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第三十六話 そばにいる

とりあえず、今日は休むことになった。

明日になって、ミラさんが落ち着くとは思えないけど、今日はもう何もできることはない。


部屋に戻ると、当然のようにヴァルガが後ろから入ってくる。


「部屋、一人ずつ取ったんじゃなかったのか?」


今回は一人部屋にしてもらっていた。

ヴァルガといると、こちらから約束を破りそうになるから、わざわざそうした。


ヴァルガが首を振る。


「……ここで寝る」


「久々のベッドだし、一人で広々と寝ろよ」


俺は部屋の中に入り、ベッドに腰掛けた。

小さな一人用ベッドだ。


「お前はでかいし、城のベッドに慣れてるから窮屈だろうけど」


笑う俺をヴァルガはじっと見つめる。


「ヴァルガ……?」


「……晴斗がそんな顔をしているのに、一人にさせるわけにはいかない」


驚いて、また笑顔を作ろうとして失敗した。

頬は強張ったままだ。


「……俺、どんな顔してる?」


「……不安と、何か……悲しそうな顔だ」


心臓を、ぎゅうっと掴まれたような気がした。


俺は俯いて、少し笑った。


「……お前って、ほんとに、もう」


俺は降参、と思いながら手を広げた。


「……来てくれる?」


言い終わる時には、ヴァルガはもう俺を抱きしめていた。


温もりをもっと感じたくて、胸に顔を押し付ける。


「晴斗……大丈夫か?」


優しい手が、背中をとんとんと叩く。


「……大丈夫じゃない」


ヴァルガが少し驚いた気配がした。

それから、抱く腕に力を込める。


「一体、どうしたんだ……」


俺は無言で首を横に振った。


なんだかひどく疲れたし、心のもやもやが晴れない。

あの子供のことだと思ったけど、本当は違う。


ミラさんの優しい顔を思い浮かべる。


血の繋がりのない子供でも、親はあそこまで愛せるのかな。


ミラさんは死んだ自分の子供と、あの子を混同してる。

それでも、俺には届かないものを手にしている子供を、羨ましいと感じた。


黙ったままの俺を心配して、ヴァルガが手のひらで頬を優しく包む。

目が合って、逸らしたくなった。


こんな状況で、馬鹿らしいことを思ってた俺を、悟られたくなかった。


それに、あの子供のことだって──


何か言ったら、こいつはきっと確認しにいってしまう。

あの子が何者かわからないけど……


ヴァルガにはもう、会わせたくない。


俺は、押し寄せる不安を振り払うように、ヴァルガにキスをした。

熱が、胸騒ぎも、みっともない感情も、少しだけ忘れさせてくれる。


名残惜しかったけど、やがて唇を離した。


「……もう、寝よう。抑えられなくなったら困るし」


笑って腕を解き、横になろうとした。


すると、ヴァルガがそれを止め、深く口付ける。


漏れる息の間に、俺は口を開いた。


「ヴァルガ……それ、は……」


唇が離れ、思わず大きく息をついた。

見上げると、赤い瞳と間近でぶつかる。


その中には、労り、心配、そして少しの熱。


「……今だけ、口付けの約束は無しだ」


そう言って、ヴァルガは俺を抱きしめたまま、再び唇を重ねた。


口付けるたびに、銀色の髪が俺の頬をくすぐる。

まるで俺以外のことを考えるな、と言うように。

それがヴァルガの優しさだって気づいてる。


何度も、何度も。

途中で、ヴァルガの欲を感じた。


それでも、こいつはそれ以上は進まない。


労るようなキスに少しだけ、泣けた。


俺を見つめる赤い瞳が、少しだけ切なそうに揺れる。


「……何か言いたくなったら、気にせず言え」


「聞いたとて、お前の問題を解決できるかはわからない」


「……だが、そばにいる」


その言葉に、口をぎゅっと引き結んだ。


俺が何を言っても、何を感じてても、きっとこいつは受け入れてくれる。


「うん……」


そう思いながらも、今はまだ何も言えなかった。


***


朝、ヴァルガが食堂に行こうと言うので、食欲はなかったけれど、ベッドから立ち上がった。


なんだか、少しふらつく。


「晴斗? どうした?」


すぐに察知したヴァルガが俺の肩を抱いた。


「あー……いや、なんでもない」


風邪でも引いたのかと思ったけど、ヴァルガに言えば大騒ぎになりそうなので黙っておくことにした。


「疲れが出たのか?」


ヴァルガが俺の額に自分の額をくっつける。


「まだ熱はないようだが」


「平気だよ。ご飯食べたら治るかも」


そう言ってドアに向かう俺を、ヴァルガは抱き抱えた。


「わっ!」


突然の浮遊感に驚いて、ヴァルガの首にしがみつく。

でもそれも一瞬のことで、ヴァルガはベッドに俺を横たわらせた。


「俺が食事を取ってくる。お前は休んでいろ」


「大袈裟だって……」


「外で濡れたままいたし、眠りも浅かった。疲れが出て当然だ」


そう言われると、何も返せない。

確かに体は重いし、だるい。


その時、軽いノックの音がして、ドアが開いた。


入ってきたのはレオンだった。


「今日は昼頃に出発……」


言いかけて、レオンは俺に毛布を掛けているヴァルガを見る。

それから、からかいを含んだ声で続けた。


「甲斐甲斐しいな」


「晴斗の具合があまりよくない」


ヴァルガが言うと、レオンが近づいて俺の顔を覗き込んでくる。


「……確かに顔色はあまりよくないな。まあ、旅の疲れが出たんだろう」


「出発を遅らせる。勇者も、晴斗のことなら黙って聞くだろう」


レオンは軽く頷くと、苦笑まじりに言った。


「ちょうど奏様は二日酔いで寝てる。昨日酒場に連れて行ったら、思いのほか弱くてな」


「えっ、でも……」


ウィルダは、すぐ発つはずだったのに。


俺の沈んだ声に、レオンが気づいて笑う。


「ここまで来たら、リヴェルトまであとちょっとだ。少しくらい休憩しても問題ない。ゆっくりしろ」


ここで無理して行こうと言っても、道中で具合が悪くなったら、みんなにもっと迷惑をかける。


「……ごめん。俺、迷惑かけて……」


ヴァルガが、ベッドに腰掛ける。

前髪をさらりと撫でられた。


「そんなふうに考えるな。お前が優先だ。何よりも」


「ヴァルガ……」


レオンが、見つめ合う俺たちをじっと見つめている。

それに気づいて視線をレオンに向けると、少し笑って肩をすくめた。


「そうだぞ、晴斗。元々これは、お前のための旅だ。お前を迷惑だと思うなら、皆、初めから行こうと言っていないさ」


優しさが、じわりと胸に沁みた。


元の世界でも、誰かが俺をここまで気遣ってくれたことってあったかな。


「ありがとう……」


二人に向かって、素直に言葉が出た。


ヴァルガが、俺の手を握った。


「それに、あの子供のことも……」


言いかけるヴァルガに、はっと顔を上げた。


そうだった。

何も解決していない。


ミラさんを刺激したくない。

だから、どうすればいいのか、何も思い浮かばない。


けれど、このまま見なかったことにして出て行けるはずもなかった。


赤い瞳が、気遣うように俺を見ている。


言ってもいいか。

そう聞かれているのだと、すぐにわかった。


ヴァルガは、子供を見捨てられないんだ。

当然だ。

俺だって、あんなものを見ていなければ、なんとか助ける方法を探したいと思ったはずだ。


様子を見るくらい、なんてことはない。


なのに──


「子供? なんの話だ?」


問いかけるレオンの方を見ずに、ヴァルガは俺を見つめ続けた。


どうしても、頷くことができない。


そんな俺を見て、ヴァルガは伏し目がちに口を開く。


「……では、レオンに頼んでもいいか?」


「レオンに……?」


魔族のレオンなら、ヴァルガじゃなくても、あの子の状況がわかるかもしれない。


不自然な動きをしながら、ヴァルガの方を向いた子供。

ヴァルガが行かないなら、幾分か不安な気持ちは落ち着く。


「少し見てもらうだけだ。俺は行かない。お前のそばにいる」


握られた手に、力が籠った。


お前が何よりも優先、またそう言われた気がして泣きそうになる。


「……わかった」


こらえながら言った俺の一言に、ヴァルガの纏う空気がわずかに緩む。


ヴァルガはレオンに状況を簡単に説明した。


聞いているうちに、レオンの表情は次第に険しくなっていった。

それでも、最後には頷く。


「……では、俺が見てこよう。しかし、晴斗。保護が必要な場合は仕方ないぞ」


それは、ミラさんから子供を取り上げるということだ。


仕方ないこと、そう言い聞かせるように俺は頷いた。


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