第十一話 赤い鼓動
城は静まり返っていた。
窓の外には、青白い月。
薄い雲がゆっくりと流れている。
あれから、ヴァルガはすぐ眠った。
長い睫毛が影を落とし、規則正しい呼吸が静かに胸を上下させていた。
……疲れてるんだろうな。
そう思いながら、目を閉じた──
──こっち……
小さな声が、耳の奥で響いた。
「……?」
目を開ける。
部屋は暗い。
誰もいない。
ヴァルガは、変わらず眠っている。
気のせいかと思った、そのとき。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
──こっち……
今度は、はっきり。
俺はゆっくりと身を起こす。
鼓動が、少し早い。
胸元に手を当てると、
淡い光が、布越しに透けた。
ふわり。
小さな白い光が、俺の胸から抜け出す。
俺に入り込んだ、あの精霊。
声は発していない。
けれど、確かに“呼んでいる”。
「……お前、なのか?」
光は、くるりと一度回り、
扉の方へゆっくりと漂った。
──こっち。
言葉ではない。
でも、意味は分かる。
ヴァルガを見るが、起きる気配はない。
……起こすべきか?
一瞬、迷う。
けれど。
「……ちょっとだけ」
小さく呟き、静かに立ち上がる。
白い光は、扉の前で一瞬だけ揺れた。
次の瞬間──
音もなく、扉の向こうへ溶けるようにすり抜ける。
そこに壁という概念がないかのようだった。
俺は息を呑み、それから慌てて扉に手をかけた。
音を立てないよう、そっと開く。
廊下の先で、白い光がゆらりと揺れている。
振り返る合図のように。
俺は、その後を追った。
***
廊下は、月明かりだけが頼りだった。
白い光は迷いなく進む。
城の奥へ。人の気配がない方へ。
こんな場所、昼間に来たことはない。
石壁はひんやりとしていて、足音がやけに響く。
──こっち。
精霊は、階段を降りていった。
空気が変わる。
湿り気を帯びた、重たい静寂。
やがて、重い扉の前で光が止まった。
古い紋様が刻まれている。
見たことのない文字が、淡く浮かび上がっていた。
光が、すっと扉に触れる。
ぎい、と低い音を立てて、ゆっくり開いた。
中は、円形の空間だった。
中央に、台座。
その上に、玉が置いてある。
手のひらにすっぽり収まるほどの、小さな球体。
透明に近い。
けれど内部で、赤い光がゆらりと揺れている。
鼓動のように揺れるそれは、どこかで見た色だった。
ヴァルガが結界を直していたときの、あの赤。
胸の奥が、ざわ、と鳴る。
精霊は、その玉の周りをゆっくり回った。
そして──
俺を見るみたいに、ふわりと揺れる。
「……これ、なんだ?」
自然と足が前に出る。
なぜか分からない。
でも、触れなきゃいけない気がした。
手を伸ばす。
指先が、あと少しで届く──
その瞬間。
玉の内部の赤が、強く脈打った。
どくん。
胸の奥と、同じタイミングで。
熱が、腕を伝いかける。
精霊の光が、ぱっと明るくなる。
まるで、喜んだみたいに。
「……っ」
もう少しで、触れる。
あと、指一本分。
「触るな!!」
怒号が、空間を震わせた。
次の瞬間、強い力で腕を引かれる。
「っ!」
体が後ろへ引き戻される。
振り向くと、血相を変えたヴァルガが立っていた。
息が荒い。
赤い瞳が、怒りと──それ以上の何かで揺れている。
「なぜここにきた?」
低い声が、震えていた。
「俺は、精霊に呼ばれて……」
俺は呆然と玉を見る。
「……これ、なんなんだ?」
「俺に、反応したみたいだ……」
「……気のせいだ」
その時、レオンの声がよぎる。
“お前が傷つく可能性があるなら、あいつは黙る”
「……お前は、いつも何か隠してる」
「俺が、それに近づかないように」
喉が掠れる。
「もしかして、これが、俺が役に立てることなのか……?」
「晴斗……」
「……教えてくれよ。知る権利くらい、あるだろ……」
縋るように見つめると、ヴァルガは目を固く閉じた。
やがて、観念したように息を吐く。
「これは……循環の宝珠だ」
空気が、ぴんと張りつめる。
「世界のマナを巡らせる核……」
その言葉と同時に、精霊の光が宝珠の上でゆらりと揺れた。
まるで、待っていたみたいに。
「核……?」
俺は台座の上の玉を見つめる。
「それで?」
ヴァルガは答えず、視線を逸らした。
「……それが、どうして俺に反応した?」
沈黙。
精霊の光が、宝珠の上をくるりと回る。
「晴斗」
やわらかい声。
けれど、その奥に分厚い壁がある。
「戻ろう」
腕を引かれる。
「おい、説明になってないだろ」
「俺はこれ以上、何も言うつもりはない」
扉が閉じられる。
低く呪文が紡がれ、封印が強まる。
その音が、やけに冷たく響いた。
「なんだよ、それ」
笑いがこぼれそうになる。
でも、喉が引きつるだけだ。
「俺に反応したんだぞ? 俺の胸と、同じタイミングで脈打ったんだ」
それでも、ヴァルガは振り向かない。
「……お前には、関係ない」
その一言で、胸の奥が焼けた。
ずっと、何もできない自分を飲み込んできた。
それを──
「関係ない?」
声が震える。
「俺の体の中に精霊が入って」
「俺に反応して」
「それでも関係ないって?」
ヴァルガの拳が、ぎゅっと握られる。
「晴斗」
手を振り払う。
「ふざけるなよ」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
「守る守るって言うくせに、何も教えない。好きだって言うくせに、俺を蚊帳の外に置く」
「俺は、お前の“お人形”か?」
ヴァルガの目が、はっきりと見開かれる。
「……違う」
「じゃあ何だよ」
言い返してこないことが、余計に苛立ちを煽る。
「お前の役に立ちたいって、思っちゃだめなのか……?」
「危険でも、俺にできることなら、やってあげたいって」
胸を、どん、と叩く。
「そう思うのは、そんなに悪いことなのかよ」
ヴァルガの視線が揺れる。
迷いか、後悔か。
それとも、決意か。
その曖昧さが、腹立たしい。
「……じゃあ、いい」
吐き捨てる。
「レオンさんに聞く。スラ様にも」
夜中だけど、かまうもんか。
俺は踵を返す。
その瞬間、ヴァルガの腕が動いた。
思考が追いつくより先に、体が持ち上げられる。
視界が反転した。
「ちょっ……!」
肩に担がれる。
「降ろせ!」
本気で暴れた。
拳で背中を叩く。
「放せよ!」
廊下に響く足音がやけに大きい。
けれど、びくともしない。
「ヴァルガ!!」
***
部屋に戻され、ベッドに下ろされた。
その丁寧な動作にも苛立ち、手を乱暴に払い除ける。
息が荒い。
怒りで、視界の端が白くなる。
「……晴斗、俺は、お前をまた閉じ込めはしない」
「……だったら、今のはなんだよ」
肩が震える。
「俺の意思に関係なく、担いで運ぶのは問題ないのか?」
ヴァルガの表情が、わずかに歪む。
「俺は──」
「俺のこと、好きだって言ったよな」
言葉を被せる。
「俺も、好きだよ」
声が掠れる。
こんな時に、初めて口にしたと、気づいた。
「……それって、対等じゃないのか?」
ヴァルガは答えない。
視線だけが、俺から逸れる。
「信じてくれてないなら、好きって言うなよ」
言った瞬間、自分の胸まで抉られた。
ヴァルガが、一歩だけ後ずさる。
「……どんなに言われても、これは譲らない」
その声は、王の声だった。
「探るな」
それだけ言って、背を向ける。
扉が閉まる音が、やけに乾いて響いた。
しばらく、動けなかった。
胸が、熱い。
怒りか、悔しさか、自分でも分からない。
「……ついさっきまで、仲良くしてたじゃん」
唇の感触も、まだ消えてない。
名前を呼ぶ優しい声が、残ってる。
「こんなつもりじゃ、なかったのに……」
拳を握る。
でも、胸の奥で、
あの赤がまだ、脈打っていた。




