の名前を出すと、門番の態度は目に見えて変わった。
しばらく待たされるものだと思っていたのに、神官が奥へ確認に走り、戻ってくるなり俺たちは列から外された。
「晴斗様ですね。お話は伺っております」
そう言われてすんなりと神殿の中へ通された。
神殿の中は、外の喧騒が嘘みたいに静かだった。
白い石造りの廊下が奥へ伸び、壁には祈りの言葉らしき文字が刻まれている。
あまりにもあっけなくて、少し拍子抜けする。
さっきまでの緊張は何だったんだろう。
「……もしかして、俺のこと覚えてる人がいるってこと?」
俺はいちおう、奏と一緒に召喚された。
名前を覚えられてて、神殿の出入りは許可されてるのかもしれない。
レオンは少し考えて首を横に振った。
「……お前は神殿内で、見事なくらい誰にも相手にされてなかったからな。今さらそれはないだろう」
なんだかちょっとがっかりした。
まあ、俺は奏と違って凡人だから仕方ない。
「奏様が、名前を出しておいてくれたのかもしれん」
「ああ……そっか」
その可能性に思い至って、少しだけ胸が軽くなった。
奏が、俺たちのことを伝えてくれていたのかもしれない。
それなら、すぐに会える気がした。
レオンは神殿の奥へ視線をやり、わずかに目を細めた。
「少なくとも、門の中には入れた。今はそれでよしとしよう」
そう言って、レオンは俺の頭をくしゃりと撫でる。
「……うん」
俺は頷いて、ヴァルガと一緒にレオンの後についていった。
ふと横を見ると、ヴァルガの表情は固かった。
フードの陰で胸元へそっと手をやり、宝珠を確かめるように触れている。
「ヴァルガ?」
呼びかけると、ヴァルガは手を下ろした。
「いや、なんでもない」
***
神殿の中に入ってすぐ、神官が奏のところへ案内してくれることになった。
「では、ご案内いたします」
そう言って歩き出そうとした時、廊下の奥から声がした。
「その方々は、私が案内しよう」
その声を聞いた瞬間、昨日の光景が脳裏をよぎった。
白銀の甲冑。
青いマント。
黒い髪に、切れ長の目。
ウィルダの広場で、奏を連れて行った男。
その姿を認めた途端、反射的に肩が強張る。
冷たい目で兵士を統率していた。
ヴァルガも警戒したように、俺を自分の後ろに隠した。
「へえ、お偉い団長様が自ら案内を?」
レオンが皮肉げに男を見た。
彼はそれには答えず、一礼した。
「シン、と申します。こちらへ」
丁寧な態度に、レオンも片眉をあげた。
黙っていたヴァルガが、俺を背に庇ったままシンを見据えた。
「……俺たちを客人として迎える、ということか」
シンは、静かに頷く。
表情が読めない。
でも、きっと大丈夫。
ヴァルガたちが魔族だってことは分かっていないはずだ。
だって、もしバレていたら、ウィルダの時みたいに……
ヴァルガが俺を振り返った。
「晴斗」
呼ばれて、びくりと震えた。
「行こう」
手を差し出されて、それを握る。
ヴァルガの手の温もりを感じて、初めて自分の手がひどく冷えていることに気づいた。
***
案内された廊下の突き当たりには、ほかよりひと回り大きな扉があった。
白い扉には金の縁取りが施され、中央には翼を広げた鳥のような彫刻が刻まれている。
俺が以前使っていた部屋とは、入口からしてまるで違った。
その向こうから、何やら言い合うような声が聞こえる。
「だから、こんなに食べられないって」
聞き覚えのある声に、思わず足が止まる。
「奏……?」
「だめだよ、奏くん」
続いて聞こえたのは、やけにくだけた声だった。
「君、どんな旅してきたの。こんなに痩せて。あと二杯は食べてもらうからね」
「勘弁してよ……」
間違いない。
奏の声だ。
俺が呆然としている間に、シンが扉を叩いた。
「失礼いたします。お客人をお連れしました」
「どうぞ」
中から返ってきた声に、胸がざわつく。
扉が開かれる。
そこにいたのは、奏だった。
柔らかそうなソファーに座らされ、目の前の机には果物や菓子、湯気の立つ甘い粥の器が並べられている。
その隣で、さっき配給の広場にいた片目の神官が、器を片手に笑っていた。
匙ですくった粥を、当然のように奏の口元へ差し出している。
「ほら、口開けて」
「自分で食べるってば」
「そう言って食べないから、私がこうしてるんだよ」
奏は首を横に振りながら、ふとこちらに気づいてぎょっとする。
「……は、晴斗?」
俺は入口で固まったまま、何度か瞬きをした。
「あ……えっと、元気そうでよかった……」
何を言えばいいのかわからなくなって、そんな間の抜けた言葉が出た。
奏はしばらく俺を見つめていたが、やがてソファーから勢いよく立ち上がった。
「晴斗!」
机に膝がぶつかり、器の中の匙が音を立てる。
「ちょっと、奏くん」
神官が止めるより早く、奏は俺のところまで駆けてきた。
奏の腕が俺に伸びる。
即座にヴァルガが俺たちの間へ割り込み、奏を見下ろした。
「勇者殿、ご健勝でなによりだ」
眼差しの冷たさと言葉が噛み合っていない。
奏はぎり、と歯を軋ませた。
「……あんた、また……」
レオンが頭をかきながら、深く息をつく。
「ふう……まあ、相変わらずでよかった」
ヴァルガに今にも噛みつきそうな奏の肩を、神官がポンと叩いた。
「こらこら、喧嘩しないの」
その人は二人の間からひょこりと顔を出し、奏をたしなめる。
そして、その視線が俺に向いた。
やっぱり、ものすごく綺麗な人だ。
片方の目が見えなくても、それがかえって不思議な魅力になっていた。
「あ、あの……」
まっすぐ見つめられて、なんだかしどろもどろになってしまう。
そんな俺を見て、その人はにっこりと微笑んだ。
「やっぱり、すぐ会えた」
甘く囁くような声と、あまりに絵になる笑顔に、一瞬だけ反応が遅れた。
「……あ、はい。さっきぶりですね」
ヴァルガが俺の方を勢いよく振り返る。
一瞬だけ赤い瞳が揺れたが、すぐに神官へ視線を戻し、唇を固く結んだ。
何か、勘違いしてるな……
そのやりとりを見て、神官が笑った。
「ほら、みなさん。立ち話もなんだから、こちらにどうぞ」
さっき奏が座っていた向かいのソファーへ誘導され、俺はレオン、ヴァルガと三人で腰を下ろした。
神官も向かい側へ座り直し、奏を隣に手招きする。
けれど、あいつはぷいと横を向いて立ったままだった。
シンは扉を閉めると、神官のもとへ歩み寄り、その耳元で何事か告げる。
「ああ、そう」
神官は軽く頷いただけだった。
それだけ伝えると、シンはそのままソファーの後ろへ回り、静かに控える。
ヴァルガは背もたれに身体を預けず、神官とシンから目を離さなかった。
神官はもう一度奏を見て、その様子に苦笑しながらこちらへ向き直る。
「奏くんから大体の話は聞いてる。晴斗くんの治療を頼みたいんだよね」
「あ、はい……それで、大司祭様にお目通り願いたくて……」
そう言うと、神官はきょとんとした顔になり、それから吹き出した。
「まあ、そうだよね。名札をつけてるわけでもないし」
一人で笑うその人に、俺のほうが戸惑った。
シンが後ろに控えている。それだけで、普通の神官ではないことはわかった。
でも、見覚えがない。
「……晴斗、召喚された時から何度か会ってるよ」
奏が俺を見て言った。
「え?」
「……晴斗? 知り合いなのか?」
ヴァルガは、神官から視線を外さなかった。
警戒するように険しい顔をしているのに、その声には、それとは少し違う不安が滲んでいる。
「いや、俺にもわからなくて……」
確かに、あの時はたくさんの神官に囲まれていた。
でも、こんな綺麗な人だったら、一度見たら忘れないと思うんだけど……
レオンは隣でじっと笑う神官を見つめていた。
その表情は探るように見えて、俺は少し疑問に思う。
目尻を拭いながら、神官が俺を見た。
「確かに、私はいつもヴェールをつけてるからね。声だけじゃわからないよね」
ヴェールと聞いて、一人思い浮かんだ。
「え……もしかして」
奏が神官をピシッと指差した。
「これが、大司祭様だよ」




