第三十九話 断罪の広場
出発したら、夜通し動くことになる。
ヴァルガに言われて、仮眠を取ることにした。
緊張のせいか、眠気はなかなか訪れない。
隣に横たわっているヴァルガも、目は閉じているけれど、眠ってはいないようだった。
眠れないまま目を閉じていると、いつの間にか意識が浅く沈みかけていた。
その時だった。
ぴい、と細い笛の音が夜気を裂いた。
ヴァルガが素早く身を起こす。
俺を守るように、身体を引き寄せてきた。
一瞬、何の音かわからなかった。
けれどすぐに、外がざわめき始める。
硬い靴音。
馬の蹄。
金属が擦れ合う音。
そして、怒号。
「全員、広場に出ろ!」
「な、なんだ……?」
声が震えた。
嫌な予感が、胸の奥で一気に膨れ上がる。
その時、扉が開いてレオンと奏が入ってきた。
「巡察だ」
「こんな、夜に……!?」
固い表情の二人を見て、悟った。
ロウが、呼んだんだ。
「外に出るぞ。出なければ怪しまれる」
レオンの言葉に、咄嗟にヴァルガを見つめる。
ヴァルガは黙って頷いた。
「行こう」
俺たちは部屋の外に出た。
足取りがひどく重い。
廊下の角を曲がるところで、悲鳴が響いた。
「ミラ!」
見ると、オルドさんがミラさんを追いかけていた。
ミラさんは裸足のまま、宿の裏口へ向かっている。
「あの子が……あの子が見つかってしまう……!」
震える声でそう呟きながら、裏口の扉に手をかけた。
「ミラ、待ちなさい!」
オルドさんの声も届かず、バタン、と大きな音を立てて、ミラさんが外へ飛び出していく。
「オルドさん!」
駆け寄ると、オルドさんは力なく笑った。
「巡察の音で、また正気ではなくなってしまって……」
その顔は、真っ青だった。
「前回の巡察は、まだなんとかなりました。でも今回はもう……」
オルドさんの唇が震える。
「俺が連れ戻してくる」
奏が裏口に向かおうとした瞬間、オルドさんが首を横に振った。
「駄目です……今のミラを無理に止めれば、余計に騒ぎになります」
奏は言葉に詰まって、そのまま動きを止めた。
「それに、この巡察はきっと……」
オルドさんはそう呟いて、その先を言わなかった。
オルドさんも、分かっているんだ。
今夜の巡察が、偶然ではないことを。
「……私たちは、あの子のところに残ります。晴斗さんたちは広場へ行ってください」
「そ、そんな……」
「広場に出なければ、それだけで罪になります。魔族の子供がいるかどうかなど関係なく、不敬だとして断罪される」
オルドさんは、深く頭を下げた。
「あなたたちまで巻き込まれる必要はありません」
俺は何も言えなかった。
「みなさん、私たちのために、色々考えてくださってありがとうございます」
顔を上げたオルドさんは、泣きそうな顔で笑っていた。
「私は、最後まで家族と一緒にいます」
そう言って、オルドさんは裏口から出ていった。
扉は、静かに閉められた。
「待って……」
裏口の扉に近づこうとして、ヴァルガに腕を掴まれた。
「晴斗」
静かな声だった。
「オルドも言っただろう。今追えば、お前まで断罪の対象になる」
「だけど……!」
言いかけて、はっとした。
「そうだ、裏からみんなで逃げれば……! 川があるけど、あそこはそんなに深くなさそうだった!」
レオンが裏口の扉に近づき、わずかに隙間を作って外を覗く。
低く舌打ちして、すぐに扉を閉めた。
「無理だな。川の向こうにいくつも灯りが見える。囲まれてる。納屋までは行けても、村の外には出られない」
兵士が、囲んでる?
罪人を逃がさないように……?
目の前が真っ暗になった気がした。
それでも足が動きそうになる。
けれど、ヴァルガの手は離れなかった。
「広場に出て、状況を見よう」
ヴァルガの声は低かった。
「……そんな、悠長なこと言ったって……」
最後は掠れて声が出なかった。
それでも、それ以外にできることなんて、今は何もなかった。
俺は閉じた裏口を見つめたまま、唇を噛んだ。
***
ウィルダの広場は、小さなものだった。
普段なら村人が立ち話でもする場所なのだろう。
けれど今は、そこに人だかりができている。
広場の中央を空けるように、兵士たちが並んでいた。
「リヴェルトの兵士……」
久々に見た。
白銀の甲冑が、松明の灯りを受けて鈍く光っている。
青いマントが、夜風に小さく揺れた。
村人たちは皆、困惑した顔をしていた。
それなのに、とても静かだった。
誰も話さない。
咳払いひとつ、ためらっているように見える。
もしかして、声を出すことさえ不敬にあたるのだろうか。
そんなことを考えていると、先に進んでいたレオンが振り返り、小さく手招きした。
俺たちは、できるだけ目立たないように人混みの端へ紛れ込んだ。
その直後だった。
「この村に、魔族が潜伏しているとの報告があった」
広場の中央で、兵士の一人が声を張り上げた。
ざわ、と人垣が揺れる。
けれど、誰も声を出さない。
「魔族のような下賤なものが、リヴェルトの地に入り込むことは許されない。まして、それを匿う者がいるならば、同罪である」
同罪。
その言葉に、喉が詰まった。
思わずヴァルガの服を掴む。
「どうしよう……ヴァルガ……」
声は、自分でも聞こえないほど小さかった。
ヴァルガは何も言わない。
ただ、俺の手にそっと自分の手を重ねた。
「連れてこい」
兵士が短く命じる。
広場の端で、別の兵士たちが動いた。
人垣が割れる。
引きずられるようにして連れてこられたのは、昼間、指輪を売っていた露店の店主だった。
「あ……」
思わず息が漏れた。
あの子じゃない。
そう思ってしまった。
その瞬間、胸の奥に吐き気が込み上げる。
何、考えてるんだ。
よかったなんて、思っていいはずがない。
店主は両腕を後ろで縛られていた。
頭に厚く巻かれていた布は剥ぎ取られ、隠していた頭の角が露わになっている。
人間にはあるはずのない、二つの角。
魔族だ。
広場の空気が、さらに冷えた。
「この者は種族を偽り、人間に紛れ、リヴェルト領内で商いを行っていた」
兵士が店主の肩を乱暴に押す。
店主は膝をつかされた。
「わ、私は……」
店主の声は震えていた。
けれど、兵士は聞く気などないようだった。
「ただ、物を売っていただけです……!誰も傷つけてはいない!」
店主がそう言った瞬間、兵士の一人が剣の柄でその頭を殴った。
鈍い音がした。
村人の中で、誰かが小さく息を呑む。
けれど、それだけだった。
誰も声を上げない。
「魔族がそこにいること自体が罪だ」
兵士は冷たく言い放った。
俺の手に力が入る。
ヴァルガの服を握る指が震えていた。
ヴァルガの気配が、ぞっとするほど冷たくなる。
「ヴァルガ……」
俺は咄嗟に呼んだ。
今にも彼が前に出てしまいそうで、怖かった。
ヴァルガは俺を見ない。
ただ、広場の中央を見据えている。
その横顔は静かだった。
静かすぎて、余計に怖い。
「動くなよ」
レオンが低く囁いた。
「ここで兵士に手を出せば、村人全員が証人になる。勇者一行が魔族を助け、神殿に刃向かったとなれば、もう王都に入るどころじゃない」
「オルドたちはまだ、どう転ぶか分からない。だが俺たちがここで動けば、宿も勇者一行もまとめて反逆者だ。助ける手段まで潰れるぞ」
分かっている。
分かっているのに、息が苦しい。
店主は顔を伏せていた。
殴られた頭から血が滲んでいる。
その視線が、ほんの一瞬、こちらに向いた気がした。
俺の指には、昼間買った指輪がある。
この人から買ったものだ。
そう思った瞬間、呼吸が止まったみたいに苦しくなった。
ほんの少ししか喋ってないし、あの人の本当の人柄なんて知らない。
でも、普通に商売をしていて、客が来たことを喜んでた。
「神殿の名において、罪人を断ずる」
兵士の声が、広場に響く。
一人の兵士が腰の剣を抜いた。
それは、真っ黒な刀身だった。
白銀の甲冑にはまるで不釣り合いな、禍々しい色。
見ているだけで、胸の奥がざわついた。
「なんだ、あれは……」
奏が低く呟く。
「前は、あんな剣じゃなかった」
その声につられるように、俺は周囲の兵士たちを見る。
腰に下げられた剣。
広場を囲む兵士たちの剣は、どれも同じ形をして、嫌な気配がした。
黒い剣が、店主の頭上に掲げられる。
店主は何かを言おうとした。
けれど、その声は形になる前に消えた。
次の瞬間、刃が振り下ろされる。
俺は反射的に目を閉じた。
けれど、音だけは耳に届いた。
重いものが地面に倒れる音。
誰かが息を殺す気配。
松明が爆ぜる、小さな音。
目を開けることができなかった。
ヴァルガの手が、俺の肩を強く抱き寄せる。
広場は、静まり返っていた。
「回収しろ」
短い命令の後、ずるずると何かを引きずる音が聞こえた。
その音が遠ざかっていくまで、俺は目を開けられなかった。
やがて、恐る恐る瞼を上げる。
広場にいた人たちは、皆ひどく疲れた顔をしていた。
兵士の声だけが、何事もなかったように続く。
「報告者には、神殿より褒美が与えられる」
その言葉に、兵士に促されて若そうな夫婦が広場の中央へ進み出た。
他の住民たちが顔を伏せている中で、その二人だけは違っていた。
怯えているようにも見える。
けれど、それ以上に、この場にそぐわない笑みが口元に張り付いていた。
兵士が、重そうな皮袋を夫婦に差し出す。
受け取った男の腕が、重さでわずかに沈んだ。
袋の口から、金色の硬貨がぎっしり詰まっているのが見える。
女が息を呑んで、男と目を合わせる。
黙ったまま。
けれど二人の顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいた。
まるで、願ってもいない幸運が転がり込んできたみたいに。
その足元には、まだ赤い血が広がっている。
ついさっきまで、あの露店の店主が膝をついていた場所だ。
二人は、それを見ないようにしていた。
それとも、もう見えていないのかもしれなかった。




