第二十八話 決意と再会
奏がようやく落ち着いて、俺から離れようとしたその時だった。
丘の向こうから煙が上がっている。
レオンは見渡せそうな小高い場所に立ち、その先を見つめた。
表情がみるみる沈んでいく。
「ミレグが……」
その言葉に血の気が引いた。
火事なのか、誰かが火をつけたのか、そんなのはわからない。
ラズは……逃げられたのか?
震える手を奏がそっと握った。
「煙は少しだし、そこまで大事じゃないはずだ」
その言葉を信じたかった。
「レオン、今日泊まれるところを早めに探そう」
奏がレオンに言葉をかけたが、レオンは街の方を見たまま身動きひとつしない。
少しだけ見える横顔は、ひどく青ざめていた。
「レオン……?」
「……少し、見てくる」
「えっ」
レオンは俺を振り返る。
その目はどこか遠くを見ていて、俺のことを映していなかった。
「お前の知り合いも運が良かったら見つけてやる」
「奏様、あの林の向こうに宿屋があったはず。そこで落ち合いましょう」
奏も納得のいってない様子でレオンを見ていたけど、やがて頷いた。
レオンはふらりと丘を下り、そしてそのまま駆け出した。
あっという間にその姿は見えなくなっていった。
俺は唖然としてしまった。
自分は散々戻りたいって言った俺を止めたくせに。
でも、何故か怒る気がしなかった。
それほど、レオンの態度がいつもと違っていた。
「晴斗、日が暮れないうちに行こう」
「でも」
「こうしてても埒があかないし……
それに、大丈夫。レオンは強いから」
後ろを振り返りながらも、俺は奏について行った。
***
花の匂いに包まれた場所だった。
彼女が寂しくないように、彼女の好きな花をたくさん植えた。
ここに来れば、彼女の声や笑った顔を思い出せた。
その場所が、今──燃えていた。
花の匂いは消え失せ、焦げた匂いがあたりに充満していた。
花はパチパチと音を立てて燃え、灰になって消えていく。
男たちが、燃える花を見て笑っている。
酒を飲みながら、ゲラゲラとおかしそうに。
「綺麗に燃えるじゃねえか」
一人の男が、空になった酒瓶を花畑に向かって投げる。
派手な音を立てて割れ、破片が飛び散った。
レオンは立ち尽くしてそれを見ていた。
燃えゆく花の向こう──
彼女の家の扉を無理矢理こじ開けようとしている者もいた。
彼女がいた幸せな場所が、壊されて燃えていく。
こめかみの奥で、何かが切れる音がした。
「お前たちは……二度も……俺から彼女を奪うのか……」
血が飛び散る。
レオンは、全身が濡れても手を止めない。
男の顔が変わり果てるまで殴り続けた。
息が完全に止まるのを待って、その場に放った。
どさりと重い音がする。
足を折られ身動きが取れなくなった男たちが悲鳴を上げる。
レオンはその一人の髪を掴み、引き寄せる。
また、拳が肉を潰す。
頭蓋が壊れる音が、狭い路地に何度も響いた。
いつのまにか、そこにいた男たちは一人を除いて全員倒れていた。
花に火をつけた者だけが、最後までその場に残されている。
腰を抜かして動けず、なす術もなく仲間が死んでいく音を聞いていた。
男の上に影が落ちた。
レオンが、男の前で止まる。
片膝をついて視線を合わせた。
その表情からは何も感じられない。
「ひっ……!!」
男の手には、まだ油の瓶が握られていた。
火をつけたときのまま。
しかし、瞳のその静かな威圧に、男の手から油の瓶が滑り落ちる。
その寸前で、レオンが瓶を取り上げた。
無言で男の頭にその瓶を傾ける。
こもった音と共に、ゆるりとした液体が男を濡らしていく。
「や、やめっ……!!」
「報いを受けろ」
レオンが何かを小さく唱えると、指に小さな炎が点る。
男の悲鳴が、燃える音に飲まれた。
***
辺りに肉が焼ける匂いが立ち込めている。
あるはずの遺体はそこにはなく、引きずった黒い炭のような跡だけが大通りへ続いていた。
彼女の眠る場所を汚したくなかった。
だから遺体はすべて外へ運んだ。
レオンは花畑の黒い灰をかき集めている。
手が真っ黒に染まっているのも気にしない。
焼け焦げた花の中で、崩れた墓石に目が止まる。
黒い煤がついた石を、袖で拭った。
レオンの瞳から雫が一粒溢れて、墓石に落ちる。
もう──枯れ果てたと思っていたのに。
レオンは立ち上がる。
街は、あちこちで煙が上がっていた。
どれも大した火事ではない。
ただの幼稚な悪戯。
やつらには、そんな軽い気持ちだったんだろう。
花畑を燻る火も、それ以上広がらなかった。
煙の向こうに、白く霞んだ空が見えている。
「これが……俺に与えられた運命……」
レオンは、空を見上げて呟く。
「神よ……俺は、あなたを許さない」
再び、涙が頬を伝う。
「あなたが愛した人間も……」
「絶対に」
それが顎を伝い、地面に落ちた。
その時にはもう、レオンの瞳は乾き、冷たい光だけが宿っていた。
***
人間から奪った馬を引き連れて、奏と二人で林を歩く。
奏との会話は多くなかったけど、さっきまでの張り詰めた空気は少しだけ薄れていた。
宿屋はすぐに見つかった。
魔族が家族で経営している小さな宿屋。
俺たちは、そこを見つけてすぐに近くの川で体を洗った。
清潔な宿屋に泊まるには、俺たちはあまりにも血で汚れていたから。
特に奏はひどかった。
疲労した体に水の冷たさが堪えるのか、何度も手が止まっていた。
俺は奏を洗うのを手伝った。
奏は申し訳なさそうにしていたけど、気にせず洗った。
洗い落とした血が、川に流れていく。
それで、起きたことまでなかったことになるわけじゃない。
「早く……こんなこと、慣れないとな……」
呟いた言葉に、奏がハッとしてこちらを振り向いた。
「……晴斗は、慣れなくていい。こんなこと……」
奏が、洗っていた俺の手を握る。
俺は黙ったまま、それを振り解かなかった。
俺たちはしばらくそのまま、川の流れる音だけを聞いていた。
そうしてやっと宿屋へ向かい、そのドアを叩いた。
***
宿屋の人はミレグから逃げてきたと言うとひどく同情してくれた。お金がないのに泊まっていいと言われてありがたかった。
川で落としきれなかった汚れを風呂で綺麗にして、ようやく人心地つく。
俺が部屋に戻ると、先に風呂に入った奏が窓辺にもたれて外を見ている。
まだ少し濡れた髪が、月明かりで光っていた。
「まだ寝ないのか?疲れてるだろ」
声をかけると奏がゆっくり振り向く。
「……晴斗、聞きたいことがある」
水を飲みながら軽く頷いた。
「……魔王と、晴斗は、恋人なのか?」
大きな音を立てて空気と共に水を飲み込んでしまった。
咳き込む俺を、奏が駆け寄り背中をさする。
「なにを、突然……」
「前に、ヴァルガが好きなんだって晴斗が言ってたよ」
そうだった……
言ったな……自分で
「う、うん……恋人、なんだ……」
奏の顔が見れない。
男と付き合ってるって、どう思われるのか今更ながらに怖かった。
「やっぱりそうなんだ……」
奏は苦しげに視線を外す。
そしてそのあと、泣きそうな顔で俺に微笑んだ。
「俺はね……晴斗が、好き」
「えっ……」
その言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。
「……ずっと昔から。友達としてじゃないよ」
「気づいてなかったでしょ」
確かによく、くっついてきてたし、俺が他のやつと仲良くすると必ず邪魔をしていた。
幼馴染だからだと、思っていたのに。
少し、笑おうとした。
でも、奏の顔は冗談を言ってるような表情じゃなかった。
ちゃんと答えなきゃ、いけない。
「奏……俺は」
「何も言わなくていいよ」
奏は首を振った。
「何か言われて、諦められるほど……想ってた時間は短くないから」
そして、少し躊躇ってから続けた。
「……俺たちは、魔王を倒せば元の世界に帰れる。そう言ったのは、覚えてる?」
どくんと、大きく鼓動が鳴った。
「奏……」
「ごめん、晴斗。俺、やっぱり魔王を倒すよ」
奏はどこか吹っ切れたように笑った。
「晴斗にどんなに嫌われたって仕方ない」
「でも、俺が終わらせなきゃならない」
奏は、すぐそばに立てかけた聖剣にそっと触れる。
「前は……辛すぎて、ひたすら帰りたかった」
「……でも、今は自分のことだけじゃなくて」
奏はまっすぐ俺を見た。
「こんな残酷な世界に、晴斗を置いておきたくない」
***
その日は早めにベッドに入った。
温かい布団に包まれても、くたくたに疲れてるはずなのに、眠れなかった。
奏は隣のベッドですぐに寝息を立てていた。
起こさないように、そっと部屋を抜け出す。
受付まで行くと、主人が暖炉の前に招き、お茶を淹れてくれた。
暖かい温もりに包まれても、眠気はやってこない。
奏の言葉が蘇る。
『ごめん、晴斗。俺、やっぱり魔王を倒すよ』
だめだ、って言えなかった。
あいつがしてきたことを考えてしまって。
奏を、帰してやりたい。
でも、本当にヴァルガを倒さないと元の世界に帰れないなら……
「どうしたらいいんだろう……」
呟いた言葉が、火の音にかき消された。
その時、宿に控えめなノックの音が響いた。
「おや、こんな夜にお客さんだ」
主人が慌てて奥から出てくる。
扉を開ける音がした。俺の方からはそこは見えない。
何やら話し込む声が聞こえ、主人が慌てて戻ってくる。
「またミレグから避難してきた人が来ましたよ!
怪我人もいるから、お湯を……!」
生きてる人がいたんだ。
何か手伝えることがあるかもしれない。
俺は立ち上がり、玄関の方へ向かった。
そこにいたのは──
「え……?」
おさげとメガネ、そばかすの少女が立っていた。
ラズと、行商の仲間たちだった。
みんなぼろぼろで、一人は腕に怪我をしている。
その肩を、ラズともう一人が支えていた。
驚いてこちらを見つめるラズの瞳が、みるみる潤んでいく。
「ラズ……!」
思わず彼女に駆け寄って抱きしめる。
ラズも腕を回して泣いていた。
「よかった……! 無事で……!」
「晴斗さん……!」
その時、開きっぱなしの扉の向こうで、ゆらりと影が動いた。
俺はなぜか、そこに目が吸い寄せられた。
月明かりを背に、深くフードをかぶった人影が立っている。
その奥で、銀色の髪がかすかに光った。
こちらを見つめて、呆然と立ち尽くしている。
「はる、と……」
聞き覚えのある、低い声。
そんな、まさか──
いるはずがない。
なのに、目が離せない。
その影が、一歩こちらへ踏み込んだ。
壁のランプに照らされ、その姿が浮かび上がる。
「……っ」
ヴァルガが、そこに立っていた。




