第十話 確かめたくて
レオンが斬り伏せた黒濁の残骸が霧散する。
背後で、リリスの爪が最後の一体を引き裂く音がした。
「晴斗!!」
ヴァルガに強く腕を引かれ、そのまま胸に抱き込まれる。
「お、おい……そんな人前で……」
レオンの視線が気になって、思わず小さく抗議する。
だが、ヴァルガは離さない。
「怪我はないのか。まったく……また無茶をして」
安堵の声が、耳元に落ちる。
伝わる鼓動が、早鐘のように鳴っていた。
さっきまで忘れていた震えが、じわりと戻ってくる。
あの一刀がなければ、俺は――
思わず、ヴァルガの背中にそっと手を回す。
「ごめん……俺も、何かしなきゃって」
少し間があって、
「……分かっている」
ヴァルガの腕が、わずかに緩む。
「お前は、そういうやつだ」
呆れたように言うくせに、指先は名残惜しそうに俺の背中に回されたままだ。
その様子を、レオンが静かに見ている。
「魔王の番、か」
ぽつりと落とされた言葉に、はっとする。
慌ててヴァルガから離れようとするが、再び力を込められ、びくともしない。
馬鹿力……。
「レ、レオンさん、なんであなたがここに?」
「奏様を森へ送った後に別行動でこっちに来たんだ」
「奏も来てるんですか!?」
「あ、知らなかったか?じゃあまだ城に着いてないんだな。あの子、かなり方向音痴なんだよな。迷ってるかも……」
なんで、わかってて奏を一人にしたんだろう。
黒濁に襲われたら……
「大丈夫、奏様は強いよ。すごく。何があっても無事に城に着くさ」
あっけらかんとしてる。
……なんだろう。
レオンさんってよく、わからない。
「……別行動する意味、あります?敵の陣地に行くのに……」
「……敵?ああ」
レオンはあっさり笑った。
「俺、魔族。魔王の参謀やってる」
「リヴェルトで神官やってたのは、ただのスパイ」
空気が止まる。
「……え?」
思わずヴァルガを見る。
ヴァルガは俺にこくりと頷いた。
本当に……?
言葉が、すぐに意味を結ばなかった。
レオンの顔と、“神官”だった頃の姿が、うまく重ならない。
あれも全部、役目だったのか。
見覚えのある笑顔に、どう返せばいいか、わからなかった。
***
森を抜けるまで、誰も余計なことは喋らなかった。
黒濁の残滓がまだ地面に滲んでいる。
焦げた匂いも、完全には消えていない。
ヴァルガは俺の手を離さなかった。
強くもなく、弱くもなく、確かめるみたいに。
それにしても──
レオンが魔族側のスパイだなんて驚いた。
あんな気さくな、俺たちの世話をしてた人が……敵側だったなんて。
俺はレオンの様子を伺った。
レオンは子供を抱えたまま、周囲を警戒している。
軽口はない。
でも、敵側じゃなくてよかったのかも。
この人、すごく強そうだし、切れ者って感じだ。
ん……?
敵……って、俺はどっち側なんだ……?
足元の枝がぱきりと折れるたび、肩がびくりと跳ねる。
もう終わったはずなのに、背中に視線を感じる気がしてならない。
木々の隙間から城の外壁が見えたとき、
胸の奥に張りつめていたものが、ようやくほどけた。
――帰ってきた。
膝から力が抜けそうになり、思わず一度だけ足を止める。
そこでようやく、自分がずっと息を詰めていたことに気づいた。
吐き出した空気が、やけに熱かった。
見覚えのある門が見えた頃には、日が傾いていた。
「ほら、着いた。泣くの、我慢してえらかったぞ」
レオンは子供を下ろし、大きな手でその頭を撫でる。
「レオンさま、ありがとう」
「それも、もう離してやれ」
レオンが子どもの手元を指差す。
小さな手のひらが、ゆっくりと開かれた。
そこに抱えられていたものが、ふわりと揺れる。
淡い、白い光。
それはゆっくりと、俺のほうへ漂ってきた。
「……?」
肩のあたりで、くるりと一周。
まるで、確かめるみたいに。
「な、なんだこれ」
「この世界の精霊だよ」
レオンがさらりと言う。
「転移者はマナの流れに近い。だから懐きやすい」
「おい」
ヴァルガの声が、低く落ちる。
「余計なことを言うな」
レオンは肩をすくめた。
そのとき、漂っていた白い光が、ふっと俺の胸元へ寄った。
そして――
すっと、体の中に溶け込んだ。
心臓が、ひとつ大きく脈打つ。
「……入った?」
思わず胸を押さえる。
違和感はない。
ただ、ほんのり温かい。
ヴァルガが俺を見る。
「精霊は害さない。晴斗を気に入ったのだろう」
何故か、悲しみが滲んでるような声音に、俺は少し疑問を抱いた。
「そう……なのか?」
レオンがにやりと笑う。
「大事にしろよ。精霊は、お前を導いてくれるかもな」
「レオン」
低い警告。
「わかったよ」
レオンは軽く両手を上げた。
「リリス、スラ様。俺がいない間に変わったことありましたか?」
「あったあった。大アリ」
リリスはちらりとヴァルガを見る。
「……ふん」
ヴァルガはそっぽを向く。
ガキかよ。
「面白そうなの聞かせてくれよ。俺もリヴェルトで仕入れた話がたくさんある」
そうして、レオンたちは先に城門の中へ入っていった。
ヴァルガが手を差し出す。
「……俺たちも行こう」
俺は、その手を握った。
***
柔らかい日差しの中、
カン、カン。
訓練場に、木剣同士が当たる音が響く。
「あっ」
俺の持っていた木剣が弾かれ、宙を舞った。
どさ、と地面に落ちる。
「はあ、はあ……くそ……全然だめだ」
息が苦しい。
手のひらも赤く、ひりひりする。
うっすらと、豆ができかけていた。
「番様、大丈夫ですか?」
練習に付き合ってくれていた兵士たちが、わらわらと集まってくる。
「大丈夫……
はー。でも俺、剣の才能、全然ないみたいだ」
兵士たちは顔を見合わせ、うーんと唸った。
なんて言えばいいか迷っているのが丸わかりだ。
「無理して戦えるようにならなくていいんじゃないですか?」
「魔王様が守ってくださいますよー」
「そうそう! あの魔王様も、番のためにあんなに必死になるんだなあと感動しました!」
「俺も早く運命の番に出会いたい……!」
強面の男たちが、きらきらした目で空を見上げている。
……なんだこの空間。
「魔族って、全員番がいるのか?」
少なくとも人間の……リヴェルトでは、そんな話は聞いたことがなかった。
「いますよ。でも人種も年齢も関係ないんです。出会えた魔族は運がいいですね」
「……そっか」
俺は、大きく息をついた。
「……ごめん、みんな。練習中だったのに付き合わせちゃって」
木剣を拾い、そっと端に置いた。
兵士たちは各々の訓練に戻っていく。
剣の才能も、なし。
魔法の適性も調べてもらったけど、俺には使えないらしい。
料理……は、褒めてもらえるけど、
それだって、異世界の料理が物珍しいだけだろう。
いちおう、魔王の番なのに。
何もできなくて――いいのかな。
「しけた顔してるな」
突然肩を抱かれて見上げると、レオンがニヤリと笑っていた。
「ほら」
差し出された瓶。
冷えた水が、まめのできた手に心地いい。
「あ、ありがとうございます」
「さっきの練習、見てたぞ」
うわ、恥ずかしい。
あのへっぴり腰を……
俺は少し赤くなってこめかみを掻いた。
「い、いやー……剣も魔法もてんでだめで」
レオンはくくっと笑う。
「まあ、向き不向きはある」
軽い調子。
「奏様は、流石に勇者なだけあって、なんでもこなしてたが」
「……あいつは昔から、器用で要領がいいんです」
「おまけにイケメンだし。はは、勇者に選ばれたのも当然ですよ」
羨ましい。
もし、ヴァルガの番が、奏だったら──
胸の奥が、じわりと黒く濁る。
慌てて首を振った。
なんだ、これ。
元の世界で、奏に嫉妬なんてしたことなかったのに。
それとも、気づいてなかっただけ──?
「お前、ヴァルガの役に立ちたいんだろ?」
その声に、反射で体が揺れた。
レオンを見ると、その目はからかっていなかった。
「お前にしかできないことがある」
「俺しか……?」
「ああ」
レオンは肩をすくめる。
「けど、ヴァルガは言わないだろうな」
「なんで……」
「守りたいからだよ」
あっさりとした答え。
「お前が傷つく可能性があるなら、あいつは黙る」
俺は瓶を握りしめた。
「そんなの……じゃあ、あいつだけ苦労すればいいってことかよ」
「俺だけ何もしないで……」
レオンは少しだけ目を細める。
でも、いつもの飄々とした空気は崩さない。
「焦るな」
軽く背中を叩く。
「今はできることを、やっとけばいいさ」
「時期が来たら、嫌でも分かる」
それだけ言って、レオンは手をひらひら振りながら去っていった。
訓練場では、まだ兵士たちが木剣を打ち合わせている。
笑い声も聞こえる。
俺だけが、その輪の外に立っていた。
握りしめた瓶の水滴が、手のひらをゆっくり伝う。
「……今できることがないから、焦ってんだよ……」
ぽつりと呟く。
空は、やけに遠く感じた。
***
夜。
そろそろベッドに入ろうと立ち上がったところで、扉が開いた。
「晴斗、一緒に寝よう」
ヴァルガがニコニコしながら入ってくる。
「あ、今日は忙しくないのか」
魔王であるヴァルガは、いつも忙しい。
国の統制。黒濁の処理。結界の修繕。
俺はざっくりとしか分からないけど、まだまだやることは山ほどあるんだろう。
特に黒濁は、昼夜問わず襲ってくる。
交代制にはしているらしいが、寝ているヴァルガが呼び出されることもあった。
今日は、何も起きないといい。
いつのまにかベッドに上がり、俺を手招きするヴァルガを見て、そう思う。
マナは徐々に回復する。
スラ様はそう言っていたけど、まだ完全に戻ったわけではないらしい。
そのせいか、最近のヴァルガの顔には、うっすらと疲労の影がある。
俺は持ち上げられた布団の隙間に体を滑り込ませた。
ヴァルガの顔が近い。
「……ベッド広いんだから、いつもこんなにキツキツに寝なくてもいいだろ」
「だめだ。近くないと意味がない」
そう言って、ぎゅっと抱き寄せられる。
そういや……誰かが横にいて眠る、なんて。
俺、今まであったっけ。
ヴァルガと一緒に寝るのも、もうとっくに慣れた。
監禁されていた時から、ずっと隣にいたし、
今では、横にこいつがいないほうが落ち着かない。
「今日は晴斗と一緒にいる時間がなくて、寂しかった」
すり、と頬を寄せられる。
長い銀髪がくすぐったい。
「晴斗は?」
「……俺も、寂しかったよ」
半分は本当で、半分は嘘。
ヴァルガがいれば、楽しい。
でも急に仕事が入って、ぽつんと残されるあの感じは、正直きつい。
俺にも、何かあれば違うのかもしれないけど。
「晴斗……」
大きな手が頬を包む。
「あ……」
触れるだけの、優しいキス。
ヴァルガは熱を帯びた目で俺を見る。
けれど、それ以上は踏み込んでこない。
監禁されていた頃と同じように、
ヴァルガは俺に触れることに、また慎重になっている。
俺が嫌がることは、絶対にしない。
嫌なのかなんて、俺だってやってみないと分からないのに。
大事にされすぎるのが、少しだけ、もどかしい。
俺は身を起こし、ヴァルガを見つめた。
確かめるみたいに、そっと唇を重ねる。
ヴァルガの目が大きく見開かれる。
「は、晴斗……」
俺はそのまま、もう一度。
今度は、ゆっくり、深く。
自分からしたくせに、頭がくらくらする。
唇を離すと、ヴァルガは固まったまま俺を見ていた。
「俺……キスは大丈夫みたい」
その瞬間、赤い瞳が揺れる。
「……俺は、いつも、我慢してるのに……!!」
「焚き付けるな……!」
顔を真っ赤にして、布団に潜り込む。
「ごめんって!自分で確認したくて……」
しばらくして──
「でも……嬉しかった」
布団の中から、くぐもった声。
その声が、胸の奥を震わせた。
「晴斗、大好きだ……」
王の時とは違う、純粋な言葉。
「……うん」
丸まった布団ごと、ぎゅっと抱きしめる。
俺も、多分、すごく──




