62 ハーフエルフっ娘と新たな戦い9 ~ 準備
カデン男爵が使者を送りたい旨を伝える伝令が、フロレーティオ男爵からラトゥーミアの王都に送られた。
ラトゥーミアの王都はフロレーティオ男爵領から西に馬車で四日の距離のため、少なくとも八日間は待たなければならない。
位置的にはホーズアの王都のすぐ南がラトゥーミアの王都で、カデンの領都のすぐ南がフロレーティオの領都なのだが、両国の間には険しい山脈があり、樹木に擬態する全長五メアトル以上の大きな山の虎など、危険な生き物が生息している。
そのため、これまでもホーズアの王都が直接侵略されるような事はなく、ラトゥーミア軍の進行は山脈を東に回りこむように迂回していたため、何十日も要していた。
ショートカットは全く無い訳ではない。
フロレーティオの領都から馬車で東に一日ほど進むと、木々が殆どない岩肌むき出しの山になり、辛うじて山道もあるため、途中の崖をロープで降りるなどすればどうにか山脈を超えてカデン領の砦近くまで行く事ができる。先ほどの進軍でラトゥーミア軍が使った道だ。
だが一般的にはそのような危険な道は避けられる。
現に、カデン領には電動トラックがあるため、ラトゥーミア国王からの返事を待つ間の追加の食料支援は街道を使ったトラック輸送となっている。
◆ ◆
「さあ、今日はここで練習よ」
フロレーティオ男爵との謁見の翌日、兄たちがせっせと追加の食料をフロレーティオ男爵領に送るべく手配をしている間、カデンの領都ではフォーリィがカデン領の軍隊を引き連れて領邸に集まっていた。
「男爵様。いったい何をなさるつもりですか?」
訝しむラントゥーナ補佐官に、フォーリィはニッコリと微笑んで答えた。
「ラトゥーミアとの交渉が決裂した時に備えて、訓練よ」
「こんな所でですか?」
剣や弓の訓練なら、騎士の訓練所がある。
では、領邸でどうやって軍の訓練をするのか。
ラントゥーナは全く予想がつかなかった。
「じゃあ、皆。三階東の二番目の部屋の窓からワイヤーをたれ下げているから、そこまでダッシュして、ワイヤーで地上まで降りたらここに戻ってくる。それの繰り返しよ!じゃあ……始め!」
フォーリィの号令と共に、総勢五〇名の兵士たちが一斉に領邸の中に走って行った。
「きゃあぁぁぁ!絨毯がぁ!カーペットがぁぁ!」
領邸の前にラントゥーナの悲鳴が響き渡った。
そして……
「これは……思ったよりボロボロになったわね……」
「なったわね、じゃありません!どうするんですか?これ!」
夕方、練習が終わる頃には絨毯やカーペットは穴だらけになっていた。
「い、いやぁ……まさか、ここまで痛むとは。あは、あはは」
「だから、何でこんな所で訓練なんかしたんですか!」
フォーリィのすぐ目の前に立ち、青筋を立てて彼女を見下ろすラントゥーナ。
「だ、だって、三階建て以上の領が所有している建物なんて、ここ以外ではショッピングモールくらいしかないし……」
むうっと頬を膨らませるフォーリィ。
「ワイヤーを使って降りる訓練なら、矢倉でも組めばいいでしょ!」
「あっ……」
「あっ、じゃありません!」
訓練の内容を色々と考えていたフォーリィは、その訓練のための場所の確保や訓練場の準備などは殆ど考えていなかった。
「これはもうダメですね。買い替えるしかありません」
領邸に入り、ラントゥーナは絨毯の状態を確認してため息交じりにそう言った。
「男爵様、ここの絨毯二枚と三階の部屋の絨毯。そして階段や廊下のカーペット。総額いくらになるか分かりますか?」
彼女の口調こそ静かだが、それがかえって怖さを増していた。
「に……二〇万クセル……くらい?」
フォーリィのこめかみに、つつっと一筋の汗が流れる。
「八〇〇万クセルです!何で男爵様はこう、次から次へと借金を作るんですか!?」
「ひぃ……」
前かがみになり、顔を近付けてくるラントゥーナに、フォーリィは顔を引きつらせてのけ反る。
「そ、そんな高価な物はいらないんじゃない?安物で十分……」
「何言ってるんですか!いいですか?国王様や王妃様のご様子だと、絶対に夏までにはカデン領に来ますよ。視察と称して。みすぼらしい絨毯で王様を迎えられるわけないじゃないですか!それに、そもそも領主たるもの、安物の家具や敷物などもってのほかです!いいですか?他の貴族達や商人達は、こういった事で相手を値踏みして……」
その後、小一時間ラントゥーナに説教される羽目となり、結局、フォーリィの借金は八〇〇万クセル上乗せされる事となった。
◆ ◆
『マルバーリオ将軍。こうしてお話するのは初めてですね』
翌日、フォーリィはテレビ電話越しにマルバーリオ将軍と会談する事となり、その様子はテレビ中継される事となった。
しかし、フロレーティオ領にはテレビは無い。
それを見越して、既に領都の広間に大型テレビが設置されていた。
『私はフォーリィ・ルメーリオ・カデン男爵です。以後お見知りおき下さい』
両手でスカートを少し広げて貴族の挨拶をするフォーリィ。
「あ、ああ」
その姿をテレビ電話越しに見ている将軍は、青白い、恐怖の混じった顔をしていた。
『そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。死の呪いは、相手の敵意を利用したものですので、敵意のない相手には使えません』
「敵意を?」
魔法では、相手の怒りや敵意など、感情を力に変えるようなものはない。
そのため、彼女の言葉に将軍は背筋に冷たい物を感じた。
『フクロウの置物が街道沿いに置かれていたでしょ?あの中に入っているお札と魔道具で敵意を集めていたんです』
やはりアレは呪術の類だったのか、と彼は納得した。
もっとも、フクロウを解体した時に黒い靄のようなものが出てきた時点で、呪術で使われるものであると思っていたが。
『でも将軍が解体したのが一体で良かったです。もう一体解体していたら、この領地は今頃……っと言わない方がいいですね。無意味に怖がらせてしまいますから』
そこで話を止められると、余計に怖い。そう言いたいのだが、彼にはその話の続きを聞く勇気はなかった。あの砦での一夜を体験した後では。
『で?将軍は、食料支援をしている私たちを敵だと仰るのですか?』
フォーリィの問いに、将軍は激しく首を左右に振る。
『だったら全然怖がる必要はありません。逆に敵意のない相手に対しては全然弱いのです、私たちは』
ニッコリと笑うフォーリィ。
だが、彼女は魔法を使う(と将軍が思っている)サイクロプスについて全く説明していなかった。
あのサイクロプス軍だけでも、こちら側の被害は甚大なものになる、それを肌で感じている将軍は、彼女の笑顔と説明で恐怖を拭えるはずはなかった。
『ところで、一つお聞きしたい事があります。貴方達は昨年、私たちが使った特殊油についての情報を得ていた。そうですよね?』
彼女の言葉に、将軍はゆっくりと首を縦に振る。
やはりホーズア国軍側も、あの油がこちら側に渡った事を知っていたのか。
それで彼女は何を聞きたいのか?裏切り者を引き渡せと言われても、こちらもその正体は掴めていないので引き渡しようがない。
将軍は、身を引き締めて彼女の次の言葉を待った。
『金糸でグリフォンの刺繍がほどこされた白いローブ』
「!!」
その言葉に、将軍は顔を強張らせた。
まさか、裏切り者の特定までされていたとは思っていなかったのだ。
と言う事は、昨年の戦いでは既に特殊油がラトゥーミア軍に渡った事が分かっていて、その上で戦略を組んでいた事になる。
自分たちは、どこまで彼女の手の上で踊らされていたのか。将軍は血の凍るような思いだった。
『やはり、そうでしたか。でもご安心下さい。裏切り者を引き渡せとは言いません。裏切り者については、こちら側の問題です』
「そ、そうか。分かった」
彼はそっと胸を撫で下ろした。
裏切り者を引き渡せと言われても引き渡せるわけは無い。だが、それを説明しても相手が納得してくれるとは限らないし、それで腹を立てて、彼女が今度はフロレーティオ男爵領に牙を向いたら、自分たちでは領民たちを守る事はできる自信がなかったからだ。
一方、テレビ中継でこのようすを観ていたホーズア王国民たちは、やはりパウトミーはラトゥーミア王国に亡命したと確信した。
それでいて、その身柄の引き渡しよりも、カデン男爵は両国間での戦争を終わらせる事を優先したのだと納得した。
『特殊油についても、いつかはその技術がそちらに渡る事になっていたでしょうから、引き続き研究して下さって結構です。改良すれば、冬でも農作物を育てられる施設に使えるでしょう』
「何っ?」
驚きの声を上げる将軍。
彼はあの油の軍事利用しか考えていなかった。
だが、冬でも食料を確保するために使える。それは彼にとって目から鱗が落ちる思いだった。
『食料問題が解決されれば、もう我が領地に軍を進める必要性はありませんよね?私が望む未来は、両国がお互いに相手を必要として、両国間で争い事が起これば互いに大損する関係を保つ事です。そうすれば、今後戦争は起こらなくなるじゃないですか』
「!!」
彼女の言葉は、今までの将軍の価値観とはかけ離れ過ぎで理解が追い付いて行けてなかったが、それでも今のこの状況を見て、彼は世の中が大きく変わろうとしている事が分かった。
ラトゥーミア国王との謁見まで進めるつもりでしたが、文字数が多くなってしまったので、分割しました。
次回こそ謁見となります。




