第三十三話 熱を隠して
ヴァルガがおかしい。
あの夜を境に、明らかに遠慮がなくなった。
テントで一緒に寝るたびに求められるけど、俺は腰が痛いとか、まだ体がつらいとか、必死に理由をつけて拒んだ。
奏とも約束している。
声なんか漏れたら最悪だ。
それでも、ヴァルガの誘惑は止まらなかった。
一緒に馬に乗っている時でさえ、後ろから回る手が、妙なところを撫でてくる。
危うく声が出そうになって、とっさに手で口を押さえた。
肘鉄を食らわせて、その時はどうにかなったけど、馬を降りてもそれは変わらない。
ここまで、甘えたがりだったか?
腰を抱き、当たり前みたいに擦り寄ってくるヴァルガを見ながら考える。
いや、こんなだったような気もする……
俺がまだ、ヴァルガへの好意に自分で気づいてなかった時も、隙あらばくっついてきていた。
ただ、今は俺が拒みきれないのが問題だ。
求められることに、正直悪い気はしない。
と、言うより、嬉しい。
どこからか視線を感じて、はっと顔を上げる。
奏がこちらを見ていた。
き、気まずい。
奏は、怒っているような、泣き出しそうな、そんな顔をして黙って馬に水を飲ませている。
レオンはやれやれというような顔でこちらを見てから、林の方へ歩いていった。
二人との温度差が、ひどい。
これはだめだ。
こんなことじゃ、いけない。
俺がなんとかしないと。
***
俺はヴァルガを川辺に連れ出した。
ここなら奏たちからも離れているし、少しは落ち着いて話ができる。
……そう思っていたのに。
ヴァルガは、二人きりになった理由を勘違いしたのか、着くなり後ろから俺を抱きしめてきた。
「わっ! ヴァルガ、待て!」
性急な手の動きに驚いて、俺は慌てて抵抗する。
耳元に当たる熱い息に、思わず息を止めた。
こいつ、まさか外で?
「ちょっと! やめろ!」
大きな声を出すと、ヴァルガの動きがぴたりと止まった。
「晴斗……?」
驚いたように首を傾げるヴァルガに、少しだけ罪悪感が湧く。
でも、言わなきゃいけない。
「……あのさ、ヴァルガ。こういうのは、人目がない時だけにしよう」
ヴァルガはきょろきょろと辺りを見回す。
「ここは、誰もいないが?」
いなくても外はだめだろ!
突っ込みたい衝動を、息をついて抑えた。
「……こういうのは、俺がちゃんと、いいよって言った時だけ。外とか、テントとか……人に見られたり聞かれたりする場所は、駄目だ」
「……!」
ヴァルガは、ショックを隠しきれない顔をした。
「この旅は、奏もレオンもいる。この前のことも、あいつらに気を遣わせちゃって……反省してる」
ヴァルガは、髪の毛を雑にかきあげながら、空を睨む。
「見せつければいい。晴斗が誰のものか、わからせた──」
そこまで言って、はっとしたように息を呑んだ。
「すまない、晴斗……お前を物のように言ってしまった……」
「あ……いや、そんなのは別にいいよ」
こほんと咳払いして続ける。
「俺は……お前のものだよ」
口に出すの、恥ずかしいなこれ。
照れ隠しで少し笑いながら、ヴァルガの手を取った。
「それに……お前だって、俺のものだろ?」
「は、晴斗……」
赤面しながら頷くヴァルガに、愛しさが込み上げる。
「……だからさ、お前以外のやつに、俺のそういう声……聞かせたくないんだよ」
どういう声だよ。
言いながら、俺の顔にも血が昇る。熱い。
「そう、だな……それは、そうだ……」
ヴァルガは自分に言い聞かせるように呟いた。
番に反応してしまう魔族の衝動が、どれほどのものなのか俺にはわからない。
それでも、俺の気持ちに寄り添おうとしてくれている。
「だが……」
ヴァルガは俺の手を握り返した。
「……抱きしめるのは? 口付けも、駄目なのか……?」
切なそうな赤い瞳に、俺の心はあっさり揺れた。
川のせせらぎを聞きながら、どう答えようか悩む。
ヴァルガは握った俺の手に、額を寄せた。
「すまない、晴斗……お前を困らせたくないのに……」
「あの夜から……お前を愛しく想う気持ちが、前にも増して止まらない」
「俺は、頭がおかしくなってしまった……本当は、お前の体も気遣わないといけないのに……」
ヴァルガの視線が、俺の顔から、白く変わった髪へとかすかに揺れた。
俺は、安心させるように笑いかける。
「……俺は、大丈夫だよ」
今は、まだ。
死の恐怖はまだ拭えない。
今も、考えようとすると足が震える。
でも、ヴァルガを心配させたくなかった。
俺はヴァルガをそっと抱きしめた。
「……抱きしめるのも、キスも、いいよ。二人の時だけ、こっそりな」
そう言って、俺はヴァルガの唇に口付けた。
***
川辺での話し合いのあと、ヴァルガは少しだけ大人しくなった。
本当に、少しだけ。
馬に乗る時、後ろから回された腕は相変わらず近い。
けれど、妙なところに触れてくることはなくなって、奏たちがいる前での過度なスキンシップも無くなったし、ひとまず良しとすることにした。
でも。
夜になる度、テントの中で抱き合ってキスをして、困ったことになった。
音がしないように気をつけながら、ヴァルガは啄むように何度も口付けてくる。
「晴斗、愛してる……」
ついでに、やらしい口付けもなし、と言ってしまったから、こいつは律儀にそれ以上進まない。
綺麗な顔が切なげな表情で近づいては、離れる。
その繰り返し。
俺の方が、たまらなかった。
人気のない外なら、少しくらいは許してもよかったんじゃないか。
何度もそう思った。
でも、ヴァルガが我慢してくれているのに、俺が約束を変えるわけにはいかない。
胸の奥に燻る熱をごまかすように、ヴァルガをぎゅっと抱きしめた。
「晴斗?」
「早く、お前と城に帰りたい」
「そしたら気兼ねなく、いちゃいちゃできるだろ」
ヴァルガの肩がぴくりと動く。
そして、俺の両肩に手を当てて少し離すと、まっすぐ俺を見た。
「……ああ、俺もそう思う。帰ったら、お前をずっと離さない」
瞳の奥の妖しい光に、背中がぞくりと震える。
でた。
ヴァルガの、この色気。
「……なんだか、怖いな」
少し笑ったけれど、俺の心臓はどくどくと、うるさいくらいに鳴っていた。
***
「リヴェルト領に入ったぞ。今日はあの村に泊まろう」
レオンが馬上から、遠く先を指差す。
見ると、山並みの向こうにうっすらと建物が見えた。
「ここまで来たら、リヴェルトの中心部までもう少しだ。最後の補給場所だな」
奏が口を開く。
「ウィルダの村か。あそこは、あまり何もないと思うけど……」
「奏、行ったことあるのか?」
そう問いかけると、奏は俺を見て、少しだけ笑みを浮かべた。
「……魔王城に向かう時、初めて立ち寄った村だよ」
「素朴な村だよ。……ミレグみたいな賑やかさはない」
「……そうなんだ」
人間の村は初めてだ。
どんな場所なのか、少し気になる。
でも、ミレグにいたあの男たちのようなやつらがいたら……
「晴斗」
振り向くと、後ろのヴァルガが俺を見つめていた。
ヴァルガは俺の不安を感じ取っているのか、何も言わずに後ろから俺の手を握る。
その温かさに、不安がほんの少し和らいだ。
「晴斗、そんな不安そうな顔をするな。ウィルダはそこまで治安は悪くないぞ」
レオンが笑いながら言う。
「あとな、温泉がある」
「えっ? 温泉?」
俺は、この世界にも温泉があるのかと少し驚いた。
奏が思い出したように手を打つ。
「ああ、そういやそうだった。俺は結局入らないで終わったから忘れてた」
レオンが奏の頭をぐしゃりと撫でる。
「奏様は晴斗のことが心配で、温泉どころじゃなかったからな」
「やめろよ……」
奏が気まずそうに顔を逸らす。
レオンは軽く笑って、視線を村の方へ戻した。
「大地が枯れてから、地熱も下がって、お湯の温度も低くなっている。入れる温泉もかなり減ってるよ。昔は温泉目当ての観光客で賑わってたんだがな」
「温泉、か」
聞き馴染みのある言葉に、ウィルダの村に着くのが少しだけ楽しみになった。
***
やがて、道の先に水辺の村が見えてくる。
川沿いに寄り添うように、古い家々が並んでいた。
水車がゆっくりと回り、細い水路が村の中を縫うように流れている。
馬を降りて歩く。
久々の地面に、少しふわふわする。
改めて村を見渡した。
思っていたより、穏やかな場所だった。
村人の身なりも、家々の造りも、ごく普通に見える。
ひどく貧しい感じはしない。
通りは石畳で、綺麗に掃き清められていた。
道の脇には花が植えられている。
ならずものがいるような感じには見えなくて、そのことに、少しほっとした。
でも、なんだか──
皆、妙に表情が暗い。
ミレグで見た、あの活気ある雰囲気とは全然違う。
整えられた道と、揺れる花々。
それと、住民たちの沈んだ顔が、どこか噛み合っていなかった。
「何か言いたそうな顔してる」
奏に声をかけられて、そちらを向く。
「……なんか、整ってるけど変な村だなって」
「俺も初めて来た時、そう思ったよ」
奏は、通りの方へ視線を向ける。
「でも、その時は何が変なのかわからなかった。晴斗を探すのに必死で、それどころじゃなかったし」
「今は、わかるのか?」
奏は少し笑うと、綺麗に掃き清められた石畳を見る。
「ここ、綺麗にしてるっていうより、綺麗にしておかないといけないんだと思う」
「どういうことだ?」
俺が聞くと、奏は答えに詰まった。
その横から、レオンが口を挟む。
「神殿の巡察だよ」
「神殿って……リヴェルトの?」
「リヴェルトでは、村の乱れは信仰の乱れと見なされる。道が荒れていれば怠慢。花が枯れていれば不敬。家屋が寂れていれば、神の恵みを無駄にした罪」
レオンは軽く肩をすくめる。
「だから皆、表だけは整える。中身がどうなっていようとな」
「温泉が枯れ、観光客も減って財政が厳しいのにお構いなしだ」
ヴァルガが鼻を鳴らした。
「……くだらん。民あっての国だろう」
「国より番を優先してる今のお前が、そんなこと言うなんてな」
皮肉げに笑うレオンを、ヴァルガは睨みつける。
一触即発の空気に、俺は慌てて割って入った。
「とりあえず、宿に行こう。馬の上が長かったから、くたくただよ」
そう言って、わざと疲れた顔をしてみせる。
「晴斗、大丈夫か?」
ヴァルガが俺の肩を支える。
奏は、俺のたいして重くもない荷物を持ってくれた。
二人の過保護な態度に、内心苦笑いする。
疲れも、本当はそこまでじゃなかったけど、そういうことにした。
そうじゃないと収まらない気がしたから。
二人に囲まれ、宿に向かう。
その後ろから、レオンの視線を感じたけど、気にしないようにした。




