表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/50

第二十六話 天秤

奏の呼吸が整ってきたのを感じた。

でも、奏は何も答えない。


その代わりに、抱きしめる手に一瞬だけ力が籠る。


そして静かに体を離した。


「……ここはまだ危ない。街の外に出よう」


立ち上がって、こちらに手を差し伸べる。


その手を、俺は掴むことができなかった。


奏から目を離せない。


綺麗な形の頬が汗と血に塗れ、髪の毛が張り付いている。


優しく笑っているはずなのに、それがわからなかった。


本当に、こいつはあの奏なのか。


元の世界の奏は、虫も怖がって殺せないような奴だった。


それなのに。


視界の隅に、ずっと男の死体が映っている。


奏は地面の血溜まりを踏みつけても、気にする様子はない。


もしかしたら、こいつは偽物かもしれない。


異世界なんだから、そんな魔法があってもおかしくはない。


そう思い込もうとするのに、できなかった。


何も答えない俺を見て、奏の唇がわずかに震えた。

そのまま片手で顔を覆う。


「……そんな目で、見るなよ」


掠れた声。


手のひらの隙間から、揺れる瞳が覗く。


「……どうすればよかった? 晴斗を助けるためだよ」


「だからって……」


だからって、こんなに──


あたりには死体が散らばっている。


ひどく、血生臭い。


見るだけで吐き気が込み上げてくる惨状。


それをものともせず踏みつける、幼馴染。


奏は、死に慣れすぎていた。


***


王の間には、重い沈黙が落ちていた。

その扉が荒々しく開かれる。


足早に入ってきたのはリリスだった。


「魔王様!」


広間は誰もいない。

リリスの硬い靴の音だけが響き渡る。


「……また晴斗様のところか」


舌打ちしそうになりながら踵を返す。


その直後──


「……なんだ」


背後から声が聞こえた。


振り向くと、すぐそばにヴァルガが立っている。


「……!」


気配はなかった。


なのに、こんなにそばまで近づいているなんて。


じっとこちらを見つめる赤い瞳に、ぞくりとする。


ヴァルガは、ひどく荒んでいた。


身なりは何も変わらないのに、纏う空気が以前とはあまりにも違う。


番の不在が、ここまで影響するのか。


何も言わないリリスに、ヴァルガは少しだけ期待を込めた表情になる。


「……まさか晴斗が、見つかったのか?」


その声にはっとする。


「いえ……それとは別ですわ」


「……そう、か」


目に見えて落胆する王に、罪悪感が募る。


リリスは気を取り直して、小さく咳払いをした。


「ミレグの外壁が崩されました」


ヴァルガは眉間に皺を寄せる。


「……なに?」


以前、人間に襲撃された事件から、同胞を守るために作った壁。


それには自分の力を込めていた。


簡単には壊せないはずだ。


「報告では、黒い化け物が崩したと。もしかしたら……」


黒濁。


しかし、あれは宝珠にしか向かわないはず。


「わけがわからないな……」


以前なら、民の危機に機敏に反応したはずだ。

なのに今は、わかっているのに心が上の空だった。


黒濁のことも、民のことも考えなければならないのに、思考がまとまらない。


ヴァルガは息を吐いた。


「黒濁なら厄介だ。すぐ救助を送れ」


「今、スラ様が動いていますわ。私もそちらに向かうつもりです」


「ああ……頼む」


ヴァルガは窓に向かう。

その足取りはひどく重かった。


ガラスに寄りかかるように空を見上げ、何を思うのか。


リリスはすぐに察した。


ヴァルガとは、弟のように一緒に育ってきた。


なのに、あんな表情は見たことがない。


焦がれている。


心配で堪らないという顔。


掛ける言葉が、見つからない。


「……では、出立の準備をしてきます。また、何かあればすぐに報告に来ますわ」


「……わかった」


ヴァルガはこちらを見ずに答えた。


リリスは今度こそ扉に向かう。


その時──


ヴァルガが見つめる空の向こうから、紫色の光が飛んでくるのが見えた。


「あれは……なんだ?」


赤い瞳を細める。


リリスも空を見つめた。


「鳥……?」


ものすごい速さだった。


よく見ると、足に紙が巻き付いている。


窓を開けると、吸い寄せられるように窓枠に止まった。


巻き起こった風が髪を揺らす。


リリスが呟く。


「この大きな鳥、どこかで……」


その鳥はヴァルガを見つめていた。

少しだけ喉を鳴らして、鉤爪で窓枠を叩く。


催促されたようで、ヴァルガは鳥の足の手紙を解いた。


開いたそれを見つめ、息が止まった。


「……これは……」


紙を持つ手が震えている。


リリスは紙を覗き込む。


そこには、拙い字。


「“ヴァルガ”……」


「どこに……」


「どこにいる……!」


場所の書かれていない文章に、ヴァルガは紙をひっくり返す。


そこには、また同じ筆跡で“カレー”。


文字の隣には、見覚えのある顔の絵。


「はる、と……」


涙が溢れる。


晴斗が生きていた証を、見つけたような気がした。


リリスが何かに気づく。


「ここに、『ミレグ市場にて』と……昨日の日付ですわ!」


それを聞いたヴァルガは、開いた窓を飛び越えようと手をかけた。


鳥が大きな羽音を立て、飛び去った。


「魔王様!」


リリスは慌てて取りすがる。


「離せ! 晴斗を迎えに行く……!」


「結界は!? 宝珠は!? この城の民はどうなるのです?」


その言葉に、ヴァルガの動きが止まる。


「……そうだ」


ぽつりと呟く。


「あれのせいで、俺は……」


そう言い残し、足早に扉へ向かう。


長い銀の髪から覗いたその横顔に、リリスの体が震えた。


「何……何するつもり?」


「ヴァルガ!!」


即位してから呼ぶことのなかった名前を、リリスは口にした。


それでも、魔王は止まらない。


リリスは後を追うしかなかった。


***


向かってくる男たちの首が飛んでいく。


手を引かれながら、それを見ていることしかできなかった。


人数が多すぎる。


隠れて移動するには時間がかかりすぎる。


きっと、これしかない。


でも──


奏と俺の周りに、たくさんの首が落ちる。


それを見て、何度も足が止まりそうになった。


その度に奏は強く腕を引いて、無理やり前へ進ませた。


奏の息も荒い。


手加減なんてできないんだろう。


わかってる。


……わかってるんだ。


「もうすぐだから、晴斗」


振り向きもしないまま、奏が声をかけてくる。


目をぎゅっと瞑った。


何も見たくなかった。


そのせいで足がもつれて、俺は派手に転んだ。


繋いでいた手が引かれて、膝が地面と擦れて血が滲む。


「晴斗!」


奏が抱き起こす。


「……もう、やだ……」


呟いた言葉に、奏は怪訝な顔をした。


「死ぬのも、殺すのも……もう……」


奏はじっと俺を見つめた。


「……そんなこと言ってる間に、簡単に死ぬんだよ」


そう言って、剣を振りかぶる。


思わず目を瞑ると、金属を弾く音がした。


恐る恐る目を開くと、すぐそばに矢が落ちている。


「……ほら」


奏は矢を拾い、何か呟く。


矢尻が光を纏い、それを遠くに投げつける。


どこかから短い叫び声が聞こえて、やがて静かになった。


次の瞬間、矢が俺の頬を掠め、すぐそばに刺さった。


「ひっ……」


思わず身を縮める。


「くそっ キリがない」


奏は俺を立ち上がらせ、そのまま手を引いて走り出した。

擦りむいた足が痛み、思うように動かない。


矢が、俺たちを追いかけるように地面へ突き刺さる。


奏は舌打ちをしながら、転がっていた木の板を持ち上げた。


「身を低くして、これに隠れて」


「奏は……!」


次の瞬間、


「──っ」


奏が剣を振り抜く。


横から飛び出してきた男の首が落ち、血が跳ねた。


さらに前方から、大きな斧を振り上げた大柄な男が走ってくる。


奏は一歩前に出た。


「そこを動かないで」


そう言い残して斧の男に向かう。


聖剣と斧がぶつかり、大きな鈍い音がした。

斧の刃が一瞬で刃こぼれする。

聖剣は鋭く美しいままだった。


それでも大柄の男は構わず振りかぶる。


奏はそれを簡単に弾き飛ばし、唖然としている男の膝を駆け上がって空高く跳んだ。


空中から一気に頭を突き刺す。


顎から突き出た刃が即座に引き抜かれ、ゆっくりと男が倒れ込んだ。


砂煙が舞う。


奏は苦しそうに、荒く肩を上下させている。


少しだけ板をどかし、奏の様子を伺う。


でも、その直後だった。


背後で足音がした。


振り向いた時にはもう遅かった。


剣が振り上げられている。


「晴斗!!」


駆ける足音がする。


でも、それはひどく遠く感じた。


体が動かない。


──その刃が、突然弾かれた。


金属がぶつかる音が響いて、剣が高く舞って地面に突き刺さる。


驚いている男の体が横に吹き飛んだ。

建物の壁にぶつかり、瓦礫と共に崩れ落ちる。


「前も、こんなことがあったな」


聞き覚えのある声が、すぐそばで聞こえた。


「レオン!」


レオンは剣を軽く振って、こちらを見る。


「家にいないから驚いた。奏様と合流できていたのか」


ふう、と笑う顔に緊張が緩む。


助かった、と何故かそう思ってしまった。


奏と一緒にいたはずなのに。


「レオン……!? なんでここに!?」


駆けつけてきた奏も、レオンの姿に驚いている。


そういえば、レオンが魔族のスパイだって奏は知ってるのか?


俺がレオンを盗み見ると、それに気づいて軽く片目を閉じた。


「奏様と別れてから、ミレグに滞在していたんですよ。何かあったらすぐ駆けつけられるように、リヴェルトには戻らなかったんです」


飄々とした笑顔だった。


どうやら芝居をしているらしい。


俺もそれに合わせることにした。


「さっき偶然会ったんだよ。匿ってもらってたんだけど、離れちゃって」


「そうか……晴斗を助けてくれてありがとう、レオン」


奏は心底ほっとしているようだった。


レオンを見ている時の奏は、なぜか安心しているような顔をしていた。


レオンは笑いながら俺を見る。


「晴斗、よかったな。奏様がいたから、命があったようなもんだ」


その瞳は、なんだか探るように感じた。

俺が何を思っているのか、確かめているみたいだった。


「……あ、ああ」


きっと、俺一人だけが綺麗事を考えてる。


こんな戦争みたいな場所で、誰も死なないように、なんて。


奏がいなかったら、死んでいたのは俺だったのに。


そう思った瞬間、奏の視線とぶつかる。


何故か責められているような気持ちになって、鼓動が早くなった。


思わずシャツの胸元をぎゅっと掴む。


でも、俺は──


目の前で人が死んだの、初めて見たんだ。


その時、足元の地面に矢が刺さる。


レオンは再び飛んできた矢を軽く刃で弾きながら、奏の背中を叩いた。


「ほら、さっさと行きましょう。まだ敵も多い」


「晴斗、歩けるか? おぶってもいいぞ」


足の怪我を示しながら、レオンが言う。


「いや、大丈夫。自分で行く」


これ以上、お荷物にはなりたくなかった。


足を庇いながら進もうとすると、奏に手を握られた。


「晴斗は俺が守る」


奏の瞳には暗い光が宿り、目の下には疲労の影が落ちていた。


俺は思わず顔を背けた。


ありがたかった。


体も本調子じゃないのに、俺を守ってくれる。


でも、俺を守ることは──


誰かを、殺すことだ。


奏の手を汚して、俺が殺しているのと変わらない。


俺は視線を合わせることもできないまま、それでも手を離さなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ