第二十五話 知らない顔
両手を上げたまま、狭い路地を進まされる。
背中には使い込まれた古そうな刃。
歩くたび、その切先がシャツをなぞり、膝が崩れそうになる。
「そのまま大通りに出ろ。ここは荷車が通らないからな」
男はそう言い放ち、俺を無理やり歩かせた。
大通りについたら、きっとすぐ殺される。
面倒だから、まだ殺されてないだけだ。
命を、握られてる──
そう考えた瞬間、体の震えが止まらなくなった。
少しの音にも体が跳ねる。
この男の気分次第で、いつ背中を刺されるかわからない。
大通りに近づくと、地面の血の滲みが増えていった。
引きずられたような血の跡。
見ないように、目を固く閉じた。
俺もこの後、こうやって物みたいに引きずられて荷車に乗せられる。
嫌だ。
こわい。
死にたくない。
「おい、止まんな」
足で押すように蹴られた。
転びそうになりながら、数歩よろけて前に出る。
「……っ」
もうそこは、大きな通りだった。
明るい開けた通りは、地獄に変わっていた。
至る所に血飛沫が飛び散り、建物はあちこち破壊されている。
荷車には、数えきれないほどの遺体が積み上げられていた。
ガラガラと音がする。
今度は新しい荷車が運び込まれてきた。
いっぱいになった荷車と交代するように、新しい荷車がそこに置かれる。
あれに、俺は乗るんだ……
暑くもないのに汗が止まらない。
滴り落ちる汗が、胸元を濡らした。
荷車を引いてきた男がこちらに気づいて向かってくる。
男は、酒臭い息を吐きながら言う。
「そいつ人間じゃないか?」
背後の男が答える。
「そうか? とりあえずこの街の奴、全員持っていけばいいんだろ?」
「魔族だけだと聞いたぞ」
その言葉に、はっとした。
黒濁の材料になるのは魔族。
人間の俺は──殺されないかもしれない。
そうであってほしいと願ってしまう。
身勝手な、ひどい考えだ。
でも、そんなことどうでもよかった。
助かりたい。藁にもすがる気持ちだった。
「馬のとこまで運ぶの俺なんだぞ。人間まで入れたら重いだろ」
荷車の男はうんざりした顔で、懐の酒瓶を取り出し煽った。
固唾を呑んで、その言葉に耳を澄ませた。
後ろの男が、肩をすくめながらおどけて笑う。
「少しくらいいいだろ。かさましできて金を上げてくれるかもしれねえし」
一瞬の間。
直後に荷車の男が笑い出す。
「それはそうかもな。確かに、選別も面倒だ」
その言葉を聞いて、視界がぐらりと揺れた。
鋭い刃先が背中を突く。
「おいお前、自分で荷車に乗れ」
「そこで、やってやるよ。苦しまずにスパッとな」
二人の男が俺を見て、歪んだ笑みを浮かべた。
今度こそ、もうおしまいだ。
おぼつかない足取りで歩く。
荷車に近づくと、縁に血がこびりついて湿っているのが見えた。
一体何人が、この荷車に乗せられたんだろう。
このままここで、殺されるのか。
あいつにも会えずに。
その瞬間、涙が溢れた。
ヴァルガ……
名前を呼びかけて、飲み込む。
あいつを、置いて──
離れ離れのまま、死ねない……
死にたくない。
いつのまにか握り込んでいた手のひらに、爪が食い込んで血が滲んでいた。
──やっぱり、抵抗しないで殺されるなんて、いやだ。
足がもつれ、地面に手をつく。
瓦礫が散乱しているそこは、膝を付くと痛みが走った。
「チッ 早く立て」
背後からイラついたような声が聞こえる。
指先に触れた瓦礫のかけらを見つめた。
どうせ死ぬなら、最後に──
俺は夢中でかけらを後ろに投げつけた。
ぱん!と音がして、背後の男の顔に当たった。
やった──
一瞬だけ、そう思った。
反射で閉じた男の目が、ぎろりと開く。
「……あ?」
こめかみから一筋の血が流れている。
でも、なんともないとでも言うように、男はこちらを睨みつけている。
それを見て、体から力が抜けた。
ああ、もう本当にこれで──
諦めかけたその時、大通りの向こうから断末魔が聞こえた。
何人もの男の声。
「……なんだ?」
荷車の男が眉をひそめる。
次の瞬間、誰かの喉が裂けるような悲鳴が響いた。
今度は少しだけ近い。
逃げ惑う足音。
命乞いの声。
見えないのに、確実にこちらに近づいてきていた。
魔族が殺されてる時とは、何かが違う。
悲鳴の後に、すぐ別の悲鳴が重なる。
それは、異様に早い。
すぐそばで、ぐちゃりと水音を立てて、何かが倒れる音がした。
姿は見えないのに、俺の周りのあちこちで血が飛び散っていく。
「なっ……」
俺が瓦礫を投げつけた男は、もうこちらを見向きもしない。
あちこちを見渡して、身を固くしている。
「ひっ……!」
荷車の男が突然駆け出した。
数歩進んだ、その先だった。
気づいた時にはもう、首から血を噴いていた。
どさり、と体が崩れ落ちる。
「……っ」
何が起きてるかわからない。
敵なのか、味方なのか。
「ちくしょう!なんなんだ!」
男は叫ぶと無茶苦茶に剣を振り回す。
その胸を、背後から輝く刀身が貫いた。
血が、俺の頬に飛び散る。
口元から血を流し、白目を剥いたまま男の体が傾いていく。
それが、なぜかゆっくりに見える。
男の体が地面につき、小さく跳ねた。
その向こう側──
ようやく姿がはっきりと見えた。
それは──血に染まった奏だった。
気がつくと、俺は尻餅をついていた。
足に力が入らない。
さっきまで動いてた男が、目の前で死んだ。
地面にじわじわと広がってきた血が、足元まで迫り思わず体を引く。
殺されなかった。
なのに、なぜか恐怖が拭えない。
浅い呼吸を必死に繰り返しながら、奏を見上げる。
無感情な瞳とぶつかって、息を呑んだ。
ラズと、初めて会った時と同じ目。
あの時は、俺が止めた。
でも、今回は──
こんな、何もない表情で、幼馴染が人を殺した。
ありがとう。
助かった。
そう言うべきなのに、言葉が出てこない。
何も言えずにいる俺の前に、奏は膝をついた。
近くで見ると、奏は全身に汗をかいていた。
息も荒く、肩がわずかに上下している。
腕を回され、抱きしめられる。
思わず反射で肩が揺れた。
「……間に合って、よかった……」
声はいつもの奏だった。
心配そうな、優しげな声。
でも。
「お前、本当に、奏なのか……?」




