第三十話 魔王の選択
レオンがヴァルガの前に立った。
「……どういうことだ?」
レオンが冷たい目でヴァルガを見下ろしている。
ヴァルガは、黙って見つめ返していた。
なぜかはわからないけど、レオンが怒ってることはわかった。
もしかして、ヴァルガは黙って城を抜け出したとか?
レオンの気迫にたじろいながらも、俺はヴァルガを庇いたくて口を挟んだ。
「俺が手紙を送って……それで、来てくれたんだ」
ヴァルガと繋いだ手に力を込める。
「ヴァルガは悪くない」
それでもレオンはヴァルガを見つめたまま動かなかった。
やがて、目を瞑って天井を仰ぐ。
「晴斗、少しヴァルガを借りる」
横目で見られて、背筋がぞくりとした。
……なんだか、雰囲気が違う。
いつものレオンじゃない。
怒ってるからなのか?
いや、何かが変だ。
よく見ると、袖が黒く煤けて、爪の間にも黒いものが入り込んでいる。
それに、何かが焼けこげたような匂い。
レオンはミレグで、何をしてきたんだろう?
「行くぞ」
レオンは食堂の扉を顎でしゃくりながら、ヴァルガを呼んだ。
ヴァルガは黙ったまま席を立ち上がる。
「ヴァルガ……」
「大丈夫だ、晴斗。少し話してくる」
長い銀髪が、俺の脇をするりとなびいた。
振り向いて後を見送る。
でも、なんだか止められなかった。
俺は残ってる食事に手をつけることもできずに、そわそわしてしまう。
ケンカにならないといいんだけど……
レオンは何か、雰囲気がおかしかったし……
見かねたラズが声をかける。
「晴斗さん、そんなに心配なら様子を見にいったらどうですか?」
「う、うん。そうなんだけど……」
邪魔していいのか、わからない。
「あの、男の人……何か怒っていたみたいだし、心配になるのも無理ないです」
「それに」
ラズは笑った。
「大事な人を守るために動くなら、それを非難することなんて誰もできないと思います」
その言葉に、俺は椅子を立った。
「ありがとう、ラズ」
***
二人は外に向かったようだった。
玄関の扉をそっと開けると、冷たい朝の空気が頬に触れた。
姿はすぐには見えない。
でも、宿の脇に回ったところで、低い声が聞こえてきた。
「俺は待ってろって言ったよな?」
レオンの声だった。
いつもの軽さがない。
思わず足を止める。
少し先で、レオンとヴァルガが向かい合って立っていた。
「魔王の責任を放棄するつもりか?」
しばらくして、ヴァルガが口を開く。
「……放棄したつもりはない」
「最近、何故か黒濁が増えている。今、結界が緩んだら?」
レオンがあざけるような笑い声を立てた。
「城の魔族は殺され、宝珠は奪われる。魔族の国は終わる」
黒濁はリヴェルトが作ってるって、レオンが言ってた。
宝珠が奪われるって……人間の目的って、宝珠だったのか……?
「今すぐにでも帰れ。……晴斗は俺が後から連れていく」
ヴァルガは首を横に振る。
「……晴斗と共にリヴェルトに行く。晴斗の生命力を戻せる方法があるかもしれない」
レオンは目を見開いた。
「……おい。本当に、城の民がどうなってもいいのか?」
レオンは拳を握りしめた。
何かに耐えてるように俯く。
「……お前の番は、生きてるだろう?」
「……レオン」
何かを察したように、ヴァルガがレオンの肩に手を置いた。
次の瞬間、その手を掴み上げて、レオンがヴァルガを睨み付ける。
「魔王の使命を優先しろ。冷静になれ」
ヴァルガは手を振り払う。
「……黒濁は宝珠に吸い寄せられる。だから城は、今は問題ないんだ」
レオンは眉間に皺を寄せた。
「ヴァルガ……お前、何を言っている?」
「──まさか」
ヴァルガは胸元から、首に下げた黒い小さな皮袋を取り出す。
紐を緩めて、中身を慎重に取り出した。
指の間から淡い光が漏れる。
見覚えのある、赤い光。
レオンはそれを見つめて、言葉を失って立ち尽くしている。
「宝珠……」
俺は、思わず呟いていた。
突如、レオンがヴァルガの胸元を掴み上げた。
「ふざけるなよ……」
「宝珠を持ち出すなど……」
レオンが、怒りに耐えるようにヴァルガを見つめている。
「ヴァルガ!」
俺は見てられなくて、二人の前に出て行った。
レオンは俺を見ると、ヴァルガを離した。
駆け寄ると、ヴァルガは手の中にある宝珠を素早く袋の中に仕舞い込んだ。
「これに触れるな。危ない」
俺は一瞬躊躇って、それでもヴァルガの腕を掴む。
「結界のこと、問題ないって……そういうことだったんだ」
「でも、帰った方がいいんじゃ……」
宝珠を奪われれば魔族は終わる。
さっきレオンは、そう言っていた。
そんな大事なものを、城から持ち出すなんて。
「晴斗、俺はもう決めたんだ。晴斗と魔族、どちらかを見捨てるなど、俺にはできない」
「……お前の元に行くには、これしかなかった」
苦しそうに笑うその顔に、胸が締め付けられる。
俺なんかのために、そんな顔するなよ……
黙っていたレオンが、口を開く。
「……前代未聞だ。魔王自ら宝珠を結界の外に持ち出すなど……」
ヴァルガがふ、と笑う。
「これで、黒濁が城を襲うこともない。俺を追いかけてくるが、奴らの足は遅い」
「もし追いついたとしても、その時には倒してやる」
「馬鹿が」
レオンがギリ、と奥歯を噛んだ。
「黒濁など問題じゃない。人間に奪われたら?」
「晴斗を盾に宝珠を差し出せと言われたら、お前はどうするんだ?」
ヴァルガはレオンから視線を外す。
何も答えない。
レオンは息をついて、顔に手を当てた。
その指の隙間から覗く瞳に、俺は戸惑った。
え──?
呆れているような、怒っているような、そんな目をしてるんだろうと思い込んでいた。
でも、違った。
冷静に考え込んでいる。
まるで、頭の中で何かを組み替えているみたいに。
さっきまで感情をむき出しにしていたのに、まったく別人みたいだった。
やっぱりレオンの雰囲気が、何かおかしい。
「レオン──」
言いかけた俺の言葉と被るように、レオンが喋り出す。
「まあいい。番を得た魔族に、何を言っても無駄だってわかってる」
レオンは肩をすくめる。
その動作は、以前と同じ。
でも、なぜか作ったように感じてしまう。
思わず、ヴァルガを見上げる。
ヴァルガも、レオンを訝しげに見つめていた。
そんな視線に、レオンは気づいてるのか気にしてないのか、なんともない様子で続けた。
「俺も晴斗を守れば何とかなるだろう。奏様もいる」
「そうでしょう? 奏様」
レオンが振り向いて、林の向こうに声をかける。
木の影から奏が出てきて、ぎょっとした。
「か、奏……」
いつからそこに?
今までの話を聞いてたのか?
レオンがスパイだってことも、奏は知らなかったのに。
「……晴斗は俺が守る。誰が増えようと、俺が晴斗を守ることは変わらない」
「魔族だろうが人間だろうが、晴斗を傷つけるやつは許さない」
奏はそう言って、ヴァルガとレオンを睨みつける。
「……ほらな。奏様ならそう言うと思ってた」
レオンは少し笑うと、宿の扉に向かう。
「少し風呂に入らせてくれ。それから出発しよう」
バタンと扉が閉まる。
奏は無言でそれに続いた。
残ったのは、ヴァルガと俺の二人。
レオンのことも気になった。
でも、それよりも──
俺が、ヴァルガの弱みになる。
こいつの、迷惑になんてなりたくない。
思わず掴んでいた腕を離すと、逆にその手を掴まれた。
見ると、赤い瞳とぶつかる。
「……変なことを考えるな」
見透かされたみたいで、慌てて目を逸らした。
「さっきは立場上、ああ言ったが……俺は」
少しだけ言葉が途切れる。
「……お前以外、何もいらない」
「ヴァルガ……」
ヴァルガは、胸元の宝珠に触れる。
「きっと……晴斗のためなら、俺は簡単にこれを渡してしまうだろう」
そう言って、俺を抱きしめた。
「……離れて、お前が危険な目に遭っているかもしれないと、そう思って気づいた」
「魔王の使命なんて、どうでもいい」
そう言って、悲しそうに笑う。
「お前が、この世で一番大事だ」
その言葉に、涙が溢れた。
ぽたり、ぽたりと、顎を伝い、それは止まらない。
しゃくりあげながら口を開く。
「……だめ、だろ。そんなこと、言っちゃ……」
気の良い、城の魔族たち。
好きなはずなのに、大事な場所だと思ってたのに。
言葉とは裏腹に、選ばれたことを嬉しく思ってしまう自分がいた。
「……ひどい王だろう? だが血族のせいで、降りることもできない」
血族。
その言葉が、妙に重く響いた。
俺はヴァルガを強く抱き返した。
魔族の王が、なりふり構わず俺を選んでくれる。
嬉しさと、その罪悪感。
どちらの涙か、もうわからなかった。
***
宿の中へ戻った奏は、レオンの背中に声をかけた。
「レオン、お前魔族だったのか」
振り返った男は、悪びれもせず笑う。
「さっきの話、全部聞いていたんでしょう?」
「……ああ」
「弁明しませんよ。最初からスパイだったんです。勇者が召喚されると知って、リヴェルトに潜入しました」
レオンは、まるで天気の話でもするように言った。
「宝珠を扱うには、転移者が必要です。だから魔族側としても、あなたを無視するわけにはいかなかった」
「まあ、今回はなぜか二人も転移者がいたわけですが……」
そして、小さくため息をつく。
「ヴァルガが独断で、晴斗だけ連れ去ってしまったんですよ」
「……俺についてきたのも、俺をうまく魔王城に誘導するためだったのか?」
「……まあ、そういうことです。あなたは強い。無理矢理連れて行くのは不可能だと判断しました」
奏は唇を噛み締める。
「晴斗を、餌に使って……」
レオンに紹介された、あの占い師。
あいつは、きっとグルだったんだろう。
「……宝珠というものだって、俺は知らなかった」
奏は自分の手を見下ろした。
「俺はただ、魔王を倒せばすべて救われるって……」
それだけ言われて、魔王城に向かった。
晴斗もいる。
倒すべき敵もいる。
だから、急いで──
人も魔族も、何人も殺してきた。
考える暇なんてなくて、心を殺して。
何もついていないはずの手のひらが、血に塗れているような錯覚を起こす。
奏は拳を握りしめた。
「……奏様。でも、リヴェルトに一緒に行くしかないでしょう?」
レオンの声は、静かだった。
「俺が何者であったとしたって、あなたは止まらない。やっと会えた同郷の者が、死にかけてるんですから」
「……」
奏は伏せていた視線を上げる。
そこには、弱々しさは微塵も感じられない。
「……そうだよ。俺は、晴斗を助ける」
「……それに、お前が魔族でも」
「魔王城まで一緒に旅をしたのは、レオンだから」
「その事実は変わらない」
奏が初めて人を殺した時。
泣き叫んでいた奏の背中をさすってくれたのは、レオンだった。
自分をまっすぐ見つめる瞳に、レオンはふっと笑う。
そして、奏の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「ちょっと!」
奏が振り払う前に、ぱっと手が離れる。
「……俺はね、ヴァルガと違って人間が嫌いです」
「あいつは俺にスパイまでさせて、極力争いを起こさないようにしている」
「……くだらない」
吐き捨てるように、レオンは言った。
「でも、奏様と晴斗は、巻き込まれた哀れな存在だと思ってる」
「守ってあげないと、と思うんです」
その言葉に、奏はそっぽを向いた。
「……俺の方が強いでしょ」
「はは、確かに。でも、どうしても弟みたいな気持ちになってしまう」
今度は、奏の乱れた髪をとかすように優しく撫でた。
「晴斗を、助けてあげましょう」
その言葉に奏は無言で頷いて、レオンを追い越し、部屋へ戻っていった。
それを見送るレオンの顔から、するりと笑みが抜け落ちる。
「……本当に、そう思ってたんだがな……」
残ったのは、仄暗く光る、静かな瞳だけだった。
***
俺たちは、昼前に宿を出ることになった。
馬に簡単に荷物を積んでいると、ラズが見送りに来てくれた。
彼女は何か言いたそうにしながら、結局いつものように笑った。
「私は、一度故郷に戻ってから、ミレグの復興のお手伝いをしたいと思ってます」
「ラズ……」
「リヴェルトは、魔族を……魔王様を敵視してるから……」
ラズは不安そうにヴァルガを見つめる。
ヴァルガは、安心させるように頷いた。
「お二人に、お手紙を書きます。魔王城宛てに」
「うん。俺も書くよ。絶対」
そう答えると、ラズは少しだけ泣きそうな顔をした。
でも、すぐに笑う。
「では、また会いましょう」
また。
その言葉が、今はひどくありがたかった。
俺は小さく手を振って、宿を後にした。
馬は二頭。俺はヴァルガの前に乗せられ、奏はレオンの前に乗っている。
目指すのは、リヴェルト。
かつて俺たちが召喚された、人間の国だ。
ヴァルガにとっては、敵地でもある。
そう思った瞬間、後ろから俺を支える腕に、少しだけ力がこもった。
背中越しに伝わるぬくもりを感じながら、俺は前を向いた。




