炎の魔女との闘い
ベルはそのまま聖霊教会の裏にまわった、教会の周囲は小さな菜園になっていて礼拝堂の西側に孤児院らしい建物が見えた。
そこから南西に100メートル程離れた林の中に石の墓石や木の墓標らしきものがある、墓地は東西約80メートル南北約40メートル程の大きさだ、そのまま彼女は墓地に向かう。
墓地の近くから黒い煙が上っているがずいぶん小さくなっていた、その時また何者かの視線を感じる、やはり誰かが彼女を監視していた。
そして墓地全体が薄い霞のような何かで覆われている、歩みを止め良く観察するがはっきりとしない、それと同時に本能的に空氣に違和感を感じた。
意を決して再び進む、墓地の脇で粗末な身なりの者達が火葬を見守っている。
彼らは時々彼女を見て何事か話し合っている、彼らにはかまわず墓地の近くまで近寄り違和感の原因を調べる。
陽炎の様な透明な澱んだ空氣のような物が墓地全体を覆っている、そして火葬を見守っている者達にはこれが見えないらしい、この漠然とした空氣の違和感に覚えがある。
「そうだコステロ・・・」
コステロが執務室から出ていく時、ベルの頭の上に隠しダガーを置いた時に感じた不思議な感覚に良く似ていたのだ。
そして2週間前にバーレムの森でルディガーが破壊した屍体から出てきた黒い瘴気を思い出す、それはルディガーが無銘の魔剣で打ち払った。
更にその墓地を覆ている陽炎のようなわだかまりを観察した、それは僅かにどこかに向って動いている。
流れの先を確認する為に墓地の東側に向かった、そのわだかまりはゆっくりと人が歩く程の速度で墓地から這い出て東南の方向に向っている。
思い切ってその中に入ってみたが不快感が僅かに強くなっただけで特に異変はない。
この流れの先を調べたいが、今はコッキーを探すのが先だと思う。
だが少し流れの先を見ておく事にする。
肩に掛けていたロープの束を墓地の柵にかけ、墓地からその瘴気の流れを追って動いた、そして数十メートルほど林の中を南東に進みながら徐々に速度を上げる、やがて精霊力を解放した全力疾走となる。
やがて騎馬による疾走を越える速度にまで達すると、速度を保ちながら走り続けた、林を抜け人影の無い田園地帯を突っ切りまた林に入った所で急に止まる。
「まだ流れがある、散らずに固まったままだ」
彼女は無意識に独り言を呟く、バーレムの森に居た時はいつも一人で話をしていたものだ。
周囲を見渡し一番高い木に素早く登りそして周囲を見渡した、傾いた陽の光の中で良く整えられた田園地帯が輝いている、それはハイネの繁栄と安定を良く表している、そして瘴気の流れの先は林や田園を横切りその先に伸びているようだがその先は見当がつかない。
この流れの先を調べるのはルディガー達と相談した後だと決めた、墓地の近くまで一度もどりハイネの西の新市街をもう少し調べてからジンバー商会を偵察するのだ。
ふと北を見ると田園地帯の遥か北にハイネ市の外壁が見える、新市街は手前の林に遮られて見えない。
から飛び降りふたたび聖霊教会に向かって疾走る。
聖霊教会の近くまで戻ると徐々に速度を落とした、ロープを回収し聖霊教会の孤児院の脇を通る、教会の裏には名も知れぬ花々が咲いている。
一息つくと新市街の外縁にそって黒い煙が幾筋も立ち昇る新市街の北西部に向って歩き始めた。
また視線を感じたが殺意は感じない、歩きながら網を広げる様なイメージで己の意識を広げる、その気配の元はかなりの距離を保ちながらベルの後を付けている。
そこからどのくらい進んだろうか、日が沈みかけ徐々に夜の闇が広がり始める、まもなく城門が閉じられる時刻だ、大きな広場に到達すると広場を横切り大きな倉庫の横の路地に入っていった。
しばらくすると南東の端から一人の男が広場に入ってくる、男は職人の様な風体をし手にした工具箱から鍛冶屋か金属細工師のようにも見えた。
その男は少し急ぐように彼女が入っていった路地に向かうが路地の奥を見て舌打ちする。
その先には誰もいなかったのだから、しばらく路地を進むが諦めたように立ち止まる。
「クソ、また見失ったか・・だがこれ以上あいつに近づくのは危険すぎる」
その時男は突然もの凄い強い力で右腕を掴まれたのだ。
「あいつって僕の事?」
男が驚き振り返ると目の前に黒い長い髪の美しい少女が不敵な笑みを浮かべている、そして男はこの距離まで接近されるまで少女の気配に気が付かなかった。
「おまえは!?」
その黒い長髪の少女はベルサーレだ、徐々に男の腕を掴む力を強くする。
「おじさんに見覚えがある」
彼女は男の顔を見ながら何かを思い出そうとしていた。
「思い出したぞ!!」
この男はラーゼで捉えたスリだ、そしてあのピッポの仲間だ。
「『火蜥蜴の吐息』!!」
美しいくも力強い女性の叫びが空気を裂く、左側から奔る精霊力の流れを感じ振り向く間を惜しみ後ろに飛びすさる、その直後彼女がいた空間を人の頭ほどの火球が通過した。
精霊力の奔流がアゼルの魔術によく似ている事を見抜いた、近くに魔術師がいるのだ、解放されたスリ男は素早く離れて距離をとった。
「また世話をかける」
スリは新しい登場人物に声をかけた。
「ほんと今日は忙しすぎるわー」
それは若い艶のある女の声。
声の主は広場の方から路地に入ってくる、女性は魔術師のローブを纏い奇妙に折れ曲がった三角帽子を深く被り顔は良く見えない、だがその女性はローブを纏ってるにも関わらず非常に女性らしい体型をしている事が良くわかった。
どこかでその女性に本能的な反発が湧き上がる。
そしてベルサーレは僅かな既視感をその女性に感じたがはっきりとはわからない、もっと彼女の顔を良く見たいと思った。
「だれ?太っちょおばさん」
暫くの間深い沈黙が場を支配した。
「あんたみたいな小娘には男の好みはわからないわね」
「そうなの?若い娘の方が良いって何処かのおじさんが言っていたけど?」
ベルはその魔術師の女性の年齢を見抜いていたわけではなかった、相手を挑発する為に適当に言ってみただけだ、外れても当たっても相手を怒らせる事ができると計算していた。
「棒に『女』と書けば貴方になるわよ、本物の男は棒女には興味なんてないのよ?」
ベルサーレを弁護すると彼女は痩せ気味だが決して棒ではない、だがその時ベルの脳裏にルディガーの姿が映し出された。
「えっ・・・」
少しだけ動揺してしまった、ルディガーは大概の女性に紳士的で親切だった、だがあの男の本当の好みは良く解らない。
女魔術師は期待通りに激昂しない、だが数歩進み出てきたその女性はすでに三角帽を深く被ってはいない、婀娜っぽい美しい顔を晒している、顔を幾分紅潮させてその瞳は怒りを滲ませ、引き締められ歪んだ口元のホクロがとても印象的だ。
女魔術師こそテヘペロ=パンナコッタその人だ。
その女魔術師こそラーゼの大道芸でピッポ=バナージを支援していた女性と悟った、そしてピッポがルディガーの魔剣に興味を示していた事も合わせて思い出していた。
だが彼らとコッキーとの接点がはっきりしない、だが聞き込みでコッキーと小柄な中年の魔術師が行動を共にしていたと言う証言を思い出す。
「お前達が犯人だな!!コッキーはどこだ!?」
彼女は怒っている、ルディガーの魔剣を奪いコッキーに結果的に殺人を強いたのだから、二人を捕まえて情報を得る、彼らを怒りのまま殺すわけにはいかなかった。
そしてロープの束を投げ捨て剣を抜き放つ。
「やば!!テオ支援して!!あれをやるわよ!!」
テヘペロの声はいくぶん焦っている。
「わ、わかった!!」
テオが二本のダガーをベルサーレに向っていきなり投げ放った、それをいとも簡単に回避、だがその僅かな隙でテヘペロは下位の幻覚魔法を行使する。
「『陽炎の隔壁』!!」
テヘペロの姿が炎の壁に包まれ踊るように歪む、彼女は僅かに躊躇するテヘペロの位置感覚が掴めなくなったからだ。
これは中位の『炎の隔壁』に似た炎の壁を生じるがそれは幻覚にすぎない、そして相手の感覚を僅かだけ狂わせる、こけおどしの術だが要求される魔力量が少なく行使までの時間も短い、特に魔術戦に慣れていない相手には有効な術で、熟練者はこれを高位の術と組み合わせて使う。
だが彼女はその知識は無かった。
「『火蜥蜴の吐息』!!」
これは攻撃魔術の一つで火魔術を得意とする魔術師の定番だった、彼女は普段のテヘペロからは想像もできない真剣な表情になっている、テオはそれを横目で認めテヘペロが目の前の長い黒髪の少女を怖れている事を改めて思い知らされた。
幻覚の壁を突き抜けて先程と同じ火球がベルサーレに向かって流れた。
彼女がそれを姿勢を低くして回避し反撃に出ようとした瞬間、テオが二本のダガーを再び再び放つ、そのダガーの一本をグラディウスでテオに向かって正確に打ち返す、もう一本はギリギリの間合いでやり過ごした。
「とんでもないガキだ!!」
テオは撃ち返されたダガーを必死に回避しながら悪態をついた、そして彼もまた熟練の玄人らしく素早く動く。
だがこの間にテヘペロは中位の魔術の術式の構築を終わっていた。
「いくよ『火猫の九尾鞭』!!!さあ、あいつのお尻におしおきよ!!」
幻覚の炎の壁の後ろ側から、幾筋もの炎の鞭が意思を持つかの様にベルサーレに迫る、まるで炎の蛇の群れのようだ。
彼女はそれらを躱しながら切り払うが彼女のグラディウスは魔剣では無いので炎の鞭に手こずる。
その時女魔術士の方向から膨大な精霊力の高まりを感じた。
そしてテオが何か小さな物を投げ上げた、それを脅威と即断しその場から強引に数メートル跳躍して退避に入る、だが回避を捨てて強引に逃げたせいでベルのお尻が炎の蛇に絡まれてスカートが火を吹く。
「うわっ!?」
その瞬間投げ上げた物体が空中で炸裂し黄金の閃光を解き放った、周囲のすべてが金色の光に包まれた。
テヘペロは遂に術式の構築を完了し彼女の叫びが響き渡る。
「『精霊女王の天幕』!!」
ベルサーレは強い光で視力を失っていたが、冷静に超感覚を研ぎ澄まし敵の攻撃に備えていた、その時女魔術士と男の気配が忽然と消える、スカートの火を素早く打ち消しながら目を開く。
先程まであった炎の壁も鞭も消えている、そしてあの二人の姿も気配も消え去っていた。
その時ベルの後ろで騒動が起きていた。
「たいへんだ火事だ!!!」
「誰か水をもってこい!!」
思わず後ろを振り返ると一軒の家から炎が吹き出しているではないか、あの女魔術士の魔術の流れ弾のせいだ。
「ここを離れないと」
力を解放しその小路から一気に消えた、その時ハイネの閉門を告げる鐘の音が鳴り響く。




