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第三十八話 正しさの褒美

人の声が遠くに聞こえて、はっとする。

途端に照れ臭さが湧き上がってきて、俺は口元を手で覆った。


指輪をはめた指先が、まだ少し熱い。

ヴァルガを見ると、あいつも同じように俺の手元を見ていた。


目が合う。

それだけで、胸の奥がふわりと温かくなった。


「そろそろ、戻ろうか」


俺が言うと、ヴァルガは少しだけ名残惜しそうに頷いた。


俺たちは、そのまま宿に帰ることにした。


けれど、方向転換した途端、前方に人影があることに気づく。


「なあ、あんたたち」


急に声をかけられて、足が止まった。


そこに立っていたのは、俺と同じ年頃の青年だった。

この村の住人にしては珍しく、表情が明るい。


「昨日、宿に泊まってた客だろ?」


青年は遠慮なく俺たちを見た。

悪い人、という感じではない。

けれど、距離の詰め方が少しだけ近い。


「え……いや、あんた近くで見るとすごい綺麗な顔してるな」


青年はヴァルガを見て、思わずというように息を呑んだ。


恋人を褒められて、悪い気はしない。

でも、視線が俺を素通りしたのは少しだけ寂しかった。


俺は一般人の地味顔だからな……。


ヴァルガは、青年を無言で見下ろしている。

さっきまでの空気を乱されて、不機嫌になっているみたいだ。


青年はその視線に気づいたのか、慌てて俺の方へ顔を向けた。


「あ、俺、ロウって言うんだ。たまにオルドさんのとこ、手伝ったりしてる」


「あ、そうなんですか」


オルドさんの名前で、少しだけ緊張が解ける。


「同い年ぐらいだろ? 敬語よせよ」


ロウは気さくに笑った。


「あんた、名前は?」


聞かれた瞬間、ヴァルガが一歩前に出た。


「見知らぬ者に名乗る必要はない」


冷たい声に、ロウがたじろぐ。


「そ、外の人の話が聞きたいだけで……この村、娯楽がないからさ」


その言葉に、少しだけ胸が引っかかった。


ロウに特別好感を持ったわけではない。

でも、この村の辛そうな状況で、旅人の話を娯楽だと言われたら、無碍にはできなかった。


「ヴァルガ、大丈夫。少しだけだから」


そう言うと、ヴァルガは明らかに納得していない顔をした。


「晴斗」


「ほんとに少しだけ」


それを聞いて、ヴァルガは俺の隣に立って、ロウを冷たく見下ろす。

それでも、会話を止めることはしなかった。


「俺は晴斗。こっちはヴァルガ」


「晴斗か。よろしくな」


ロウはぱっと表情を明るくした。


それから少しだけ、俺は旅の話をした。


どんな村を通ったのか。

どんな魔物に出会ったのか。

俺以外の三人が見つけ次第あっさり倒してしまうので、戦いの苦労なんてほとんど話せなかったけれど、それでもロウは目を輝かせて聞いていた。


「晴斗の仲間は強いんだなー!」


「あ、ああ。頼もしいんだよ」


勇者と、魔王と、魔王の参謀だとは口が裂けても言えない。


曖昧に笑う俺にも、人懐っこく接するロウに、少しだけ心が緩んだ。


「まだしばらく泊まるんだろ?」


「いや、もうすぐ出るよ。だからあんまり時間はないんだ」


「晴斗、まだ体調は……」


隣のヴァルガが口を挟む。


「もう、平気そうだし、すぐにでも行けるって」


まだ少し、足は重い。それでも気がかりなことが減ったせいで、大したことないと感じていた。


「なんだあ。せっかく仲良くなれそうなのに」


ロウは大げさに残念がってみせた。


笑ったまま、ふと思い出したように口を開く。


「でも、だからか。オルドさんが昨日、俺を手伝いに呼ばなかったのは」


「え?」


「最近変なんだよ。オルドさん、たまに客が来ても俺を呼ばない。ミラさんも、宿から出てこないし」


ぎくりとした。


「……体調が悪いんじゃないか?」


なんとかそう返すと、ロウは首を傾げた。


「そうかな。この前、納屋の近くでミラさんが誰かと喋ってるのを聞いたんだ。客なんていなかったのに」


さっと血の気が引いた。

何でもない顔をしなきゃと思うのに、口元が強張る。


「昨日もさ、宿の裏で騒ぎがあっただろ。あれ、何だったんだ?」


「それ以上、立ち入るな」


低い声が割って入った。


ヴァルガが、俺とロウの間に半歩踏み出す。

その瞬間、ロウは目を丸くした。


けれど、すぐに困ったような笑みを作る。


「……そんな怖い顔しなくてもいいだろ。ただ聞いただけだって」


「お前の目は探っている。なにが知りたいのか知らないが、俺たちに構うな」


ヴァルガの声は冷たかった。


ロウは一瞬だけ黙った。

それから、俺の方を見る。


思わず目を逸らしてしまった。


それを見て、ロウの表情が少しだけ変わる。


「晴斗、今の反応……やっぱり何か知ってるんだな」


背筋が冷えた。


ヴァルガの気配が、ぞっとするほど冷たくなる。


「それ以上、晴斗に寄るな」


「……わかったよ。悪かったって」


ロウは両手を上げて、後ずさった。


けれど、去りかけたところで足を止める。


「でもさ、晴斗。この村は、何かあったら神殿の兵士に報告しなきゃいけないんだ」


その言葉で、血の気が引くのがわかった。


「オルドさんたちは、この前の巡察でも何も言ってなかった」


ロウは俺を見た。


さっきまでの人懐っこい笑みは、もうない。

けれど、怒っているわけでも、楽しんでいるわけでもなかった。


ただ、確かめるような目だった。


「神殿に報告できない誰か、って誰なんだろうな」


ロウは今度こそ背を向けた。


呼び止めなきゃ、と思った。

けれど、何を言っても墓穴を掘る気がして、声が出ない。


ヴァルガが一歩踏み出しかける。


「ヴァルガ……だめだ」


俺は咄嗟に、その服を掴んだ。


ここで騒ぎになれば、もっとまずい。


ロウはまばらな通りを、何事もなかったように歩いていく。


俺は、その背中を見送ることしかできなかった。


***


宿に戻って、俺とヴァルガは部屋に奏とレオンを呼び、起きた出来事を話した。


ロウに声をかけられ、子供のことを探られた。

最後には、神殿に報告できない誰かがいるんじゃないかと、そう言われた。


そこまで話すと、奏の表情が少しだけ硬くなった。


子供のことは、レオンからあらかた聞いていたらしい。

けれど、ロウの話は別だった。


「……晴斗は、その子を助けたいの?」


奏の問いに、一瞬答えられなかった。


あの子供は、正直まだ怖い。

助けたいのかと聞かれたら、すぐには頷けない。


でも、ミラさんのことを考えると。

あの子に縋っていた顔を思い出すと、このままでいいとは思えなかった。


「……うん」


小さく呟くと、奏は少し躊躇うように目を伏せた。


「じゃあ、もうこの村に置いておくのはまずいと思う」


「まずいって……」


「……俺、他の村でも見たんだ。巡察の時に、報告された人がどうなるのか」


「え……?」


「その時は……晴斗のことしか考えてなかった。俺には関係ないって、見て見ぬ振りをした」


奏は苦しそうに目を閉じた。

レオンが奏の肩に手を置く。

そして黙った奏の代わりに、レオンが口を開いた。


「巡察で罪を問われた者は、その場で断罪される。疑いだけでも容赦はない」


「見せしめか……」


ヴァルガが低く言うと、レオンは頷いた。


「リヴェルトでは、罪を報告した者に褒美が出る。金だけじゃない。大きなものなら、王都への移住許可もある」


「王都に……」


「苦しい生活をさせて、上を見上げさせる。苦労のない暮らしを夢見させて、人々に他人の弱みを探らせる」


レオンの声には、冷たい怒りが滲んでいた。


「実に人間らしい、残忍な民の管理方法だよ。人々は褒美を求めて、互いを監視し続ける」


「そんな……」


人の弱さにつけ込んで、意のままにしようとする。

それが、俺たちをこの世界に呼び出した国なのか。


あそこにいて、良い思い出なんて確かにない。


富裕層だけが豪華に暮らし、飢えた人たちがわずかな施しを奪い合っていた。

黒濁がリヴェルトで作られていることも聞いた。

人が魔族を殺すところも、何度も見た。


それでも。


「なんで……そんなことができるんだ……?」


ふらりと揺れた体を、ヴァルガが支える。


「晴斗……」


「逃さないと……三人とも……このままここにいたら……」


ミレグで見た死体。

その記憶に、オルドさんとミラさんと、あの子供が重なった。


俺は思わず、目をぎゅっと瞑った。


「ロウを……説得できないかな……オルドさんと知り合いみたいだし……」


レオンは無理だと即答した。


「褒美がもらえるとわかっていて、人間が説得に応じるとは思えない」


「本当に止めたいなら、始末したほうが早い」


「えっ……」


「レオン」


ヴァルガが強い口調で咎める。


始末って殺すってことだよな?


簡単にそんなことを言うなんて……


レオンは俺をまっすぐ見る。


「中途半端な善意はろくな結果を生まない。何かを守りたいなら、何かを切り捨てる覚悟も必要だ」


その眼差しが鋭くて、思わず視線が落ちる。


そんな俺に奏がそっと話しかけた。


「レオンのは過剰だけどさ、まだそいつが密告すると決まったわけじゃない。こっちから下手に触れたら、かえって確信させるだけだと思う」


奏も否定的で、俺は俯いた。


確かにそうだ。俺が口止めしたことによってロウが確信してしまったら意味がない。


ヴァルガが俺の手を握る。


「晴斗、オルドに話そう。家族で逃げるなら、あの女も納得しやすいはずだ」


「ヴァルガ……」


***


俺たちはすぐに、オルドさんに話に行った。


ロウに探られたこと。

このままでは、ミラさんも子供も危ないこと。

村を出た方がいいこと。


オルドさんはしばらく黙っていた。

けれど、やがて深く頷いた。


「……分かりました。必ず、二人を連れて行きます」


その声は、震えていた。

それでも、迷いのない声で言う。


「元々、私はこの土地に未練はありません。ミラが、あの子との思い出を捨てきれなかっただけです」


あの子とは、死んだ本当の子供のことだろう。


オルドさんの話を聞いて、ミラさんをこの村から離すのが少し心苦しくなった。


でも、死ぬよりはずっといい。

この村に残るより、あの子を連れて離れる方が守ることになるのだと、きっとミラさんもわかってくれるはずだ。


レオンが顎に手を当てる。


「……仕方ないな。力のない人間たちだけで旅をするのは無理だ」


「国境を越えた先の村まで送っていこう。そこで、俺の呼んだ医者と合流できるよう手筈を整える」


「国外まで……?」


「晴斗の体調を考えるなら、あまり遠回りはできない。俺たちの役目はそこまでだ」


ヴァルガが、俺の肩に手を添えた。


「晴斗に無理はさせない」


その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。


その手に自分の手を重ねると、指輪同士がかすかに触れ合った。


奏の視線が、そこに落ちる。

その瞳が、ほんの少し見開かれた。


気づかれたのだと、すぐに分かった。


けれど奏は何も言わなかった。

ただ一度だけ目を伏せてから、静かに口を開く。


「目立たないように、夜に出発しよう」


「……すぐには行かないのか?」


正直、すぐにでも逃したかった。

ロウがすぐに動かなかったとしても、時間が経てば経つほど、ほかの住人にまで話が広がってしまうんじゃないかという不安が膨らんでいく。


「昼に逃げたら、確実に大勢の村人に見られる」


奏が低い声で言った。


「宿の夫婦と、あの子を連れて逃げた旅人がいた。そう証言されたら、それだけで十分だ。すぐ手配される」


「でも、奏は勇者だろ? 道を塞がれても、話せば通れるんじゃ……」


「俺たちは通れるかもしれない」


奏は否定しなかった。


「でも、三人は違う。俺たちと別れた後も安全だとは限らない。国境を越えた先でも、褒美目当てでリヴェルトに引き渡される可能性はある」


「そんな……」


声が掠れた。


「でも夜に出れば、見た者は限られる。疑われても、魔族を匿っていたという確証にはならない。少なくとも、すぐに手配されるところまではいかないと思う」


奏は一度、唇を噛んだ。


「三人を医者に引き渡したら、俺たちはそのまま王都に向かえばいい」


「夜に動けば、魔物と遭遇しやすい。そこは俺に任せて」


そう言った奏の表情は、なんだか苦しそうだった。


俺が見ているのに気づくと、奏は辛そうに笑う。


「……前に出会った誰かのことも、こうやって助けてあげればよかった」


「……今さら後悔しても、見て見ぬふりしてきたことが消えるわけじゃないけど……それでも、今できることはする」


その言葉に、胸が痛む。

それでも俺は、頷くしかなかった。


今夜、三人を連れてこの村を出る。


そう決めたはずだった。



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