第2章:結婚詐欺師ランド
第2章
かっち、こっち、かっち、こっち……
噴水の中心に立つ女神を象ったらしい時計が、子犬と母犬を模した2つの振り子を交互に揺らして笑っている。優雅にして豪壮な調度に囲まれた客室で、ランドはほとんど絶望的な思いに浸っていた。
暖炉には火は入っていない。
もう完全に初夏に近付いた陽気で、それには不都合はなかった。
純白のテーブルクロスには目が痛くなるような細かい刺繍が施され、部屋の隅では銀色の剣を交えた空っぽの2体の甲冑は、こちらをにらみつけているようにも見える。ともすればつまずいてもおかしくないような分厚いカーペットは深く落ち着いた赤で、彼が腰かけているのは、多分同じ大きさのものを宝石で作ったよりも価値があるであろう繊細な堀込みの入ったカウアー樹の椅子。天井にはシャンデリア。
そんな中でランドはひどく混乱をしていた。自分を取り巻く状況が分からないための困惑だった。
何故、こんな事になったのか…。ランドはほんの10分前の事を思い出す。
ランドは言われた通りに町を歩いていた。すると、一人の女性が声をかけてきた。
ランドは断ろうと相手の顔を見た瞬間…元・騎士団長に後ろ髪を引っ張られ首を痛める。
騎士団長は女性を見るや否や何かを話はじめた。
女性は小さく頷くと、紙を渡してきた。騎士団長は紙を受けとると、ランドを連れて1度宿に戻る。
ランドは盛装をさせられている。息苦しいタキシードの様なものを着せられた。彼の横には、同じ格好をした騎士団長が座り、さっきからにこにこと一人で喋っている。
「実業家でいらっしゃるそうね、お若いのに」
年齢の分かりづらい、小柄な中年女性――騎士団長の対面に位置する――が口元に軽く手を当ててそう言った時、ランドの背筋に戦慄が走った。どう答えたらいいものか言葉を失ったランドの横から騎士団長は口を挟む。
「ええ。国ではクルシス株式会社を知らないものは居ません」
「株式会社?聞き慣れないわね」
「え、ええ。つまり、その…一言で説明をするのは難しいのですが」
騎士団長はいきなり口ごもった。
「要するに、成せばなるです。何事も…って所ですかな」
しどろもどろにつなげる。
「ところでクルシスさん…」
ランドは、それが自分の名前であることに気づくのにしばらく時間を要した。
「は…はい、マダム?」
ばっと顔を上げて、なんとなく上流にふさわしそうな単語を口に出す。
婦人はにっこりと続けた。
「あまりおしゃべりをなられないのですね。まぁお見合いをする男女というのは、普通はそういうものですけれど。うちの娘も普段はこうじゃありませんのよ」
言って彼女は、自分の横にちょこんと座って押し黙っている若い女性を軽く示した。紹介された名前は、確かクリスだったか。傍らの母親の名前は、スイス。
ランドは改めてクリスに視線を戻すと、彼女は、にこりと微笑みかえしてきた。さっきから一言も声を聞いていないのだが、見たところ清楚な印象のブロンドのお嬢様といった感じである。
いや…実際にお嬢様なのだが…。
年齢はランドより年上であろう。22〜3といったところか。かなりの美女だが、その年で人見知りと言うのは間の抜けた話である。
(いや…本当の間抜けは俺か…)
ランドは胸中に呟いた。
(こいつが、何を企んでいるのかは分からない。ただ、1つ分かるのは、これは立派な結婚詐偽だ!)
こいつがどのようにして、こんな酔狂な縁談をでっちあげたのかは知る由しもないが、とにかくランドは絶望に目の前が暗転するのを感じていた。
「ところで…」
スイスが、事もなげに聞いてくる。しばらくは娘に何か話させようと、まるで飼い犬に芸をさせようとでもするように促していたのだが、とうとう諦めて自分で口を開いたわけである。
「ところで、クルシスさんは、どのような仕事をなさってるの?」
「えっ?」
追い詰められた子供のような声を上げたランドの前を横切るような格好で、またもや騎士団長が口を挟んだ。
「ね、ネズミ取りです!」
(ネズミ取り!?)
ランドが何かを言おうとする暇もなく、スイスはただ話題を継続するという義務感のため、次の質問を発していた。
「まあ、ネズミ取りと言うと、どのようなものがあるのかしら」
「えっ?いえ、それは専門家でないと……」
言いかけた騎士団長をさえぎり、ランドはすらりと答えた。
「逃げ惑うネズミ…それを捕まえた時に、脅えた表情をするんですが…構わずに一気に噛み砕く!しょせんこの世は弱肉強食!」
「まあ」
スイスは開いた口に手を当てて絶句した。慌てて騎士団長が声をあげる。
「もちろん、わが社はネズミ取りに狂暴な猫を使ってる訳であり…」
(おいっランド!少しは気を使った言葉を選べ!)
騎士団長は小声でランドに話しかける。
(そもそも、何でネズミ取りなんだよ!)
ランドも負けじと騎士団長に言うが、騎士団長は無視をしてスイスマダムに微笑み返す。
ランドもそれ以上は追及せず、とにかく営業マンと言う顔を作った。薄く笑みを浮かべ、黙ってクリスを観察する。
女の笑みほど当てにならないものはないと承知しながら、それでも騎士団長には、彼女がランドに多かれ少なかれ好意を持ってるように見えた。
(手を貸してくれって、こうゆう詐偽の事か?こいつだって、決して悪くない容姿をしてるんだから、こいつ1人でやれば良いのに…)
ランドはそんな事を考えながら、ぼんやりとクリスの顔を見つめていた。彼女がにっこりと、ほほ笑みかけてくる。
「いい加減にしてくれっ!」
スイスとクリスを屋敷のどこかへと退き、客間に3人だけになると、ランドがいきなり怒鳴りつけてきた。
「何がだ?」
騎士団長は憎々しげに聞き返した。
「急にこんな貸し衣装を着せられて、なんの説明もなしにこんな馬鹿でかい屋敷につれ込まれて、しかも名前はクルシスだ?ネズミを取る株式会社だと?いったい俺に何をしろと?」
「うむ…」
と騎士団長は真顔で答える。
「その会社の社長になりきって相手に毛ほどの疑念も抱かれず結婚までこぎりつける事だ」
「なるほど……ってオイッ!」
ランドは騎士団長をにらみつけた。
「人を叩き起こして、町を歩かせて何をやらかすと思えば結婚詐偽とはな!いい加減飽きれ果てたもんだ!」
そのセリフを聞いて、騎士団長は驚いたように顔を上げた。
「結婚詐偽?恐ろしい事を言う奴だな」
その時、ドアが開く。
ランドはとっさに身構えて振り返った。騎士団長は、ぼーっとつっ立っている。2人の視線の集中した戸口には、年の頃17、8といった少女がぽかんと立ち尽くしている。
「君は…」
なんとか取り繕うとランドが口を開いたのを待たずに、少女はそれを制止した。
「あ、ごめーん」
扉が、ばたんと閉じる。
1秒後、ドアがノックされた。
ランドは椅子に座り直して答える。
「どうぞ」
扉が開き、さっきと同じ少女が顔を突き出した。彼女はくすりと笑って、お辞儀をした。
「ノックを忘れてたわ。でも、私の事を礼儀知らずだと思わないでね」
クリスによく似た感じの、だが彼女より少し活発そうな少女である。ランドは直感で、この少女がクリスの妹だと気付いた。白い、ドレスよりは生活向きかと思われるヒラヒラしたワンピースを着ていて、それがよく似合っていた。クリスよりは髪が短く、クリスより小柄で、しかし声はクリスより大きそうだ。
とにかく、今までの自分たちの会話は聞かれていなかったらしい…と踏むと、騎士団長もお辞儀を返した。
「礼儀知らずと言えば、お客に自己紹介をしてもらえないのかな?」
「あ、ごめんね。私、ミサオ。あなたは?」
彼女はそう名乗ると、年下の子供にでもするように、ちょこんと手を差し出した。
「私か?私は、キッシュ。城で騎士団長を勤めているのさ」
騎士団長…いや、キッシュが握手をすると、彼女は少し顔をしかめた。
「騎士団長?」
「ああ…今は、相棒の将来を考えながら、凶悪な犯人を追ってるんだよ」
キッシュは苦笑いをしながら答えた。
「ところであなたたち、結婚詐欺師なんでしょ?」
ぶっ…とランドは吹き出した。だが、ミサオはにこにこと続ける。
「ねえ、お姉ちゃんを騙すの?どのくらい騙すの?ねえ」
「あ、あの……いったいどうして」
引きつりまくった顔で、キッシュ。ちらりと見るとランドは落ち着いて欠伸をしていた。どうやら、自分は関係ないよと言った態度を取っている。
キッシュは質問の意味が分からないと言った顔をする。
「えっとね。聞き耳を立ててたの。ドアの外で」
「い、いつから」
「うーん…まぁ、わりと最初っからかなぁ」
(あのなぁ)
キッシュは胸中で神に祈りつつ、この少女を人質に取って町の外まで逃亡する計画を検討した。考えるまでもなく、ボツ。明確な根拠はなかったが、この娘はなんとなく、喉元に刃物を突きつけられても
「あ、わたし、刺さってもいいの?」と聞き返してきそうだ。
「ねえ、お姉ちゃんを騙して酷い目に遭わせるんでしょ?」
「いや、その…」
キッシュはなんとかこの窮地を脱する事ができそうな画期的な言い訳を模索しつつ辺りを見回した。何も無い。
その瞬間、紛れもない爆音が屋敷を震わした。
どうんっ!
同時に、窓ガラスの割れる音。壁がみしみしと押し倒され、張り裂ける音。その他、なんだか分からない細かい破壊音。
爆発が屋敷全体を揺らし、その振動に足をとられて転びそうになったがランドが考えたのは、身の安全。
「逃げるぞ!」
ランドはキッシュに向かって叫んだ。
「いや、待て…アイツだ!俺が求めていたアイツが現れたんだ!」
とキッシュは答えた。
「アイツ?」
ランドは聞き返すが、キッシュは爆発音の方へと走り出す。何か嫌な臭いがする。
ランドはキッシュの後を追い掛けた。




