第40話 ムギコ
巨大な黒い何かは影のように、部屋中を闇一色に染め上げた。
そ二人を飲み込んでしまいそうなほど大きな黄色の瞳を、ゆっくり開いた。
「何じゃお前らはああああああああああああ!」
「ひええええええええええ!」
ドスの効いた声が聞こえると二人は震え上がった。
「殺さないでえええ! ごめんなさああああい!」
奈緒はリタに抱きついたまま離れない。
リタは、怖がりながらも目を逸らさず、しっかりとその影を見つめた。
すると何か違和感を感じる。
あれ? 壁に張り付いているだけだ。要は、本当に影?
その影が繋がる大元を目線で辿っていった。
すると、中央の水晶の裏から小さな声が聞こえてきた。
恐る恐る覗いてみる。
「シャーッ! シャーッ! 出てゆけ! ワッチの家だぞ! シャー!」
小麦色の猫が小さな威嚇を繰り返していた。
影を使って脅かすことに夢中で、猫はまだ見つかっていることに気づいていない。
リタは冷めた目を細めてただ見守った。
「おいナオ。もうビビらなくていいぞ」
「嫌だああああ怖いよおおおおおおお!」
リタは猫の背後に回った。
「シャーッ! もっと脅えろ! そして出てゆけ! ここはお前たちの家ではないのだ! シャー!」
完全に成り切っている猫の背後にリタはゆっくり近づくと、猫のうなじの脂肪をギュッと掴んだ。
「うわあああしdjどあkdjふぃfなls」
猫はびっくりして意味不明な言葉を叫ぶ。
「びっくりした! おろすにゃ! 離せ人間どもよ!」
「お前何なんだ」
リタはグッと自分の顔に猫を近づける。
「ワッチはこの家の主にゃ! あ、主だ! 脅え、立ち去れ人間どもよ! シャー!」
「なぜ猫が喋る?」
「そっちこそなぜ言葉が分かるのにゃ!」
「知るか。おい良い加減落ち着けナオ」
「きゃーーー襲わないで〜!」
未だに、体操座りで頭を伏せている奈緒のに、猫を見せつけた。
「え? 何それ」
「これが正体だった」
「え? 猫? 」
「猫ちゃ〜〜ん! 可愛い〜!」
奈緒は猫を撫でて抱き抱えた。
「離せ! 離せ! 離せ...... ぬぉお.....」
奈緒の腕の中で、威嚇しながらもグルグルと喉を鳴らして落ち着く猫。
「どっから入ってきたのかなこの猫」
「いやだから、霊の正体はコイツだったんだ」
「どゆこと?」
「影を遣って驚かしていたんだ」
後ろの水晶を指して言った。
「お前ら一体誰じゃ......ここはワッチの家なのにゃ」
「ここの新しい借主よ。奈緒です。よろしくね!」
「カリヌシ? あー、あのクソババア! また変な人間をよこしやがったにゃ!」
「......何かおかしいと思わんのかナオ」
「え? 何が」
「ん? アタシの常識がおかしいのか? 猫って喋るっけ?」
「いやもう異世界に来た時点でもう変なのには慣れたからね。喋る猫くらい居るわよ」
じゃ幽霊も別にいいだろうに......
「アンタ名前は?」
「気安く話しかけてくるにゃ!」
奈緒はずっと撫でていると、徐々に猫の角は取れていった。
「......ムギコと呼ばれていたのにゃ」
「ムギコ! 名前も可愛い〜 」
「あのババアに言われてきたんだな」
「イエコさんのこと? 怖かったけど、なんかいい人だったなぁ」
「何処がにゃ。毎度毎度おせっかいなのにゃ」
奈緒の膝から飛び跳ねると、また威嚇しはじめたムギコ。
「とにかく! ワッチはまだ認めとらんからにゃ!」
「だってもう契約したし、これからは私たちもここに住むわけで......」
「ダメにゃ。ワッチとご主人の家なのにゃ!」
「じゃあご主人はどこなのよ」
「知らないにゃ。帰ってこないにゃ」
「いつからいないんだ?」
「ちょっと前にゃ」
「それは悲しいね......いやでも、帰ってきてもらっても困るというか......」
声を小さくして言った。
「何か言ったにゃ?」
「いやなんでもない! とにかく、もう住むのことになったんだから、理解してよね」
「嫌にゃ」
そっぽを向くムギコ。
「えぇーじゃあ、なんか買ってあげるから! 美味しいご飯とか!」
「なんのご飯なんのにゃ」
「さ、魚.....」
少し考え、小さくムギコは言った。
「......買ってこいにゃ」
「よし! じゃあいこリタ!」
「あ、ああ」
「じゃあ留守番よろしく〜」
「早く帰ってくるのにゃ!」
勢いよく飛び出して街へ向かった。
「なんか変なことになったな......」
「まぁ、ペットと思えばいいよ。可愛いし」
「アンタ、意外と不用心よね」
「事故物件って言葉にビビってたけど、正体が猫って分かったらどうってことないね。儲けた!」
「まぁとりあえず、家探しは成功だな」
夜のオアディールは、まるでマンハッタンのように輝いていた。
ネオンさながらにパステルカラーの文字が壁中に光り、水晶は色を変えながら淡く道を照らしている。
「それしてもちょっと腹が減ったな。何か食べて帰ろうか?」
「お酒飲みたいなぁ。また居酒屋っぽいところとか」
「じゃああのバールは?」
「うん、入ってみよう」
中に入ると、人が多く活気がみなぎっていた。
ほろ酔いな人達の楽しそうな笑い声が絶えない。
席に案内され、小さなテーブル席に着く。
隣の人との距離が近い。
「熱気が凄いね。焔荘みたい」
「とりあえずエール。アンタも?」
「うん」
店員を呼び止めて、いくつか注文すると、一瞬で料理は運ばれてきた。
「じゃあ」
「うん」
「オアディール! 新たな国での初めての夜に!」
「乾杯!」
ぐびっと飲み干し、二人は泡の髭を生やす。
「これがピラクスの刺身かぁ」
白身魚のような刺身だった。
レモンを絞って、パクリと食べる。
「美味し〜! 魚介は最高です〜」
「うん、上手いなこれ」
二人はオアディールで最初の晩ご飯を愉しんだ。
肩が当たりそうな程、人との距離が異様に近いこういう酒場で飲むのも、たまには悪くないものだ。
「なぁ、明日はギルドに行くだろう?」
「そうだね。どんなところなんだろう」
「ギルドの名はデラルクス。星五勇者を多数抱える、世界最大、最強のギルドだってよ」
リタは以前買ったマップの情報を見て行った。
「強そうだね...... ちょっとワクワク」
「アンタも根っから戦闘狂になってきたな」
「まぁ、スイさんのところにいたらみんなこうなるんじゃないの?」
「言えてるな」
そう笑い合っていたとき、妙な気配を感じた。
リタの目つきが一気に鋭くなる。
「誰かいるな」
「うん、強いね」
「上手く隠そうとしているが、殺気が丸見えだ」
「誰だ......」
リタと奈緒は辺りを見渡す。
特に何もないように感じたが、一瞬人影から見えたオーラを、奈緒は見逃さなかった。
そのオーラの持ち主は人の背に隠れて、目の前にいる人間の首元に手を伸ばした。
伸ばした手の袖から何かが光る。
——刃物。
奈緒は反射的に手元のフォークを投げ、その腕を跳ね除ける。
周りの人間はだれも気づいていない。
人影からゆっくり頭を出したのは、黒髪のボーイッシュな髪型の女だった。
数秒間、じっと目を合わせた。
「仕事の邪魔、しないでくれる?」
その声が聞こえた時には、女は奈緒とリタのテーブル席についていた。
「アンタら何?」
その灰色の瞳は、ずっしりとすわっていた。




