イムセル兄弟
山賊戦大勝利の翌日。冒険者ギルドでは変わらずデスクワークに頭を痛めるアプリコットの姿があった。
「ぐおおぉぉ、飲み過ぎて頭痛いぞおぉぉぉ……ギ、ギルベェ、この書類はそっちの棚に……!」
「ぐおおぉぉ……! ね……ねぇボス、今日は休んだら? 雑用は僕がやるから」
今日に限り、頭を痛める原因は主に酒ではあったが。
ちなみに少年の「ぐおおぉぉ」は、書類を粉々にしないための唸り声である。
「なんでジュースしか飲んでなかったっぽいお前まで辛そうなんだ……まあ、この調子なら昼には直る、心配いらんっ。久し振りの現場仕事の後でつい飲み過ぎちまったな、反省……」
名前を呼ばれてもぷりぷりした素振りで許していたアプリコット。一夜明けてそこまで酔いは残っていないものの、羽目を外しすぎたと反省するのだった。
「……そっか。いない間に、復活の大魔法のことでも調べようと思ったんだが」
「なんだ、何か言ったか? 言っておくが、あたしの衣装部屋には入れさせないぞ」
獣耳をこちらに向けてギルベルトに釘を刺す。昨晩のヨハンがチラリと口にしたこともあって、復活の大魔法が記されたゲルタの魔法書が気になりまくっていた。
「そういやもう一つ謎があったな。エイプリルのやつ、一体どうやって依頼一〇〇件解決しやがったんだ。昨日のあの動きはいつものあいつだったぞ」
「さ、さぁ……何かの間違いだったんじゃない?」
何気なく疑問を口にしたアプリコット。悟られないよう、なるべく自然に答えるギルベルトなのであった。
「ふぅ、ちょっとはマシになってきたな……さぁ今日も下らんデスクワークで一日潰す――」
何気ない一日が続く。ギルベルトがそう思った時――
「た、大変だボス! イムセル兄弟がグレンデールに向かってるって情報が!」
慌ただしく男性冒険者がギルド長室に入ってきた。イムセル兄弟――グレンデール周辺の驚異となっている、男も女も薬と拷問で飼い慣らす極悪非道の山賊団の名だ。
「マジか?」
「定期の商隊がやられて、その生き残りが言ってるから間違いないです!」
報告する冒険者の目には、恐怖が垣間見えた。異常事態が起きたと察知した他の冒険者らが、ギルド長室の外に集まっていた。イムセルの名前が出た途端、浮き足立つ。
「ったく、同業者がやられた腹いせか? たんまり溜まってる仕事があるってのに、余計な仕事増やしやがって」
そんな中、アプリコットだけは頭をかいて、ひたすらだるそうにそう言った。全く臆しておらず、冷静そのものだった。
「よ、余計な仕事って……まさか、戦うつもりですか!? あいつらの噂、聞いたでしょう!?」
「当たり前だろ。まさか、山賊を街に招き入れるつもりか? あいつら人数だけは多いみたいだからな、食い物持ってかれたらしばらくゴミみたいなスープの毎日だが……あたしは嫌だぞ?」
極悪非道の山賊団が一度街に入れば、絶対にそれだけでは済まないことは誰にだって分かること。アプリコットは冗談を言って和ませるが、恐怖に駆られた冒険者の耳には入ってこない。
「というわけで、戦闘準備だ。門を閉めるよう指示を出せ。それと、街道を遡ってグレンデールに向かってる連中に情報を流すのも忘れるなよ。もたもたするな、本当に入って来ちまうぞ」
アプリコットが指示を飛ばすが、冒険者達の動きは鈍い。とりわけ情報を持ってギルド長室に入ってきた男性冒険者は、その場から動けずにいた。
おもむろにアプリコットは、部屋に立てかけてあった大斧を軽々と担いだ。小さな少女が体の倍以上はある大斧を持ったことで、皆の意識がそちらに集中する。そして、その少女は不敵な笑みを浮かべた。
「あたしがいるだろうが。何を恐れる必要がある」
頼もしい姿だった。そして同時に、恐ろしい姿でもあった。極悪非道の山賊なんかよりも、普段接しているこの少女の方が恐ろしいのだと、ようやく彼らは気付いたのである。
「……で、あんたはどうするんだ?」
冒険者が各々の役割を果たさんと駆け回る中、アプリコットは一人の男に視線を向ける。それは非常時に関わらずやけに落ち着いている金髪の七歳児ではなく――
「無論手を貸す。そういう取り決めだ」
いつの間にかその場にいた、青い服姿のヨハンだった。
◇
情報が入ってから街は慌ただしくしていた。今までも山賊の襲撃などはあった。しかしそれはまだ街が小規模だった頃だ。急成長を遂げた近頃では、高い防壁に囲まれたこの街を襲おうとする賊などいない。
しかしその短くも長い平和を打ち破るのが、あの悪名高いイムセル兄弟とあらば話は別。皆家に閉じこもり、その扉には閂等で鍵がかけられていた。
「――さて、人はかくまったし、門も閉じた。後は山賊共がどう出てくるか」
それは街の門も同じことだった。普段開け放たれている城門は閉じられ、跳ね橋は上げられていた。他にも門を防衛する仕掛けがあり、各地では古代の頃から使われている落とし格子や、近年配置されるようになった魔法照射装置も稼働していた。
「ボス、跳ね橋操作と魔法装置にも自警団がついたわ。念のため門以外の歩廊にも冒険者を偵察要員として配置しておいたけど……余計だったかしら?」
「いやナイスだアンナ。B級冒険者を確約した甲斐があるってもんだ」
城門の天辺の歩廊にて、アプリコットはアンナからの報告を受けた。見上げた先の澄み渡る青空は、これから血なまぐさい戦いが始まるとは思えない爽やかさだ。
「――愚かな山賊め、痺れを切らして仕掛けにくるとはな」
「うぐっ……あんたもいたのね……」
同じくヨハンも歩廊に立っている。昨晩の勝負に敗れたアンナは、気まずそうにそう言った。
「昨日のように安易な挑発には乗らないでくれたまえよ」
「わ、分かってるわよ、うっさいわね!」
「アンナお姉さん、それもうヨハンお兄さんの挑発に乗ってるようなものだよ」
……一瞬、沈黙があった。そして、おかしな点に気付いたアンナがツッコむ。
「な、何でギルベェ君がここにいるのよ!?」
ギルベルトがまたこっそり付いてきてしまっていたのだ。場にそぐわない子供の存在に、歩廊にいた全ての人間(ある一人を除いて)が度肝を抜かれていた。
「やいギルベェ! これから一戦やろうって時なんだ、お前の出来る雑用なんて何もないぞ!」
「そうなの? そういうことは言ってくれないと、僕分からないんだよね」
「んぐぐぐ……空気で何となく分かりませんかね、どんな神経しとるんだコヤツは……」
また付いて来てしまったのかとアプリコットは頭を抱えた。会話を聞いていればこれから大規模な戦闘が起きると分かるものだが、ギルベルトはお構いなしだった。
「剣まで差して、戦闘が好きなのか、少年」
「うむっ!! ……あ、いや、大嫌い……かな……」
唯一ノーリアクションだったヨハンが一言声を掛ける。それ以上に興味を持たなかったのか会話はそれで終わったが、ギルベルトは思わず設定を忘れて答えてしまうのであった。
「とにかくギルベェ、これからマジでヤバイ戦いが始まる。お前はどっか守ってるエイプリルの所にでもいって、一緒に隠れて――」
「待ってボス、奴等が来たわ!」
「ああもうっ、間の悪い奴等だな! ギルベェ、あたしの傍を離れるなよ!」
そうこうしている内に、イムセル兄弟が地平の向こうから姿を現す。馬に乗った彼らは土埃を上げて、包囲も迂回もせず、門の正面で進軍を止めた。
「その顔に刻まれた斧の入れ墨、お前らがイムセル兄弟だな! あたし達の街に何の用だ!!」
大軍の先頭には、一際巨大な体の男が二人、馬にまたがっていた。ここからでも分かる、あの二人の体は人間のそれではない。巨人族の血が混じった、建物二、三階分くらいの巨大な体躯を誇っていた。
「はっはっ、お前がグレンデール一の冒険者か!」
「確かアプリコットとか言う名前だったなぁ!!」
「今あたしの名前を口にしたなぁっ!?」
名前を言われるとキレるアプリコットは、こんな状況でもお約束は守る。兄弟に名前を言われ、今すぐにでも大斧担いで飛び降りようとしていたが、アンナが必死に止めていた。それはまずいと思ったのか、珍しくヨハンも、面積の少ないアプリコットの服を軽く引っ張って止めているのだった。
「まぁそう焦るな、今日はご挨拶に来ただけだ!」
「こんな少数でヤリ合おうとは思わねぇよ、俺らは戦いに関しては馬鹿じゃねぇんだ!」
イムセル兄弟は言うが、歩廊から見る山賊の数は想像以上に多かった。確実に一〇〇〇以上は超えている。配下の者達も斧の入れ墨を腕やら、肩やら体の各所に入れていて――
これが彼らの言う『ご挨拶』ならば、本気で動員すればもっと仲間を連れてこられると言うことか。
「だがそういつまでも待ってられないぜぇ! 俺らは今すぐにでもこの街を犯したいんだからよぉ!」
「早いところ白黒付けてくれねぇと、俺らだけで勝手にヤっちまうぜぇ!?」
巨人の血を持つイムセル兄弟。彼らは背も高いが、腹もひどく出ていた。その体重を支えるのが限界に達したのか、馬が膝を付く。そして、何のためらいもなく馬の首を斧で落とすと、アプリコット達に向けて掲げて見せた。
「ああん!? いいからかかってこいよ! あたしの名前を口にしたこと、後悔させてやる!」
「ぼ、ボス落ち着いて! ……それにしても、あいつら何かおかしくない? 白黒付けてくれとか、俺らだけとか。――まるで、何かを待っているかのような」
そこに、ヨハンが続ける。
「卑賤で、野蛮な山賊共め。だがこれもまた――想定通りか」
ヨハンは鋭い目付きで山賊を見下ろしていた。普段の冷静さは保ちつつも、その双眸からは軽蔑の念が強く込められているのだった。
「近い内にまた会おうじゃねぇかぁ!」
「その時までに白黒付けておけよ!」
兄弟は部下の馬を奪うようにしてまたがると、再び平原の向こうへと軍を動かし、やがて消えた。アプリコットは矢を構えていた他の冒険者や自警団に合図を送り、武装解除を命じる。
「ちっ、びびりが逃げやがって。しかしあいつら、何か妙なことを言ってやがったな。あれは一体、何を指してのことだったんだ」
アプリコットの疑問には沈黙が答える。誰も答えを知らないのか空白の時が流れるが、七歳児が生意気にもその後を続けた。
「少なくとも、また来るようなことは言っていたね。……やれやれ、騒がしくなりそうだな」
普通の少年のような生活を望むギルベルト。絶え間ない戦いで培った勘が、波乱の幕開けを予感するのであった。




