剣
ギルベルトは死んではいなかった。服は千切れ、ところどころに擦り傷が出来ているが、怪我はその程度だ。氷耐性の高さがそうさせたのだろか。
「あなたがまだ斃れていないことは想定していた。だが今さら戻って何になる。傷はわずかでも、一度傾いた形勢を覆すことは不可能だ」
戦線に戻ったギルベルトだったが、ヨハンはさほど驚いた様子ではなかった。杖を再び構え、無防備に立ち尽くしているギルベルトに、得意の近接戦を仕掛けた。
先程は圧倒していた近接戦。しかしそれは、一手目で挫かれる。
「なっ――」
「戒めは済んだ。終わりにしよう、ヨハン」
ギルベルトヨハンの杖を弾き飛ばしていた。身を守る者がなくなったヨハンの体に、三発ほど木剣による斬撃を見舞う。腐っても杖の大英雄の弟子。ヨハンもやられるだけではなく、アイスベールや身のこなしでどうにか急所を防ぎ、ダメージを最小限に抑えて距離を取ることに成功するのだった。
「何だ、動きが急に変わった……まさか、今までは遊びだったとでも言うのか」
弾き飛ばされた杖を、ヨハンは魔法で手元に呼び戻してキャッチする。斬撃耐性もあって傷は浅かったが、今まで稼いだアドバンテージをひっくり返されかねない流れだった。
「いてて……信じてたよるー君っ! 剣の大英雄の力を見せて――ん? そういえば、あいつは何の大英雄になるつもりだったんだろう? 杖だとゲルタと被っちゃうし」
器用に二階の窓から建物の中に突っ込んでいたエイプリルは、一階の扉から外に出て言う。ヨハンに聞こえていたのか、どうでもいいことを気にかけていたエイプリルに答える。
「何を言っている。剣がここに見えるだろう。 〝アイスソード・カプリチオ〟!」
「〝テンペストソード〟」
無数の氷の剣が標的のギルベルトに襲いかかる。しかしギルベルトは一手先に神雷剣を抜いており、左手に持ったそれを掲げて天から雷を落とす。全ての氷の剣は雷に押し潰されていた。
「気にいらないな。出鱈目な、無駄の多い魔法だ。私の洗練された魔法を落とすところが、特にな」
ヨハンは上空に出現していた雨雲と、多くの剣を見上げて言った。ヨハンにも雷は落ちていたのだが、氷の剣で打ち払っていた。
「あなたが邪魔だ」
ヨハンは短く言う。そして、こう続けた。
「ゲルタを蘇らせ、窮地のグレンデールを救う。この二つを達成すれば、私は大英雄になれるのだ。念のためもう一つ仕込んでいたが……私が大英雄になるには、あなたが邪魔だ、大英雄ギルベ――」
「黙れ」
ヨハンが最後に口にしようとした言葉に、アンナははっとする。しかし、思考を挟む余地を、この少年は与えなかった。
「大英雄になりたければ勝手になれ。好きなだけ戦い、好きなだけ殺せば良い。だが――」
「るー君、怒ってる。きっとみんなのため――」
エイプリルはギルベルトが心底怒っていると察する。誰のためにかは考える必要もない。
青く、刀身の短い神雷剣を少年は目の前に突き出す。その剣には、少し異変が起きていた。
「剣を……シンちゃんを傷付けたお前を、俺は許さない!!」
刃の先っぽが少し――砂粒程度の、本当にごくごくわずかの部分、欠けていたのである。ギルベルトの怒りの源は、やっぱり剣だった。
「――じゃなく、剣のためですよねー、お姉さん知ってた。……でもっ」
大英雄博士を自称するエイプリルも、自分が信じるものに誓って叫ぶ。
「ヨハン、お前は大英雄なんかじゃない! 自分の欲望のために争いを起こしたしょーもない奴が、大英雄なんて呼ばれるわけないんだ! 英雄は、人を救ってこそ英雄! 立派な人達だからこそ、私は憧れたんだから!!」
ギルベルトがヨハンに飛ぶ。甘んじて攻撃を受けていたのは、最愛の剣を守れなかった戒めのため。
怒りに満ちた大英雄の猛攻を防ぐには、大英雄の弟子程度では相手が不足していた。
「ちっ、死人が私の邪魔を……! ――〝アイスソード・カデンツァ〟!」
それでもヨハンは必死に食らいつく。師匠である杖の大英雄に教えてもらったことを全て吐き出して、剣の大英雄に、氷の剣で対抗する。
「怒る理由の割りには、私の剣を破壊しているが?」
「お前の剣は形だけだ、感情がない」
連続で襲いかかる氷の剣を叩き壊すギルベルト。少しだけ補足する。
「それとデザインとフォルムとテーマと一貫性とっ――」
「るー君がこんな時にどうでもいいこと語ってる……」
剣のうんちくを語るギルベルトの声を、エイプリルはきちんと拾ってツッコむのだった。
額と額がくっつくような狭い距離で、氷の剣と、おもちゃの木剣がぶつかり合う。連続して起こる衝撃に、足元の地面から敷き詰められていた石の道が剥がれる程だった。
「ハァ、ハァ……まさか、こんな邪魔が入ろうとはな。想定外もいいところだ」
「それはお互い様だ。あの胸騒ぎはこのことだったんだね、シンちゃん……」
距離を取る両者。ギルベルトの方は全く息を切らしていないが、ヨハンのスタミナは徐々に底が見えてきた。
誰もが感じていた。次の一手で決着が付く、と。
「やむを得ん、私の力が及ばないのであれば、師の力を借りるとしよう」
「あいつ、まさか!」
アンナは一冊の本を開いたヨハンを見て、叫んだ。ヨハンは戦いの最中であっても、その本だけは大事に手にしていた。それは、杖の大英雄・ゲルタの魔法書。
「ゲルタを蘇らせる気か」
ギルベルトの表情が変わる。自身を復活させたかもしれない復活の大魔法。ヨハンが剣の大英雄を復活させたわけではなかったが、この七年間で誰かが持ち出していたかもしれない究極の奇跡。
「――そうではない。師の遺した氷の大魔法。それをあなたに向けると言ったのだ」
「あいつ、ページを変えた……?」
しかし使うのは復活の大魔法ではなかった。同じ魔法使いのアンナは、彼が読み上げようとしてたページをめくったのを見逃さなかった。まるでそれは、望んだものがそこにはなかったかのような所作で、ページを変えたのだ。
「杖の大英雄が遺した、氷属性の最高峰。使い手がその弟子であろうと、都市一つ潰す威力はある。覚悟はいいか、少年」
「な、何よこれ……! 魔力が世界を歪めて――こ、こんな、事象に干渉するレベルの魔力を持つ人間がいるなんて!」
ヨハンが杖を掲げる。彼の全魔力がその一点に集約し、その行為だけで天変地異を引き起こす。大地が揺れ、空気が揺れ、周囲の温度が急激に下がっていく。
「そうだな。二度と同じへまをしないよう、万全を付くそう」
対するギルベルトは、ほんの少しだけ欠けていた神雷剣を、同じように天に掲げた。空にはさらに剣が現れて――グレンデール全体を覆ってもなお足りない規模で出現する。やがてそれらが、同じ方向に、一定の速度で回転を始めた。
「……おはようアンナ。あたしは死んだってことでいいんだよな? 空にいっぱい剣が生えて回ってるんだが」
「生きてますよボス! 地獄なのか天国なのか、分からない光景に驚くのも無理ないけど!」
目を覚ましたアプリコットも、その光景に一瞬ここがあの世だと思い言葉を発していた。
「――勝って、るー君!」
エイプリルが祈るように手を合わせる。決着の時が訪れる。
「〝アイスソード・ラプソディ〟!!」
ヨハンの、そしてゲルタの最大魔法がギルベルトを襲う。もはや剣と言っていいのか分からない氷塊が、数多の飛礫となって弾け飛ぶ。冷えた空気を切り裂き、ギルベルトただ一人に向かって暴れ狂う。
「〝テンペストソード・ワールドイーター〟!!」
ギルベルトがテンペストソードの上位魔法を放った。全ての剣から雷が放たれ、襲い来る飛礫を叩き落としていく。ほとばしる閃光は絶えることはなく、周囲に光を与え続ける。
「――こんなはずではなかった」
落ち続ける雷光が立ち上る光にも見えたのは、錯覚ではない。今までの雷と違ってそれは、一撃落としたら消滅する雷ではなく――肉に牙を立てる獣のように、地上を食らって離さないのだ。
「あなたが蘇ってさえいなければ、私は今頃大英雄になれたのだ」
その絶え間ない光の中で、ヨハンは呟きを繰り返す。
「いや、あなたが蘇っているということは、我が師もどこかで……? 私が大英雄になれる可能性など、始めから――」
勢いの衰えない雷に、氷塊の飛礫は数を減らしていく。
「――そうでは、ない、そうではなかったはずだ。私の役目は、来たる日に向けて人々の希望になることだったはず。……そうか、私は」
そして、答えを出した。
「ただ大英雄になりたくて、人々を陥れた、しょうもない男だったのか」
その瞬間、氷の剣が打ち消えた。
ヨハンの魔力が切れたのだ。守りながら展開していた氷の剣が消えたことで、ヨハンは雷の牙に食らいつかれる。高い雷耐性を持つ彼だったが、それを上回る攻撃力で貫かれ、戦闘能力は完全に奪われるのだった。
「――抑制モード。街を壊したら借金増えるからね。ついでに街とそれを包囲する山賊を倒す程度に留めて、手加減してあげたよ」
「……底の知れない……お人、だ……」
倒れ伏したヨハンは、その言葉を最後に、意識を失った。
山賊が入り込んで騒乱に落ちた街だったが、嘘のように、静けさに包まれていたのだった。
「か、雷が……止まった。るー君が――勝ったんだっ!」
「どうなることかと思ったけど、勝った、のね。……そっか、ギルベェ君、あなたが、剣の……」
「あ、あれ、お尻赤いまま――あたし、生きてんのかっ?」
空の剣と雷雲はいつの間にか消えていた。抜けるような青空が、彼らの勝利を祝福するように微笑みかける。
「ありがとうるー君、街を救ってくれて!」
エイプリルは駆け出して、ギルベルトに抱き付いた。鉄の胸当てでゴリゴリするが、ギルベルトはピクリとも動かない。彼も勝利を受け入れている――のかと思いきや。
「うぅ……シンちゃん、僕の不注意でこんな姿に……ごめんよぅ……」
愛する剣がほんのちょびっとだけ欠けてしまったことに、胸を痛めているだけなのだった。




