第二十二話 帰心と異変
店の片付けも終わり、解散になった。
ラズたちはこれから、次の仕入れの計画や売上の計算など、色々忙しいらしい。
手伝いを申し出たけど、「今日はもう十分働いてもらいましたから」とラズにきっぱり断られた。
少しだけ寂しいと思ってしまったけど、仕方ない。
俺は彼女たちの仲間にならない。
そう自分で決めたことだ。
俺は一人で宿に帰ることにした。
腕は重くて、足も少しだるい。
それでも、店がうまくいった余韻のせいか、そのまま戻るのがなんだか惜しい。
俺は、足の向くまま、少しだけ遠回りをしてみることにした。
細い路地裏に入る。
一つ通りを変えただけなのに、雰囲気がガラリと変わった。
不思議な屋根の形、扉の色、謎の古い店。
見慣れたと思っていたこの街が、少しだけ新鮮に映る。
家々から食事を作る匂いがしてきて、腹がぐうと鳴った。
今日、カレーを作る家もあるのかな。
そう思うと、心の中が温かくなった。
いつのまにか景色が陰り、窓の向こうに明かりが灯り始めていた。
もうすぐ、夕日も沈む。
その時──
頭上で、大きな羽音が聞こえた。
空を見上げる前に、さらに大きな音と風がすぐ横で巻き上がる。
それは俺の横を低く飛び、砂を巻き上げながら空高く舞い上がった。
大きな紫色の、鳥のような生き物だった。
翼が羽ばたくたびに、きらきらと何かが舞う。
すごい、綺麗だ。
見惚れていると、その鳥はゆっくりと旋回して地上に降りていった。
足が吸い寄せられるように、建物で見えないその場所に向かう。
近づくにつれ、花のような甘い香りがした。
道を曲がると、建物の合間に小さな空き地のような場所が見える。
そこには、色とりどりの花が咲き乱れていた。
その真ん中にある一本の木に、その鳥は止まっていた。
幻想的な光景に思わず息を呑む。
この世界に来てから、ここまで花が咲いている場所を見たことがなかった。
木の根元に、小さな墓石が見えた。
ここ、墓なんだ……
鳥を近くで見たかったけど、入っちゃまずいな。
俺は入り口から、鳥を見ることにした。
鳥はゆっくり羽繕いをしている。
翼を伸ばすと、小さく悲鳴のような声をあげた。
目を凝らすと、羽根に何か赤いものがついている。
ケガ──?
なおも羽繕いをして、そのたびに小さく鳴く。
どうにか助けてやりたかった。
躊躇ったが、花を踏まないようにゆっくりと一歩踏み出す。
鳥は俺に気づき、じっとこちらを見つめた。
驚かさないように、花を踏まないように、慎重に歩みを進める。
あと数歩のところまで来て、鳥が大きな羽音とともに空に舞い上がった。
「あっ」
この場所を何度か旋回して、そのまま遠くに飛んでいった。
「大丈夫かな……」
でも、飛べるんだから大したケガじゃないよな?
また見かけたら、様子を見てみよう。
しばらくは、この街にいるしかないんだから。
ゆっくりと後ろに下がる。
「そこのあんた」
後ろで突然声がかかり、大袈裟なほどに肩が跳ねた。
振り向くと、空き地の向かいの家から、猫っぽい魔族がこちらを見ていた。
腰は曲がり、メガネをかけている。
杖をつきながら敷地の門を開き、俺の方へ向かってくる。
俺も入り口まで慎重に歩いていく。
なるべく花を折らないように。
距離が近くなると、その人はメガネを外し、顔を近づけるようにして俺を見つめた。
「おや、あんた人間だね?」
「はい。すみません、お墓に勝手に入って。
あまりにも綺麗で……それに、鳥が……」
「ああ、それで。人間がこの路地まで入ってくるのは珍しいからね」
「あの子を追ってきたのなら納得だ。花もだけど、あの子も綺麗だったろう?」
皺のある顔でにっこりと笑いかけられ、俺は肩の力が抜けた。
「すごく。あんな綺麗な鳥、初めて見ました」
おばあさんは墓を指差した。
「あの娘の鳥なんだよ。今もあの子のそばから離れない」
「そうなんですね……」
死んでしまった飼い主の元を、離れないなんて……。
さっき、この場所を名残惜しそうに旋回してた。
邪魔、しちゃったんだな……。
俺は俯いた。
「あの娘の番がね、あげた鳥なんだよ。城と連絡を取れるようにって。伝書鳥だね」
はっと顔を上げた。
番。
その言葉も気になった。
だけど今、“城”って……
「あの、城って……魔王城ですか?」
「そうだよ。その番は城で働いてたんだ」
じゃあ、あの鳥に手紙をつければ、もしかしたら……
おばあさんは、再び墓の方へ目をやる。
「この花々も、その番が植えたんだ。随分前に亡くなったのに、今でも時々花を手入れに来るんだよ」
その人は、どんな気持ちで花を植えるんだろう。
失った番を、永遠に思い続けるんだろうか。
たった一人で、ずっと──
胸が苦しい。
どうしても、自分とヴァルガに重ねてしまう。
「早く、帰らないと……」
気づけば、声に出していた。
俺はおばあさんに別れを告げ、帰ることにした。
ずっと空を見上げながら歩く。
あの鳥が、すぐ見つかるように。
***
外が騒がしい。
目を開くと、月明かりで薄暗かった。
俺はあの後、宿屋に帰ってきて、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまったらしい。
ぼんやりしたまま耳を澄ますと、通りの方から人の声が聞こえてくる。
何かあったのか?
体を起こして窓の外を見る。
灯りを持った人たちが通りを歩いていた。
なんだろう……
胸の奥がざわついた。
思わず立ち上がる。
部屋を出ると、ちょうど向かいの扉が開いた。
奏だった。
「晴斗」
「お前も起きた?」
奏は頷いた。
「俺が見てくる。晴斗は待ってて」
「いや、俺も行く」
そう言いながら、そのまま廊下を進む。
奏が後ろから追いかけてくる。
「待って、晴斗。何かあったら……」
俺は歩きながら、奏をちらりと見た。
口の端を少しだけ上げる。
「じゃあ、お前が守ってくれよ。勇者様」
そして前を見る。
「見に行かないと」
「なんか……胸騒ぎがする」
奏はため息混じりに口を開く。
「……わかった。でも離れないで」
俺は足早に階段を降りながら、小さく頷いた。
***
騒ぎは、宿からそれほど遠くない場所で起きていた。
街を囲む外壁。
そこに街の警備隊らしき魔族たちと、住人の人だかりができている。
皆、一点を見つめ、どよめいていた。
警備隊が掲げる松明で、遠目にも異変に気づいた。
石の壁の一部に、小さな穴が開いていた。
人の頭くらいの大きさ。
崩れた壁の周りに、何か黒いものがまとわりついていた。
なんだ?あれ……
周囲には、不安げな声が広がっている。
「外壁が、壊れるなんて……」
「外から何かされたのか?」
ざわめきは広がっているのに、まだ混乱までは起きていない。
皆、ただ困惑している。
「信じられない。魔王様の壁が……」
後ろで聞こえた“魔王”という言葉に、思わず振り向く。
そこにいたのは宿屋の女将だった。
「女将さん」
「あ……晴斗さんに奏さん、来てたのかい」
まだ信じられないものを見ているような顔の女将に、俺は尋ねる。
「魔王様の外壁って……?」
「魔王様がお力の一部で、この外壁を作ってくださったんだよ」
「だから、簡単には壊れない。なのに……」
女将は不安そうに穴を見つめる。
ヴァルガの外壁。
あいつが、この街のために作った。
それを聞いて、少しだけ誇らしく思った。
それと同時に。
穴──
あの穴がもし、広がったら。
外の武装集団の噂が、嫌でも頭に浮かぶ。
誰かの手が肩に触れる。
奏だった。
「……晴斗、大丈夫?」
「……ああ」
奏は周囲を見渡す。
「少し見てくる。ここを離れないで」
奏は、人の中心へ入って行った。
俺は他の人とも話してみようと視線を彷徨わせた。
その視界の端に、何かを捉える。
蠢く、何か。
それはひっそりと建物の間に滑り込む。
背筋に、冷たい汗が伝う。
一瞬の出来事だったはずなのに、何故か心に引っかかる。
俺は奏のことも忘れて、それを追った。
“それ”が入っていった道を慎重に覗く。
何もない。
でも、酷く不快な匂いだけが鼻をつく。
どこかで嗅いだ気がした。
本当は、行きたくない。
あれがなんなのか、確認したくなかった。
なのに──
恐る恐る、進む。
一歩、また一歩と。
すると、何かの鳴き声のようなものが聞こえた。
聞き覚えのあるような、声。
体がすくみ上がる。
理解する前に、体が反応してしまう。
どろり。
黒い粘液を撒き散らしながら、その塊はゆっくり動いていた。
時折苦しそうに叫び、横から裂けた赤い口が見えた。
どしゃり、と倒れ、そのまま動かなくなる。
やがて塊は泥のように溶け、黒いシミに変わっていった。
体の震えが止まらない。
歯がカタカタと音を立てた。
だって、あれは──
「黒、濁……」
以前森で見た、あれにそっくりだった。




