第二十九話 一緒に
俺もヴァルガも、まるで二人だけ時が止まったみたいに動けずにいた。
ヴァルガが、ぽつりと呟く。
「ここで、あえるなんて……思っても見なかった……」
「俺、も……」
ラズが涙を拭いながら、俺とヴァルガを交互に見た。
何かに気づいたように、少しだけ表情を緩める。
「前に言っていた、待ってる人って……魔王様だったんですね」
「大事な人に、会えてよかったです」
その時、支えられていた仲間が苦しそうに呻いた。
「旅の方々! お湯の準備ができましたよ!」
奥から宿の主人の声が聞こえる。
ラズははっとして、仲間の背中を支え直した。
「すみません、晴斗さん。怪我人がいるので……また後で」
ラズたちは、仲間の一人を支えながら奥に入っていった。
まだ、動けずにいる俺に、ヴァルガが一歩ずつ近づいてくる。
ゆっくり、床を踏みしめながら。
やがて、手を伸ばせば触れ合える距離になった。
「晴斗……」
優しい声音に視界が揺れた。
「会いたかった……」
声が震えた。
大きな手が、俺に差し出される。
もう限界だった。
倒れ込むように、ヴァルガの胸に縋り付いた。
それを、強い力で抱きしめられる。
触れた体は温かくて、そのぬくもりがひどく懐かしかった。
俺はヴァルガにしがみついて、子供のように声を上げて泣いてしまった。
「……無事で、本当に……」
安堵の声が、耳元で聞こえた。
ヴァルガは、存在を確かめるように俺の額に唇を落とす。
「……ミレグを、見た。ひどい有り様だった」
抱き止める腕がさらに強くなる。
「……怖い思いをしただろう」
「もう、大丈夫だ」
ヴァルガの声も震えていた。
怖かった。
つらかった。
たくさんの言葉が涙とともに溢れた。
ヴァルガはそれを頷きながら受け止めてくれた。
しばらくそうして抱き合っていると、背後で静かな足音が響いた。
振り返ると、宿の奥から奏がこちらを見ていた。
「魔王……」
ヴァルガが奏の方を見ると、その表情がみるみる怒りに染まっていく。
「貴様……よくも……晴斗をこんな目に……」
奏が黙ったまま、腰の聖剣を引き抜く。
ヴァルガも腰に手を伸ばす。
でもそうする前に、俺はヴァルガを庇うように前へ出た。
奏が静かに言う。
「晴斗。どいて」
「だめだ。絶対にどかない」
奏は、しばらく黙って俺を見ていた。
やがて低く息を吐いて、聖剣を収める。
「……まだ、殺さない。それは晴斗をリヴェルトに連れていってからだ」
ヴァルガの気配が鋭くなる。
「また晴斗を好きにするつもりか」
奏は冷たい瞳でヴァルガを見る。
「俺は、晴斗を助ける」
「あんたも、わかってるんだろ?晴斗の生命力が失われているのを」
その言葉に、凍りついたようにヴァルガの動きが止まった。
「……」
ヴァルガは何も言い返さない。
「治せるかもしれない」
奏のその言葉にヴァルガの肩がびくりと震える。
「……なんだと?」
「リヴェルトの大司祭様は、どんな傷も病も治せると言われている」
「確信はない。でも、望みがあるなら縋りたい」
奏は拳を握りしめ、つらそうに俺を見つめる。
奏は奏なりに、俺のことを必死に考えてくれてる。
でも……
ヴァルガは少しだけ眉間に皺を寄せて、考えているような表情をしていた。
それを見て、ヴァルガの服をぎゅっと掴む。
「俺は、魔王城に帰りたい……」
思っていたより、ひどく心細いような声になってしまった。
ヴァルガは、痛ましそうに俺を見下ろす。
「晴斗……」
「……体はなんともないし、生命力とかいうのもよくわからない」
「……ただ、もう……お前と一緒に、帰りたい」
魔王城だって黒濁が襲ってくる。
何があるかはわからない。
でも、人間を殺したり殺されたり、そんなのよりはずっとマシだと思った。
「……晴斗、もし治る可能性があるなら……行った方がいい」
「ヴァルガ……!?」
その言葉に見上げると、ヴァルガは俺から視線を逸らしていた。
何故か、苦しそうだった。
「……生命力が減るということは、生きる力が減るということだ」
「突然、倒れることもある……」
「長く、生きられないかもしれない……」
え……?
そんなに、深刻なことだったのか?
「……で、でも、レオンは今すぐどうこうなるものじゃないって……」
「……それは確かにそうだ。しかし……」
そう言って、ヴァルガは辛そうに顔を歪めた。
深刻な口調に、今さら震えがきた。
長く生きられない。
それはとても短いのか。
それともそこそこ生きられるのか。
そして──
ヴァルガと、いつまでいられるのか。
「……それって、どのくらい……?俺、いつ死ぬの……?」
「……わからない。生命力の器の大きさは人それぞれだ」
俺を見つめる瞳が、揺れていた。
「俺は、晴斗に死んでほしくない……」
それは、振り絞るような掠れた声だった。
ミレグの花畑を思い出した。
死んだ番を想って、いまだに花を手入れしている魔族。
そんなふうに、俺が死んでヴァルガに辛い思いをさせたくない。
それに、俺だって死にたくない。
行く、と口に出そうとした。
でもその一言が喉に引っかかる。
「……っ」
また、酷い目にあったら──
どうせ死んでしまうなら、ヴァルガの元で静かに終わる方がいいんじゃないか──?
「安心しろ。俺も行く」
「えっ……」
ヴァルガの言葉に、顔をあげる。
「そんなに城を離れて、いいのか?結界は……?ヴァルガしか作れないって……」
ヴァルガは少し黙って、口元に笑みを浮かべた。
「……それは、処理済みだ。問題ない」
処理?
その一言が、妙に気に掛かった。
そんなに簡単に解決できることなのか?
魔王にしかできないことだって、リリスが……
詳しいことは俺にはわからない。
でもヴァルガがそう言うんだから、きっと大丈夫なんだろう。
「そう、なのか……」
俺は少しの疑問を飲み込んで、ほっと息をついた。
「お前を守る。だから……リヴェルトに行こう」
ヴァルガが少し身を屈めて、俺に視線を合わせる。
赤い瞳が、心配でたまらないと訴えていた。
「……わかった」
ヴァルガが来てくれるなら、それでいい。
そう、思うことにした。
もう離れ離れは嫌だ。
ずっと黙って、こちらを見ていた奏が口を開く。
「……決まったのか」
「行くよ……でも、本当にヴァルガには手を出すなよ」
その言葉を聞いた途端、奏の眉間に皺がよった。
「……そいつと一緒に行くとは言ってないんだけど」
「……一緒にだよ。じゃなかったら、俺は行かない」
奏はあきらめたように深く息を吐きながら、部屋の方に向かって歩き出した。
その途中で立ち止まり、振り向く。
「……そもそも、魔王がリヴェルトに行ってもいいの?」
その言葉に、あっと声が出た。
「晴斗、そいつがリヴェルトで死んでも、俺が手を出したわけじゃないからね」
そう言って通路の曲がり角に消えていった。
リヴェルトは魔王を敵だと思ってる国だ。
そんな国にヴァルガが行ったら……
怖くなった。
国全体から、ヴァルガが敵意を向けられる。
俺のせいで、ヴァルガが死ぬかもしれない。
そう考えると体の震えが止まらなくなった。
ヴァルガが俺を見て、安心させるように笑う。
「晴斗、大丈夫だ。お前と初めて会った時も、俺はリヴェルトにいただろう?」
「あの頃はまだ黒濁も少なくて、単独でリヴェルトに潜入してたんだ」
「神殿の者たちは、魔族だとも気づきもしなかった」
「俺は大丈夫だ」
力強い眼差しに、俺はやっと肩の力が抜けた。
確かに、1番初めに出会ったのはリヴェルトの街の中だった。
見たのは一瞬だったけど、誰もヴァルガの姿を気にしてる素振りはなかった。
「……魔王の姿って、あまり知られてないのか?」
「神殿の上の者たちはくわしいだろうがな」
「まあいざバレたとしても、俺に敵う相手など勇者くらいしかいない」
胸を逸らして言ったヴァルガを見て、ふ、と息を漏らした。
確かにそうなのかもしれない。
勇者を、たった一人で魔王討伐に行かせるくらいなんだから。
***
俺はヴァルガがとった部屋に寝ることにした。
枕を持って部屋に入ると、ベッドで少し身を起こしたヴァルガが、こちらを見ていた。
お世辞にも広いとは言えない素朴な部屋。簡素な一人用のベッド。
その縁から、豪華な銀色の髪がこぼれ落ちている。
「全然似合わないな」
俺が少し笑うと、ヴァルガはベッドをとん、と叩いて俺を招いた。
「晴斗、こっちへ来い」
布団に潜り込んだ俺を、ぎゅっと抱きしめてくる。
シングルベッドに、大人の男二人はきつい。
ただでさえヴァルガはでかい。
一人で寝たとしても窮屈そうなのに。
「ヴァルガ、狭いだろ? 俺やっぱ部屋に……」
身を起こしかけて、ヴァルガの腕がそれを止める。
赤い瞳が揺れた。
「ここにいてくれ……お前と、離れたくない」
その言葉に胸が締め付けられた。
素直に腕の中に収まる。
「俺だって、そうだよ……」
ぬくもりを確かめるように、肩に顔を埋めた。
ヴァルガは、そんな俺の頭を優しく撫でる。
「……今日は疲れただろう。ずっとこうしてやるから、もう休め」
その優しい声音に、胸にじんわりと温かいものが広がる。
ミレグでのことが、まるで嘘だったみたいに、心が落ち着いていった。
「そういや、手紙、届いたんだな……」
「ああ。すぐ晴斗だと分かった」
「もっと早くに、お前を見つけ出せていたら……」
頭の上で奥歯が軋む音がした。
俺は無言で首を横に振る。
さっきまで全然眠れなかったのに、ヴァルガの匂いに包まれて、ゆるゆると目を閉じてしまう。
「ヴァルガ……」
「来てくれて、ありがとう」
そう言って、俺は眠りについた。
***
荒い息遣いが、静かな部屋に響いていた。
隣で眠っているはずの晴斗が、目を閉じたまま苦しそうに首を振っている。
ヴァルガは晴斗を抱きしめ直し、背中を優しく叩いた。
「大丈夫だ、晴斗。怖いことはもう終わった」
低く、ゆっくりと言い聞かせる。
腕の中の体は、しばらく小さく震えていた。
やがて怯えたような呼吸が、少しずつ穏やかな寝息に変わっていく。
この夜に、もう何度こうしたのか。
無理もなかった。
晴斗の住んでいた世界は、争いも少なく、比較的平和な世界だと聞いた。
きっと人の死など、ほとんど見たことがなかったのだろう。
それなのに、この世界に連れてこられた。
魔族と人間の争いに巻き込まれ、血を見て、死体を見て、逃げ惑う人々を見た。
晴斗の頬に手を添える。
ほんの少し会わない間に、ずいぶんやつれてしまっていた。
肉体の疲労より、精神の磨耗がひどい。
ヴァルガの手が、晴斗の髪の一部にそっと触れる。
色の抜けた、白い髪。
「……っ」
自分のせいで、晴斗は命の一部まで失ってしまっている。
本当は、分かっていた。
晴斗にとって、この世界はひどく残酷だ。
ここにいる限り、きっとまた傷つく。
「……それでも、俺は……」
腕の中にいる温もりを手放すことを考えただけで、胸の奥が焼けるように痛んだ。
それが正しいのだと、わかっているのに。
ヴァルガは、眠る晴斗をさらに強く抱きしめた。
「……すまない」
誰にも届かない声で呟く。
「それでも、離せない」
晴斗は何も知らず、腕の中で静かに眠っている。
その無防備な寝顔を見つめながら、ヴァルガは夜が明けるまで目を閉じられなかった。
***
次の朝、宿の食堂で、ラズとヴァルガと一緒に朝食を食べた。
丸いテーブルがいくつか並んでいて、ラズの仲間たちは少し離れた別のテーブルに座っている。
俺たちはその隣のテーブルを三人で囲んでいた。
奏は部屋にいなくて、多分また剣の朝練をしてるんだろう。
焼きたてのパンと、スープ。
窓から差す朝の明るい日差し、湯気の漂う温かさに、あの地獄から抜け出したことを今更ながらに実感した。
それに、隣にはヴァルガもいる。
食事が進む中、ラズがヴァルガとの出会いを教えてくれた。
「魔王さ……ヴァルガさんが助けてくださったんですよ」
ラズは主人に聞こえないように言い直す。
確かに、魔王が泊まったとなったら大騒ぎになるだろう。
「……そうなんだ。ありがとう、ヴァルガ」
ラズの言葉にヴァルガを見た。
「まさか、晴斗の友人だったとはな。手紙を見せたらひどく驚いていた」
「晴斗さんを探したいとおっしゃるから、一緒にここまで来たんです」
「晴斗さんがいそうな当てなんてなかったんですけど」
「ここで会えて、本当に良かったです」
微笑むラズに、またじわりと涙が浮かぶ。
あの状況で、また生きて会えた。
思わず隣のラズの手を握る。
すると、テーブルを爪で叩くような音が聞こえる。
振り向くとヴァルガが少しむくれていた。
「晴斗、俺の手は握らなくていいのか」
俺が笑ってヴァルガの手も握ると、満足そうにしている。
丸いテーブルを囲んで三人で手を握ってる。
少し異様だけど、それでよかった。
その時、食堂の入り口から声をかけられた。
「晴斗さん」
見ると、宿屋の主人の奥さんだった。
「お連れ様がお見えですよ」
それだけ言うと、奥さんはすぐに出ていってしまった。
「連れ?」
ヴァルガが、眉を上げて俺を見る。
「ああ、ヴァルガは知らないのか。ミレグで……」
言いかけている間に、入り口にすっと人影が立つ。
レオンだ。
「よう、晴斗……」
気安く上げた手が、ぴたりと止まった。
「……は……?」
驚きに見開いた瞳は、まっすぐヴァルガを捉えていた。




