第34話 変わらないもの
サカの家に場所を移した一向。
リタはことの一切を全てサカに話した。
奈緒の能力のこと。
アンセルの死のことを。
ペナルティのこと。
サカは動揺を隠せずに驚いた。
「そんな......俺の事だけ、忘れちまったっていうのか......?」
「おそらく」
家の中の景観を、不思議そうに眺める奈緒。
「なんだか、覚えているようで覚えていないですね......。すいません...... 貴方のこともサカさんだと分かりませんでした......」
「あ。ああ」
奈緒のよそよそしい話し方や敬語に、サカの心は深く抉られるようだった。
「でも、日記には書いているので、きっと貴方のことを私は、慕っていたんでしょうね」
淡々と話す奈緒。
「その本のこと......覚えていないか?」
「え? どういうことですか?」
「実はそれ、妻のものでね。骨董品で高かったけど、中身が白紙で使い道がないって置いて行ったんだ。なんかの役に立てばと思って、あの日、君にあげたんだ」
「そうだったんですね......」
「その本と手紙やるとき、俺たちすごい喧嘩中でな、追い出されたっつって拗ねてたよなぁ。俺は胸が苦しくて仕方なかったんだよ」
「どうして、苦しかったんですか?」
目を座らせて、優しく言った。
「......行って欲しくなかったからだよ。本当は」
少し微笑んで、寂しさを隠すようにサカは言った。
「独り身のおじさんのところに、突然現れて、気前よく働いてくれて。娘が帰ってきたみたいで。こんな出来が良い子、どこにもやらずによ、」
サカは涙を堪えた。
「ずっと。ずっと、一緒に働きたかった」
「そんなの無理ですよ〜いつかは私も帰り......」
奈緒の頬には、大粒の涙が流れていた。
「あれ、どうしたんだろう。どうしてこんな...... 悲しみと寂しさが、溢れてきて......」
涙が溢れて止まらなかった。
「ああ。悲しい。すごく悲しい。なんで? なんだかおかしい.....」
「ナオ......」
奈緒の肩を摩るリタ。
「サカさん、貴方に言いたいこと、いっぱいあったような気がするんです。貴方に、言わなきゃいけないことが...... でも何も思い出せない...... 言わなきゃって思えない......」
奈緒のなんとも言えない表情をみて、サカは頭を抱えて涙を隠す。
「俺が送り出していなければ......こんな目に合うこともなかったんだよな......」
リタはその二人を見て思った。
これだ
これが、ペナルティ
同時に、怒りが湧いた。
失って、たまるか
「違いますよ。二人とも」
リタははっきりと言った。
「奈緒は、人に言われたから行動するような人間じゃありません。アタシと戦った時、ナオはこう言いました」
「『自分の価値は、人や結果じゃなく、自分が決めるものだ』と。
ナオは自分で“価値がある”と思ったから、ここを出て、自分の意思で戦って。自分の意思で怪我をしたんです。
そして今日も、自分の意思でここに来た」
サカは深く深く頷いた。
何度も頷いて、上を向いた。
リタは奈緒にも続けた。
「ナオも、サカさんの思い、ちゃんと受け取って、旅立った。それがお前の戦う“意味”だったはずだ」
「わからない......」
俯いたまま泣いて話した奈緒。
「だが、何かを証明するために、戦うことを決めたんだろう」
「うん......」
ポタポタと涙を落とす。
「リタ......記憶がないって、こんなに苦しいものなんだね......」
リタは何も言わずに聞いた。
「それなら、何度だって作っていこう」
サカは奈緒に近づいて肩に手を置いた。
「どーせ消えちまうんなら、これから何度でも塗り直していこう。それによ、」
サカは棚に飾った家族の写真を見た。
「思い出や記憶ってのは、いつか曖昧になるもんだ。傷も、時間が経てば、やがて癒えていく」
人呼吸おいて続けた。
「でも絶対に消えないものもある」
泣いて赤くなった頬の奈緒を顔をしっかりと見つめた。
「心だ。
心は全部抱えて、いつもそこにある
その証拠に、今お前は、それでもお前でいられる」
「でも私、おかしくなってないかな? サカさんに失礼なこと言ったり、私らしくないこととか、私じゃないみたいなこと......」
不安と恐怖が、また奈緒をパニックを起こしていく。
サカは奈緒の肩を強く揺さぶった。
「何にも! 変わってねぇ! 変わらねぇ!」
力強い言葉が、奈緒の思考を飛ばした。
「あの時、俺に『いってきます』って言った可愛らしい女の子と、何一つ、変わってねぇ。
俺の、大事な娘であることは、何も変わらねぇ
誰にも変えさせねぇよ」
リタもゆっくりと涙を流した。
「記憶の一つ二つ、消えようがな。変わらねぇよ。
君の行動を決めているのは、経験とか、記憶とか思い出だけじゃない。
それじゃ括れないもっと大きなものだ
もらった温もりも、優しさも、厳しさも、怒りも、喜びも、
全部がお前の中で。記憶じゃねぇぞ。心の中だ。
ずっとお前を支え続ける。糧になる
どんなに思い出が消えようが、お前の心はその感情を忘れない」
奈緒は平静を取り戻し、サカの目を食い入るように見ていた。
温かい何かが、胸の内から湧き上がってくる。
姿も、形もないはずのもの。
でもそれは確かにそこにあって、
胸の内で私を包み込んだ。
サカは奈緒をギュッと抱きしめた。
「辛かったな。辛かったな。
ちゃんとある..... 俺からも、リタちゃんからも、そして、アンセル君からも。君がもらったものは、お前の中にある。ちゃんと、持っているだろう?」
湧き上がってこぼれ落ちる雫。
その雫は、あの日の噴水広場を映し出す。
夕暮れに咲いた、アンセルの笑顔。
「うん、ある。絶対」
——絶対、忘れない。
「だったら消えてねぇ。お前がその分、生きて。生きて生きて、」
サカの顔が、アンセルとかぶって見える。
「幸せに、なってやるんだ」
「うん、うん」
サカに強く抱きつき返した奈緒。
頭を撫でて、優しく微笑んだサカ。
「まぁ、アンセル君の運が良かったことがあるとすりゃ.......俺に殴られなくて済んだことだな」
悪戯な顔で優しく言った。
奈緒は少し笑うと、
「殴ってくれても良いから......会ってほしかったな」
そう言ってそのまま、しばらくサカに抱きついていた。




